第十七話 月からのインベーダー?(下)
一時限目の授業はみなそわそわして、誰も授業内容など耳に入っていない様子だった。早く休み時間になって欲しいと、まどかと百夜、そして当のかくやを除いた生徒の誰もが待ち望んでいた。
そこへ一時限目終了のチャイムが鳴る。
教師への挨拶もそこそこに、かくやの周りに集まる生徒たち。特に女子たちの引きが半端なく強かった。
「ねぇ、本当に結婚するために転校していらしたの?」
「許嫁って本当ですの?」
「やっぱり親御さんが決めたお相手なのかしら……」
「太神月日君ってどんな男子です?」
「もうどこまで行かれたのかしら?」
「キャー」
などと一斉に質問が飛び交う。普通の転校生では考えられない質問の内容だ。普通ならば「どこから来たの?」とか「なぜ三学期のこんな中途半端な時に?」とか、そういういう質問になるものだ。
前の席に座っている百夜は、やれやれといった表情でまどかを見やった。まどかは素知らぬふりを装ってはいたが、時折チラチラとかくやの方を見たり、明らかに聞き耳を立てていたりするのが、百夜にはすぐにわかった。かくやと月日との間に何があったのか一番知りたがっているのは、他ならぬまどかなのだ。
質問の連打に、かくやが答える間もなく泡を食っていると、二時限目開始のチャイムが鳴った。第一ラウンド終了と言ったところか。かくやは、まるでゴングに救われたダウン寸前のボクサーのようだ。
そして、二時限目終了と共に第二ラウンドが開始された。二時限目と三時限目の間の休み時間は一時限目よりも少しだけ長い。相変わらずの質問攻勢に、かくやは答えるどころか、苦笑しながらたじろぐばかりでいた。
「ねぇ、そういえば、太神月日君ってどこかで聞いたことがあるのだけれど」と、クラスメイトの誰かが言った。その言葉に外野を決め込んでいたまどかがぎくりとする。
「そんな奴、上層教育科にいたか?」と、男子も混ざって、話題が月日の方へ向かっていった。
「男子の皆さん。ご存じの方いらっしゃいますか?」
「僕は聞いたことはないな……」「俺もないよ……」その場にいる男子生徒は、みな一様に首を横に振る。
「芸体科の子じゃない?」
「普通科かもよ」などと、話題が完全に月日へと移っている。
――これはいけないわ!
と、まどかは思った。このままでは火の粉が自分に降りかかってくるのは時間の問題だ。何とかしなければと百夜に救いの目配せをする。まどかの、そのシグナルを受け取った百夜はにっこりと微笑み返した。
――わかってくれた!
ほっとするまどかだったが……。
百夜はおもむろに席から立ち上がると、こう言い放った。
「皆様、太神月日さんは蒼月家で雇っている、まどか様の近侍の一人です!」
「な!」百夜の思わぬ言動に言葉を失うまどか。
「あ、そういえば、いつも蒼月さんの車で登校してくる、あの背が高くてかっこいい方!」
「彼は違います!」パンと手をたたいて納得しているクラスメイトの言葉を、百夜は瞬殺した。
「じゃあ、背が低くて、その……ふくよかな方?」
「そうです」百夜の肯定の言葉に「えぇ」と言ったどよめきが起こる。
「あの方って、あれよね」
「そうそう、芸体科の女子と……」
「いつも車寄せのところで抱き合ってる……」
「キャー」女子たちが赤らめた頬に手を添えて、恥じらいながら百夜から目を逸らした。
「でも、蒼月さんは太神さんとお付き合いなさっていらっしゃるのかしら?」恐れ知らずの女子の一人が、真正面からまどかに斬り込んできた。かくやを含め、彼女を取り巻いている生徒の視線が一斉にまどかに注がれる。
「えっと、そんなことは……」あたふたと答えに窮していると、三時限目開始のチャイムが鳴った。今度はまどかがゴングに救われた格好になる。
まどかは、何事もなかったかのように座る百夜をねめつけた。その視線を感じて、百夜はまどかに振り向くと、清々しいほどの晴れやかな微笑みを返してきた。まどかが文句を言いかけたとき、教室の扉が開き男性教師が入ってきた。まどかは半分開けた口を閉じて、少しふくれた様子で百夜を一瞥すると、姿勢を正して気持ちを授業モードに切り替えようと努めた。
しかし、三時限目の授業は、まどかの少々苦手な数学だった。苦手なだけに、授業モードに入り切れない。次の休み時間までいろいろと持ち越しとなってしまったことの方に気を取られてしまう。どうしたものかとそわそわ考えあぐねていたら、結局、授業に身が入らぬまま、三時限目終了のチャイムが鳴っていた。
四時限目は体育の授業だった。まどかは百夜の腕を掴むと、皆を振り切るように、そそくさと更衣室に向かった。
更衣室に着くなり、いつものように暗証番号で個人ロッカーを開け、クリーニングされた冬用のスポーツウェアを取り出した。着替えを始めると、後から女子たちに連れられて、かくやが更衣室に入ってくる。かくやは周りの女子たちの圧力に少々戸惑い気味の様子だ。
「このロッカーが、月見乃さんのロッカーになると思いますわ。ほら、生徒番号が記してありますでしょ」
「はい、ここのようです」かくやに説明しながら、女子たちは互いに目配せをしている。
「もうウェアは入っていると思いますが、授業が終わったらウェアは、必ず一番下の段に置いてくださいね。そうしないとクリーニングされなくなってしまいますから」
まどかは意味ありげな視線をチラチラと感じながらも、着替えを進めている。
「そうそう、ロッカーの扉にあるパネルで、暗証番号でロックして、この青いクリーニングボタンを押せば、地下にあるクリーニングセンターに行くようです。次の体育の授業までには自動で戻って来ているのですが、どういう仕組みなのかまでは分かりません」
「そうなのですね。色々ありがとうございます」
まどかは、女子からの追及があるかと身構えていたが、言葉の追及はされなかった。しかし、なにか空気がおかしな方向へ漂い始めているのは、はっきりと感じ取れた。
――このままではいけない。
体育の授業中、まどかの頭の中はその一言で埋め尽くされていた。ただ走っていたことしか覚えていない。確かに、授業内容はマラソンではあったのだが、体育教師が何を言っていたのか、何を指示していたのかが、うろ覚えだった。
「あの……」と、体育の授業が終わって更衣室で着替え始めたとき、かくやが、まどかに声を掛けてきた。まどかは上半身下着姿なので逃げられない。
「は、はいぃ」まどかは咄嗟に抜いたばかりのスポーツウェアで胸を押さえると、焦りを滲ませ上ずった声で答えた。
「太神月日様と……その、お付き合いされているのだと皆様からお聞きました」かくやは恥ずかしそうに、俯き加減の上目遣いでまどかにそう言ってきた。
――なんでそんな話に!
まどかは心の中でそう叫んでいたが、あの不穏な空気の流れはそういうことだったのかと今更ながら気付いた。
「あ、あなたの思っているような関係ではないですよ。彼とは……そう、太神さんとはただの雇用関係上のお付き合いですから……」
「今は」と、すかさず百夜はまどかの言葉に言葉を被せて、遠回しに否定した。よくよく見れば、百夜は早々に着替え終えている。
「百夜ちゃん!なんでさっきからそんな変なことを言うの!」耳まで赤らめてまどかが抗議した。ほかの女子たちの放つ、興味津々といった熱い視線が痛い。
「わたくしは変なことを言ってはおりませんし、肯定も否定もしたつもりはありませんよ、まどか様。太神さんとは、雇用関係がなくなれば、赤の他人になる可能性もありますから、今は、と申し上げたまでです。それとも別の意味に聞こえましたでしょうか?」そう言う百夜の口元は少しばかり緩んでいた。
「では、永久雇用でもなさいますか?」
「そんな永久就職みたいに言わないで!」
「永久就職なんて言葉よくご存じでしたね」と、百夜が意味ありげににっこりと微笑む。
んーと、悔しそうに顔を赤らめて閉口している下着姿のまどかに、「それよりも早く着替えたらいかがですか?」と、百夜はさらに顔をほころばせた。
まどかは急いで着替えると、プイっと百夜を無視して更衣室を出て行ってしまった。
「まったく困ったものですね、ちゃんと自分の心と向き合えない人と言うのは……人のことは言えませんか……」そう、誰ともなしに呟くと、百夜も更衣室を後にした。
「あのぉ……」一人、困り顔のかくやを置き去りにして……。




