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想いは純粋なれど  作者: 宿屋
23/28

紺碧の王

[chapter:22:紺碧の王]



 闇に駆け出した女史から、遥かに離れた北の大城壁。

 繰り広げられる戦いは、古から変わらない数と数の衝突であり、連携の競い合いだ。

 徒党を組み、ジリジリと前後退を繰り返しながら互いの命を削り合うのだ。血気に駆られて飛び出す者は、囲まれ押し潰されるに終わるだけ。

 身一つで軍勢を相手取る。そんな溢れた英雄譚は嘘っぱち。


 強者は、強者同士で忙しいのだから。




「づあああああああっ!」


 黄金の大波が石組みを溶解させる。迫り来る赤熱した飛沫を、ヘルゼは瓦礫を渡ってくぐり抜けた。 鱗の首筋を撫でる死の影に、しかし血気はおおいに沸き立つ。咆哮とともに群青を放つと、セロンの足元の石組みが散け、崩れた。追い討ちに振るわれた両刃を大剣が受け止めれば、衝突の余波だけで床面がべこりと陥没する。


 軍を跳ね退ける大城壁。しかしその一角が、僅か数度の切り結びで形を失ってゆく。爪でビスケットを削るように、易々と。

 知る者はかつての光景と重ねただろう。南の最終兵器と強大な北の民が引き起こした、災厄のような戦火を。セロンとヘルゼの戦いぶりは、まさに大戦の再来だった。


「っだああああああああ!!」


 ヘルゼは雄たけびと共に、降り注ぐ瓦礫と煙の帳に突っ込んでゆく。輝く黄金の外殻も、白熱する光彩も、白煙の中にはっきりと見えるのだ。ヘルゼの両刃剣は迷いなく振るわれて、


「っち!」


 セロンに達する直前、ガリリ!と停滞した。


「小細工をっ」


 ボ、と群青の炎で煙を散らすと、細い「鎖」が露になる。一本二本ではない、ヘルゼが踏み込んだ大城壁の陥没には、無数の鎖が縦横無尽に張り巡らされていた。


(誘い込まれたか)


 無論これもまた『太陽の試練』の武装の一つ。黄金の鎖に包まれた領域は煩わしくも、身の丈を超えるヘルゼの刃に絡みつく。

 ガシャン!と鎖を潜って、黄金の騎士が踏み出した。


「――ふっ!」


 そして次なる刃は、肉厚な山刀――マチェットだ。短い刃は白熱の軌跡を残し、鎖の隙間を器用に縫って、ヘルゼの喉元へ伸びてくる。


「ッだ!」


 ヘルゼは力任せに引いた剣柄で奇襲を弾き、後退。

 しかし鎖に掛かった足元がたたらを踏んで、直後――


 ド、ゴ!!!


「〜〜〜〜〜〜〜!」


 大きくブレる視界。肩当てを通して伝わる衝撃。灼熱する激痛に食いしばった牙が砕ける。

 ヘルゼを横薙ぎに吹き飛ばしたのは黄金の鉄塊――大剣の刀身だった。不明な力で宙に浮き、まるで意志でもあるかのようにヘルゼへその分厚い切っ先を向ける。


 オン!と唸りを上げて、刃の大砲が飛来する。鎖を断ちながら突き進む黄金は、まともに食らえば胴と腰が物別れする一撃だ。


「はっ」


 だがしかし、ヘルゼは空転しながらも不敵な笑みを浮かべた。

 メキリ……骨の胸当てがひび割れ大きく膨らむ。

 唇から覗く群青色は、カラパイスには無効の炎。ならば使い道は別にある!


「ッガアアアアアアアアア!!」


 群青の吐息が吹かれた先は、ヘルゼ直下の床面だ。


(ま――)


 セロンの視界が斜めに傾く。


(――ずい!)


 ここまで大城壁に刻まれた亀裂に大穴――あらゆる隙間に群青は入り込み、溶かし、押し広げる。炎の勢いに持ち上げられた石床は、その質量でもって大剣の刀身を逸らす。  

 しかしまだ、炎の広がりは止まらない。


 ゴ、ゴ、オオオ……!!


 どこか遠く地鳴りの音が轟き、張り巡らせていた鎖がバチン、バチン!、と予兆のように外れてゆく。空間全体が軋み、大きく歪んでいるのだ。

 あらゆる亀裂に群青の火の粉が舞い、やがて「侵食」は終わりを迎える。


 ――崩壊が始まった。


 結合を失った石組みが、怒涛の雪崩となってセロンに襲いかかる!


「戻れ!」


 呼びかけに、黄金の大剣はすぐさま応えた。流れ落ちる石壁を溶かしながら突っ切って、主の手元へ舞い戻り、ガギリとマチェットと一体化する。

 そのままセロンは体を大きく捻り――


「っだ、ああああああ!」


 横薙ぎ一閃。旋回した黄金は、強烈な閃光を放って石の雪崩と衝突した。石と光の押し合いは勝負にもならず、迫る白磁の雪崩はその色をがらりと変えた。

 白の雪崩が、赤き溶岩の高波へと。


 そして太陽の名を冠する鎧なら、熱への耐性は十分。セロンは足元に大剣を突き刺し、溶岩の大波を身に受けた。

 そして、次の一手に思考を巡らせる。


(奴の性質なら――)


 ヘルゼという敵の性格を、分析し、予測する。北城塞を落とした長大な策、部下よりも先んじて前に出てくる攻撃性。

 耐えて、ただ耐えて――前へ!


「っだ!」


 セロンが振り向き様に振るった剣先に、群青は姿を現した。

 ヘルゼはあろうことか、溶岩の海原から飛び出してきたのだ。

 灼熱に身を投じ焼かれながらもセロンの背後へと回りこんで、闇討ちを狙う腕を振りかぶっていた。

 だが振るう刃は読みきったセロンが早い。灼熱の刀身がヘルゼの首に吸い込まれて――


「甘い」


 ――届く前に、動きを止める。


「っ!?」


 剣だけではない、腕も身体も動かない。動かせない。

 セロンの眼前には、愉悦に鱗を歪めた笑みと、残滓のような群青がちらついていた。


(ま、さか)


 ヘルゼが崩し、セロンが溶かした白磁。

 それらは元来、メディウスの山肌から切り出されたものだ。


(っここまで戻るのか!?)


 セロンの全身は灰色の岩壁に覆われていた。身に浴びた溶岩が、ドラコルネの神秘によって懐かしい姿へと「戻されて」いた。

 そしてヘルゼの刃が岩壁を切り裂き、その奥、黄金の鎧へと達して――


「ッ散れえええええええ!」


 瞬間、セロンを固めた山肌は爆散する。

 岸壁を内側から穿って飛び出したのは、大剣から生まれた幾千もの刀身だ。

 円の刃が飛び、短剣が針の雨のように降り注ぐ、長剣は瓦礫を打ち抜き、長柄は大きくしなって薙ぎ払う。鎖、大鎌、巨大な鋏のような奇妙なものまで。あらゆる類の刃物が領域を支配した。

 ヘルゼに迫る刃の嵐も、とても避けられる密度ではない。


「っは!」


 しかしヘルゼは前に出る。大きな刃は外套と鎧で、小さなものは身体で受けて。

 セロンの反撃は身を切る一手であり、大剣を四散させた手元には、一つの刃も残っていない。

 ――素手相手に引くなど、言語道断!

 鱗を貫く黄金に耐え、突進の勢いそのまま繰り出したヘルゼの刺突は――


「っだ!」

「っ!?」


 よもや、無手の両手によって挟み込まれた。白刃を取った手甲はガリガリと削り散らされ、しかしその怪力で刃を確かに抑え込む。

 さらに黄金の大剣――自由に散らせるならば、その逆は?


「戻れ!」


 瞬間、散った全ての刃は回転し、切っ先をヘルゼに向けた。千に分かれようが黄金は元の機能を引き継いで、従順な兵のように求めに馳せ参じるのだ。

 刃の檻に、逃げ場無し!


「ならばっ」


 しかし、まだ終わらない。


「こちらも戻そう!」


 黄金の檻が、散らされる。


「がッ……!」


 まったく意識外からの攻撃だった。刃の檻を薙ぎ払い、メキ、とセロンの横腹に突き刺さった殴打は、キラキラと色濃い群青色だ。跳ね飛ばされたセロンは全身を瓦礫に打ち付けながらも、襲撃者の姿を捉える。


(色、同……種ッ!新手か!?)


 確かにその色は、ヘルゼと全く同じ群青だ。

 巨大な翼が、突風をもって黄金の嵐を凪ぎ散らす。

 太い尾が、大きくしなってヘルゼの身体を取り巻いた。


 だが――それだけだ。襲撃者の肉体はそれだけだった。


 翼と尾を継ぎ合わせたような姿には、手足も胴も、頭すら無い。そんな異形はヘルゼの背にまるで止まり木のように取り付いていて――そのまま食い込むように一体化したのだ。


「久しいな、いい気分だ!」


 骨は鎧に、鱗は外套に。

 だがヘルゼが人の身に収まるために捨てていたのは、まったくその程度ではなかったのだ。

 バキン!と両刃剣が、その中途で分かたれる。二振りを分ければ四つ。両手に二振り、翼の先に備わる爪が、残る二つを握り締めた。



「――『紺碧の王』ヘルゼ=スウィフト。参る!」



 その名乗りが意味するところは、彼女が今ようやく、相応しい姿となったということ。

 広がった翼がブワリと空気を叩く。ぐるんと転回するヘルゼはまるで駒のように、四つの刃と、一つの尾を躍らせた。おおよそ五刀流が螺旋を描いてセロンに迫る。


「づ――お、おおおおおおお!!」


 再び一つに集い、セロンが迎撃に構えた大剣が、


「軽い!」


 バチンと軽く弾かれる。


「づ、ぎ、いいいいい!?」


 ガ、ガ、ガガガ、ガガガガガガガ!

 大剣に叩きつけられる五つ分の連撃には、一瞬の猶予も無い。鈍重なステップも勢いに乗った回転も、もはや人の手では止めようの無い巨大な嵐のよう。

 荒天が、太陽に襲いかかる。


「っ散れ!」


 飛散し飛来する刃の嵐が――


「軽いと言った!」


 翼の一振りで、刺さることなく散らされる。

 

「開け!」


 放たれた黄金の閃光が――


「大雑把だ!」


 切っ先を揃えた四つの剣先に切り分けられて、明後日の方向を焼き払った。


「っまだだああああああ!」


 ヘルゼに次々と向けられるセロンの黄金は、群青にぶつかる度に光の粒子を撒き散らす。しかし光の剣は鋭さはあるが重みに欠け、切り結べば削られるばかりとなる。


「っこの先には行かせない!絶対に!」


 セロンの叫びに放たれた起死回生の閃光を、しかしヘルゼは吐き出した炎の反動で回避した。そのままセロンの横まで回り込み、さらなる回転で黄金を削る、削る、削る。反撃に振るわれるセロンの剣は、二回、三回と、宙を切って終わるだけ。

 拮抗していたはずの戦いが、いつの間にか一方的なものとなっていた。


「何も犠牲にさせない!僕は!」

「……ああ、だろうなあ」


 セロンの叫びを聞き、必死の剣戟をいなしながら、ヘルゼは心底可笑しそうに嗤う。


「だからお前はここに来たのだろう。何も失いたくないから、無くしたくないから。……まあなんとも可愛らしい、子供らしいわがままだなあ」


 嵐の中から遠く声は、目の前の抗う青年ではなく、どこか遠くへと向けられているよう。


「自分の身一つで戦いに参じる。その勇気、さぞかし誇らしかろう。しかし生まれたときから持ち合わせて、煮るも焼くも自由自在。自分を捧げることの一体何が難しい?」


 四つの腕が大きく振るわれる。尾が唸りを上げてかき混ぜる。


「お前に私は倒せんよ。ここにはもう届かない。何も犠牲にできない輩には踏み込めない領域だ。何も失えず、何も終わらせられない。そんな奴では『最終宣言』も期待できん」

「黙れええええええ!」


 ガン、と切り結ばれた刃に、両者は額をぶつけるように突き合わせた。


「だったらあなたは何を犠牲にしてきた!殺し奪うために!」

「我が栄誉。叔父の名誉。地に落ちた天上の誇り」

「そんなもの!」

「傍観するほかなかった時代。失われた者の無念。若者の命。仲間の命。命。命」


 ――燃え盛るセロンの脳裏に、違和感が走る。

 なぜヘルゼが並べ立てられる言葉は、こんなにも冷めているのだろう。ため息に混ぜ込んで無造作に吐き出すように、想いが込められていないのだろう。

 まるでもっと大きなものに、濃すぎる一色に、塗り潰されているように。


「ああ、もう一つ。犠牲にしたか」

「っ……」


 そしてセロンは刃の向こうに見た光景に、思わず息を呑む。

 それは本当に、ほんとうに、今にも泣き出しそうな顔だった。



「たった一人の、夫だ」



『声』が、聞こえた。

 そして、片腕が飛んでいた。



「ギ―――い!?」

「いい男だったよ。逞しく豪胆で、そのくせ酒を飲むと気が小さくなる。口髭の素敵な人だった。結局指輪の一つもなかったなあ。立場がなぁ、悪かった。あんなに一緒だったのに」

「が、ふ」

「愛していたよ。でもあいつは絶対に国を裏切らない。裏切ってくれない。ああ願わくば、私がこの手で切りたかった。決着をつけたかった。若者らの命を散らしてまで、任せていい、ものじゃあなかったなぁ」

「く、ふ」

「なあ、なあ。おバカな少年。お前は捨ててきたのだろ?犠牲にするのが怖くて、支払いが怖くて、ぜんぶぜぇんぶ置いてきたのだろう。身軽だったろうな、気が楽だっただろうなあ。だからこんなに、貴様の剣は軽いんだなあ」


 王宮で泣き、城塞で泣き、そして今尚悲しい。

 その心には一つとして、嘘偽りは無かった。


「ああ、お前に私は倒せんよ」


 ガチン、牙が噛み合う。涙に濡れた双眸は、あまりに強い覚悟に満たされていた。

 持ちうる全てを火にかけて、燃やして踏みつけ乗り越えて。

 ただ「一つ」を得ようとする執念に満ちていた。


「貴様に、私は殺せんよ!」



 置いてきた少女が、見えた気がした。

 そしてあっけなく、セロンの背に剣先が生えたのだった。



「が――――」


 そしてそのまま、突き抜ける。


「――――っふ……!?」


 黄金に染まった体液が、ぱっと宙に散らされた。声もなく、セロンは苦悶に大きく仰け反る。


「っづああああああああああああああ!」


 怒号は黄金の兜からだ。脊椎が断たれようが、内臓を抉られようが、カラパイスは命を繋ぎ止める。それこそ黒結晶の矢でもない限り。

 口から吐き出した黄金に視界を奪われながらも、セロンは音を頼りに腕を振るう。


「足掻くなあ」


 しかしヘルゼはすっかり荒くなった剣筋を軽々と弾き、押し込んで、騎士の両腕ごとへし折った。そのまま首に組み付こうとして、


『撃て!』


 だがそこまで。両者の合間に割り込むように、光彩の砲撃が着弾する。気がつけば外壁が大きく削れて、下界から狙いをつけられていたのだ。


「邪魔立てを」


 ヘルゼは横槍に憤るが、次々と達する砲撃に後退を決める。当たりもしない数任せでも牽制には十分。黄金の騎士は閃光を残して、とうに溶けた城壁の内側へ脱していた。


……

………

…………


『――援護継続。砲撃絶やすな。バルバス様は生存。カラパイスにより回復中。援護継続せよ』


 主力の喪失は回避された。士気への影響も、可能な限り抑え込む。

 しかし、それだけで済むはずがない。


(崩れた)


 クレアの背筋には、消えない寒気が纏わり付いていた。拮抗の維持が最低限の条件だったのだ。しかしセロンからもたらされる状態報告は、


(腹部回復まで、一分二十三秒。右腕の再生には、さらに八分二十秒。許容を超過、埋められない!)


 これまで繋げてきた戦いの流れは、元よりガラス細工のように脆い。たった一つのカラパイスと多数の兵員を天秤に載せて、じりじりと平衡を保ち続けてきたのだ。

 欠ければ、どうなるか。


……

………

…………


「――さあて!」


 女帝は黄金のことなどすっかり忘れたように、城壁を庭にして駆け抜ける。砲撃の雨をくぐり抜け、四つの角を大きく広げて、眼下の戦場に見せつけたのだ。


「皆、よく耐えてくれた!素晴らしい働きぶりである!」


 まさに勝者の演説だった。主からの賞賛に、北の戦士らは諸手を掲げて喝采する。絶え間なく撃ち込まれる光彩すら祝砲として。


「そろそろ始めよう!そして名残惜しいが、終わらせよう!」


 宙に躍り出たヘルゼを、ゴウ!と湧き出た群青が包み込んだ。炎を変幻の帳として、彼女はその身の有り様を大きく変える。

 骨の鎧が肉に包まれ、皮に、鱗に覆われる。両腕は肩を砕いて身体に巻きつき、そのまま胸へとめりこんだ。引き出されたアバラは、ぞろりと揃った大爪と化す。

 背に秘めていた脊椎も解放され、首を長く長く伸ばしてゆく。美麗な顔面を裂いた歪な頭蓋は、これまで手にしていた四つの刀身を吞み込んだ。


 鱗も皮も骨も、翼も尾をも取り込んでも、未だスカスカの構造物だ。切り捨てた分の方がずっと多いのだから。

 それでも、だ。


「Ruu――MaLuKa――」


 尾を鋭く振るい、翼を天に広げて、四つの脚で地を掴む。


「Ruu――MaLuKa――!」


 鱗に覆われた首を立て、四つの角を振りかざす。


「Ruu――MaLuKaaaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!」


 鞘から抜き取られたドラコルネは、天上に轟く咆哮を携え、群青を爆発させた。


……

………

…………



『――防衛線を放棄』




『繰り返す。防衛線を放棄。これより第二陣に移行します。各部隊指定のルートで移動を――』


 変わらぬ平静な指示の裏で、通信網は悲鳴で溢れ、生態反応は真っ赤に染まっていた。

 群青に呑まれた設備が、「人工物」が、次々と機能を止めてゆく。砲門は台座ごと、駆動殻は構えた大盾ごと、曲げられひしゃげて、金属の塊へと還るのだ。内に収まる兵員の身体をも巻き込んで。


(ここまで、ですね)


 必死に維持してきた防衛線を失って、しかし喪失を予期していたクレアは淡々と断ずる。

 もちろん陣は大城壁前の一つではない。主要となる街道を中心として、南の城壁までいくつか防衛地点は用意していた。さらにもうすぐ黄金も復旧するだろう。


 それでも尚取り戻せないのだ。時間も物量も、変数に組み込む数字が増えることは無い。下回ればそれきりだ。

 この瞬間にどうしようもなく、クレヴァシアの命運は尽きたのだ。


(うん。では、『次』です)


 だからクレアは躊躇いなく、「本案」へと切り替えたのだった。

 この戦いは元より「軽い前哨戦」だ。本戦は南からの援軍と、北の後続との衝突。ここまでの争いは本質的に防衛戦でなく、クレヴァシア全体を壁とみなした遅延戦だった。

 以降の目標は、国内に侵入した北の民を分散させ、勢いを削ぎ、援軍のために南城壁を保持することだ。その最中に、無辜な市民を巻き添えにしながら。


「……本当に、馬鹿みたい」


 それは彼に向けた悪態だった。

 カラパイスは元より遊撃での運用に長けた兵器だ。拠点防衛にはそもそも向かない。国内に入りこんだ敵軍を密かに撃破していった方が、露見も遅く、遥かに行動しやすかった。



 しかし、街を戦場にしたくないと、人々を戦火に巻き込みたくないと。

 それは、青年の子どもじみた我が侭だったのだ。



「っ」


 暗闇の中、分かれ道を前にしてクレアは立ち止まる。

 一方の先は破壊された光彩の生成施設だ。設備を修復し光彩を準備することは、次の戦いを優位に進める必須条になる。

 そしてもう一方は、たった今終わってしまった戦場へ続く。燃え尽きようとしている、愚かな黄金がいる場所へ。


 迷っている時間は、ない。

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