第十話 臭いの元は元から戦う?
更衣室から教室の戻ってくると、廊下に生徒たちが固まっていた。誰も教室に入ろうとしていない。
「おいお前たち早く入ってくれ」クラスメイトの一人が月日たちを見るや困った顔でそう言ってきた。何かと思って教室を覗くと、如月百夜が一人で教室の中に立っている。
……なるほどね。例によって例の如しですか。そんなに彼女が怖いのかなぁ。
と、心の中では思っていても口になど出せることではなかった。月日もわかっていたのである。みんな彼女自身が怖いわけではなく、上層教育科の生徒が怖いのである。
……昔の平民が貴族を恐れる感じってこんなのだったのかな?
「あれ如月さん、こんなところでどうしたの?」と、教室に足を踏み入れたとき、月日は百夜に違和感を覚えたが、この場はスルーしてしまった。
「太神さん、なぜ皆さん入っていらっしゃらないのです?ここは皆さんの教室ではありませんか」その言葉に、月日は苦笑しか出てこない。
「いろいろあって、上層教育科の生徒がいると入りにくいんだよ」月日は手招きをして百夜を廊下に出した。同極の磁石が反発するかのように、百夜が廊下に出ると反対側の扉から生徒たちが教室内に入っていった。
「わたくし、あの方々に何かいたしまして?」
「君じゃなくって上層教育科の生徒が、その、怖いんだよ」
「わたくしあなたほどは怖い存在ではないと思いますが……」
「そういう意味ではないんだけど、そのことについての押し問答はよそう。僕らに用事なんでしょ」
「あ、そうでした。体育の時間とは思わず、失礼とは存じましたが、教室で待たせていただきました」ポンと手を打って、自分が来た理由を思い出した。
「これを」と、スマートフォンをハジメに渡す。
「すげぇ、SiTEの新型じゃん」
「業務特化のスマートフォンです。指紋と網膜の照合の登録をお願いします」
「まずは設定に入って、これはこうして……」と、手取り足取り月日が初期登録のやり方をハジメに教える。
「で、自撮りにして、四角に黒目合わせてタップ」と、網膜照合をする。テストモードで照合可能か確認し、数度チェックして問題がなかったので再起動した。
「なるほどな、この端末は専用回線で繋がっているのか」
「中継点のセキュリティも万全ですので、この端末同士の盗聴は不可能と言っていいでしょう」
「持っている人間が行えば別だがな」
「その通りです。ですので、絶対に失くしたりしないでくださいよ」
「普通にそんなことしないよ。そんな、おっかない」
ポケットにスマホをしまおうとしたとき、腹に響くような大きな異音が聞こえた。窓枠が小さく震える。
窓からのぞくと上層教育科のほうから煙が上がっている。異音は爆発音だった。
「なんだ?」
「行ってみましょう」
三人は普通科棟を出ると、再度上層教育科のほうを見やった。煙が上がっているのが見える。上層教育科の体育館のあたりだ。
けたたましく鳴り響く火災報知機の音。上層科の生徒らが校庭にわらわらと出てくる。
体育館の自動消火装置が火元を消火し始めた。黒煙と白煙がまじりあい不気味なマーブル煙となって立ち上ってゆく。
「ここから先は立ち入り禁止だ、生徒たちは速やかに校庭に集合しなさい」月日たちが体育館に近寄ろうとすると警備員に制止された。警備員も焦っているのか、こんな校舎と体育館の間に生徒が来ているというのに、怪しいとも思わず、マニュアルどおりの指示しかしなかった。
「いったんここから離れよう。この事件のことはいまは置いておいて、先に蒼月さんと合流しよう」と月日が皆を促す。
校庭に出た月日たちは蒼月を探す。ここは上層教育科の校庭なので、普通科とばれないように、月日とハジメはパッと見てわからないように上着を脱いだ。上層科のワイシャツだと、胸の校章が金糸の刺繍になっている。普通科は紺色になっているのだが、普通科と芸体科は校章なしのワイシャツでも問題ないので、皆そちらを着ている。月日も、ハジメも普通のワイシャツだ。遠目だと金か無地かの判別が難しい。
概ねクラスごとに生徒たちの集団ができていた。三年、二年、一年と、各々のA、B、C組とわかれている。上層科のクラス人数は普通科より少ない。固まっていても、探し出すのは容易なはずだった。
「いない……」月日が、ため息交じりに漏らす。
「彼女は一年A組だよね……」百夜に再確認する。
「はい、わたくしと同じですので間違いありません。ですが、本当にいらっしゃいませんね」
「お前を待って教室にまだいることはないのか?」ハジメもあたりを見回しながら百夜に問うた。
「そんなことはないはずです。お嬢様は……」
「どうした?」
「そういえばボディーガードもおりません」
「なんだって!」「どうして?」ハジメと月日の言葉が重なった。
「教室に行ってみたいけど僕たちは入れない……」
「大丈夫です、そのスマートフォンでタッチすれば入れるはずです」
「そんな機能まで入っていたのか」感嘆を漏らすハジメ。
「とにかく行きましょう」百夜はスマートフォンを見て驚いている二人を促した。
ゲートの立ったパネルにスマートフォンでタッチするとピッと音がしてグリーンに点灯した。ゲートを通過しても何も起きず、普通に通り抜けることができた。
へーと再び感嘆を漏らしていると、百夜にせっつかれた。
上層教育科の校舎は鉄筋コンクリート製ではあるが、見栄えは木造の温かみのある落ち着いた雰囲気の作りだった。床も壁もピカピカだ。特に壁は本物の木材を使って木目を廊下に流れるように配置している。全体的に淡い感じの木材を使っており、壁の一メートルほどの高さに三十センチ幅のローズウッドのような黒い木材が動線のようにはめ込まれていて、シャープな印象を受ける。
「こちらです」百夜に先導されるままついてゆく月日とハジメ。
1-Aと標されたクラスの表札は、半透明なすりガラス状の何かでできていて文字のところだけが透明に抜けておりLEDで淡い緑色に輝いていた。
百夜はスルッと扉を開けた。何の抵抗もないかのようだ。
「お嬢様」普通に読んでみるが応答がない。部屋の中に入ってまどかの席に近づいた時百夜の足が止まった。
「お嬢様!」「うっ」まどかの後ろの席の床にボディーガードが倒れているのが見えた。しかし、まどかの姿はない。
「お嬢様!」さらに呼びかけるが何の反応もない。
「おい大丈夫か」百夜がなおも呼びかけ続けているあいだ、ハジメは倒れているボディーガードを介抱する。ボディーガードは気絶しているだけで、死んではいなかったが、鼻血を出して顔面がはれ上がっているところを見ると、何か大きな平たいもので叩かれたように思えた。
月日はその間部屋の隅々を見渡していた。というよりも微かに漂う人間とは異なる匂いを嗅いでいたのだ。
……これは一体。もしかして……
「獣人がこの部屋に来たかもしれない……」ぼそりと呟く。
「え!」「なんだと!」
「はっきりとは言えないけど」驚く二人を横目で見ながらまだ匂いを嗅ぎ続けている。
「人間じゃない匂いが残っている」眉を寄せて首をゆっくりと後ろの扉に向ける。
「こっちから入ってきて」と、後部扉を指さす。
「窓から出て行った」次いで指を床にさしてから開け放たれた窓を指さす。
「こんな季節に窓をあんなに開けておくわけがない」と、ハジメ片眉あげる。
「確かに窓は全部締め切っておりました」
「なんで爆発と一緒に……そうか、あまり目立ちたくなかったんだな」
「たぶん爆発は拉致するため人目をミスリードし行動をカムフラージュするためだったんだろう」月日の疑問に答えるかのように、ハジメが言った。
「……」一息、三人に沈黙が訪れた。
「チクショウ!やられた!」
「お嬢様……」ハジメは激怒し、百夜は消沈している。
「こんなところで、嘆いていても始まらないよ。僕はこの獣臭を追うつもりだ」
「追えるのか?」
「わからない、でもできるところまではやってみたいんだ」月日はハジメの言葉に頷くとそう言った。
「わかった」「承知しました」二人が同時に答えた。
気絶しているボディーガードをほかのボディーガードに任せ、リムジンではないワゴン車を百夜に手配してもらった。滝川部長こと、まどか付き筆頭執事も搭乗し追跡を開始した。ドライバーは同じ人だった。きっと一番の凄腕ドライバーなのだろう。
月日は助手席に乗り、窓から顔を出して中空に漂う匂いを嗅ぐ。点在的に匂いの濃淡があり、おそらく相手は跳躍しながら移動していると月日は思った。障害物が多い場所では、自分も変化したときは、跳躍したほうが移動しやすかった。ただしこんな白昼堂々跳躍移動をすれば、人に見咎められる可能性はより高くなるが。
仲間がいるとしたら、その車に同乗して身を潜めたほうが目立たずにすむはずだが、身体が大きくて乗れなかったのかもしれないと月日は思った。
さすがに変化なしでは、これ以上の匂いだけの追跡は困難だったので、月日は移動した軌跡を空に思い浮かべて次の着地点を予想した。
徐々に匂いが強くなってきたような気がし始めたとき、後ろに黒いワゴン車が張り付いてきた。
「先ほどから、黒い車が追尾してきています」ドライバーも気づいたようで上司の滝川部長に報告した。
「竹脇君振り切れるかね?」
「振り切るのはさほど難しくはありませんが、今は匂いを追跡中なのではないでしょうか?」いつも寡黙に運転していた竹脇の声を月日は初めて聞いた。渋いバリトンボイスだ。
「うむ」滝川部長は難しそうな顔で顎を撫でる。
「そのまま追跡を続けてください。相手も今は様子見でしょうから。どっちにしろ目標に近づけばどうせ彼らとぶつかるはずですので、今はこのままで!」月日は窓から頭を出したまま竹脇に言った。
「わかった」と竹脇が答える。
「しかし、さすがに犬だよな」片眉をあげて、からかうとなしにハジメが一言もらす。
「犬言うな!」頭を外に出したまま、月日が抗議する。
車は市街地を制限速度でジグザグに走っていた。このあたりは住宅街として整備された地区で区画が碁盤目状にきっちりと作られている。きっと相手は斜めに突っ切って行ったのだろう。
「しかし、どんな跳躍力だ。家にぶち当たっていないぞ」ハジメがあたりの様子を見ながら感想を述べた。
確かに、跳躍力が強ければ高く遠く飛べる代わりに、落ちて来るエネルギーは高さと重さに比例する。落下地点が木造の屋根の上なら突き破りそうなものだ。ここら辺には高いビルは存在しない代わりに木造の家屋が連なっている。落下地点を道路だけに限定して跳躍しているとでもいうのだろうか。ハジメはふとそんな思いを巡らしていた。今はそんなことはどうでもいいと頭を振って考えを振り払う。
車は住宅街を抜けて廃工場の外周に出た。匂いはここで色濃くなっている。つまりここに相手がいることを匂いが教えてくれていた。
「この中にいます」と月日は告げた。その言葉に一同は頷いた。
車はゆっくりと廃工場の周りを巡っていた。後ろの黒いワゴン車も距離を空けてついてきている。まだ日も高いのでここで何かするつもりはないらしい。たぶん廃工場に入った時からが勝負になるだろう。
「応援を一応読んでおきます」そう言って滝川部長はあのスマートフォンでどこかに電話をかけた。
「まどかお嬢様の位置もここを差しています。もう移動していません」スマートフォンで確認する滝川部長。
「初めからこいつで追っかければよかったんじゃね」とハジメが漏らす。一同はため息まじりに頷いた。
「原始人だ」
「原始人だね」ハジメの言葉に同意する月日。
車は徐行しながら廃工場の外周を周っていた。
「応援は到着したようです」と滝川部長が神妙な面持ちで言った。
「あまり刺激しないように、お嬢様に何かあっては手遅れですので」割って入るかのように百夜がすぐさま言った。
「敵の戦力が全然わかんねぇ。孫氏曰く、相手の戦力が分からない時は、全力でって言うけど、どうかな?」
「こちらで用意できたボディーガードは二十四人です。法に触れない武装はしておりますが、相手はその限りではないので防弾装備はしているそうです」ハジメの言葉に答えるとなく滝川がこちらの戦力を伝えた。
「蒼月さんを助けに行くのは僕に任せてくれないかな」後ろに座っている百夜に向って月日はそう言った。
百夜は滝川の顔を窺った。滝川は顎を二、三度なでてから頷いた。
「いいでしょう。相手が動く前にこちらから仕掛けます。脅迫にしろ、身代金目当てにしろ相手を待っている必要はこの際ありません」
「じゃぁ行ってくる、ハジメついてきて」
「あいよ」打てば響くといったコンビネーションだ。
「お嬢様は中央の四階建ての建物の地下にいるようです。その建物に入ってから反応が消えました!」百夜が叫んだ。
「GPSが効かない場所か……」
「大丈夫、何とかするよ」ハジメの呟きに月日はいつになく力強く答えた。
「運転手さん、扉とのあいだを二メートルくらい開けて止まってください」
「承知した」車をゆっくりと走らせてくると廃工場の門前で止めた。
「ちょっと待ってください。ここの廃工場、日鏑重工業の工場跡地のようです」検索していた百夜が情報を伝える。
「日鏑がグルってるってか」
「わかりませんが、日鏑がバックにいる場合、日鏑と全面衝突になるかもしれません。現在他方の分野で競合している企業ですので」
「そちらの政治的なやり取りはわたくしたちが行いますので、今はお嬢様救出を最優先でお願いいたします」と滝川が言った。
「わかりました」「了解っす」月日とハジメは同じようなトーンで答えた。
「あー、それから」と、車を降りた月日がシャツのボタンを外しながら振り返った。
「しばらく目を閉じていてくれないかな」
「あ、はい」はっと気が付いた百夜は、ぽっとほほを染め、目を閉じて顔を手で覆った」
「あ、そうだ、滝川さん、コンビニ弁当二十食ばかり用意していてほしいです。できればカツ系で」
「承知しました」ハジメが振り返りざまに言った注文に、滝川が即座に答えた。その注文の意味するところを心得ているようだ。
乗ってきたワゴン車と金属の扉のあいだに立って、月日は人目につかないように気を付けながら全裸になった。
「じゃ、やるからあとよろしく」と言うと月日は首からぶら下がっている首輪のバックルを外した。
「まだ月齢が足りないから変化するのが遅い……」とは言うもののみるみる月日は毛深くなり巨大化していった。まるで発芽の様子をスローカメラで映したようだ。
一分と立たぬ間に変化が完了する。
陽光を浴びてうっすらと金色を帯びた銀色の体毛が風に揺られてキラキラと輝いている。三メートル近くある身長の頭部は犬科の獣を思わせる風貌に変わっていた。頭の先からピンと立っている耳、突き出た鼻と口、その口から延びた牙、そして金色の瞳。筋骨隆々の体躯がその頭を支えている。
月日は首輪を一番端の穴で留めなおす。こうしてみると、首輪はようやくチョーカーサイズに見えた。
「ぐぁ、ぎっでぐる(じゃぁ、行ってくる)」
「行ってこい!」ハジメの頭の高さまできている月日の尻を思い切り叩いた。次の瞬間ダンという衝撃波とともに月日は跳躍した。砲弾のように……。




