第二話 出会うこと再び?(一)
蒼月円にとっては悪夢のような金曜の夜だった。
あの日は父親の命令でパーティーに行った帰りの出来事だった。賊に襲われることはたびたびあったが、あんなことは初めての経験だった。まさか雪のちらつく中、全裸で何かを貪って…、と思い出すだけで彼女の思考は停止した。頭を振り、軽く両手でほほを叩いて自分を取り戻す。
気に掛かっていた、傷ついた使用人たちも全員無事だったこともあり、ほかの憂いもなくなったので、ようやく土日を使ってメンタルケアをすることができたのである。あの金曜が十三日ではなくてよかったと、冗談めかしてクスリと笑えるまでには回復していた。
金曜夜半から土曜の朝にかけて東京近郊で思いのほか降った雪は、まだ断片が路肩や人の手に触れられぬところにうっすらと残っていた。
月曜日、まどかはいつものようにボディーガード付きの、パールホワイトの新しい特注高級車に乗って登校していた。心はすっかり、今日の天気のように晴々として清々しかった。
気分よく車窓から何気なく外の様子を見る。登校中の公立学校の小学生だろうか、ランドセルを背負った五、六年生あたりの三人の男の子たちが残った雪を投げつけ合っている姿が見え、とても心が和んだ。
景色は流れ、赤レンガ沿いの暗渠の緑道の上を登校する一人の学生の姿が目に入った。まるでボールが学ランを着て歩いているような印象をまどかは受けた。手足は短く、髪の毛はぼさぼさのもっさりした感じで、前髪が目の上に掛かっていて表情が読み取れない。なんとも形容しづらいもやもやする雰囲気をその少年は漂わせていた。
まどかは眉をひそめ、そのもやもやを突き止めようと一本の記憶の糸を手繰り寄せた。記憶は閃光となりまどかの脳裏に蘇った。
あの首からぶら下がったチョーカーは、紛れもない金曜日の全裸少年の物だ。チョーカーというべきか動物の首輪というべきか、人には不釣り合いなほど大きく、マンガやアニメにでてくる修験者が首にかけている大きな数珠のような感じで、彼も首輪をぶら下げていた。
まどかは彼の全裸姿を思い出し、カッと赤面して即座に車窓から目を逸らした。車はあっという間に彼を追い抜き校門に入って、彼の姿は見えなくなった。
全裸の少年……こと彼の名を太神月日といった。彼の履歴書によればド田舎の豪農の出身。十月生れのさそり座で現在十六歳ということになっている。今は学校の近くにあるボロアパートの四畳半一間(共同トイレ、風呂なし)に一人暮らしており、この分厚い赤レンガで囲まれた学校、私立 統月学園に通っている。
彼の大叔父太神 静海が経営している学校だ。親類が経営しているとはいえ、別段特別扱いはされてはおらず、普通に受験をして普通科に入学している。
統月学園は幼稚園から大学院までの名門一貫校として知られている。江戸時代中期に太神一族の一派が私塾として開校以来、明治維新を経て帝国法に基づく旧制学校となり、終戦を迎え現在の形となったのである。
学園は三つの科で構成されていた。
一つは上層教育科。国の要人や学者を輩出するために創設された科で幼稚園、初等部がこれに属し、中・高等部では一つの科となっている。特に明日のブレインを輩出するために設立された教養部門においては、五科目の合計点が四百五十点以上でないと在籍できない。
無論メンサ会員も多く、付属の大学ではなく留学や有名国立大学へ進学する者も少なくない。また、法外な寄付金を必要とすることでも知られている。
二つ目は芸術芸能体育科、略して芸体科。文字通り、芸術家や芸能人、スポーツ選手を育成するための科である。これらの部門は一見乖離しているように見えるが、実際は有機的に結合連携していた。
例えば芸能のプロデュースに芸術部門やスポーツ部門の力を借りたり、スポーツ部門のフィギュアスケートやアーティスティックスイミングのコスチュームデザインに芸術部門が協力したり、音楽や振り付けなどを芸能部門が担当したりと互いの長所を生かし密接に多岐にわたって連携をして、高め合うような教育方針を打ち立てている。もちろんチアリーダーなども芸体科の現役芸能人が行っていたりすることもある。
最後に普通科だが、ここは普通の私立高校で特筆すべきことはない共学校である。偏差値レベルでは中の上に位置するが、努力次第では付属の大学ではなく他校の一流大学に進学するケースもなくはないといった、極めて一般的な私立高校である。
そんな普通の普通科に太神月日は一年生として在籍していた。豪農の出自なのに上層教育科ではなく普通科に通っているのは、彼の家の方針からだった。都会で一人、普通の学園生活を経験させる。それが目的だったからだ。それになにより上層教育科について行けるほどの成績を収めていなかったのもまた理由の一つである。そして、最大の理由は彼の特殊な体質に起因していた。
とはいえこの統月学園の常任理事らは彼の親類縁者で固められており、彼らの匙加減一つで月日をどこの科にもねじ込むことが可能であることは事実なのだが、そんな裏工作は行われなかった。あくまでも月日には、学園内においては『普通でいること』を彼らはこだわっていた。それは裏を返せば学園外において『普通ではないこと』をさせようとする意図があったからである。
ところで、月日には一つ年下の三つ子の妹たちがいるのだが、彼女らは上層教育科へ通っている。ねじ込んで入学したわけではなく、彼女たちもまた自分たちの実力で初等部のときに入学を果たしたのだ。初等部から入学したということは、中等部以降は自動的に上層教育科へ進級することになる。家の縛りを受けていない彼女たちは、充実した学園生活を送っていた。
顧みて月日といえば、座学においての成績は狙ったかのように中の中の中。運動は見かけを裏切らず芳しくない。極めて個人的な理由により一日五食とおやつが必要で、一食につき三人前の食事を摂取している。早弁遅弁に関して学校側は認知しているが関知はしていない姿勢を取っている。それは、特定の時期に彼が一食でも抜くと死人がでるほどではないが、PTSDになる生徒が出るかもしれないことを学校側、特に理事会はよく理解していたからである。
実は月日には人に言えない秘密があった。それは彼が普通の人間ではないということだ。
彼は狼憑きなのである。世間一般で言われているところの狼男のようなものだ。変化した身長は三メートル弱あり、車の天井を缶詰のように開けるくらいの力は少なくとも持っている。
通常は自分の意志で変化のコントロールができるのだが、月齢が満ち始めてくると、変化のコントロールがうまくゆかなくなる。これは月日の精進が足りないだけのことなのだが、そうはいっても放っておくわけにもいかない。
結果、空腹になると勝手に変化してしまうため、いつも何かを食べていなければならない。それ以外の期間も気を許すと、変化しようという意志もないのに体毛が濃くなったり、茶髪がかってきたり、犬歯が伸びてきたりする。あらかじめ肥満体にしておくことで獣人化しにくくしているのだ。これを月日は変化不順と呼んでいたが、妹たちからは蔑視され変態扱いされるので、今は使っていない。
変化する際は、体も巨大化するためあらかじめ脱いでおく必要がある。
もし着たまま変化をしたら、どこぞのアニメヒーローのように服がビリビリに破られてしまうだろう。もちろん下半身も含めて。くわえて変化した後、人の姿に戻るためにはエネルギーをかなり消費するため、二十人前くらいの食事が必要になるのだった。あの金曜の夜のように。
そう、蒼月円が見た怪物は彼、太神月日なのである。