第六話 クリスタルなお花畑?(三)
蒼月まどかはあっけにとられた顔をしたままだった。会食も終わり、太神月日たちを見送って自室に戻り入浴し終わってからも、その表情が顔に張り付いて取れずにいた。
「どうかなさいましたか?」そう訊ねる如月百夜の表情は心配しているふうではなかった。うっすらと口角が上がっていた。彼女は何かを企んでいた。が、茫然としているまどかには、百夜のそんな変化を捉えることなどできなかった。
「太神さんのことですけど……」
「はい」
「あ、いえその、鵜鷺三美さんってどんな方なのかしら……」
「芸術芸能体育科の方で、とても美人でスポーツ万能の方らしいですよ」百夜はそう言いながら、にっこりと笑ってまどかの髪を梳いている。
「そう……」思考の焦点が合わず、曖昧に頷くまどか。いま彼女の頭の中には彼女自身未だ体験したことのない感情が沸き上がっていた。透き通っていて純粋な不可思議な気持ち。
……あの人のことをもっと知りたい……。
それはともすれば理性と背反する存在になりかねない壊れやすいクリスタルのような想いだった。まだその想いは小さく透明で理性と衝突してはいないが、いつかこの想いが色づき大きくなったとき、理性やほかの感情と衝突して、自分を支配する存在になるような気がしていた。
その想いが何であれ、鵜鷺三美と言う存在が現れてから濁り始めたのを同時に感じていた。そう逆に言えば、鵜鷺三美の存在が透明な気持ちを発見させたのだ。今まで澄んで清らかで透明だったため気づかなかった気持ちに、鵜鷺三美という存在がクリスタルな気持ちに一点の染みを作ったのだ。ここに透明なクリスタルな気持ちがあるぞと。
自分に何が起きているのだろうと自問しても答えは返ってこなかった。ただただ感じたことのない感情にまどかは戸惑っていたのである。
それが一般的には『異性を意識する』と呼ばれるものであり、透明でもろい存在が自分のまだ小さな淡い恋心と気付くには彼女の恋愛経験がなさすぎた。ガールズトークに花を咲かせ、年相応の恋愛知識があれば、自分が恋の一歩手前『気になる人がいる』という状態であることに気が付いたかもしれない。しかし蒼月円は深窓の令嬢、つまりは箱入り娘でありおぼこである。そんな感情を知る由もなく、百夜にどう相談してよいのか分からずただただ戸惑っていた。
それにまどかの抱いている感情は一種のつり橋効果であったともいえる。自分の恐怖体験を共有できる同年代の異性。加えて恐怖の存在そのものだと思っていた彼が実は自分を救ってくれた恩人だった。全裸でコンビニ弁当を貪っていたのにも彼なりの理由があるなど、好き嫌いのベクトルはあるとしても、心が傾ぐにはこれ以上ない好条件である。まさにつり橋が揺れっぱなしの状態なのだ。
心の底はさておき、今の彼女の表層意識を支配しているのは間違いなく太神月日という存在であった。恐怖そのものであり恩人であり全裸である。怖いのか敬意の対象なのか破廉恥な存在なのか、それらが入り混じって彼女の心は激しく揺れ動いていた。そこに加えて鵜鷺三美という存在が彼女の心を更にかき乱した。
実はこれは百夜の仕掛けた策略であった。恋愛に不慣れなまどかに月日をくっつけようという工作である。鵜鷺三美の話題を出すよう三姉妹にお願いしていたのだ。
なぜ、百夜がそんな恋のキューピット役を演じているかといえば、月日の力を借りたいと太神家に願い出たところ、太神本家から月日の力を貸す代わりにある条件が提示されたのである。
月日が街で生活するにあたり、彼に知らされていない隠されたミッションがあった。月日の伴侶探しである。相手は、容姿、家柄などの要素は全く問わなかった。ただ彼を受け入れ、獣憑きであることを知ってなお添い遂げてくれる者であること。その一義に尽きた。百夜はその手伝いをしてほしいと頼まれたのだ。もちろんハジメも妹たちもミッションに加わっていた。ただし百夜とハジメと妹たちは、連携がとれていないため、各々が勝手に嫁探しをしている状態だったのだ。目下のところ妹たちは鵜鷺三美推しで、ハジメはまだ見つけていない。
月日の相手に百夜がまどかを選んだのは、あの事件があったればこそだった。彼こそまどかを守れるナイトに相応しいと百夜は思ったのだ。それに、太神家なら家柄も血筋も蒼月と比べて申し分ない。なにより月日なら将来はきっと太神家を継ぐ人間になるだろうと信じたからである。
問題は、当人たちに知られたときの反応だ。今のまどかに知られれば間違いなく拒絶されるだろうし、旦那様が承知しないだろう。遠吠一から聞いた話では、太神月日はその手の話になるとすぐに逃げてしまうという。となれば、当人たちに知られることなく、あくまでも自然に好き合ってもらわねばならない。
ごく自然な形で出会い互いに恋に落ち結ばれる。それが理想的であったが、出会いは真逆で、あまりに衝撃的に過ぎた。しかし、うまい具合にまどかはつり橋効果に陥っている。あと一押しすれば彼女の心は月日に傾くかもしれないと百夜は踏んだ。しかもお誂え向きに鵜鷺三美という存在が現れた。まだ、恋とも言えない状態のまどかの感情を、恋愛感情まで昇華させる。そのためには、鵜鷺三美には月日を取り合うライバルとして機能してくれなければならない。
「はぁ」
「どうしたの?」思わずついてしまった溜息にまどかが反応した。自分がこれほどの策士だったとは思ってもみなかった、と百夜はかなり落ち込んだ。フィクサーの才能があるとは思ってもみなかった。黒幕なんて柄じゃない。自分はただの使い走りだったはずだ。お使いを頼まれた先でさらにお使いを頼まれただけの使い走りだったはずだ。それが、気づいてみればあれこれと策を巡らしている自分がいて、心の中でそれを楽しんでいる自分を発見した時のショックたるや筆舌に尽くしがたい。膝から崩れ落ちるのではないかと思った。
しかし、やらねばならないことは完遂するのが自分の使命だ。今は自分のことで落ち込んでいる場合ではない。と、百夜は切り替えた。
「今日は賑やかな晩餐になりましたね。わたくし少し疲れてしまいました」
「それで溜息なんて駄目よ。これからわたくし主催のパーティーや様々な会合に招かれることがあるでしょう。あなたはわたくしの側近として働いてもらわなくては困りますからね」
「はい」無邪気に自分を励ましてくれているまどかを見ていたら、後ろめたさを感じて少し心が痛んだ。これは彼女が幸せになることで、陥れているわけではないと自分に言い聞かせる。
ふと、いつかあなたがパーティーに出席する際、隣にいるのは誰になるのでしょう、と問いかけたくなった。が、焦りは禁物だ。いまはそっと輪郭だけをなぞるだけでいい。
「でも、いつになく太神三姉妹は、はしゃいでいるようでしたね」
「久しぶりにお兄様に合えてうれしかったのでしょう。寮生活というものを体験したことはないですが、ホームシックに掛かる方もいらっしゃるようで、親からの束縛を離れ自由を謳歌できる反面、寂しくもあると聞きますから」
「でもあの言いようは少し太神さんに同情してしまいます」
「きっととても仲が良い御兄弟なのでしょうね。あのように言い合えるのは……」鏡の前でまどかは映る自分の姿を透かしてどこか遠くを見つめていた。
「わたくしは一人っ子ですので、まどか様の羨む気持ちとは違った形で羨ましく思います」少し寂しげに百夜は鏡越しにほほ笑んだ。
「ごめんなさい。そんなつもりではなかったのだけれど」
「こちらこそ申し訳ございません。お気を使わせてしまいました」
「……」
二人は顔を合わせると一緒にくすくすと笑い合った。




