第二十話 会議が踊る?
月日とまどかが送迎のリムジンに乗り込んだちょうどそのころ。ここ統月学園全校生徒会会議室では、今期最後の集会が行われていた。
上層教育科の特別棟に位置するその部屋は、重厚な趣のあるマホガニー材を贅沢に使用したヴィクトリア様式に仕上げられており、さながら貴族のサロンの様相を呈している。四十名ほどの収容スペースはあるのだが、今は各科の会長・副会長・書記ら三名ずつが、それぞれの科に分かれて豪奢なソファに腰を下ろしていた。
全校生徒会とは、統月学園のそれぞれの科にある生徒会を統括する生徒会のことである。上層教育科、芸術芸能体育科、普通科の各生徒会はそれぞれの科で独自の自治権と執行役員を有しており、全校生徒会はその三科を跨いだ橋渡し的な取りまとめ役として、上位に置かれている組織だった。
「本日の議題は、間もなく行われる全生徒会解散に伴う全生徒会総選挙に関してと、上層教育科生徒会より提出された、上層教育科の女子生徒と芸術芸能体育科の女子生徒に二股をかけている普通科男子生徒への対処に関して、です」威風堂々たる大きな全校生徒会会長の執務机右脇に立って司会進行しているのは、天然パーマをショートボブにカットしたヘアースタイルがよく似合う小柄な女子生徒だ。彼女は上層教育科の二年生で全校生徒会副会長。名前を湖山燿といった。その小さな体からは想像できぬほど、張りがあり滑舌のよいよく通る声で、居並ぶ各生徒会役員たちと相対していた。
「総選挙に関しては通例のことなので、後ほど検討といたします。まずは、上層教育科生徒会から提出された議題から取り掛かりたいと思います」そこで彼女は言葉を切り、左を向くと執務机を前に座している全校生徒会会長を見やった。
副会長の視線を受けて、会長席に座っている凡庸そうな男子生徒は一つ頷くと「では続けてくれ、ひかる」と、手に持ったタブレット端末を振りながら、何気ない日常会話のように指示をしてきた。
「全校会長。ここでは副会長とお呼びください。いつもそうですが、いい加減わたしも大ちゃんって呼びますよ、セ・ン・パ・イ!」小柄な体躯の湖山燿は立っていても、威圧感のある大きな会長席に座っている全校生徒会会長と視線の高さが同じになる。そのことも湖山燿にとっては腹立たしいことではあったが、彼女にとってもっと腹立たしかったのは、誕生日が七日しか違わないのに、目の前にいる全校生徒会会長が上級生であるという事実だった。全校生徒会会長、広瀬大五郎は上層教育科三年生で、二年生の湖山燿とは幼馴染の仲なのである。
「あまり細かいことは気にしないほうがいいよ、ひかる。自分はもうこの会議が最後の仕事なのだから、あとは信頼している君に任せたいんだ」そう言われると、湖山燿は余計にイラついた。
一見凡庸を絵に描いたような外見とは裏腹に、広瀬大五郎は高等部三年間主席であり続け、二期続けての全校生徒会会長に就任していたのである。その間、この一癖も二癖もある統月学園生徒会を取りまとめてきた才覚の持ち主でもあった。その実力は彼女も認めるところではあったが、いまだに何か釈然としないものを彼女は感じ続けていた。
広瀬大五郎と湖山燿は、家が一つ隔てた隣同士ということもあって赤ん坊の時からの付き合いである。しかし、商店街の八百屋の息子である広瀬大五郎は、小中の義務教育期間は公立学校に通っており、高校進学の際に成績優秀者と認められ特待奨学生として高等部から統月学園に入学してきたのだ。一方、県議会議員の娘である湖山燿は、付属の幼稚園から統月学園に通っており、義務教育期間は通う学校が違ったこともあって別段学年差を意識したことなどなかった。
ところが、湖山燿が高等部に進学したときに、同い年だとばかり思っていた広瀬大五郎が上級生として、しかも全校生徒会会長としてこの学園の頂上にいたのだから、彼女は驚かずにはいられなかった。空いていたというよりも、空けられていた副会長の席を進級早々に与えられ、以来、広瀬大五郎と共に二期続いての全校生徒会副会長である。ずっと彼に踊らされているような感じが否めないのも釈然としない理由の一つなのかもしれない。
「その件に関しましては公正な選挙によって決定されることで、全校会長が世襲できるわけではありません。それに三年生のあなたにはもう投票権はないのです」彼女の言葉を予期していたかのように広瀬大五郎は頷きながら彼女に微笑みを返してくる。こめかみに怒りマークが出るのを抑えつつ、湖山燿は広瀬大五郎の微笑を無視し、コホンと小さく咳払いをして本題に戻ろうと努めた。
「失礼しました。話が頓挫しましたが、議題を進行させていただきます」湖山燿は目を瞑り少し眉間に皺を寄せながら、口を開けば文句の一つも言いたいところをぐっと堪えた。
「上層教育科生徒会会長、日鏑晶さん。提起した議題についてご説明をお願いいたします」湖山燿は各会長らに向き直り、発言するよう求めた。
各科の生徒会委員の中央に座っていた男子生徒がおもむろに立ち上がる。上層教育科生徒会会長、日鏑晶だ。背丈は平均身長といったところか、中肉中背の身体つきに秀才タイプを連想させる銀縁眼鏡を掛け、そこから覗く瞳にはどこか含みのある光が宿っていた。
「ここ最近、上層教育科のエントランス付近で、普通科男子生徒が芸術芸能体育科の女子生徒と歩道に寝そべって抱き合っているという報告が多数挙げられております」
「その現場は自分も見たことあるよ。大した熱愛ぶりだったね、まぁ公衆の面前というのは控えてもらいたいものだが……」穏やかな口調で広瀬大五郎は感想を述べた。是も非もないといった感じだ。個人の恋愛事情に干渉するつもりはない、といったスタンスなのだろう。
それにある意味で芸術芸能体育科は校則の治外法権的な扱いと暗黙の了解がなされている。遅刻や早退は当たり前。通常のペーパーテストは形式上行われているに過ぎない。つまるところ芸術芸能体育科とは、一流のアスリートや芸術家・芸能人たちに高校卒業資格を与えるための科なのだ。単位補完は適宜レポートを提出するだけで済む。法にでも触れるようなことをしない限りお咎めなしというのが学校側の姿勢だった。ただし、その特化した技能を失ったときは即刻退学となる。厳しい学科でもあった。
「それがその芸体科の女子生徒一人ならまだしも……そのこと自体、決して良いことだとは思いませんが、上層教育科の他の女子生徒までも手を出しているとの情報が集まってきています。いわゆる二股というやつです」日鏑晶のその言葉に会議室の中で小さなさざ波が立った。その反応を確かめるように言葉を切っていた日鏑晶は満足そうに微かな笑みを浮かべ、ちらりと皆を見渡すと言葉を続けた。
「加えまして、本日、件の普通科男子生徒の許嫁と名乗る女子生徒が当科に転入してまいりました」日鏑晶の言でさざ波がざわめきに変わる。日鏑晶は、的を射たりとばかりにほくそ笑んだ。
「それで、どう対処するつもりですか?」広瀬大五郎は机の上に肘をついて手を組むと日鏑晶を見据えた。日鏑晶が腹に一物持っている人物であることは承知している。しかし、今のところ彼の言っていることは正論だ。広瀬大五郎はこのまま議題を進行し様子を見ることにした。
「はい」と、広瀬大五郎から向かって左に位置する席から、快活そうな声が聞こえた。ミントグリーンのヘアバンドをしたミディアムカットの女子生徒が挙手している。彼女は普通科生徒会会長で二年生の薄原小夜子といった。凛とした顔立ちの美少女だ。成績は常にトップテンに入り、その声音からも連想できるような、朗らかで明るい性格から生徒会長に推薦されダブルスコアで当選した生徒である。
普通科は通常二年生が生徒会長に就く。三年生は受験や就職に備えるから生徒会などやっている暇はないのだ。対して、上層教育科や芸術芸能体育科は留学や他校への進学者を除き、よほどのことがない限り、そのまま全員がエスカレーターで付属の大学に進学できる。だから三年生でも余裕で生徒会長などやっていられるのだ。
「普通科の方では確認できていないのですが、本当に普通科の生徒なのでしょうか?」薄原小夜子は少し抗議めいた響きを含んだ声音で質問した。
「ああそうだ。この情報は間違いない。全校生徒会長もお認めになっているところだしな。普通科に情報が行っていないのは、上層教育科の敷地内で起きている出来事だからだろう」蔑むような目つきで日鏑晶は薄原小夜子を見据えた。
「ああ、あのすごい美形男子かな。ボクは一度モデルにしたいと思っていたんだ……なぜ彼は芸能科のモデルコースに行かなかったのだろう?」横から芸術芸能体育科三年生の生徒会長 海神泳が感想を述べるともなしに呟いた。名前から体育科を連想してしまいそうだが、彼女は美術専攻で、どうやらモデルとしてハジメのことを気に入っているらしい。長い髪を、頭頂部に一つ後頭部に二つの計三つのお団子にした独特の髪型をしており、学校指定のジャージに油絵具の付いた作業用エプロンをしたままの出で立ちだ。彼女曰く、このエプロンは美術専攻の制服なのだという。
「残念ながら、件の普通科生徒はあなたの想像している人物とは異なっていると思いますよ、海神さん」日鏑晶は海神泳を小馬鹿にしたような目つきで見下ろした。
「それは残念だ。折角会えるチャンスかと思っていたのだけど」彼女は何もつけていない素の筆でチークのメイクをするように頬を撫でていた。
「はい、彼に関しては、普通科でも確認しております。遠吠一さんですね。上層教育科の生徒はいないようですが、芸術芸能体育科の生徒は彼のガールフレンドたちの中に複数人いるようですね」と、薄原小夜子が補足する。
「いずれにしても、このままあの生徒を放っておくわけにはいきません。ただでさえ体育館爆破事件もあったばかりで、ちょっとしたことが上層教育科のイメージダウンに繋がりかねません。こんな校内の風紀の乱れを助長する事態は早めに対処すべきです」少々大袈裟なジェスチャーを交えて日鏑晶は広瀬大五郎に申し立てた。
「個々人の恋愛観を否定するのは、自分は好きじゃないが、確かにこのままでは、悪い前例を作ってしまう可能性は否定できないね」ふむと、広瀬大五郎は口元に手を当てて考え込んだ。
彼が悩んでいるあいだ、普通科生徒会副会長がタブレットを見せながら何かを薄原小夜子に耳打ちしている。彼女は副会長の言葉に頷くと広瀬大五郎を見やった。
「全校会長。普通科でも当該生徒を確認しました。一年B組の生徒で名前は太神月日さん。ですが、上層教育科の件に関しては、最初のアプローチを掛けてきたのは上層教育科の女子生徒だと報告が来ています」
「それがどうした。普通科が上層教育科棟に来られるわけがないだろう」日鏑晶の言葉には、平民が貴族の館に入れるわけがないだろう、といった嫌な響きを含んでいた。
「大方、その太神何とかが、うちの女子生徒を呼びだしたのだろう」
「どうやって呼び出せたんですか? こちらからではアクセスすることもできないんですよ!」薄原小夜子が日鏑晶に食いつく。相手は上級生でもあり、上層教育科の生徒だ。生半可な覚悟では反論などできようはずもない。彼女は普通科の尊厳を守るため必死に食らいついたのだ。
「方法までは知らんよ。校外で彼女の弱みを握ったのか、まぁそんなところだろう。でなければ上層教育科の生徒が普通科などに行くはずもない」
「脅したかどうかの論拠はどこにもない。それを言ったら彼女が純粋にその太神君に好意を寄せていただけという可能性もある。もちろん自分が言っていることにも何の論拠はないけどね」下級生とはいえ普通科の生徒に対し、横柄な態度をとっている日鏑晶に、広瀬大五郎は眉をひそめた。
「そぉっかぁ。太神君ってそんなにモテるんだ。どんな子なの?」と、芸術芸能体育科生徒会長の海神泳が日鏑晶の後ろから頭を出して、薄原小夜子に直接聞いてきた。
「あの、遠吠えさんとは違って、彼はその……いわゆる肥満体形の子で……」薄原小夜子は言葉を選びながら少し恥ずかしそうに海神泳に伝えた。月日は確かに、芸術家に胸を張って見せられるような容姿ではない。
「へー。平安美形ってやつね。うん。そういうのもいいかも。書いたことないし」
「お二人とも私語は慎んでください」全校副会長の湖山燿が二人を交互に見やり困り顔で注意した。気持ちは分かるが、ほかでやってねと、言外に言っているのだ。
「いずれにしろ、上層教育科の生徒が普通科の生徒と軽々しく接触などするべきではない。各科の線引きはきっちりと引き直すべきだ」面白くないと言った顔つきで日鏑晶は持論を述べた。彼の言葉に広瀬大五郎の眉間の皺がより深くなる。
「そもそも、同じ敷地に普通科があり、一方通行とはいえ、いつでも行き来しようと思えば行けるような状態が異常なのだ。普通科は普通科らしい別の場所に行ってもらいたいくらいだ!」
「ちょっとそれは言い過ぎではないですか!」普通科生徒会会長の薄野小夜子が思わず立ち上がる。
「言いすぎなものか! 身分をわきまえろと言っているのだ! 普通科の生徒が上層教育科の生徒と付き合うことなど決して許されないのだからな!」
「あなたは何を言っているんですか!」
「はい! そこまで!」広瀬大五郎は立ち上がると紅潮して立っている薄野小夜子を座るように手を振った。
さすがに日鏑晶の言葉は度が過ぎていた。その場の生徒全員が驚きと嫌悪の目で彼を見ている。
「その意見は君個人の見解かな、それとも上層教育科生徒会会長としての言葉かな?」
「それはもちろん……」
「もし! 上層教育科生徒会会長としての言葉だというのであれば、自分は看過できない」広瀬大五郎は日鏑晶の言葉を皆まで言う前にピシャリと遮り、そしてこう続けた。
「同じ上層教育科の生徒として、そして全校生徒会会長として自分は君の発言を全校査問委員会に掛けなくてはならない。言っている意味が分かるかね」
広瀬大五郎の言葉にみるみる青ざめる日鏑晶。この会議は公式の生徒会会議である。よって画像音声はすべて記録されている。全校生徒会会長が全校査問委員会に問題提起するということは、最悪退学をも含む罰則が科せられることを意味していた。退学とはいかずとも、付属大学への進学差し止めも考えられる。つまり浪人である。
浪人などという屈辱的なことは日鏑晶のプライドが許さなかった。そして何より、父親が許さないだろう。日鏑晶は自分のプライド以前より父親の逆鱗に触れるのが恐ろしかった。
「も、もちろん個人的な意見ですよ、全校生徒会会長広瀬大五郎君……」日鏑晶の絞り出すように言った言葉に「この八百屋の息子ごときが!」という怨念めいたものを感じつつ、広瀬大五郎は何事もなかったかのように頷いた。
「あまり公の場で個人の主張は控えるようにお願いしますよ、上層教育科生徒会会長日鏑晶君」差別的とも侮蔑的とも表現を使わず、広瀬大五郎は極めて穏やかに注意を促した。
ガタリと、肩を落として日鏑晶はソファに座りこむ。もはや二の句も告げないといった態だ。
「それじゃ、件のえっと、太神月日君だったかな。念のためこれからも注視していくということでいいかな。こちらから刺激を与えたことで、余計な風紀の乱れを作る可能性もあるからね。あまりヒドイようならそれとなく注意しておいてよ、ひかるちゃん」と、広瀬大五郎は穏やかな物腰で湖山燿を見やった。
「科をまたいでの案件ですので、全校生徒会の風紀委員に任せることにします。大ちゃん会長!」湖山燿はこめかみに怒りマークを張り付けて広瀬大五郎に答えた。
「とはいえ、もうみんな任期満了だから事実上来期になってからのことだろうけどね。残念ながら自分ら三年生は手も足も出せない」その言葉はある種の日鏑晶への牽制でもあった。もうこれ以上何もするなと言っているのだ。
「では次の議題に移るとしようか、副会長」
全校生徒会会長の一声で、議題は全生徒会総選挙に変わった。この議題は大きな変更点もなく、テンプレート通りの進行でつつがなく進んでいった。




