終戦記念祭
クレヴァシア本国をメディウス山脈から眺めると、まるで街が詰まった箱庭のように見える。南北に伸びる渓谷と、それを塞ぐように南に一文字、北に一文字と築いた城壁。谷底を四角形に切り取って、建物を並べた様相だ。
地図上の区別はもっと細かい。南北城壁の付近は軍事施設が並び、中央の王宮周辺は政治的な中枢。貿易相手国が西方に集中するため、西区域には商館が立ち並び、反対の東区画は労働者階級の居住地となる。
クレヴァシアの建造物は全て同じ石材で組まれている。メディウス山脈から切り出される、特有の灰色の石だ。磨くことで艶やかな白磁に輝くことで有名だが、神秘の白に達する労力は一朝一夕ではない。純白とされるものは「絶壁」と名高い北の大城壁と、中央にそびえる王宮くらいのもの。
研磨の回数は富の証明。金をかけるほど白は強くなると、西の商館は己の白さを競い合い、東の貧困な家々は地味な灰色に染まる。天から見れば一目瞭然。地位と権力、そして富が、東西に見事なグラデーションを成して国土を染めるのだ。
――もっとも東城塞襲撃の同日。クレヴァシアの街はそんな色の法則などどこへやら、誰も彼も隔たり無く大規模な喧噪に支配されていた。
北の民出現への混乱――ではない。その程度のものではなかった。
騒ぎの中核となるのは、国土のあちこちに設けられた大広場だ。
聞けば愉快な音楽が流れ、嗅げば香しい香辛料の匂いが届く。舌を刺激するのはこんがり焼けたパンに、分厚い肉、肉、肉の山。見渡す限り煌びやかな光彩のランプが、日の暮れた闇を白昼のごとく照らし、夜の眠りなどどこへやら。人々は軽やかに、繋いだ手を、絡めた腕を、地面を叩く脚を、リズムに乗せて躍動する。
町人、商人、小性に旅人。お忍びの貴族が混ざっても分からない。人が波となり海となって、広場に連なる通りまでもを埋め尽くす。
大げさではなく国中の人間が動いていて、どの施設でも人並みを捌ききることができていない。広場に繋がる大通り、さらに枝のように伸びる路地。あらゆる酒場にあらゆる宿屋。床に道にバルコニーに、あるいは屋根の上までも席が設けられ、人々が酒席に興じていた。
冷たい石組みの国をここまで拍動させる催しは、他に無い。
『祝祭』――即ち、クレヴァシア終戦記念祭だ。
「とんでもないな」
他と同じく喧騒の只中にある東地区の大広場――からやや離れた路地裏で、キールは疲れた身体を壁に預けて一人ごちた。人の海から逃げるように入った路地は薄暗く、なんとか騒音から遠ざかることができる。
地べたでいびきをかく酔っぱらいを跨いだクレアは、その言葉に頷いた。
「この国は建国間もないので、記念行事が多くありません。だからでしょう。年に一度となると、皆羽目を外したがります」
「あんたは、そうでもないようだ」
クレアはふん、と鼻先で軽く嘆息を返し、熱気に包まれる通りを無感情に見やる。
「騒げるような性分でもありません。それに私は、ここの生まれでもありませんので」
「それは……アイツらも同じだろ」
そう言ってキールが睨んだ先は、踊りに興じる市井の集団ど真ん中。
そこで、セロンとレナーシアが踊っていた。
炎が二人を艶やかに照らす。セロンは鎧から平服に装いを変えて、金髪を翻し、快晴のごとき笑顔でステップを踏んでいた。その腕が支えるのは相棒たる娘の腰だ。
レナーシアの身に血染めの布切れは既に無く、安物のワンピースが風に乗る。深くフードと薄手のマントを羽織り、特徴的な目や肌は衆目に晒されないが、影の下からチラチラと覗く口元だけでも娘が満面の笑顔なのは知れた。
キールはここまでの道中を振り返るが、随分とスムーズだったと思う。
東城塞から僻地の森にひっそりと建っていた尖塔――セロンとクレアの居住らしいそこで服を換え、レナーシアの血濡れのドレスは火にかけて隠滅し、荒れた山道を抜けて、本国への到着はつい先ほどだ。
『許可状も何も無いぞ』
『ご心配なく』
クレアの宣言通り、東の小さな城門はセロンが二言三言の言葉を交わしただけで通過できた。よほどの顔見知りなのか、キールへの検査一つも無しに。
ちなみに鬼門だったレナーシアはどんな手を使ったのか、気が付けば城壁の向こうにいた。
『一応、検問が強化されたらしいれど、詳細は知らないって。兵士長、報告を遅らせたようだね』
『これ以上評判を落とされるのも困ります』
『でも倒したから、悪いようにはならないよ』
『他にも襲撃あったらどうするのですか。有無を言わずに全門閉鎖すべきなのに』
『今日は、ね。使者の目の前で門を閉じるわけにもいかないさ』
国も状況が掴めていないのだろう。祝祭で人荷が増す中、安易に城門を閉じることもできない。
そしてこれまた協力者と思われる兵士長は、今頃戦いの痕跡を「いい感じ」に改変しているところだろうか。遺体を刻んで獣の爪痕を塗りつぶし、あたかも彼ら自身が過酷な戦いを演じたように、鎧を破損させ偽の被害をでっち上げて。
結果、この四人が関わった痕跡は残らず、獣の乙女の存在も闇に葬られる。
……葬られる、はずだろうに。
「セロン!おどろ!」
「もちろん!」
沸き上がる広場を目にするやいなや、手を繋いで群衆のただ中に駆けて行った二人に、そんな配慮が必要だったか?
確かに暗闇でこそこそするより、集団に身を投じるのは時に効果的だ。
しかし息を合わせて足を鳴らし、手を叩いて踊る二人の姿は、煌めく金髪のせいか流れる黒髪のせいか、集団の中でもやけに目立つ。二人を囃す手拍子まで聞こえてくる始末だ。
「セロン遅ーい!もっと早く!」
「お手柔らかにねっ!ほら、いくよ!」
「きゃっ!」
次第に早まりゆく音楽に、広場は陶然とした熱気と酒の香りに満ちていた。通りを叩き踊る者どもも、次々に脚を絡めては転んでゆく。陽気な爆笑と共に一つ、またひとつと減る舞踏の渦の中、セロンとレナーシアは延々と舞い続けるのだ。
何にも呑まれぬ黄金と純白は、螺旋を描くのを止めようとしない。
「……ぞっとしない光景だ」
「そう感じるのは、真実を知る人だけですよ」
こちらもまた騒ぎを俯瞰して平静なクレアを、キールは冷めた瞳で見下ろした。なにぶんここまで巻き込まれ走らされてきたが――
「そろそろ状況流されるのも限界かもしれない。説明は、もらえるのか」
「そのつもりですよ。冷静についてきていただけて助かりました」
「冷静、か。俺がそう見えると」
「ええ。あの子を知っての振る舞いとしては、十分すぎるほどに」
確かに、今のキールからは恐慌の気がすっかり失せていた。どのような感情も一度弾けてしまえば、残るのはただ重い疲労だけ。
「あの子の名は、レナーシア。『獣の民』とも呼ばれる――歴とした北の民です」
クレアは声を潜めない。この喧噪で聞き耳を立てる酔狂者はいないだろうし、今更曖昧な呟きで誤摩化すつもりもない。
「あなたは北の民については、どこまで?」
「一般的な常識程度だ。無教養の田舎者だからな、こちとら」
――そう、常識だ。林檎が下に落ちるのに等しい当たり前のこと。
――堅牢なメディウス山脈を隔てて、世界には二つの人類がある。
南の民は、二つの眼で見、二つの耳で聞く。二つの腕で道具を振るい、二つの足で大地に立つ。肌を、血肉を、骨を持つ。男と女がいて、女はその体に命を育む。子は長い時をかけて成長し、家族を作り、村を、国を作って発展し、その数を増やして、南の地を治めてきた。
北の民は留まらない。逸脱している。眼も耳も腕も脚も、肌も血肉も骨ですら、あるかもないかも限らない。牙、鱗、翼、尾、ないものがあるかもしれない。空か陸か海か、美しきも醜きも、大きいも小さいも定まらない。ただの獣と見分けがつかないものもある。
ただ彼らには、言葉を操り、文化を成す高度な知性が共通していた。
そして両者の対立は、いつでも歴史の中心にあったのだ。
「――まずはここ、クレヴァシアという国について説明しておきましょう。大戦はご存知ですね」
キールは無言で首肯する。南北の闘争は多いが『大戦』と称されるのは一つだけ。それほどに大規模な戦火があった。
「ここクレヴァシアの首長、ラウル王は、大戦での功労者でした。当時北の勢力を率いた『旧き王』を倒し、南側に勝利をもたらした人物です」
滔々と紡がれる言葉は、あらかじめ用意した文章をそらんじるように淀みない。
「彼は終戦後、北の民の流入を防ぐため、南北を繋ぐ渓谷『ソル=クレバス』。つまりこの地に巨大な壁を築きました。今は北大城壁と呼ばれる建造物と、その建設のために集められた人夫が、クレヴァシアの興りです」
この程度ならばキールも断片的に知る話。英雄の国――世界の門番――クレヴァシアの異名は各地に届いている。
「つまり、クレヴァシアが公的に北の民を住まわせている、ということではありません。西方の奴隷制度には、北の民をも売買するものがありますが、それとも違います。北の民は敵勢。あの子がクレヴァシアにあるのは異例のことなのです」
ちら理解を伺ってくるクレアに、キールは肩を上げて先を促した。
「……セロンとレナーシア、あの二人は六年前に出会いました。その後、セロンと同じ方に師事していた繋がりで、私もあの子の存在を知る所となります。あの子がどのような経緯でクレヴァシアに来たのか。私たちの目の外でどのような生活に置かれているのか、詳しいことは知りません。話すことを禁止されているそうです。つまり国のどこかに、あの子が言いつけを守るような人物がいるのでしょう。保護者、ですね」
クレアは止め処ない語りの傍ら、キールの反応を観察していたが、男はふん、ふんと唸るように一定の納得を伝えてくるばかりだった。
北の民と耳にしただけで卒倒する連中も少なくない世の中、キールの物分りの良さは随分だ。
(事実を、ただ事実として受け入れられる性分でしょうか。つくづく助かります)
密かにそんな評価を下したクレアは、少しだけ肩の力を抜きつつ遠方の広場を覗き見る。
煌びやかな喧噪の中心で舞う、黄金と純白。
それを暗がりから眺めるだけの、ハシバミと黒。
「――目立つ子、でしょう」
「ん?ああ、レナーシアか。まぁ、そうだな」
キールはクレアの声色に、やや増した感情の色を見た上で首肯した。今こそ祭りの熱量で隠されてはいるが、レナーシアの姿は見たもの誰であれ少なからず違和感を抱くはずだ。平時の街中で隠し通せるものではない。
「これまで何度も姿を見られています。いっつも暇ができたら、セロンのところに来るんですから。隠れもせず、街中を跳ぶように」
「まずいだろう」
「実はそうでもありません。市民からの警吏への通報をいくつか確認していますが、一つとしてまともに対応されたことはないのです。適当な与太話として処理されます。大戦時の亡霊の噂なんかが有名ですね」
クレアの唇が、皮肉めいて歪む。
「ちなみに、私が初めてあの子に会ったその日、私自身が通報をしています。結果は言わずもがな」
「………」
冗談を言う性格でもないだろう。短い付き合いでも生真面目ぶりが知れる女史と、あの自由奔放な娘の間には、知られざる紆余曲折があったに違いないのだ。
キールの探るような無言に気が付いたのか。クレアは気を取り直したように息をつき、声色を無彩色へと戻す。
「暖炉の薪にしたあの子の服ですが、オーダーメイドのものです。とても高級な生地と作りの。あの子はいつも南区画、政治的な中心地から遊びに来ます。そこにいるはずですよ。あの子に高級品を買い与え、存在をもみ消し、国内で自由に活動させている人物が」
――北の民を排斥するための国で、密かに暮らす人外の娘。
――その存在は、権力者によって保証されている。
クレアは壁から背を離して、キールを見上げた。身の丈は頭一つ以上違うものの、無感情な視線は男を容易に貫く。
「今、あなたの立場は私やセロンと同じです。二人が三人に増えるだけ。同じであろうとする間は、おそらく危険はありません」
「『同じ』?」
す、と人差し指を口元に立てる所作は、にこやかにやればきっと愛らしくもなるだろう。
だがクレアが無表情で行うそれは、事務的なメッセージに過ぎない。
「騒がないこと。少なくとも私やセロンは生きている。もう、死体は御免です」
余計なことは一切するなと、明らかな警句だった。
それきり沈黙に包まれる。できる説明はここまでだ、と。
「――あの兵士は?」
キールの言葉足らずな問いに、クレアは訝しげに首を傾げた。
「城塞で話しただろう。あの娘を知っているようだった」
「ああ、兵士長のこと……。あの、もっと他に聞きたいことは無いのですか?」
すると先までの理路整然はどこへやら、兵士長の名が出た瞬間クレアは気怠げに壁にもたれかかった。機械じみていた女史が、また急に人間臭さを取り戻したのだ。
「あれも、まあ、例外です。自分の利益に忠実な人なので心配ありません。たまにセロン経由であの子をこき使おうとしますね。不要な設備の撤去とか、脱輪した荷の移動とか。ゴミ捨ての穴まで掘らせようとしたときはさすがに引っ叩きましたが――私たちの便利な友人、程度の認識でしょう」
「豪胆だな」
「あれは阿呆の類です」
「だが放っておいていいとは判断している、と」
「馬鹿で不真面目ではありますが、決して無能ではありません。あれでも城塞の長で、私とセロンの後見人。それに私たちのような民間人が城塞の後処理にまで出張ったら、それこそ怪しまれかねません」
「……民間人?」
「ええ」
「あんたらが?」
キールが言いたい事は分かる。クレアはともかくも、その片割れが?ということだ。
「セロンも私もただの市民ですよ。軍人でも、軍所属の奏者でもありません。クレヴァシアでは移民は軍役や政治的な役職につけません。それは建国に携わった民とその血筋の権利。私たちはあくまで、城塞に雇用されただけの民間人なのです」
あとは本職に任せな――戦いの直前にキールも耳にした濁声だ。
「それな、ら――」
と、そこでキールは唐突に言葉を切り、そそくさとクレアから距離を取った。こちらに駆けてくる小さな影に気が付いたのだ。
「クレアっ!」
幼い声を響かせて路地裏に駆け込んで来たレナーシアは、息も上がらず、汗の一筋も無い。身体に残るリズムで石畳を踏めば、裸足にもかかわらずカツンカツンと硬い音が鳴って実に奇妙だった。
「クレア、踊らないの?」
上目遣いで尋ねるレナーシアに、クレアは嘆息して娘のフードに手を伸ばす。眼鏡の奥で強ばっていた表情には、自然と暖かみが戻っていた。
「お相手がいませんからね。ほら、バレないようにって言ったでしょう」
「やだっ!セロンのお顔見えないのっ」
「わがまま言わない!」
「やーだー!」
ともすれば姉妹か母娘の様相をみせる二人を、キールは息を潜めて眺めていた。初めて間近で見る北の民レナーシアの姿に、目を奪われたとも言える。
イヤイヤと振られる頭に揺れる、高い位置でまとめた黒髪は、量はあるが一般的。問題はその下から伸びる並外れた長さの垂れ髪だ。一メートルをゆうに越えて地面すれすれに達しており、生活に支障を来すに違いない……真に髪の毛であるならば。
クレアの手に自在に巻き付き、フードの攻防を邪魔しているソレは、尾だ。うなじのあたりから生える『頭尾』は、道中でも踊っている最中でも、身体のバランスを取るように振れていた。
肌質もまた普通でない。細い糸を幾重に巻き付けたような細い流れが、つま先から顔、全身に満遍なく走っている。戦いで見せた変異を鑑みれば、レナーシアの身体は、細い糸が複雑に絡み合って人の形を成したものなのだろう。
そして双眸こそ最もたるもの。白く輝く瞳など、南の民ではありえない。
強靭な生命力、高い身体能力、特異な肉体。レナーシアは確かに――
「いいかげんになさいっ」
「やーなーのっ!」
確かに、北の民で――同時に無邪気なばかりの小娘だった。
娘二人の口喧嘩は、実のところ姉妹染みた平和なじゃれあいだ。
その気になればレナーシアはクレアの手など容易に払い退けられるはずであり、しかし娘の口元はゆるみ綻ぶばかり。クレアの興味を引こうと、延々とふざけているだけなのだろう。
ややして通りで街娘に言い寄られていたセロンが、路地裏に入ってくる。組み合う二人をどこか満足げに見ると、小さな噴水の縁に腰をかけた。
キールには会釈を残しただけで特段の言葉も無い。説明も含めてレナーシアのことはクレアに任せ、それで全て安心だというように。
「もしその瞳を見られたら、セロンにも、きっと迷惑がかかるでしょうね」
「う……」
「戦いに脱出にお祭り。見なさい、彼ももうすっかり疲れきってしまって。今度は街中を逃げ回らなきゃいけないのかしら」
クレアは裾をあけて汗を冷やすセロンを指差す。しかし青年が返すにこやかな笑みには到底疲れは見えない。今にも疲労に押し潰されそうな狩人とは、身体の作りからして違うようだ。
そして底知らずの体力はもう一人。レナーシアはぱっと身を翻し、勢いそのままセロンに抱きついた。青年の長い脚に腰を下ろすと、小柄な娘の視線はぴたりと高さが合う。
レナーシアはほとんどセロンに頬をすりつけて、とろけるように甘く喉を鳴らす。女の誘惑とは違う、菓子をねだるような乳臭いものだ。
「んう〜」
「おやめなさい、人前でみっともない!」
キールがいるからだろう、今度のクレアの叱責は本物だ。靴音高らかに詰め寄るも、レナーシアはむしろセロンをさらに抱き寄せる。
「セロン、クレアのお顔怖い!」
「むむ、僕じゃあ怒ったクレアには勝てないなぁ。ほら、とっても強そうな角が見えるだろう?」
「つの?」
セロンの顔は悪戯な笑みを浮かべてもまた様になる。
スパン!とクレアに頭をはたかれても、青年は尚も愉快げに肩を震わせていた。
レナーシアは螺旋の瞳を激しく渦巻かせ、キラキラと光を散りばめる。まるで娘の色濃い期待が、そのまま映し出されているかのよう。
「クレア、私もツノ欲しいなー」
「こらフードを取らない!あなたは尾があるでしょ、それで我慢なさいな」
「僕はツノも似合うと思うなあ。きっと可愛いよ」
「ほんとっ?」
「セロン!本当に生えたらどうするおつもりですか!この子は今でも十分素敵です!」
「きゃ〜!」
妙な取り合いに挟まれて、レナーシアは楽しげに脚をばたつかせる。
すっかりのぼせ上がってしまった娘を、セロンは笑いをかみ締めながら、落ち着かせるように頭を撫でてやる。そしてクレアは甲斐甲斐しく、レナーシアの着崩れた外套を直してやるのだ。
「でもでも、私クレアみたいなメガネもいいなー」
「これはお勉強をがんばった証です。欲しかったらあなたもお勉強」
「それはやだー」
「はい先生、僕も欲しいです」
「調子に乗らない」
あやし、遊んで、ときに躾ける――それはどこにでもある、なんでもない風景だった。
きっとこれまでもずっと、同じだったのだろう。
俗世から少し離れて、染まらず呑まれず、しかし隔絶されきってもいない場所で。心優しいセロンは、口煩いクレアは、幼く無邪気なレナーシアは、繋がってきたのだろう。
「………」
男は、眩しいものを見るように目を細めていた。
どこか痛みをこらえるように、唇を引き結んで。
「――あ」
クレアがふと見たときにはもう、暗がりに狩人の姿は無かった。
……
………
…………
熱狂は遠く、祭り囃子は夢のように。
人並みが前へ後ろへひしめきあって、皆々視界を塞ぐ頭の群に、隙間を探って揺れている。
彼らが求める光景は中央広場、建国者ラウルの石像の前、巨大な台座に鎮座していた。
漆黒の箱は観客の身の丈を超えてあまりに大きい。磨き抜かれた石造りの棺に、その巨躯は収められていた。
思いつく限りの生物を滅茶苦茶に継ぎ接ぎしたようで、しかしシルエットは精緻だ。
馬のような長い頭骨には、二つの顎が重なって、欠けのない牙がずらりと並ぶ。
剥き出しのアバラはパックリと広がって、その奥には数十の節足。
大樹のような四肢は、極太の杭によって貫かれて磔となっている。
もはや動かないとはいえ、刃と言って差し支えない爪先は見る者の背筋を凍らせる。
強固な腱も、幾層のもの表皮も、針金のように広がる体毛も、ひとつとして尋常ではない。
化物――そう称するに相応しい異形は、かつて北の王と呼ばれた者の成れの果て。
クレヴァシアの国宝、『旧王の遺骸』。
「………」
狩人ははるか高みから、その国宝を見ていた。
密かに登った尖塔の頂上から、闇夜をも切り裂く鋭い眼光でもって、確かに細部まで捉えた。
そして――
「違う」
そう小さく、呟いたのだった。




