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想いは純粋なれど  作者: 宿屋
25/28

探し物は、そこに


 白磁で組まれた墓所の底、瓦礫の山の中で、艶やかな金属の門扉には傷一つ無かった。


「………」


 訪問者を乾いた空気が出迎える。床面の大理石には雲に似た模様が渦巻き、黒曜石の天蓋には光彩がチラチラと瞬いて、夜空の星屑のようだ。

 キールはかつて祖父アントラーと登った霊峰を思い返す。雲より高い空の下、澄み切った空気を。地下深くに秘められた安置所は、まさにそんな天空の再現だった。


 ならば部屋の中央に置かれた棺も、きっと極上の寝床であろう。北の旧き王はクレヴァシアの宿敵だが、その埋葬はただ安らかに眠れと、弔いの気遣いに満ちていた。足を踏み入れるのが躊躇われるほど、静かに、穏やかに。

 キールは乾いた口腔に、ありもしない唾液を無理矢理に飲み込んだ。


「レナーシア。あっちの状況は、分かるか」

「数がすごく減ってる」

「時間をかけすぎた」


 キールは意を決して踏み込んだ。粗末な布で吊った右腕を揺らして、ずるずると足を引きずるように。

 追随するレナーシアの足取りは慎ましく、静けさを乱さないような無意識の配慮があった。セロンが待っているというのに、静謐な空気が逸る気持ちを宥めすかす。


 やがてキールは棺の元に立ち、息を呑む。


 棺に蓋は無く、儚い青色の花が敷き詰められた中に、長身の男性が横たわっていた。痩せ細った身体。色素の抜けた髪。まだ死からさほど時間の経っていない、亡骸だった。

 しかし、その姿はどう見ても南の民で――


「ラウルだよ」


 言葉無き疑問に応えたのは、傍らのレナーシアだった。


「ここの王様、だった人」

「っ……」


 結局生前の姿を見ることは無かった、南の英雄。確かに纏う蒼の死に装束は、重厚で気品高さを感じさせる。


「いや、でもなぜ、こんな場所に」


 まさかここまで来て――北の王の墓ではなかったのか、とんだ思い違いだったのか。根本が揺らぎ、ぐらついた視線が王の胸元に吸い込まれて、


「……はっ」


 乾いた笑いが、吐息と共に漏れ出したのだった。



 骨と皮だけの腕に抱えられた、雲より白い、オカリナを見つけて。



 キールは震える指で、出来うる限り丁寧に死者の手を退けて、遺物を手に取った。空気のように軽く、手触りはまるで布のようで、そして陶器のように冷たい。


「じいさんの、言った通りだ」


 見間違えようも無いアントラーが語ったその品は、旧王の魂を閉じ込める器――偽りの肉体――一つのカラパイスだった。

 はるばる追い求めてきた品をようやく手にし、キールの言葉は跳ねていたはずだ。抑揚無くとも、表情一つ変わらなくとも、達成感に溢れていただろう。


「………」


 そんな狩人を尻目に、レナーシアはただじっと亡骸を眺めていた。

 螺旋の瞳に煌めきは無く、ゆっくりと蠢く虹彩が死者の姿を焼き付ける。霞のように遠くなってしまった過去に、「クレヴァシアの王」以外の、あるいは「かつての主」以外の、もっと覚えておかなければならなかったはずの、彼を探していた。


「――――シア。――――レナ―――」


 それともやはり、そんなものは最初から、無かったのだろう、か。


「レナーシア!」


 頭の後ろで、白銀の帯がパチンと跳ねた。


「っあ、えっ?」


 ようやく頭を上げたレナーシアに、困惑を映した漆黒の瞳が向けられる。


「やっぱり、限界か?」


 眉根が歪んだキールの声はただ心配一色だ。決してレナーシアの心身の仕組みを知るわけではなかったが、人ならば何百回と死ぬ傷を受けて万全だとは思えない。


「えと、違うの。ちょっと、考えてて――」

「……無理をさせるが、まだ仕事は残っている。むしろここからが本番だ」

「っ大丈夫!」


 娘は感傷を振り切って、健気に力強く漆黒を見返した。気を抜くはずも無い。デズモンドという大きすぎた障害も、入り口でしかなかったのだから。

 キールは腰を落としレナーシアと目線の高さを合わせる。華奢な肩を気付けのように掴み、一言一言を噛み締めるように。


「レナーシア。お前は先にセロンの元へ行け」

「っじゃあ、それが?」

「そう、これが器だ。中に旧王の魂が詰まっているはずの。だが……」


 光彩の明滅の中、暗室を見回しても、棺の他にはめぼしいものは目に付かない。


「……遺骸が見当たらない。こいつを壊せば光彩の奔流は起こるが、魂は元の身体に引っ張られる。敵を巻き込めるか不安だ」


 ズズン……と、部屋の外から大きな崩落音が届いた。部屋の外でもうもうと白煙が湧き上がり、壁でも崩れ落ちたのだろうか。大蛇が暴れたこの墓所も、あとどれほど保つことか。


「ああくそ。不安だが時間も怖い。セロンが死ねば水の泡だ。遺骸は俺が探す。お前は一旦、あっちを助けに行け」

「わかった」


 レナーシアの間髪入れない了承は、肩を握る男を信頼するが故だ。


「いいかレナーシア、ここからが正念場だ。北にも南にも傾かず、現場で状況を見て、自分自身で判断し、行動するんだ。そのカラパイスがあれば動きやすい……なあ、あんた。名前も知らんが分かってるな。後は、頼んだぞ」


 キールが声を掛けたのはもう一人の保護者だ。ガチン!と、白銀の火花で応えた相棒も、また頼もしい。


「レナーシア。どんなことになっても、何が――何が起こってもだ、身を呈して大事な奴だけ守り続けろ。それだけ、それだけでいい。セロンと合流したら吠えるんだ。あの咆哮なら、どこからでも俺には分かる。そうすれば――俺もまた、頑張れる」


 かつて男の心を切り刻んだ音の刃を、今や二人だけの合図して。キールが微かに見せたのは、娘にとってたいそう頼もしい大人の笑みだった。


「お前ならできる。後は、俺に任せろ」

「お願い」

「こちらこそ」


 それだけの言葉を最後に、互いに背を向ける。

 決められた役割のために二人は行く先を違え、あとはひたすらに進むだけだった。レナーシアにとってキールの言葉は、もはや悩むようなものでは無い。


 ただの一度も眼を逸らさなかった奇妙な狩人。森の奥でのじゃれあいも、猟犬のごとき追跡劇も、遠い昔のように感じる。唇に矢の感触を思い返しながら、レナーシアは真っすぐに前を見据えた。


 バチンと白帯が弾け、白銀が身を取り巻く。娘に翼を与えるために。

 レナーシアの瞳は爛と輝き、螺旋は止めどなく渦巻く。

 影とはしばしの別れ。大切で愛しい、あの光を探しに行かなければ。

 今の自分ならば、彼の背を守ることも、できるはずだから。


 セロン待ってて、今――――!









 ――――足が、止まる。


 進む先には死体が一つ転がっていた。ボロボロの制服も、ぼさぼさの薄紫の髪も、虚ろに空に投げられた視線も、もう二度と動かない。


 彼は墓所を散々に傷つけながら戦っていた。壊して抉り、崩して弾いて。

 その結果が先の崩落音だったのだろう。死体の後ろで大きく崩れた壁面は、一人の騎士の必死の戦いの象徴だった。


 こんな年端も行かない小娘一人に、全力を傾けてくれた。

 そんなデズモンドに、レナーシアは感謝する。








 心の底から、感謝する。









 真実をありがとうと。








「そっか」


 つ、とキールに振り返ったレナーシアは、


「それも嘘なんだね、キール」


 ――まったく笑ってはいなかった。







(……くそ)


 男もまた、天空の棺の隣で目にしたのだ。

 無機質に立ち塞がる獣の向こう、墓所の分厚い壁の中、幾重の白磁の石の奥。


(そんなとこに、仕舞ってんじゃねえよ)


 ぽっかりと空いた大穴に、巨大な眼が露になっていた。 

 

 ざらつき逆立った剛毛、ひび割れた表皮。埋め込まれるようにずらりと並んだ、数十の濁った瞳。開ききった螺旋の虹彩は、娘のものとよく似ていた。




『北の旧き王』




 墓所の壁に詰め込まれ納められた、数百メートルの巨大な遺骸が、十五年ぶりに白日に晒されていた。


「確か、そうだったよね」


 レナーシアがコツリ……と踏み出す。


「遺骸を敵の真ん中に、って。そこで解放する、って」


 ギリギリギリと、聞き慣れた引き絞るような音が、開けた空虚に反響する。


「でも、知ってたはずだよ」

「キールは知ってたはず。こんなにおおきい(・・・・)、って」




 アントラーが王の側近だったならば、その正体も知れただろう。必ずキールにも伝えてはずだ、主君の真の姿を、形を。


『――呵々大笑しながら戦場を掛ける美丈夫。巨獣を自在に操り、地を裂き天を割る――』


 ああ、確かに伝えていた。美丈夫、巨獣。どちらが本人だったのかも。



 持ち運べるような、ものでは無かったのだ。

 初めから、破綻していた。




「――――――」


 男の左腕が、鍵となるオカリナを収めた拳が、制止するように持ち上がる。


「………………」


 だがレナーシアが歩みを止めたのは、そんな貧弱な腕のためではない。男の表情を目にしてのことだ。

 苦痛、焦燥、そして後悔。それはそれはたいそう人間らしい豊かな感情だった。


「来るな、それ以上」


 誤摩化しも欠いた言葉は、もはや苦し紛れの懇願となる。


「こっちは、ガキの来る場所じゃない」

「あ、そ」


 しかしレナーシアは聞く耳どころか、言葉すら絶って再び踏み出す。

 元より冗長な会話は好みではない。理解できないおしゃべりに耐えられるほど理性的でもない。もはや死者への遠慮も消えて肩で風を切りながら、カツカツとキールに歩み寄る。


 頭の後ろでガチャガチャと煩いのは「わかっていた」もう一人のウソツキだ。男と同じく引き止めようとするズルい大人を、レナーシアは無造作に解いて投げ捨てる。ガシャンと放り出された白銀の帯はそれきり沈黙した。


 纏まりを失い肩まで垂れた黒髪は自在に蠢き逆立って、その奥で平静に光る純白と妙に対照的だった。


「踏み込むんじゃねえ!!」


 男の叫びは、殻を割ってくれたときとは雲泥の差だった。子どもを怒声で制御しようという愚かな行為。見当違いだ、獣が相手ではなおさらに。

 ならばそれを知って尚、どうして臆面も無く叫んでしまうのか。


「言っただろうが!行けよ!」

「行かない」

「会いたいはずだろ!」

「うん、会いたい」 

「セロンも、クレアも、お前を待ってる!」

「たぶんね」

「今ならまだ、お前は――」

「私は?」



「お前は、被害者でいられるんだ」

「もう遅いよ」



 結局、制止は最後まで届かなかった。説得の壁は容易く破られて、白い掌が男の頬を優しく包む。


「気がついちゃったら、おしまい。嘘も、おしまい。だからね――」


 静かな呟きを受けて、小さく頭を振るう男の表情は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。


「私が、やるよ」

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