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第九話    お花畑を荒らす者はだれ?

 再び屋上に上がった月日と百夜であったが、あまりにも寒いので百夜は一度外套を取りに上層教育科へ戻った。


 透き通った青空は、まるで氷でできているかのように凍てついていた。高高度でゆっくりと流れる薄い雲が一層寒さを掻き立てる。そんな青空の下、たった一人で立っていると余計に寒さが上乗せされている気がしてならない。

 いつもなら、この程度の寒さなどはひんやりしていて気持ちが良いくらいなのだが、なぜか今日は肌寒く感じた。


 忘れられてしまったのではないかという一抹の不安を抱きつつ、早く来てくれと思いながら寒空の下に立っていると、ようやく外套を着た百夜が姿を現した。その後ろに(まどか)を連れて。


 月日は自分の鼓動が急に高鳴ったのを感じた。今までひんやりしていた空気も春のような温かさに感じられた。


……本当に好きになっちゃてるの?


 自問している場合ではなかった。来るとは思っていなかったまどかが突如現れ、見事に不意打ちを食らってしまった。思考が一瞬飛ぶ。


「ついででしたのでお連れしました」


「わたくしはついでですか?」クスクス二人で笑う。こうしていると姉妹のようだ。

 肩越しに二人、ボディーガードが見える。屋上とはいえここは外なのだ。ボディーガードが来るぐらいだから、風さえなければ絶好の狙撃ポイントなのかもしれない。百夜だけが来ると思っていたのでここを選んだが、今後まどかも同行するとなると、ほかの場所を探したほうがよさそうだ。学生よけにはここは最適だが、狙撃なんてことまでは考えてもいなかった。


「あの、本当にごめんなさい。あの時の印象が大きくて、わたくし反射的に避けてしまって……」そう言いつつも目を合わせたり逸らしたり、まどかの視線は落ち着かなさげだ。


「女の子にキモがられるのは慣れているよ」少し魂が抜けかかった顔で答える。


「気持ち悪がっていたわけではないんです。色んな事が重なりすぎて、あなたを見るとあの時のショックが思い出されて……」


「そうだよね、雪の中全裸で何やってるんだって感じだよね」


「ですから、そういうのではなく」


「似たようなものですわ」否定するまどかの言葉を遮るように百夜が割って入った。


「百夜ちゃん!」


「こう見えてまどか様は結構な数の死線をくぐり抜けてきたのです。誘拐やら暗殺やら。それでもなお、あの現場にだけ反応するのは、ひとえにあなたがいたからです。あの狼男と、その、裸のあなたがいたからまどか様はトラウマを抱えることになったのです」非難めいた声音で百夜はまくしたてた。


「だよね~」百夜の指摘は結構ど真ん中を突いてきた。ボディーブローが来るのが分かっていたからといって食らえば痛くないわけではないのだ。月日は口角を無理やり上げて引き攣りながら苦笑した。


「それでもあなたに仕事を依頼したのは、あなたの力が必要だったからです。獣人の力だけではなく、その脅威があれば十分な抑止力になるからです」


「だから、僕のそっちの力を頼るのはやめてもらいたいんだけど。でなければ僕はこの仕事を降りるよ」


「わかっています。わかってはいますが、こちらもついつい頼るほうに考えが傾いてしまうのです。それにまどか様のトラウマを解くにはショック療法も必要だとお医者様も仰っていらっしゃいました。ですからまどか様のトラウマを治す分の仕事はしていただかないと困ります」そこを突かれると弱い。反論の余地がまったくない。まどかのトラウマを作ってしまったのは他ならぬ自分なのだから。


「わかったよ。抑止力でもなんでもなってあげるよ」


「はい。助かります」ニコッと笑った感じがまどかに似ていて百夜にまでときめくところだった。


「今、わたくしにドキッとしましたでしょ?」つかつかと寄ってきて、まどかに訊かれぬように耳打ちする。


「ど、どうしてわかったの?」


「太神さんが約束してくださいましたので、わたくしのもう一つの仕事をお教えいたします」そう言うと、彼女は首のあたりで縛った二つのおさげのリボンをさっと解いた。


 黒髪が宙に舞い、キラキラと輝いた。黒縁眼鏡のテンプルに手をかけ、こちらもさっと取ると、手慣れた手つきで胸ポケットに眼鏡のテンプルを引っ掛ける。左目の下の泣きボクロを取り去るとまどかがもう一人出来上がった。


「わたくし、まどか様の影武者なんです。ああ、身代わり、囮、デコイお好きなように呼んでください」


「す、すげぇ」感嘆が口から零れ落ちた。


「百夜、こんなところで!」


「わかっていますわ」と、手慣れた様子でホクロを付け眼鏡をかける。風の吹く中、器用に軽く髪を二つに梳いてリボンを付ければおさげの完成だ。


「どうですか、早業だったでしょ」


「すごいよ、本当に蒼月さんにそっくりだ……」今でも信じられないといった口ぶりだ。


「変身するのは太神さんだけじゃなんですよ。ウフフ」彼女は月日の驚きように満足しているようだった。


「だめよこんなところでわたくしになるなんて」


「申し訳ございません。でも太神さんにも知っておいて欲しかったんです。わたくしも少し浮かれておりましたが、教えて差し上げないと何かフェアじゃないような気がしたもので」


「それはそうかもですが……」


「それに、そういう手合いに身代わりがいるぞと教えておけば相手も混乱するかもしれませんよ」


「う、うん。そう、かもね」まどかは自分を納得させるかのように頷いた。


「でも、敵……相手は如月さんのいない時を狙って蒼月さんを拉致しようとしたんだよね」考え深げに月日が言った。その言葉に二人は頷く。


「だとすると、相手は身内にもいる可能性がある。如月さんのスケジュールを把握していなければいけないからね。当然、如月さんが影武者になることも知っている人じゃないかな」


薄野(すすきの)専務か城野(じょうの)専務、それか滝川部長なら百夜がわたくしの身代わりになることを知っています」


「薄野専務は、わたくしが身代わりになる計画の立案者で、城野専務はこういう小道具や衣装を手配してくださっています」と言って、眼鏡に触れた。


「滝川部長はわたくしの上司、というより、まどか様のお世話係の筆頭です。あの執事が滝川部長です」


「あの執事って、リムジンの?」


「はい、ですからわたくしのスケジュールも把握していますし身代わりになることも知っています」


「彼らの部下はどうなの?そこからリークされてないの?」


「はい、それも考えました。ですが、おそらく滝川部長以外知らされていないかと思います」


「どうして滝川部長の部下は……そうか、メイドたち」


「ええ、滝川部長は、家令部部長で部下たちは使用人です。ざっくり言いますと、滝川部長の下にはまどか様のスケジュール管理している秘書課、側仕えが属する家務課、ボディーガードが属する保安課に大別されます」


「スケジュールかぁ秘書課怪しいね」


「いずれも怪しいと思います。秘書課は仰るとおりスケジュールを管理している部署なので容易に先読みをすることができます。外部に情報を漏らせばいくらでも先回りしてまどか様を襲うことができます」


「じゃやっぱり」「いいえ」月日の言葉を遮って百夜は続けた。


「そういうこともあることは想定されているため、秘書課全員にソフト面では機密保護の誓約書を貸し、ハード面では保安部が彼らを監視しています」


「じゃぁ、家務課はどうなの?」


「家務課は学校生活を除き、まどか様の生活面でのサポートの一切を担っております。いわゆるメイドたちです。家政係、清掃係、調理係、車両係、保守係などです。この中でスケジュールをあらかじめ知りえるとすれば、家政係くらいでしょうか。家政係の仕事は家事全般を取り仕切っており概ね全係を統括しております。またどの係の代役をもこなせる者たちが集まっています。もしどこかに盗聴器が仕込まれているとすれば、清掃係や保守係も容疑やリストに入ります」


「車両係はいいの?」


「車両係は直前まで行先を知らされませんし、帰りも同じです」


「でも日帰りは別だよね、車で行って蒼月さんの用事が済むまでの待ち時間がある」


「ええ、でも彼らには日帰りかどうかも伝えていません。まどか様の用事が済むまで待機状態になります。泊りになる場合はその日の夜に泊りになる旨伝えます。もちろん彼らの部屋はこちらで用意しますが」


「こうなると全部が怪しくなってきたね」と、月日がそう言った途端昼休みの終了の予鈴がなった。


「この続きは放課後にいたしましょう」百夜の意見に月日とまどかが頷き、その場で彼らは分かれた。




 敵の内通者がいようといまいと、自分のやることは一つだけだ。月日はそう思いつつ教室へと戻ってきた。


 ガラッと教室の後ろ扉をあげる。誰一人いない。ガランとした無人の教室がそこにあるだけだ。


 あれ、とか思いつつ教室前面の時間表を見る。と、同時に月日の顔が青ざめた。


 体育の時間である。


 急いで体操袋を持って更衣室に駆け込む。


 ガっと開けて中に入ると、ハジメがちょうどジャージを着たところだった。


「おま、なにやってんだ」ハジメは月日がまだ学ラン姿なのを見て驚いていた。


「ハジメこそまだ着替え終わってなかったの?」


「俺は、彼女たちを振り払うのに時間がかかっただけだ。だから移動教室は嫌いだ」


「あー、なるほどね」ハジメの取り巻きだけでなく、教室を移動する際、ほかの教室の女子たちも絡んでくるのをいちいちふりはらっている姿が目に浮かんで、月日はシラケた声音で呟いた。


「そんなことより着替えなくていいのかよ」


「そ、そうだった」月日はそそくさと着替え始めた。と、その時、本鈴のチャイムが鳴る。


「悪いが先行ってるぞ。何でもないのにお前に巻き込まれるのはこれ以上ごめんだ」


「巻き込んでいるつもりはないんだが……」ぼそりとこぼすと着替えを続けた。


 ようやく着替え終えてグラウンドに出ると、みんながトラックを走り出したところだった。月日は体育教師に呼びつけられ小言を言われると、四百メートルトラック十週と遅刻ペナルティとしてプラス一周をさせられることになった。いま走って来たばかりだというのまた走るのかとげんなりしたが、反論する勇気も気力もないので唯々諾々と教師の命令に従った。


 ヘタコラ月日が走っていると、後ろからハジメが追い付いてきた。当然のことながら月日は周回遅れだ。


「今日はどこに行っていたんだ?」昼休みのことを訊いているのだろう。


「例によって屋上」


「蒼月たちか」


「ああ、でも特に決まったことはなにもないよ。むしろ内部にスパイがいる可能性があることが分かったくらいだね」


「大所帯になれば、内容にもよるが、スパイの一人や二人はいてもおかしくはないだろうよ。うちもこの前、一人発覚したようで騒いでいたよ。様子を窺おうとしたら首を突っ込むなと親父にどやされた。俺もまだまだだ」走りながらハジメは肩をしゃくった。


「そういえばスマホを渡された」


「なんだそれ、いいな」


「ハジメの分もあると思うよ。業務専用で色んな機能が付いているらしい」


「まぁ、いろんな機能が使えないとスマートじゃないわな」


「そういう意味じゃなくて、GPSとかもカスタム仕様らしいよ」


「そいつは楽しみだ」


「それと食事中に変な視線を感じた」


「視線……。お前が感じる視線ってことはよほど特殊なものだったんだろうな」


「わからない。探したけど見つけられなかった。朝も変な女の子がいたし」


「そういえば、そう言ってたな」


「あの子はあそこで何をしていたんだろう」


「さぁな、仮に彼女が敵だとして脅威になるか?」


「普通はならないね。強力な武器でも持っていれば別だけど、そんな感じはなかった」


「俺もそう思うよ。たぶん敵だとすれば、蒼月が通るのを確認するためにいただけかもしれないな」


「あんな格好じゃ物凄く目立つんだけどね」


「季節が季節だからな。一月にノースリーブって南半球かっつうの」


「こら、そこ喋ってないでしっかり走れ!」体育教師から叱られる。


「じゃ、俺は先行ってから」そう言うと、ハジメはペースを上げた。彼本来のペースに戻す。


「はいよ~」月日は相変わらずの、のっぺりペースだ。これ以上の速度で走るとここで中途半端な変化を起こしかねない。本気を出せばオリンピアの記録を軽く抜くことができるだろうが、そんな悪目立ちするつもりは毛頭ない。そんなことになれば、里へ強制送還で二度と外界に出ることはできないだろう。


 もしかしたら三美は、自分が速く走れるのを見越して、毎度走らせようとするのかもしれない。


……いやそんなことはないはずだ。


 しかし、三美は鵜鷺の人間だ。太神の一族に連なる者の一人である。もしかすると自分の素性を知って近づいてきた可能性は捨てきれない。そう考えるといろいろと合点がいくが、動機が分からない。自分が獣憑きであることを知ってどうしたいのだろうか。


 いまは三美のことはいい、問題はノースリーブの少女のことだ。あんな華奢そうに見える体躯ではあっという間に風邪を引きそうだが、寒さなど感じていないような顔つきをしていた。よほどの鈍感か、寒さに強い体質なのか、それとも彼女も獣憑きなのか。


 彼女からは同族の感じがなかった。というか何も感じなかった。いま思えば人間である感覚すらなかった。


……本当の人形だったのか? いや彼女の視線ははっきりと感じた。


 月日は混乱してきた。人形のようで人形ではない視線を送ってくる存在。人間のようであり人形のようでもある。


 彼女が人であろうと、物であろうと、あの視線の力は本物だ。こちらを見ようとする、はっきりとした力を感じた。


……彼女はいったい何者だったのだろう。


 そんな思いを巡らしているうちに、いつの間にかトラック十一周を走り終えていた。


「お疲れ」


「うん」少し疲れ気味のハジメに比べて、一周多く走っているのにもかかわらず月日は軽く走って来た程度にしか見えない。


「今日はすこし早いが、ここまでとする」体育教師の号令で授業が終了となった。


 ばらばらっと更衣室に向かって歩き出す。


「ノースリーブの子のこと、なんか思い出したか?」月日の横に並ぶとハジメは人目を気にしつつ訊いてきた。


「何も……でも、彼女の視線にはすごく強いものがあった。あと彼女から人の気配を全く感じなかった」


「どういうことだ?彼女はロボットとかか?」


「あーロボットか……その発想はなかった、けどそんなのとも違う。ていうかロボットの視線って、どんなんだろ」


「おもちゃ屋の前に行けばわかるかもよ」


「あ、なるほど、ってしょっちゅう通ってるけど何も感じないよ」


「だよな」と言ってハジメは笑った。


「あんなのにいちいち反応していたら防犯カメラに視線を感じまうよな」


「あーそーーかぁ」ハジメの言葉で月日の感じていた何かがカチャリとはまった気がした。


「防犯カメラだ……」


「え?」月日は更衣室の前にある防犯カメラを見て改めて頷いている。


「彼女の視線は防犯カメラや監視カメラに近い」


「お前そんなものまで感じていたのかよ」そう言いながら更衣室に入る二人。


「ほんの微かにだけどね。でもその感触を千倍くらいに強めたのが彼女の視線だったんだ。もしかしたら、彼女の瞳を通じて誰かが僕らを見ていたのかもしれない」


「そんなことできるのか?」


「妹たちの術に似たような術があった。確か(しゃく)(がん)とか言ったような気がする。術者が被術者の視線を借りて別の場所から対象物を見ることのできる術だ。妹たちは互いにかけあって遊んでいたような。姉妹だから親和性が高いんだろうな。ほとんど自分の視界と代わらないと言っていた」


「VRと同じって感じか……」


「たぶんイメージ的にはそんな感じだと思う。あの少女は、僕に気付かれて術を解いたから、途中から変な視線を感じなくなったのかもしれない。そう思うとつじつまが合う」月日は一人頷くとすっきりとした顔つきをしていた。


「だとすると、誰がそんなことをしたのかだな」学ランのボタンを留めながらハジメが言った。


「まったく見当がつかない。これは彼女に訊くのが速そうだ」


「如月百夜か」


「もしくは蒼月さん本人かにね。きっと僕を見ていたんじゃなくってターゲットである蒼月さんを見ていたんじゃないかと思うし」


「そりゃそうだ、俺たちには一文の価値もないからな」と、ハジメは自虐的な苦笑をした。


 二人は更衣室を出ると教室へと向かった。



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