また異なる戦場で
草影に潜む光点が、ジラジラと瞬く。
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――
鋭い牙を鳴らす符号が同胞に届き、全員が一斉に動き始めた。
ザワザワザワザワと、数百の脚を備えた体躯は黒い外骨格に包まれて、しかし柔らかく、そして平たい。
北の民の中でも特に隠密に長ける『百肢の民』、あるいは「ダンサー」。
映し身を脱ぎ捨て地面を這い進む姿は、そのまま巨大なムカデの姿だった。
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――
本国に残ったカラパイス兵を闇討ちで根こそぎにし、さらに主要な光彩生成施設を破壊。彼らは既に与えられた任務を終えていた。
その上でこうして集ったのは、予定されていた行動ではない。命令が来ないのだ。
通信が奇妙に途絶えて数刻、その原因は目の前にある。
――オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ――――………ン
東の森に潜んだみそぼらしい塔。いや、偽装された音響式光彩生成所が、唸りを上げてクレヴァシア全土に光彩の嵐を生んでいる。濁流に舟が呑まれるように北側の通信も巻き込まれ、滅茶苦茶に乱されているのだ。
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――
百肢の民は独自の判断を迫られ、結果、満場一致でここに集った。
謎の塔は南の通信の要でもあり、その破壊は北の勝利に与する。最後の仕事に相応しい。
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――
百の脚は音も無く目標まで接近する。轟音と熱で、塔内に潜む数は捉えられない。しかしこれほどの大規模奏術、十数人の優れた奏者がいるはずだ。
それでも名に戦の舞を冠する我ら。白兵戦に持ち込めば必ず勝利できる!
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――
罠に備え攻撃役は数人。他は距離を置き包囲する。
感付かれた気配もない。ぞろりと並んだ爪先が、舞踏に備えてじっとり蠢いた。
――ォオン!
大きく響いた唸りに隠し、扉に爪が突き立てられて!
カチッと小さく、断末魔が残された。
百の脚が、纏めて吹き飛ぶ。
扉を壁を、天井をやすやすと裂いて溢れ出した、莫大な光彩。秘密の塔は一瞬で眩い光の柱と化し、その高圧で攻撃部隊を四散させた。
ズ、ウウウウゥゥゥ……ゥン……
山にこだまする地響きを残し、燃える紙吹雪となった大量の書籍に彩られながら。
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――『残念だ』
犠牲となった同胞に、包囲部隊は悔恨を滲ませる。
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――『罠、だったか』
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――『しかしこれで、連中の通信網は途絶える』
――ッチ、カ、カッ、チ、カ――『成果はあった。同胞の冥福を――』
過剰な光彩の花火は視線を集めた。
爆発の振動は、迫る「地響き」を覆い隠した。
――ガヂ!『皆!逃げろ!』
罠には「本命」があった。
風の取り入れ口に逆流した光彩は、メディウスに埋められた金管を爆散させ、広範囲に渡って山肌を引き剥がす。
――ッヂ、ヂガ、ガッ、ガヂッ――ガ――――――……!
東の森全域を呑み込む地滑りは、集った戦士らを逃すこともなく、一人残らず呑み込んだ。
(――よろしい)
クレヴァシア「本国内」の地下水道を駆けながら、クレアは塔からの光彩が断絶したことを確認する。さらに届く、ズズン……と微かな地揺れ。光の無い通路で足裏に受ける振動は新鮮だ。
(やはりダンサーの小隊。あの範囲なら十分巻き込めたでしょう)
狩人のもたらした試料で明らかになっていた、国内に潜む『百肢の民』の存在。その隠密性を鑑みて準備した、賢人の塔を餌しての一網打尽の策だった。
作戦は見事に成功。
しかし――
「……ごめんなさい。先生」
対価は決して安くなかった。
師が集めた書籍、高価な資料、命より貴重な論文。知識と研究の殿堂。
弟弟子と学び合った机、寝る間も惜しんだ研究成果、狩人から贈られた香辛料、あの子のお気に入りだった、天井の梁。そして形無い、もっと多くの大切なものも。
そんな場所を、自ら永遠に消し去っての成果。
「………」
クレアは言葉も無く、唯一持ち出すことのできた荷を目元まで持ち上げる。握りのついた手鞄のような、金属製の直方体だ。鈍く反射する面に、失意に沈んだ顔が映り込んで、
「――っ下らない!」
情けない表情を、クレアは強く奥歯を鳴らして掻き消した。今、過去を慈しむような時間は許されない。通信網の断絶は、そのままクレヴァシアの死に繋がるのだから。
「っ!」
哀愁を払うように腕を振るうと、ガギン!と鉄の箱が展開する。伸ばされた細い四角錐の先端に、粘性の光彩が迸る。大量の光彩を納めるそれは巨大な光彩筆――いや、杖だった。
『筆記杖』とも称される、師ナタリアの遺品だ。
クレアは盛る感情をそのまま杖先に乗せ、ガンと水道の壁に叩き付けた。
『【接続】』
鋭く、閃光が弾ける。
『全兵員に通達。回線をローカルに』
賢人の塔無しでの通信回線は、
『――こちら一番了解』
『――二番、切り替え』
『――三番、応答願います』
『――四番、こちらも――』
確かに届いた。
超高出力で広範囲をカバーする通信手法は、範囲内の各種奏術にも影響を与えてしまう。敵の通信妨害など逆手に利用するならまだしも、平時には使われない代物。
本来は中継点を置き、順繰りに光彩を送るローカル回線が主流だ。
だからこそ敵勢力は主要な中継点を破壊して、通信を断ったのだろう。
しかしクレアは早々に抜け穴を見つける。
『――下記地点に放棄した駆動殻は、新規中継点です。移動を禁止します。繰り返す――』
兵にあらかじめ各地に配置させておいた装備が、ここで生きてくる。
活動のため光彩が貯蔵され、さらに通信の送受信機能も備える「駆動殻」。それを一定の間隔で配置し波長を揃えて、即席のローカル回線として組み上げたのだ。
もっとも策が成功した裏で、疑問は禁じ得ない。
(こんなもの、初歩中の初歩だ)
緊急時の通信手段として、軍事学校でも習う知識。当然ヘルゼが把握していないはずがない。
(内部工作に穴がある。なぜ?)
確かに数が多く日々調整を受ける駆動殻への工作は、時間も手間もかかる。しかし逆を言えば、そのどちらもあれば可能だったはずだ。
(時間的な制約があった?急かされた?一体何に――)
『クレア!』
『っ!』
『通信網はあとどのくらい――がっ!』
何を曖昧な考えに耽っているのか。死闘にあるセロンの問いは、戦いの熱を帯びて叫びに近いというのに。
『十五分!持ちこたえて!』
その時間は、鎧に貯蔵された光彩の寿命だ。回線が鉄屑に戻る前に、次の手を打たなければ!