#4 開花
いつもより重い荷物を肩に吊るしながら、薺はガラガラと教室の扉を開けた。
一瞬何人かの目線が向けられるが、すぐに興味を失ったように他の誰かに戻ってゆく。
親を心配させまいと居場所のない教室へ行くのにも、誰に挨拶するでもされるでもない始業前の喧騒の中をすり抜けて自分の席に着く日常にも、もう随分慣れたつもりだった。
けれど今日は違った。
昨日までの暖かな世界は、あの荒波が全て飲み込んでしまったみたいだ。
ここに残ったのは、泥と水溜まりだけ。
(ボクって、こんなに寂しがり屋だったんだ)
ずっと忘れていた。ほんの半年前までは当たり前だった空気が、今は特段冷たい。
逃げ出したボクを責め立てるように肺から入って身体中を凍りつかせる空気の中で、たった1人の顔が脳裏に浮かぶ。
(真凜に会いたい・・・・・・でも、会いたくない)
笑った真凜は可愛かった。
悩んでる真凜は素敵だった。
大人に憧れる真凜は輝いていた。
死にそうなくらい、好きだった。
ため息と一緒に逃げていく幸せなど、もう残っていなかった。
「薺!おはよう!」
教室の前で、真凜が手を降っている。
心臓が破裂しそうになった。
「真凜・・・・・・」
いつもの笑顔だった。
罪悪の苦い味が舌の上を蠢くようだった。
「・・・・・・ごめん・・・・・・なさい・・・・・・っ!」
ボクは教室を飛び出した。
薺に逃げられた。
想定外の出来事に頭が混乱してしまう。
(もしかして、薺の事好きだってバレた!?)
よくよく考えてみれば、普通恋愛は男女でするものだし、女の子が女の子に恋をするのはかなりイレギュラーというか、マイノリティだ。
突然同性から好意を向けられても困惑させてしまうだけだろう。それが普通だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、薺!」
とりあえず、薺を追いかけねば。
話はそれからだ。
始業のチャイムが聞こえる。
心臓が鼓動を加速する。
乱れっぱなしの呼吸を振り回しながら薺は走った。
サボりなんて小学校時代もしたことが無かったのに、足を止める事ができない。
頬に伝う熱さを強引に制服の袖で拭って、環状線のような廊下を走り、階段を登る。
(ボク・・・・・・今泣いてるんだ・・・・・・)
こんなに涙を流す事なんていつ以来だろうか。小学生の頃、男子に嫌がらせされたってこんなに泣かなかったのに。
自分が真凜を好きだと気付いた時には、もう引き返せないくらい好きだった。
あの可愛さを、素敵さを、輝きを、ボクは見上げることしかできないくせに。
手を伸ばしてしまった。強く胸を打つ感情に逆らえなかった。
また苦味が広がる。
ボクは屋上にたどり着いた。
ようやく薺に追いついた。
運動部だから少しくらい体力には自信があったのに、もう既に息切れしている。
薺は屋上の柵に寄りかかって俯いていた。
「はぁ・・・・・・薺・・・・・・どうしたの?」
「・・・・・・」
「なんで・・・・・・泣いてるの?」
「真凜・・・・・・ボク、真凜の事が好き」
「え・・・・・・!?」
言葉を失った。あまりに急で想定外の告白にシナプスが追いつかない。
「友達としてじゃない。手を繋ぎたいし、デートもしたい、キスもしたい・・・・・・」
薺は座りこんだ。
「ごめんなさい・・・・・・ごめんなさい・・・・・・嫌いにならないで・・・・・・」
好きな人と、両想いだった。漫画の世界みたいだ。好きな人の好きな人になった。なのに、それなのに溢れてくるのは歓喜ではなく、泣きそうになるようないたましさだった。
「薺、聞いて」
そんな薺に私はなにができる?答えはひとつしか見つからない。
ありったけの優しさと、とびきりの愛を込めて。
「私も薺の事、好きだよ。手をつなごう。デートもしよう。キスもしよう」
心臓がこれまで経験したことが無いほど速く鼓動する。身体中が熱い。
「嫌いになんてならないよ。大好き。ううん、愛してる」
もう一度、大きく息を吸った。薺が顔をあげる。潤んだ瞳は、やっぱり綺麗だ。
「だから薺。私と、付き合ってください」
「・・・・・・っ、はい・・・・・・!」
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