白銀の魔王
エリス王国—そこは水車が多いことで有名な自然豊かで活気溢れる国、だった—。
街は業火に焼かれ、人々の賑わいの声は悲鳴へ変わリ—美しかったエリス王国は今や、
地獄だ。
必死に逃げ場を探しながら、炎の街を走る親子がいた。少年の歳は10辺り、短いブロンドが汗でぐしゃぐしゃになっていた。今にも倒れそうな母親の手を引き、走りながら必死に叫ぶ、
「中央の湖!あそこへ行けばきっと安全だから!しっかり!母さん!」
街中の悲鳴と獣の呻き声、炎と爆発の轟音、いろんな恐怖の音が少年の脳を打ち続け気が狂いそうだった。少年一人ならもうとっくに湖に着いていただろう、それでも怪我した母親を置いて逃げるなどできるはずがない。少年は母親の手を握った右手に力を込め前へ進む。左先に見える教会を曲がればすぐ湖が見えるのだ、もう少し、すぐそこを曲がれば—。
教会の前を通ったその瞬間、急に右手の重みがなくなり、少年は勢い余って前に転んだ。盛大に顔を打ち、口を切ったらしい、血の味がする。少年はひどく息が切れ、体は疲弊していた。それでも倒れた体勢から何とか上半身だけ腕の力で持ち上げ、首を後方に回した。
「母さ、ごめん、だいじょ…っ」
後ろにいたはずの母親の姿は、ない。代わりに首から左胸を失い、腹から背に血塗れの腕が突き刺さった、母親だった肉片が宙にある。
その瞬間、少年は何かに体を支配されたような感覚になった。肉片の指先から滴る一滴が地に落ちる音だけが聞こえ、世界は沈黙したようだった。
腹部に刺さった血塗れの腕が母だった肉片を投げ捨てるように取り払いその姿を現す——
豪華な白い軍服、炎に照らされしなやかになびく銀髪、赤く深く輝く瞳、恐ろしく美しい顔。表情は——無。人間の女性のような姿をしてはいるが、そこにいる彼女を見れば、この世のものでないことは誰もが瞬時に感じ取れることだろう。後ろの満月もが彼女を恐れ彼女のためだけに照らしているかのようだ。
叫びたいのに声が出ない、泣き出したいのに涙も出ない、逃げ出したいのに立つこともできない。ただ目を見開きその姿に魅入られることしかできない—。
全てを見据えたような赤い瞳が少年に向き、直後に少年は自分の周りに血の水たまりができていることに気づいた。自分の、血だ。腕の力もなくなり完全に倒れこむ。もう、動けない。
周りの視界がだんだん暗くなり白く輝く軍服も霞んできた。
美しく、
『—熱、い』
冷酷。
『—た、すけ、て』
まるで
『—かあ、さん』
————白銀の、魔王。