第八話 長文メールはお好き?(二)
そして、その日の朝の小テストは最悪だった。凡ミスの嵐だ。挙句自分の名前を書き間違える始末だ。何か頭の中がもやもやしていた。せっかく真ん中をキープしていたのに真ん中皆勤賞が取れなくなってしまう(そんな制度はない)。今の状況で赤点を取ったら、蒼月円を守れなくなってしまう。
このもやもやは今朝方三美に抱き着かれた時から始まったような気がする。この気持ちは一体何なんだろうと自問してみる。罪悪感とも恥ずかしさともつかないもどかしい気持ち。
あの時、こんなところを蒼月円に見られてはいけないと強く思った。三美に抱き着かれることなど、いつもされているというのに……。
なぜ今日に限ってなぜ見られてはいけないのかの理由がわからなかった。その理由が分かれば、このもやもやが晴れるだろうか。
「どうした、なんか朝からおかしいぞお前」取り巻きたちに囲まれた隙間からハジメが声をかける。
「わかんない。たぶん新しい仕事のせいだと思う」ため息交じりにこたえる。
「そうか……」「何話してんの」「何あのデブチ」「ハジメはわたしだけを見てればいいのよ」ハジメの言葉を取り巻きが遮り、飲み込んだ。
月日のもやもやは消えることなく時間がたつにつれ深く濃くなっていった。
二時限目と三時限目の中休み時間の早弁も箸が進まない。
「おい、本当に大丈夫か?」取り巻きを振り切って教室に駆け込んできたハジメが、軽く呼吸を弾ませてそう言った。
「ちゃんと食っとけよ、今日はまだ大丈夫そうだが、満月が近づいたら、気を付けろよ。こんなところで獣人化されちゃ困るからな」ハジメは月日の耳元で囁いた。
「うん」またもため息交じりに答える。
何とか早弁を終わらせると、三時限目開始のチャイムがちょうどなった。
四時限目の終了のチャイムが鳴り昼休みが始まった。学食へ駆け出す者や、その場で弁当を広げる者など様々だ。月日も学食へ向かうため立ち上がった。
「先に言っててくれ」と女子に囲まれているハジメが女子たちの隙間から何とか月日に言った。相も変わらず取り巻きがハジメに絡みついている。
「わかった」何の感慨もなく月日は返事をして学食へ向った。
学食は適度に賑わっていた。今の生徒数では決して満席にならないのだから、この状態が混雑している状況になるのだろう。好きな席は選べないが、一人でゆっくりくつろげる席は幾つか残っている。とりあえず、焼肉定食と特盛カツカレーとスープ代わりのうどんを注文し、適当な席につく。今日はあまり箸が進まないのでこの程度だ。痩せてしまうと変化してしまうのでこれだけは完食しなくてはならない。
一度変化してしまうと解くのにもっと大量の食物を必要とする。早く解くにはタンパク質と鉄分が多い食べ物ほど良いらしい。最も早く戻るためには人間の生の血が滴る肝臓が一番いいと言われている。人の生き胆を食べ続けていれば肥満体である必要はなくなる。そう思うと更に食欲が失せた。
柱の隣の二人掛けの席で一人、定食とカレーをガツガツと貪り、最後はうどんを流し込んで、とりあえず六分目程度にはお腹が膨れた。ほっと一息つく。
見晴らしはよくないが柱のおかげである程度人目を防げる。しかも食堂の中心辺りのためか、窓から離れているためか、不人気な席でいつも空いている席だ。確かに、月日もいつも窓際の席を使っている。真ん中らへんだと変な閉塞感を感じてしまうのだ。
ひとまずほっとしていると、ふと視線を感じた。殺気とまではいかないが、強い念が籠っているように感じた。月日は思わず立ち上がりあたりを見回す。談笑している生徒とひたすら昼食に専念している生徒の姿しか見えない。
朝からのもやもやはこれのせいなのかと訝る。こめかみにジワリと汗がにじむのを感じた。もう念の籠った視線を感じなくなっていたが、今度は窓に目をやる。半地下の窓は学食の壁面のやや上方に取り付けられており、フレームの下部が地面よりやや高い高さになるように取り付けられている。
月日が窓の外を見ていると、かなり離れてはいたが、見慣れた視線と鉢合わせになった。ピンクのジャージを着た三美だ。三美は視線が合うとまさに脱兎のごとく走り去り、学食の窓の視界から消え去った。と、思う間もなく彼女は学食に姿を現した。
「月日みー」と、言い終わるまでに、「けっ」月日の背後に立っていた。即座に月日の正面の席に座る。
「そこはだめだ、ハジメが後から来る。予約席だ」どさっと椅子に座る。
「あー、ハジメなら来られないと思うよ。女の子たちに囲まれて、たっぷり餌付けされていたから」
「またか……」月日は呟くとなくそう言った。教室にいたときからうすうす今日は来られないなとは思っていたが、案の定だ。
「で、食事でもないお前がどうしてここにいるのかな?」
「月日を見つけたから来てみた」
「お前友達いないのかよ」そう言っておきながら、三美に友達がいない訳がないことを思い出した。
「そういう月日はどうなのよ。いつもハジメとばっかりでほかの人といるところを見たことがないんだけど……」勝ち誇ったかのように口角をあげてにっとほほ笑む。
「僕はいいの。それより僕は、今日は大不調なんだ。一人にさせてくれるかな」腕を組んで背もたれに体を預ける。
「どうしたの?」
「どうもしないよ。はぁ~。ただ、ちょっとなんていうかアルバイト先の人とうまくいかないっていうところかな。はぁ~」
「アルバイト先、ねぇ」三美はテーブルに頬杖をついて少しニヤ付いた顔つきをした。
「それ、女の人でしょう」
「どうしてわかるの!」ここにハジメがいたら馬鹿かお前と言っていたに違いない。二分の一の確率のかまをかけられたのだ。
「三美さんの読心術をなめてもらっては困る。独身なだけに」
「何その寒いダジャレ。結婚したらなくなっちゃうのか。まぁいいやそんなこと。はぁ~」
「その内臓まで吐き出しかねないため息止めたほうが良いよ。幸せが逃げちゃうよ」
「幸せねぇ……はぁ~……」
「言ってるそばからやるの……ほーんと重症かもね」
「どういうこと?」
「そりゃちみぃ、お医者さんでも草津の湯でも治らない不治の病だよ」
「なにそれ」
「こ・い・だ・よ」人差し指を立ててメトロノームのように左右に振った。
「恋?誰が?誰と?」
「そりゃ月日が誰かに恋しちゃってるんだよ。……もしかしてあたしに」「それはない」即答する月日。
「そりゃそうだ。月日があたしのことを好きでいたら、もっと違った反応をするはずだもん」少し残念そうに肩をあげてから首を横に振った。
「何わかったこと言ってくれるかなぁ」
「恋するセオリーってのがあるのよ。見てればだいたいは分かるんだから」
「なんだよそれ」胡散臭そうに少し首を傾ぐ。
「というわけで!」「どういうわけだよ!」突然立ち上がった三美につられて月日も立ち上がった。
「モテるためにはやっぱ走んなくっちゃね!」
「どういう理屈だよそれ!」
「走って健康的な体になるんだよ。そんなに太ってたら女の子にモテないぞ」
「僕はいいんだよモテなくても!それに太ってたってモテる人だっているだろ」
「それは太っていることで成果を出している人たちです。月日は太っているだけで何の成果も出していないじゃん。お相撲さんは太っているけど、あの人たちはちゃんと成果を出しているもの。だから走ろう!」
「どんな理屈だよ」
「理屈なんてない!結果だよ、結果がすべてだよ!」
「じゃ、努力する意味がないじゃないか」
「努力は必要だよ、結果を出すために!」
「でも努力しても結果が出なければ意味がないんだろ」
「努力は努力した分、その人の身になっているんだよ。それが目標としたところに達成しなくても努力した分の結果が残るじゃない、それでいいんだよ」
「何言ってんだかわかんないよお前!」
「だから、モテるためにも走ろうよ!」話が一周してしまった。
「そこまでにしていただけますか!」突然二人の論争に誰かが割って入ってきた。
気が付けば自分たちを遠巻きに人だかりの輪が出来上がっていた。でもこの人だかりの輪は自分たちの論争でできたものではないとすぐに気づいた。話に割って入ってきた金色のラインを付けたセーラー服がこのような状態を生み出したのだ。またも上層教育科の生徒が来ていると。
「あまり強引にお誘いするのははしたないと存じますが」そこに立っていたのは如月百夜だった。
「あ、なるほど……。そうね、強引はいけないね」三美は何か合点がいったようで、百夜の言葉に頷くと、月日たちから一歩引き下がった。三角関係の修羅場が見られると期待していた生徒はパラパラと取り囲む輪から消えていった。
「あなたのデータを入れ終わりましたので、これをお渡ししておきます」両手で差し出されたのはスマートフォンだった。
「連絡用の専用端末です」
百夜の話では、端末は一見、SiTE(蒼月ITエレクトロニクス)社製の最新スマートフォンに見えるがその他もろもろの機能が付加されており、蒼月社用のGPS衛星と基地局を用い、端末を持っている人物と会話、メールができ、互いの位置を把握できるという。
「あと、気を付けていただきたいのは、多機能な分、燃費が悪く一日に一度充電する必要があります。十五分程度でフル充電されますのでそのことだけはお忘れないようにお願いいたします。もしも空になってしまったとしても、二、三秒の充電であればGPSの機能が使えるようになるので、位置程度は把握できますし、十秒あればメール一通なら送信できるようになります。もちろん文字打ちの時間は含まれませんが。一分あれば全機能が使えるようになりますが数分でバッテリー切れになるでしょう。では起動してみてください。不躾とは思いましたが基本的なデータは入力しております。あとは指紋認証と網膜認証をお願いたします」
電源を入れると指紋認証の画面になり、それが終わると網膜認証の画面に変わった。自撮りカメラが起動して四角いスコープに瞳を合わせると網膜を読み取り登録が完了した。
デフォルト画面に遷移するといきなりメールが一通届いていた。
「誰からだろう?」メーラーを開くと、まどかからのメールであることが分かった
「何だこれ!」そのメールはHTMLメールなどではなく、文字だけで40KB(約一万文字!)にのぼる超長文メールだった。内容は雪の日の誤解の謝罪とお礼から始まり、現状の心情、今朝の態度が少し不躾だったことへの謝罪とこれからの約束事が六法全書よろしく連綿と書き連ねてあった。
「申し訳ございません、太神さん。お嬢様にはわたくしの方からこのようなメールを今後出さぬよう言い聞かせますので、どうかお許しくださいますようお願い申し上げます」
「君も大概な言い回しだけど、まぁいいや。べつに気にしてはいないからいいよそんなに謝らなくて。それとそんなに畏まらなくてもいいよ」
「もうしわ……はい。承知しました。ただ、わたくしも、まどか様も幼い時から蒼月の箱の中で暮らしてまいりましたもので、外界といえば社交界かこの統月学園上層教育科のことくらいしかないのです」
「今時そんな箱入りって存在するんだ」口に手を当てて驚く三美。自由奔放な自分の生活と思わず比較せずにはいられなかった。
「ですのでこれから先も、その、変な物言いをしたり、普通の方と異なった言動をした時にはどうかお許しください。そしてなんといいますか、普通の喋り方というのをご教授願えればと存じます」
「うん、今の物言いも僕ら庶民が使う言葉じゃないよね。まるで会社の業務連絡だ」月日はポワンとした顔つきでストレートに指摘した。
「それに言葉遣いはどうでもいいよ。それよりもこれからのことを話したいんだけど、ここじゃ落ち着いて話せそうにないね」と言って月日は立ち上がった。
「あそこへ行くのですか?」
「ちょっと寒いけどね」
「そうですね」
「?」三美は一人話に入れず少し不満そうだった。
「ごめん三美、これからバイトの話をしなきゃならないんだ。会社に迷惑がかかるかもなんで、ここで!」じゃあというポーズをして月日と百夜は、またもモーゼのエクソダスさながらに人間の垣根を割って、学食から出て行った。




