#2 マーマレード
『それって、黒姫さんに恋してるんじゃないの?』
真凜の頭の中で、その言葉はバスケットボールのように激しく、そして重くはね回っていた。
昨日の映画にも、寮の机の上にも、真凜の周りには恋の物語が溢れている。だから予習済みのつもりだった。
「うぅぅぅ~」
恋をしたら人は忙しくなるらしい。暇などあろうがなかろうがその人のことを考えてしまうらしい。付き合えたら嬉しくて、フラれたら悲しくて、感情は大渋滞を作るらしい。知っていた。なのに。
「聞いてないよ。こんなに大変なんて・・・・・・」
机に突っ伏して足をバタバタさせる。オトナはこんなに大きな感情を仕事の片手間にできるのか。だったら自分というのは小さな子供のようだ。もう中学生のつもりだったのに。半分くらいはオトナのつもりだったのに。
「おーい、真凜ちゃん」
後ろから突っつかれる。くすぐったい。体勢を変えずに真凜は答えた。
「なに?」
「黒姫さん」
ドキッとして起き上がり、左右に視線をブンブンと振ってから今が昼休みで、いつも薺と食堂へ行く時間だったことを思い出した。
「ごめん薺!」
急いで立ち上がり、ポケットの中に財布があるのを数回ぽんぽんと叩いて確認する。
鼓動が早まるのを感じる。全身の細胞がざわめき出す。
小さく深呼吸をして、真凜は駆け出した。
昼休みの食堂が賑わうのは、どの学校もきっと同じだ。今日は少し遅れたからか、いつもの席は既に埋まっている。
「真凜、どこ座ろっか?」
注文した料理をお盆に乗せて薺は訊ねる。
真凜と同じカレーライスを注文したようだ。
「え、えっと・・・・・・あそこでいいかな?」
自分の声が妙にぎこちない。誤魔化すような笑顔が表情筋に張り付いたようだ。
(やば・・・・・・めっちゃ意識しちゃう・・・・・・)
目も合わせられないのは、まだ私が子供だからだろうか。
薺の顔を一目見るだけで身体中が熱を帯びる。 今すぐにでも抱きしめてしまいたい欲求がシナプスを駆け巡る。
いつか読んだ少女漫画で、主人公は好きな男の子と積極的に手を繋いだりしていたが、今思えばあの子はどれほどの強心臓だったのだろうか。
薺の髪から漂うフローラルなシャンプーのにおいだけで目が回りそうになってしまう私の心臓だったらきっと破裂してしまうことだろう。
「どうしたの?具合悪い?さっきも机に伏せてたけど」
あぁ、私はこの人が好きなんだ。
私をちゃんと見て、心配してくれる人。
ドキドキの中に嬉しさの雫が波紋をつくった。
心配そうにこちらを見つめる薺の瞳を、今日初めてしっかりと見る。
「ううん、別になんともないよ」
「そう。よかった」
安心したように薺の潤んだ唇が笑う。
それでもやっぱり、目を合わせるのは緊張してしまう。
放課後、薺は図書室の奥の方で本を読んでいた。
部活の真凜と一緒に帰る為に暇つぶしをしているのだ。
(やっぱりボク、この作家が好きだな)
1人の時、薺の一人称は『ボク』になる。普段真凜や他のクラスメイトと話す時の『わたし』は悪目立ちしたくないが故なのだ。
人と違うのはいけない事だ。個性的だとか特別だとかは、ほんのひと握りの人にしか許されない。
私は特別で無くていい。私は誰かの後ろを、真凜のような特別な人の後ろをついて歩ければそれでいい。
苦い感情に集中を取り上げられたので、飲み物でも買いに行こうと立ち上がった時、入口近くにいた同級生たちの会話が耳に止まった。
「今日さ、真凜が黒姫さんとお昼食べてたの見たんだけど」
やましい事など何も無いが、反射的に身を隠してしまう。
「ぶっちゃけ真凜って黒姫さんの事ウザがってない?」
「マジ?あの2人って親友じゃん。確かに黒姫さんは真凜に依存してるトコあるけど」
「でも今日あんま会話弾んでなかったし、目も全然合わせてなかったよ?」
「たまたまでしょ。てか真凜はピュアだから人をウザがったりしないって」
「やっぱそうかな?」
「だって真凜だよ?」
「確かに」
呼吸が震えているのがわかる。心臓が妙に激しく唸っているのを感じる。
(ボクは、真凜に嫌われてる・・・・・・!?)
髪をくしゃくしゃになるまで引っ張りたくなる衝動を抑えて、スマホを取った。
『ごめん、用事あったの思い出した。先帰るね』
真凜に短く送り、泣き出しそうな荒波を必死に押さえ込みながらバッグを肩に担いだ。借りようと思っていた本は、そのまま忘れてしまった 。
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