第十八話 屋上で許嫁の正体見たり?
体育の授業が終わり、昼休みとなった。教室で一人静かにお弁当を食べているまどか。いつもなら百夜と一緒に食べているのだが、更衣室の一件もあり、少しばかり気まずい雰囲気が二人の間に漂っていた。
幸か不幸かクラスメイトのほとんどが、かくやを案内するのだと言って、高級レストラン張りの食堂へ行ってしまった。二人を邪魔する者も、仲介する者もここにいはいない。
――いったい、今日の百夜ちゃんはどうしたっていうの?
まどかは行儀など忘れて銜え箸のまま、ちらりと百夜を見る。彼女は更衣室の件など無かったかのように、黙々と箸を進めていた。
百夜は食事を終えると、まどかの視線を感じて、まどかに振り向いた。
「それほど気になるのでしたら、直接お聞きになったらいかがですか?」百夜はまどかに近づきそっと耳打ちした。
「百夜ちゃん?」
「太神さんにですよ」にっこりと微笑み返す百夜。
「な、なんでそうなるの?」と、思わずまどかの声がうわずる。
「気になっておいでなのでしょう? かくやさんと太神さんのこと」
「それほどではないですけども、気にならないと言えば嘘になります……」まどかは百夜の問いかけに目を逸らして曖昧に答えた。
「では参りましょうか」そう言うなり、百夜はまどかの手を取った。
「連絡を入れました。普通科との通用口で待っているとのことです」百夜は、にこにこしながらそう言って、まどかを通用口へと引っ張っていった。
普通科棟との通用口に来たはよいものの、通用口につながる廊下は食堂ともつながっていて、思いのほか人通りが多かった。知り合いに見つかるのではないかと思った矢先に、食堂帰りのクラスメイトに発見されてしまった。
「あ、蒼月さんがいる」幸いにもかくやの姿はない。
「ご、ごきげんよう」まどかは、にこやかに愛想笑いを浮かべてクラスメイトに挨拶をしていると、視界の端に月日の姿が映った。
――いけない!
月日とハジメの姿が普通科棟の出入り口に見えた途端、まどかは百夜の手を取ってゲートを通過すると、百メートルはあろう連絡路をわき目も降らず突っ切り、普通科棟へと駆け込んだ。
「ど、どうしたの蒼月さん? そんなに焦って……」月日はもっさりとしたポンポン頭をかきながら驚いていた。
「いろいろありまして……また、屋上にでも参りましょう」はぁはぁと荒い息交じりにまどかは月日たちを促す。月日とハジメは顔を見合わせてから頷いた。
毎度の如く、まどかたちが普通科棟を移動するたび、反発磁力が発生するように、普通科の生徒たちが奇異な目つきをして道を開けてくれる。そんな中、まどかと百夜は愛想笑いを返しながら、屋上ヘと向った。その後から月日たちが続く。
例によって屋上は風も強く寒かった。月日はいつものように学ランを脱ぐと、まどかに羽織らせる。
「遠吠さんは、わたくしと一緒にここで待ちましょう」そう言って、百夜は屋上の踊り場でハジメを引き留めた。踊り場ですら結構な寒さだ。
「あんなこと、あなたはわたくしにはできないでしょ」と、にっこりと微笑む。
「すまない。俺だと凍えちまう」ハジメは情けなさそうな顔つきで後頭部を掻いた。
「いいえ、あんなことができるのは太神さんくらいなものです」
「そうだな……」ハジメはフッと鼻から息を吐いた。そのため息は、改めて月日との歴然とした力の差を、思い知らされて漏れ出たものだった。
月日と学ランを羽織ったまどかは、凍てつく寒空の下に二人きりで立っていた。いや、遠くにいつものボディーガードの姿が見える。
「こうなることは予測できたのに……外套を持ってくるべきでした」
「僕は構わないけど、ハジメと如月さんに申し訳ないな……」
「もしかしたら、この状況になるよう、百夜ちゃんに嵌められたのかもしれません」
「どゆこと?」
「今日の百夜ちゃん、なんか意地悪なんです。転校生の女の子が来てから……」と言いかけて、まどかはそこで本題を思い出した。
「あ……」まどかは言い澱むと、月日から視線をさっと逸らせた。月日へのトラウマが蘇ったかのようだ。
「あ、あの太神さん……」まどかは耳まで赤くして口ごもる。
「な、なに?」
「ふ、太神さん!」月日の心配をよそに、まどかは月日に視線を合わせると、いきなり叫んだ。
「はい!」
「ご婚約されていたんですか!」まどかは下唇をかみしめ、必死の形相だ。
「こ、婚約?……え、なに? 何のこと?」まどかがいったい何を言っているのか、まったく意味がわからない。
「ご婚約されていたんですか!」まどかは繰り返した。
「し、してないよ! 何それ……?」まどかの必死さが伝染したのか、月日は目を白黒させてどぎまぎしている。
「実は今朝、転校生が転入してきたのですが……彼女は、太神さんの許嫁だと言ってました! 太神さんと結婚するために転校して来たのだと言ってました!」まどかは目をぎゅっと瞑って、口にしたくない言葉を無理矢理吐き出した。
「婚約? 結婚? いったい何のこと?」彼女のあまりの迫力に気圧され、月日は我知らず一歩後退っていた。自分の婚約だの結婚だのという話など聞いた覚えがまったくない。
「……なんでそんな話になってるの?」
「わたくしが、お訊きしたいくらいです!」まどかは月日の言葉を素早く払いのける。
「……」月日は言葉に詰まった。困った顔をして、ボールのように膨らんだ腹の上で腕を組む。
「うーん。ちょっと落ち着いて話を整理しようよ、蒼月さん」
「は、はい」月日の言葉で、自分が舞い上がっていたことに気付いたまどかは、恥ずかしそうに頷いた。
「まず、その転校生さんは、本当に僕の婚約者だと言ったのか……」
「はい! それはもうはっきりと! 正確には許嫁だと言っていましたわ!」
「うぅ」早押しクイズ並みの速さで返答してくるまどかに、月日はまたも気圧された。今日の彼女は妙に過剰反応している、と月日は思った。これでは話にならない。
月日は困り顔をしてどうしたものかと、空を見上げた。
「そ、そうだ!」月日はごく簡単な確認方法があることを思い出した。
「爺様に確認してみよう。そうすれば、何か間違いがあったことが分かるかもしれない」
「はい! ……そうですね」まどかはまどかで、自分がまた舞い上がり始めているのに気付いて、慌てて声のトーンを落とした。
「じゃぁ」月日は、まどかの顔を見て一つ頷くと、スマートフォンを取り出し示申齋にビデオ通話で連絡をとる。その途端、「わしじゃ」と、呼び出し音も鳴る間もなく、いきなり示申齋が音声のみで返答してきた。
「あわっ! あれ爺様?」
「わしのほかに誰だと思っておる」
「普通は呼び出し音が鳴るんだけど……」月日は言いかけて、この人に世間の常識を説いても意味がないことに気付いた。
「爺様、質問があるんだけど」
「許嫁とやらのことか」
「やっぱり何か知ってるんだ」
「当たり前じゃ。あれはわしが取り計らったのじゃからな」
「え!」月日とまどかの驚きが重なった。
ちょうど、月日とまどかが話し合っていたころ、屋上の踊り場ではハジメと百夜もかくやに関して、違う角度から話し合っていた。
「今日、わたくしたちのクラスに月見乃かくやという女子生徒が転校して参りました」百夜は内緒話をするように、声を落としてハジメに言った。ただでさえ階段の踊り場は響く。重要な話をする場所には向いていないのは承知していたが、この際やむを得なかった。
「へぇ。こんな時期に?」ハジメは百夜に合わせて小声で話しつつ、彼女の言葉に眉をひそめた。
「ええ。とても不自然です。三学期の始めからでもなく、二年生になってからでもなく、です」
「確かに不自然だ。それで?」
「はい、月見乃という名を、どこかで聞いたことのあるような気がして、如月本家に問い合わせてみましたところ、同じ名の軍需企業があることを知りました」
「うーん。なんか少し、きな臭くなってきたな……」ハジメは顎に手を当てて天井を見上げた。
「そうなんです。そして、月見乃産業は日鏑重工と競合関係にあるらしく、裏でいろいろな駆け引きが行われているようなんです」
「え! ……日鏑重工って、まさかあの廃工場の!」危うく大声を出しそうになるのをハジメはこらえた。
「はい。まどか様の影武者としてわたくしが捕まっていた工場の持ち主です」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。また厄介なことに……これもレッドタイドの仕業か?」
「そこまでは分かりませんが、敵対勢力である月見乃家が太神さんにアプローチをかけてきたということは、太神さんの力を欲してのことだと思います」
「どうして、そう思うんだ?」
「わたくしも同じことをしたからです」
「はぁ?」あっけらかんと答えた百夜に、ハジメは唖然とした。
「太神さんに初めて助けていただいた夜。その時、わたくしは不在でしたが、後から話を聞いて、まどか様をお守りできるのは太神さんしかいないと思いまして、如月本家に相談したところ、結果、こうなった次第です」百夜は、少し気まずそうな微妙な笑みを浮かべた。
「って、まさか、蒼月さんを嫁候補にしたんじゃないだろな」
「……そのまさかです」ハジメの言葉を、百夜は困り笑いをしつつ躊躇いがちに認めた。
ハジメは愕然として右の手のひらを額に当てた。
「それでいいのか? 彼女はあんたの主なんだぞ」
「わたくしなどより、太神さんの方がまどか様をお守りくださるでしょう。それに、これが一番正しい選択だったとわたくしは信じております!」黒縁メガネの向こうから覗く彼女の瞳には、確信に満ちた強い光が宿っていた。
「そうかもな……」結果オーライとはいえ、ドクター・レッドタイドからまどかに扮した百夜を助け出せたのは、ある意味太神のネットワークがあったればこそだ。月日一人でも、如月一門だけでも困難だっただろう。もっとも、ドクター・レッドタイドの目的は月日を捕らえることで、まどかは月日を釣るための餌に過ぎなかったのだが。
「しっかし、まいったーっつかあのくそジジイめ!」叫びたいところだが、ハジメは声を押し殺し、毒づいた。
「どうかなさいまして?」
「どうもこうも、あのジジイ、俺にも嫁探しするように頼んでおきながら、あっちこっちで嫁募集してたのかって、少し頭に来たってところ」やれやれとハジメは頭を振った。
「遠吠さんもお嫁さん探しをされていたんですか?」
「ああ。でも、まだ候補者は見つけ出せてない。この調子だと、あいつの妹たちにも頼んでんだろうな。嫁は誰でもいいのかってんだったく」と、鼻に皺を寄せる。
「……」二人の会話に三呼吸ほどの妙な間が空いた。それは、ハジメのヒートアップした頭をクールダウンするのに必要な時間だった。
「……あ、すまない。話を戻すけど、そういうことならその月見乃さんは、間違いなくその月見乃産業のご令嬢だろうな」
「わたくしもそう思います。そして、その、言い忘れていたのですが、厄介なことに上層教育科の生徒会長は日鏑なのです」
「またややこしいことに……」ハジメは思わず頭を抱えた。と同時に、屋上の扉が勢いよく開いて、月日とまどかが踊り場に戻ってきた。二人とも、頭から湯気が出そうなほど赤面している。
「百夜ちゃん! どういうこと!」階段の踊り場にまどかの声が鳴き龍現象を伴ってビンビン響く。
「まどか様。ここではお静かに願います」百夜はにっこりと笑ってまどかに向き直った。
まどかは階段中に響き渡った己の声に気付き、慌てて口を手で覆う。
「そのことに関しましては、ここではなんですので、帰りの車の中でお話しいたしましょう」畏まった様子で百夜は、まどかたちにそう告げた。
気付けば昼休み終了の予鈴が鳴っていた。




