第十一話 虎穴に入って墓穴を掘った?(一)
一蹴りで中央の四階建ての建物の屋上に着地した。建物を壊さぬように衝撃を吸収したつもりだったが、屋上のコンクリートタイルに足がめり込んだ。
……あ、やっちゃった。
廃墟とはいえ壊すのには忍びない。そのまま四階建ての屋上から飛び降りる。
トンと、こちらはつま先からそこそこうまく着地できたようで、地表のアスファルトが少しへこんだ程度で済んだ。地表に動物の足跡を模ったどこかのロゴマークのような跡が付く。
建物の周りを一回りしたが出入口は一つしかなかった。どうやらこの建物は管理棟のようで人間サイズでしか中に入れそうになかった。デカいのも考え物だと思いながら、両腕を前に伸ばし次いでそのままパンパンと二度、柏手のように手をたたき、急いで首輪を一段きつく締めなおす。すると徐々に体が小さくなり身長が二メートルほどになった。
……いつまで持つかな。
この術は一時的に身体をある程度小さくできるもので、月日がまともにできる唯一の術であった。
即座に扉を開けようとしたが鍵がかかって中に入れない。予想はしていたが、こうも当たり前の展開だとうんざりする。真鍮製のドアノブを握って思い切り回せば、扉は開かずノブが引きちぎれてしまった。そんなことが昔あったような気がして苦笑するが、この顔だと笑っているのか牙を見せて威嚇しているのかの判別がつかない形相だ。
仕方がないので窓を割って中に侵入することにした。爪をガラスカッター代わりに使いガラスを綺麗に切り取り、サッシの留め具を外し、窓を開ける。窓を壊さず中に入ることができた。自分とは異なる獣臭とまどかの微かな残り香を感じる。
……なんか変質者みたいだ。
そう思うとげんなりしてきた。嗅ぎたくて嗅いでいるわけではない。
……彼女を探さなければならないからやっているだけだ!
彼は自分にそう言い聞かせた。
変化した身体では人間の身体でいるときよりも嗅覚が一万倍になる。月日の場合、人間のときであっても普通の人より百倍ほど嗅覚が鋭敏である。その一万倍になるので常人の百万倍というとになるが、特にボリュームが百万倍になっているというわけではなく、嗅ぎ分ける能力が百万倍になるのだ。もちろん嗅覚を全開にすれば、ボリュームを百万倍にすることも可能だし、反対に匂いを全く受け付けなくすることも可能だった。
その獣臭は下り階段からゆらゆらと頼りなげに匂ってくる。部屋の内部は特段変わったところはなく、普通のオフィスだったようだ。机があったと思われるところは四角く白けていた。数点の壊れたパーティションが打ち捨てられており、廃墟感をより一層醸し出している。
下に降りるためにはエレベーターと階段があったが、こんな廃墟でエレベーターが動くはずもなく、たとえ動いたとしても月日は乗る気はしなかった。エレベーターの横に階段があり、間違いなくこちらから匂いはしてくる。
一段一段注意深く降りてゆく。コの字型をした階段は、地下三階まであるようだ。電気は通っていないので下は真っ暗闇であったが、そこはわずかな光でも見えるので問題なかった。
地下一階に下りる。ここも何かのオフィスのようだが撤収されて伽藍洞になっている。匂いは先ほどより強くなっているがここではないという感じだ。揺蕩う匂いを追いながら階下へと進む。闇が一層深くなるがまだ完全に見えないという暗さではない。階段からの反射光があるおかげだ。空気の感じではここも地下一階のように伽藍洞になっているようだ。向こうの壁が辛うじて見える程度だ。
……暗視力テストをしているわけじゃない。
と、思いつつ、最後の階に神経を集中させる。地下三階の最後の階に降り立った。ほとんど視界はない。階段のあたりの反射光と赤外線と紫外線でもようやく見える程度だ。だがほとんど奥行を感じない。ただ空気だけがここが空っぽの空間であることを伝えていた。そして匂いはディテールが分かるほどに濃く、誰かが潜んでいることを肌が教えてくれていた。
「だるが、ぎるどが(だれか、いるのか)?」この口ではうまく発音できない。
……いることは分かっているよ。だけど名乗り出てくれると助かるんだけどな。
恐る恐る部屋の中に入りこんでゆく。次の瞬間、人の気配を感じエレベーターホールに目をやる。人影が二つと一ついるのが分かった刹那、視界が真っ白になり、強烈な臭のパンチが鼻づらで炸裂し真っ暗になった。月日は気を失ったのである。
二人組と一人のうち二人組は部屋を後にし一人は月日に何かを握らせた。月日はあっさりと敵の罠にはまったのである。敵は閃光弾を使い、目くらましをしたうえで、アンモニアスプレーを顔面に噴射したのだ。
敵は暗視装置のスイッチを入れると、バッグから空の注射器を取り出した。針先を確認してから月日に突き立てた。が、針は彼の身体に刺さることなくへし折れてしまった。新しい注射器でもう一回試す。結果は同じだ。
敵は業を煮やしたのか、腰からサイレンサー付きの拳銃を取り出すと月日に向かって発砲した。弾丸は月日などいないかのように跳弾し、どこかの壁に穿たれた。二発目を発射したがこれも跳弾し、撃った自分をかすめてどこかに穿たれた。これ以上は危険と判断したのか拳銃をしまうと、ぐるりと月日の周りを回った。ふと敵は、月日がよだれを垂らして気絶していることに気付く。今度は綿棒と試験管を取り出し、月日のよだれを採取した。綿棒を試験管の中にしまうと、月日を放置して階段を駆け上がって行った。二つの影もその後に追従する。
一人月日は暗闇の中に取り残された。
月日が気付いた時はベッドの上だった。獣人化も解けている。
「ここは、どこだ……」一人ごちる。
入院服を着た身体に心電図用のケーブルと、点滴の注射針が腕に取り付けられていた。白いベッドと布団に枕、クリーム色のカーテンでパーティションされている。
……痩せているのに、人の姿になっている。
上体をおこし、自分の掌を見、身体をまさぐる。人間の姿でいるときのあばら骨の感触は何年ぶりだろう。
「起きたようだな」パーティションのカーテンを開けて一人の初老の人が入ってきた。
「爺様!」思わず畏まろうとする月日を彼は片手を上げて制した。
「よいよい。そのままでおれ」
初老の男性の名を十八代目 太神示申齋と言った。齢二百歳を超えるといわれる割には若々しい。白髪の長い髪を後ろに束ねて流している。ほうれい線がかすかに出ているだけで五、六十歳程度にしか見えない。身長は百七十といったところか、着流しに羽織といった出で立ちで、後ろにハジメと百夜が控えている。
「ここは、うちの系列の病院だ。安心して養生するがいい」
「爺様。僕はどうして」
「面倒くさい説明はこの者たちがしてくれるだろう。お前の顔も見たし、わしは帰る」
「爺様!」示申齋は後ろ手に手を振ると、パーティションの向こうに姿を消した。
「……」申し訳なさそうに、ハジメと百夜が立っている。その後ろから看護士が来てそそくさと手際よく月日から点滴を除いた電気系統のケーブル類を取り去ってゆく。
「僕はどうしたの」
「あれは、罠だったらしい」
「うん。わかっている」
「……」
少しのあいだ気まずい空気が漂う。
「わからん、お前がやられるなんていったい何があったんだ?」
「……閃光弾の後、アンモニアを浴びせられたんだと思う」
「なるほど、鋭敏化している視界を奪い、嗅覚でショック状態にしたわけか……」
「なぜ、その程度でやられてしまったのですか?」心配そうに百夜が問うた。
「いくら僕でも、自分から見ようとしたり、嗅ごうとしているわけだからね、しかも神経全開で。神経が焼けちゃったんじゃないかな」
「純度の高いアンモニアを嗅いだことがあるか?俺たち人間ですら、アンモニアを直接嗅いだら気絶するかもだ。俺も中等部の時、仰いで嗅くことをしないで直接嗅いだことがあって、カーンと目の前が真っ暗になったことがある」とハジメが付け足す。
「僕はあれからどうしたの」
「ああ、やつらがでてきたので俺たちは二手に分かれた」
「わたくしたちは、お嬢様を拉致した連中の後を追いましたが、残念ながら彼らの妨害に合い見失ってしまいました」
「俺はあの地下で倒れているお前を見つけたあと、もしものためのジジイの秘薬を使ってお前をもとの身体に戻した。何でできているかはよくわからんが、ジジイが調合しているあの薬だ。おまえが、仰向けに倒れてくれていてよかったぜ。うつ伏せだったら飲ませるのに一苦労だ。で、あの地下でその秘薬を使ってお前を人間の姿に戻してから、ここ専用の救急隊にあとは任せた」
「ここは?」
「ここは下伏総合病院。大丈夫ここにいるのは太神の一族郎党ばかりだ」
「ああ、聖おばさんがやっている病院か……こっちに来るぶりかぁ」
「あとそれから、その点滴は絶対に抜くなよ。また獣人化しちまうからな」
「これも爺様の秘薬なの?」
「そうらしい。とにかく今はゆっくりしてくれ。あとは俺たちが何とかする」その言葉に月日はハッとして、
「蒼月さんはまだ捕まったままだよね!」
「そうだ。だがお前はまだ寝てろ!」
「そんなわけにはいかないよ」
「どうか休んでいてください」百夜もたまらず止める。
「でも、止められるのは僕しかいないじゃないか」
「あぁ!てめぇ、うぬぼれるのもいい加減にしろよ。結局あそこで助けられなかったのはお前だろうが!俺らに助けられてんじゃねぇよ!」
「……!」
言葉に詰まる月日。まったくもって正論だ。
「俺たちはあんとき、敵をなめてかかっていた。奴らは俺たちのことをよく知っている。だから、いま必要なのは力じゃねぇんだよ、情報が欲しいんだ。だからいまはお前の出る幕はねぇっとことなんだよ!」
「ですから、いまは養生して下さい。必ず良い情報を得てまいりますから」
「わかった」悔しいが仕方がない。向こうはプロでこちらはアマチュアだ。その気になって一人突っ走って瞬殺された。申し訳もたたない。
「それと、お前、拳銃で二発撃たれたっぽいぞ。真新しい銃創が壁にできてたってよ。お前を撃っても意味無いことまでは知らなかったらしい」
「でも、知られてしまった」
「そうだ。相手に手の内を一つ見せちまったってことだ」少し非難がましい声音だ。
「ごめん……」
「なに謝ってんだよ。お前自身のことじゃねぇか、困るのはお前自身なんだぜ」
「う……」またしても月日は言葉に詰まった。
「まぁいい。俺たちはいくから、くれぐれも医者たちを困らせるなよ」
「わかってる」深いため息交じりに月日は答えた。
ハジメは踵を返し病室から出てゆく。一礼したあと、百夜も彼に続いて出て行った。
月日は、ベッドの上に一人残された。




