迎撃、北の民
クレア=シュタイン。
セロン=フィロスタリア。
城塞に長く籍を置いてきた二人は、よく知っている。
(――東城塞に繋がる行路は、すべてメディウス山脈を越える難所です。通る人たちには、山越えの知識と技術が必要になります)
(――一日に通る数が十を超えないのは、山を超えられる人がそれほど少ないということだ)
さらに同門の付き合いともなれば。言葉を交わすまでもなく、互いの意見をも共有できた。
(――山脈の最大の脅威は、山肌に吹き付ける豪風です。人くらい簡単に吹き飛ばす風が、雪を運び道を隠し、体温を奪って足を止める)
(――メディウスを超えるためには、何より正しい装備が必要だ。衣類の厚さ、靴の構造、杖の長さ、荷の担ぎ方……全てに気を配らなきゃいけない)
(――ではもし、それを欠いた者が現れたなら?)
(――死へと到る道を、踏み越えて姿を見せたということだ)
寒さを耐え、真の闇を抜け、悪路を超えることができる、そんな存在である証明。
まともである、はずがない。
……
………
…………
【――緊急連絡。音声連絡を禁止。跳ね橋前に、山越えの装備が不十分な一団あり】
詰め所で早めの酒盛りに興じていた兵士どもは、そんな連絡に酔いを根元から吹き飛ばされた。
慌てて放っていた兜に頭を収めれば、刻まれた溝に青白い光――光彩が流れ込む。形作られた円形の模様は散けて集まりを繰り返して、そのまま眼前に文字列として投影された。
広く用いられる光彩式の通信技術だ。
【種族は不明。聴覚タグは『黒』。露見を鑑みて、一斉の行動と音声連絡は避けてください。以下の順で速やかに防衛体勢に移行。他は平時の運用を――】
「……――?」
「っ――――。――――」
「――、――――――」
兵士らは先までの軽口を繋ぎながら、しかし緊張に満ちた面持ちで席を立つ。年配の男が手振りだけで人員を動かし、武器庫の鍵が外された。
その中身はずらりと並んで鈍く輝く、板金鎧だ。
【装備指定『第四式駆動殻』。防衛要綱に従い、各員持ち場へ移動】
詰め所から、休憩所から、食堂から、演習場から、飛び出した兵が持ち場についてゆく。彼らは皆、全身を隙間無い重厚な鎧で覆っていた。
にもかかわらず、その外見からは想像できないほど素早く動き、どころか足音一つすら立てない。
その理由は、板金の表層を走る光彩にあった。
その板金鎧は、かつてのような重量と防御性能が見合わないお荷物ではない。光彩を消費し、装着者の意志に合わせて動作と膂力を補佐する機能を持った外骨格――それが『駆動殻』だ。
【通信構築、八十。バイタルチェック、閾値設定。人員交換、1‐7‐6‐004。監視エリア設定。光彩充填九十。作戦開始時刻を設定します】
通信によって報告は密に行き交い、戦場の情報は更新され共有される。煩雑な業務は自動化され、命令系統も城塞全域の管理も一箇所に集約される。
鉄の鎧に、石の城壁。たとえ外観は古臭くも、その正体は光彩技術の塊だ。報告から数分で戦いの体勢は整えられる。
しかし外から見る限り、城塞は静かに鎮座するのみであった。
そうして迎撃の手はずは整えられ、戦いの火蓋は、最上のタイミングで落とされたのだった。
【戦闘開始。落とし戸――今】
けたたましい金属音が山間に響き渡った。城塞門扉の滑車が滑り、極太の鎖が流れ、金属製の格子戸が直下に落とされる、金属が擦れ合い衝突する轟音だ。
「!?」
そして城塞を目前にして、行商の集団は身を凍らせていた。
封鎖された門扉を目にすれば、自分が戦場に立っていることは嫌でも理解できる。それでも反応などできず、ぽかんと門扉を仰ぎ見るばかり。
だがしかし。ただ一つ。
鋭い轟音を耳にしても、拒絶に変貌した城塞を前にしても、身じろぎひとつない集団があった。
防寒具の隙間に詰め物を欠き、霜が降りて触れれば皮膚が剥がれかねない危険な金属水筒を携え、雪下の裂け目を確認するには短すぎる杖を手にした一団。
青年が見破り、女史が確信した「尋常ならざる者たち」。
暗いフードの下で光る瞳は、鮮やかな橙色であった。
【跳ね橋、上げ】
落とし戸に終わらず、さらにゴゴン……と、壕に渡された橋が持ち上がり始めた様は、集団のどこからでも視認ができた。
そう、城塞閉鎖はまだ完璧ではない。
『――――――!!』
ならば音の無い咆哮を合図に、六つの影が荷を放り捨てた。
城塞までの道は人と荷が塞いでおり、しかしそれは「彼ら」が止まる理由にはならない。
「ぶ!?」
直後、不運な商人が車輪と共に宙を舞い、衝撃に巻き込まれた者らが地に転がる。
襲撃者の拳の横凪ぎ一つが、邪魔な荷車を天高く吹き飛ばしたのだ。破片と悲鳴の下を駆け抜ける影は、湧き上がる戦意を映すかのように、外套の下で奇妙に膨れ上がっていた。
『――――――!!』
咆哮を携え、二振り三振り。
荷が人が、瞬く間に退けられ均される。地に叩きつけられた足裏は靴底を踏み抜き、大地を抉りながら前へ前へと突き進む。障害などものともしない、鉄砲水のごとき突破力だ。
しかしそれでも、これほど先手を取られては間に合わない。
ゴン、と上がりきった跳ね橋が、パズルのように城壁と一体となって――
【光彩壁、起動】
バチン!と、青白い閃光が迸った。
城塞全域を包み込む、層を成した光彩の障壁だ。こうなれば並の攻城兵器ではびくともしない。
そして守りを組めば攻めに転じる。
示し合わせて城壁上の歩廊に現れた兵士は、重厚な剣の切っ先を襲撃者へと向けていた。その刀身も鎧と同じく、ギラギラと危険な光彩の輝きを放っている。
無事な商人らはとっくに背を向け逃げ出し、攻撃に巻き込む心配も無い。
逆に城塞に駆け込もうとした襲撃者の一団は、遮るものも無しに孤立していた。
格好の的だ。
【砲撃――開始!】
幾多の光が城塞を照らした。
兵員の剣先から次々と撃ち出された球状の光彩が、襲撃者の眼前に着弾したのだ。爆発に爆発を重ねるような光彩の嵐に隙間は無く、襲撃者らは瞬く間に呑み込まれ見えなくなる。
爆発だけではない。光彩の「しなり」がムチのように奔り、空気を、地面を、岩を樹木を無尽蔵に切り裂きながら暴れ踊る。
獲物を光彩の嵐に閉じこめ、さらに高密度の刃で引き裂く――敵が固まらざるを得ない狭い山間路に対応した、東城塞きっての兵装であった。
襲撃は失敗だ。奇襲の体を成さず、守りは固められ、高みから一方的に攻撃を受けるばかり。もはや撤退するほかに無い。
――そう、東城塞は捉えていた。
――しかし、「彼ら」は?
『――――Rugu-No!』
障壁?
『――Rugu-No!』
砲撃?
『Rugu-NO!』
話にならない――っ!
『OOOOOOoooOOOOoooOOOOOOH―――!』
彼らは足を止める素振りも無く、鬨の声とともにただ低く低く、砲撃の雨に踏み込んだ。
「!!!」
光彩に焼かれた衣服が塵と化し、炸裂に飛び散る破片がその体を次々と穿つ。絶え間なく全身を襲う痛み、そして眩い閃光によってもはや視界は用を成さない。
しかし彼らには、まだ耳があった。
「!!!」
刃に裂かれた空気の悲鳴に合わせて僅かに身を捻ると、パッと血飛沫が散り、薄く剥がれた皮が宙を舞う。襲撃者は乱雑に打ち込まれる鞭の群を、紙一重の、そして無駄の無い動きで回避せしめる。
この砲撃の数を前に、誰が予期できるというのか。
影六つが、一つも欠けることなく、光彩の嵐をすり抜ける!
「!!!」
傷つきながらも足を止めなかった覚悟は、そのままトップスピードでの助走に繋がる。彼らは勢いそのまま全身を跳ね上げ地を叩き、壕へと身を躍らせた。
第二の障害が、十メートルの水路が、易々と飛び越えられる。安全な高みから見下ろしていた連中の顔が、驚愕に染まる様が小気味良い。
だが、まだだ。
最後の障害、行く手を塞ぐ光彩障壁に迷わず掴み掛かる。
腕が焼け指が溶けて爪が弾け、それでも血に濡れた掌はやがて石の壁まで達した。
そのまま、ブワリと身体が膨らんで―――
……
………
…………
「っ!」
轟音は城塞の司令室まで届いた。
建造全体を揺らす大振動に、バランスを崩したクレアがセロンに支えられると同時、彼女の側頭で回る通信網に悲鳴が届けられたのだった。
『一門、破壊されました!連中、うたっ……ガッ…!』
「クレア!指示網よこせ!」
兵士長の叫びに、クレアの腕が素早く振られる。
クレアが握るのは随分と古びた万年筆だが、収められているのはインクではなく、高濃度の液状光彩だ。
迸った青いラインに引かれて兵士長の兜に通信が移ると、城塞全体に威勢の良い声が響く。
「対応切り替えろ!音声通信許可!『赤』『赤』『赤』だ!戦闘開始だ野郎共!気張れ!」
一息におおざっぱな指令を吐き出した兵士長は、二人に向けて口元を歪めてみせる。笑っているような焦っているような、ごちゃ混ぜの表情だった。
「まさかなあ、突破してくるかよ。筋肉野郎共が。おとなしく回れ右とはいかねえもんだ」
「っ初期防衛は失敗です。援軍は――」
「間に合わねえなぁ」
クレアに先んじて兵士長は呻く。
既に北の民発見の報は各方面に伝わっている。単体では決定的な戦力にならない東城塞の役割は、援軍到着までの足止めだった。
しかし突破があまりに早い。間に合わない。
「クレア、種族判るか?」
「情報が少なすぎます。直接確認できればっ」
今にも飛び出しそうな娘の頭を、しかしクシャリ、と無骨な金属の指先が乱した。
おおざっぱでしかし優しい手つきに、クレアは掌を払い除けもせず口を噤む。強く唇を噛みしめるその表情は、最近ではすっかり珍しくなってしまった、城塞のだれもに懐かしいものだった。
さらに兵士長はもう一方の腕で、青年の肩をも強く掴む。若々しい勇士に満ちた眼差しを、しかし年齢を笠に着て押さえつけるために。
「二人とも避難だ。あとは本職に任せな。クレアちゃんを頼んだぜ」
「――――ご武運を!」
セロンの逡巡は一瞬だった。クレアの手を掴み、扉を跳ね開ける。
「あなたもこちらへ!」
そう、避難者はもう一人。
置物のように推移を見守っていたキールは相変わらず読めない鉄面皮だったが、足萎えも無く後へと続いてきた。
「――なないで!」
扉の向こうに消える直前、クレアがとっさに投げた一言はしっかり兵士長に届いた。しかし惜しいかな、感慨を味わう時間もない。
「テメエらあ!時間稼いで広場に誘導!囲んで叩くぞ!」
通信網に声を張り上げて、部下を、そして他でもない自分自身を奮い立たせる。そうして城塞の長は、今まさに破られようとしている第二門へと駆け出したのだった。
……
………
…………
階下に降りた避難組は、城塞の搬入路に出ていた。
荷車が十分すれ違える幅の、城塞を貫くトンネル構造だ。ただし既に幾重もの落とし戸で分断されて、通路としては機能しない。
故に三人は高みに設けられた狭い歩廊を通る。
元は直下へ矢を降らせるための足場だ。敵に使われぬよういつでも断てる木組みであり、狭く細く、頼りがない。
「っ」
「クレア、しっかり」
何処かからの煙で視界が霞み、クレアは僅かな段差にも足を取られてしまう。セロンは彼女を気遣い慎重に進もうとしていた。
しかし、
「っ何をしている!」
あろうことか最後尾のキールが、クレアごと無理矢理に押し込んでくるではないか。
「急げ!進むんだ!」
「痛っ」
「待ってくださ……っ落ち着いて!」
民間人の狩人など、石の城塞に明るいはずもない。
無理にでも言い含めようとしたセロンは、しかし男の瞳が逃げ道の先でなく、背後の霞を凝視しているのに気がついた。
「――クソ」
そして低い罵倒とともに、キールは抱えていた荷袋をあっけなく投げ捨てた。
知らぬ土地を行く者にとって、ただの商売品ではない。命に等しい全財産を捨てたキールに、思わず呆けたセロンはそのまま押し出され――
直後、轟音と共に背後の落とし戸が吹き飛んだ。
「!?」
飛来した格子が、まさに間一髪、先まで立っていた足場に突き刺さる。
そして消えた門扉の奥、煙と炎の帳に、大きな影が映し出された。
「っ行け行け行け行けええええええっ!」
もう止まらない。止まれるはずがない。三人は視界不良も構わず全力で駆け出した。
セロンは必死の先導に、クレアはただ進むに精一杯で後ろを見る余裕などない。しかし最後尾の男は、迫る脅威を確かに目に焼き付けていた。
轟音、轟音、また轟音。一体どんな力が働いているというのか。幾重もの落とし戸が、ぶ厚い樫と鋼鉄の塊が、次々と消えてゆくではないか。
やけに長く感じられる逃走劇。
三人は死物狂いの片隅に――どこか場違いな、歌声を捉えていた。
「っこちらへ!」
飛来した破片に歩廊の先が失われ、セロンは否応無しに広場へ降りる道を選ぶ。
破壊音を背に聞きながら一息に階下へ下り、全身で扉を押し開けると、カッと強烈な光が瞳を焼き付けた。
三人が息せき切って飛び込んだのは、真昼の日差しを照り返す正方形の広場。
そこは兵士の鍛錬に使われる、ただっ広いだけの質素な空間
――の、はずだった。
「あ?」
「え……?」
だからこそクレアもセロンも、目の前の光景に唖然とし、
「っ何だ、連中は――」
事情を知らぬ男は、戸惑ったように行く先を決めあぐねる。
「――味方か?」
キールが睨む先には、ずらりと整列し身構える兵士たちがいた。
豪奢な戦列だ。鉄塊とも見まがう分厚い駆動殻は、もはや自立機能すら光彩で賄う類。それぞれが身の丈を越える大盾を構え、特大の光彩障壁を生み出している。
「は、い」
キールの警戒に答えたのはクレアだった。
「友軍です。でも――」
隙のない歴とした防衛線は、当然――東城塞のものではない。
あのような高級な装備は、間違っても与えられない。
(あれは六式駆動殻……北城塞兵!?)
彼らは北の民と対峙するクレヴァシア最大の城塞、その兵員であった。
(どうしてここに。援軍?確かに連絡はしたけれど、こんなに早く来られるはずが――)
あるいは付近を哨戒中だった部隊が駆けつけたのだろうかと。
クレアが浮かべた疑問符は、しかし直後、遠慮のない大声に吹き飛ばされた。
「非戦闘員か!!そこを退けええい!!」
大仰に腕を振るう男は、立ち位置と鎧の装飾から見るに部隊の長だろう。立派なひげを蓄えた強面は、遠目からでも判るほどに戦意に満ちている。
そのぎらついた視線は三人の出てきた勝手口の隣、そびえる門扉を睨みつけていた。
扉の向こうから響く、ゴオン……ゴオン……と、打ち付けるような音に対峙して。
「行こう」
セロンはクレアの手を強く握り直す。
このままでは巻き添えだ。北城塞兵まで出張って来ては手出しも無用と、三人は戦列に近づかぬよう、広場を大きく逸れるように門扉から離れた。
――結果その行動が、彼らの命を救うこととなる。
――歌が聞こえたのだ。たいそう美しい歌声が。
「―――――」
しなやかなソプラノが、緊張に満ちた広場に響き渡る。誰もが戸惑いに互いを見比べてしまうほど、戦場にはとても似つかわしくない美麗な声だった。
「「――――――――――」」
テノールが加わる。男女の悲哀を語るような切ない二重奏に、観客らの頭はひとりでに声の方向――門扉の向こう側へと向いていた。
「「―――――――――――――――」」
重厚なバスが響く。三重奏は一際の重みを持って大気をびりびりと震わせた。どうしてだろう、身体が重く、動かない。
鋭いアルトが加わり、四重奏は一つの方向へ揃えられる。指先を向けられたかのように。じろりと見つめられたかのように。あるいは――狙いを定められたかのように。
(この、言葉は……)
やがてクレアは記憶の片隅に見つけた。
その言葉を使うのは、歌を司る者達。
声の民――『ディルバ』
くにゃり、と門前の空間が大きく歪んだ。
うねる波長、跳ねる波紋。それは限界まで溜め込まれた「音」の姿だった。
「っ―――――!!!」
背筋を凍らせたクレアをセロンが強引に引き寄せて、さらにキールが飛び付くように、身体ごと二人を押し出した。
つんのめるように進んだたったの数歩。
それは命を救った数歩だった。
音が、世界を割る。
最初は衝撃波だった。門扉が粉々に爆散し、音の大波が光彩障壁を容易く押し流す。重厚な鎧が枯れ葉のように宙に舞い、奔流から逃れた三人も余波だけで地面に叩き付けられた。
続いて迫ったのは鋭い破片だ。守りだったはずの門扉が大小の凶器に変貌し、兵士の身体を連れ去ってゆく。分断されたパーツは血の糸を引きながら、綺麗な螺旋を描いて回る。
歌が届いたのは最後だった。身体を内から揺さぶられる感覚を、不快に思う暇すらなかっただろう。分厚い鎧の中で反響した音色は、その中身をミキサーのようにかき回し、
――爆散した。
「――――――――ぁ」
宙に咲いた無数の花を目に焼き付けながら、クレアは師の言葉を思い返していた。
『東城塞は北の民を防げますか?』――そんな幼い問いに、あの人はにっこりと笑顔で答えたのだ。
(――絶対に無理だ)
皮肉めいた笑いの記憶は、やがて飛来した破片に切り裂かれる。
鈍い衝撃に、クレアの意識は刈り取られたのだった。




