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想いは純粋なれど  作者: 宿屋
21/28

大海を知らぬ者たち


『――感あり!北城塞より接近。到達、すぐ!』


 唐突な敵襲の報は、隠す気もない巨大な光彩反応として露になっていた。クレアが実行中の全命令を上書いて同時通達に踏み切ったのは、その猛進に、鮮烈な群青を見たためだ。


『接敵、三秒前、二、一』


 ドン


 カウントと相違なく、大城壁の大門に両者は激突する。

 バヂバヂバヂバヂバヂ――と、刃の狭間で閃光が弾ける。鮮烈な光に照らされて二つの視線が交錯した。


「――――――――――――!」

「――――――――――――!」


 互いに衝撃に襲われて、二人の戦士は息を止める。振り下ろされた肉厚の刃と、受け止めた灼熱の刃。南を黄金とするならば、北に立つのは色濃い群青だった。


「先ぶりだな、紛い物の英雄よ!」


 ヘルゼの苛烈な口上は、偽りを脱ぎ捨て真の姿身で語るものだ。


 今や全身が生々しく鱗に覆われて、ヒトの肌色は僅かに残るのみ。

 熱気を受けてブワリと広がる外套もまた、分厚い鱗の塊だ。その下には纏う鎧は骨格を模しているのか、特徴的なひび割れを刻む層構造と、表層に流れる群青の光彩はドロドロと血潮のよう。腰になびく布もまた、肌から剥がされた生皮のように光彩に湿っていた。

 骨、皮、鱗、そして血。金属の質感はどこにもない、生命の脈動が刻まれた、まさに息する鎧。無機質な黄金の騎士とは、対峙するほどにその違いが歴然としていた。


「―――――――っだああああああ!」


 騎士の咆哮に合わせ、切り結ばれた剣戟がギャリンと豪快に離れた。

 大気を灼く無骨な大剣に対し、ヘルゼの得物は特異だ。両刃剣とでも呼ぶのだろうか。柄の両端から伸びる肉厚の刃を、左右に二振り構え、合わせて四つの刀身となる。


 その形、弾かれた剣先を引けば、同時に逆の刃が跳ね上がる。

 鈍重な大剣では受けきれない奇怪な剣筋を――


「ふっ!」


 ――セロンは一息、「身の丈のロングソード」で受け止めた。

 手にしていたはずの大剣は、騎士の背に侍るように浮いている。新たな刀剣は、なんと大剣の内から引き抜かれたものだ。


「はっ!」


 だが突如持ち替えられた得物を前に、ヘルゼはとっくに心得ていたと笑う。弾かれた右を流れるように翻し、さらに左を振り下ろして。ゴウ!と二撃合わせた十字の剣筋は、一本の剣では到底捌けない!


「っだ!」


 ならば「二本」で受ければ良い。ロングソードが閃光とともに分かたれて、ヘルゼの両腕を跳ね返した。次にセロンが選んだ刃は、薄く軽く速い、二振りの剣だ。


「っ!」


 四つの剣筋を全て捌かれ身を離そうとしたヘルゼに、さらにガツンと衝撃が追いすがった。セロンの手にする剣柄から、まるで石弓のように「打ち出された」黄金の刀身が、骨質の脛当てを払ったのだ。


 まさに変幻自在――変形自在。

 体勢を崩したその瞬間、セロンは機を逃さない。


(開け!)


 主の意思に応えたのは背負った大剣の刀身だ。ガギン!と先端から裂け四方八方に伸ばされたのは、長さも形も異なる無数の刀身だった。

『太陽の試練』の大剣は、それ自体が千の刃を束ね固めたもの。

 広がった千手の黄金は、まさに太陽の意匠そのものだ。


「――――っ!」


 ヘルゼは牙を噛み締める。千剣の中心から放たれようとしているのは、北城塞を同胞ごと焼き払った強力無比の閃光だ!


(待ち構えていたかっ!)


 大仰な一撃は躱すのは容易い。だが彼女の後ろには、大将の一騎打ちを呼び水に北の軍勢が自然と集っていた。隙あらば主君に手を貸し、壁になろうという勇士らだ。ヘルゼが退けても彼らが焼かれる。

 光彩を大量に喰らう技は使える回数も限られるために、セロンは確実な成果を狙ったのだ。

 ヘルゼか、その他の大勢かと。


 兜の向こうに蒼い瞳がじっと見透かす。

 どうするのか?と、問うように。


「舐めるな小僧!」


 ガッ――!

 黄金は躊躇い無く弾け、豪快な叫びはさらなる大轟音に掻き消された。

 再び大地に太陽が再現され、世界は漏れなく白に塗り潰される。

 吹き荒れる熱の嵐に転がる死体どもは骨も残らず、草木は撫でられるだけで灰と化す。

 あらゆる存在を拒絶する光は、群青をも完璧に呑み込んだのだ。


「……っ!?」


 しかし結果、息を呑んだのはセロンの方だ。


 黄金の渦の奥で、黒く爛れる鱗の外套に。

 薄まりゆく光の残滓の向こうで、煙を燻らせる骨の鎧に。

 太陽が去り、陽炎に照らされて立ち上がった、天上の王に!


「――ハ、アアアアアアァァァァ……!」


 城塞を一撃で滅する灼熱を、ヘルゼはあろうことかその身で受け切っていた。大きく息を吐き出せば、牙の覗く口元にジリジリと火の粉が漏れ出す。その色は蒼天より色濃く、闇より真っすぐ透き通るもの。


「では、こちらの番だ」


 ゴ!と放たれた群青の火炎が、黄金の鎧を包み込んだ。


 ――鉄をも溶かす灼熱の吐息……その伝聞は正確ではない。

 ――それは神秘の炎。人の術を焼き尽くし、しかし、地に咲く花弁は揺れるのみ。

 ――群青の炎は、「人の手で作られし」全てを破壊する。


「っ!」


 カラパイスの外殻は光彩の塊であり、群青に呑まれても何一つ影響はない。

 しかしセロンは見開く眼に焦りを浮かべる。この一撃の狙いは、自分ではない。


 ぐにゃり――と、城門が、大扉が、落し戸が捻じ曲がる。

 燃焼でも溶解でもなく、まるで異物を差し込んだように柔らかに「押し退けられた」のだ。荘厳な城門が空洞と化して、歪にじわじわ広がる様は、門扉自ら北へ道を開けたかのようだった。




「――大城壁大門、破断!」


 絶えない群青に穴は広がり続け、南の軍に衝撃が走る。しかし焦りや戸惑い、憤りすら、平静な声に均されるのだ。


『総員。これより戦闘を開始します』


 総員――そう、これまで他の兵らはバルバス、もといセロンの守りの裏で遊んでいたわけではない。その人数と精緻な統御によって、門扉の先の広場に巨大な陣を形成したのだ。


『一、二番、【段階】光彩壁。【展開】出力三十。三、四番、簡易光彩砲【解除】』


 現地の光彩供給を繋ぎ、城門を囲むような光彩壁を組んだ奥、簡易な光彩砲がずらりと並ぶ。盾と矛を揃えればもはや近づくのも難しい防御陣であり、さらに何より頼もしいのは、砲列の背に置かれた金属の「塊」だ。


『五番、重装機動殻、待機状態【終了】――【起動】』


 ゴォォォン……と、重厚な金属音を響かせて、巨大な影が立ち上がる。

 それはまさに鉄塊の巨人だった。大量の光彩を消費し、動きの全てを機械式に賄う駆動殻は、最大級の決戦兵器だ。三メートルはあろうかという大盾が隙間無く並べば、一国の城壁と見紛う程。


 広場を染める光彩を血潮とするならば、広場は今や文明仕掛けの心臓。

 同時に破られれば最後、国が死に至るクレヴァシア最後の砦。


『構え。砲撃、合図待て』


 平坦な指令の直後、ドン!と歪んだ門扉を吹き飛ばして、二つの人影が広場に転がり込んだ。


「―――――――…………!」

「――――――……!」


黄金と群青が縺れ合うように地を奔り、特大の熱波が大気を焼けば、四つの角が熱気を乱す。両者は間合いの内にほとんど密着して、脚さばきだけで互いの剣を躱している。


『司令部、援護は――っ』

『合図待て。繰り返す、合図待て』


 拮抗する大将同士のせめぎ合いに、それでも砲は火を噴かない。

 やがて破れた大門から「後続たち」が踏み入ってくる。


「O!Rou!Wo!」

「WOOOOOOOoooooOOOOOOOOOH!!!」


 北の戦士らは雄叫びを上げ、主君に助力をと我先に飛び出したのだった。


(数、十分!)


 遥か彼方でクレアは戦局を俯瞰した。

 大将の一騎打ちは二人きりで完結している。ヘルゼの狙いがセロンでなかったように、南の陣が相手取るのもまたヘルゼではない。


『攻撃【開始】!』


 ズン。と砲から高射された光彩の塊は、光彩壁を飛び越え重力に従い弧を描く。この度の砲弾は光の帯ではなく、粘性を持つ重たい液状光彩だった。


 バフゥウウウウウ!

 着弾と同時に気化した光彩は、踏み入った北の兵を包み込む。柔らかな光彩の霧ではとても北の民を穿つ事はできない。しかし――


「――GA,AAAaGaaaaAAAA!」

「――Ruu――Gu!GiiiiGOOOooooGOOO――GooOOO!」

「――RumaRU!Ru――maa――a……」


 ――蒸し焼きにするのだ。肌を絶え間なく突き刺し、目を腐らせ、肺を溶かすのだ。

 苦痛に踊る集団の内に、既に大将二人の姿は無い。示し合わせたように砲撃から飛び退いて、そのまま大城壁の壁面に戦場を移していた。

 気化光彩は空気より軽く滞留しない。猛毒の霧が晴れれば、再び城壁の穴から標的が這い出てくる――さらに追加の一斉砲撃――それが液状気化弾のセオリーだ。


 ズン!ズン!ズン!

 だが、なぜだ。霧の帳が色濃いままに、砲撃を止めない者がいる。


「っは、はははっ!」


 敵が苦悶する姿に陶酔でもしたのか。とにかく数撃てば勝利に繋がるとでも考えたか。絶えずトリガーを引き続ける兵の耳に、怒声が届いたのは遅すぎた。


『―――めなさい!撃ち方を止めなさい!何をしている!視界を埋めるな!』

「へ、え?……ッブふっ!?」 


 迂闊な兵は直後、光彩の帳を引き裂いた巨大な腕に叩き潰されることとなる。


「OhGOOOOOOOOOOOOOO!」


 血肉のこびりついた拳を振り上げ、鬨の声を上げたのは石の巨人――副官マルネアだった。大きく振るった腕でさらに兵を宙へ散らし、光彩壁に身体ごと突っ込んで穴を開ける。

 霧の向こうで、北の陣形はとっくに切り変わっていたのだ。前に出たのはマルネア率いるトルケルロスの軍。褐色の表皮もその中身も無機物だ。肉を腐らせる気化光彩は通じない!


『っ五番【前進】重装機動殻!地点B、C、E!』


 やや語調の乱れた指令を受けて、ドン!と巨躯同士が衝突した。重装機動殻が三人掛かりで盾ごと押し込み、ようやくマルネア一人に拮抗する。


「Goo、Ooo、AAAAAAAAAAAaaaaaaAAAAAAA!!」


 いや、足りていない。なんという重量、そして怪力か。ずずずと鉄塊が押され始め、鎧の関節が甲高い悲鳴と火花を上げる。


 ――しかし僅かな停滞にこそ、砦の頭脳は回る。


『【緊急】光彩再分配。三十、五、十五、五十【適用】【即時】』


 オォン!と光彩が色濃く迸り、鎧の足裏はビタリと静止した。さらにそのまま押し返す!

 南の兵器の能力は、割り振られる光彩の量にこそ左右される。限られたリソースを必要な分だけ、必要な場に送り込む采配によって、光彩兵器は真価を発揮するのだ。


「―――Gou……」


 素早い対応に、流石のマルネアも身を引かざるを得ない。着弾する光彩を重たいステップで避ければ、追撃の砲は並び立った同胞が壁となって跳ね返す。液状光彩の直撃ですら、褐色はその表層を溶かす程度だ。


(っ、なんてこと)


 なんとか窮地を乗り切り、光彩供給を切り替えて損耗を収拾しながら、クレアは苛立ちを隠せなかった。晴れなかった光彩の霧で状況を確認できず、このザマとは。


(本国の兵員のくせに。気化光彩が視界を妨げるなんて常識でしょう!)


 過去に幾度と、クレアの同僚らを蔑んできた「エリート」たち。それが蓋を開けてみれば、なんと中途半端に無能なことか。


『練度【下方修正】。精度【下方修正】。教書より四十五項目を原則破棄――恐らく習得できていない。作戦案を変更。配置【変更】』


 だからこそ思うのだ。今こうして動かしている兵員が、東城塞の面々ならばと。


『【警告】演算遅延。思考領域をさらに分化。【警告】処理負荷六十八から七十六に増加――【無視】』


 夜は酒に浸り、しかし昼は、日々必要十分の堅実な訓練をこなしてきた兵員たち。彼らならばリソースの管理だけに注力できる。そして煩雑な現場の指揮は全て、あの男に、一任できたはずだ。


 あの男に。

 あの、人に。


「あ……」


 脳裏に恋しい皮肉な笑みが浮かんで――


(……っだめ――思考に、雑音、は――)


――瞬間ちらりと、光が瞬いた。

 妙に作り物じみた、赤光だ。


『――っ光彩壁!出力を――』


 結果、遅れる。


「……え?」


 現場の兵員が呆けて目にしたのは、パックリと裂けた光彩壁と、落ちゆく視界に映る自身の下半身だった。


「あ、い、ごぶ……」


 ぼとぼとぼとり。横一文字に両断された半身が他愛も無く地に落ちて、激しく臓物と鮮血を吹き散らす。


『光彩壁出力っ六十!【即時】!』


 光彩壁がその色をより濃く厚くして、直後、再び敵陣から細い光が照射された。鮮血より赤い光線に熱は無く、しかし光彩の膜を容易く引き裂く。


「ひっ!」


 しかし、今度は抜かれない。恐怖に身を縮めた兵に、赤い刃は届かなかった。


『報告、【損耗】七。不足人員を後衛より補填。敵勢の情報共有――警戒【赤光の民】エンベルト』


『赤光の民』――エンベルト。トルケルロスの背後に並ぶ、黒色の毛の塊だ。体毛の海を掻き分けて埋まるルビーに似た鉱石は巨大な目玉のようにおぞましく、同時にひどく美麗だ。それは光彩を極限まで圧縮する器官であり、光彩壁を兵員ごと薙ぎ切った刃の射出口なのだ。


 砲弾をその身で受け止め、びくともしないトルケルロス。

 強固な壁に守られながら、絶えず光彩壁を穿つエンベルト。

 褪色と赤光はそのまま城壁と砲台として、動く城塞となる。


(種族間の連携。これが大戦で南側を苦しめた)


 北の民が種族ごとに南に抗していた時代、あしらうのは容易かった。高い能力に反して弱点もまた多かった。

 しかし『北の旧き王』の元に異種族が集い互いを補ったことで、南軍を撃退せしめたのだ。


『陣形。光彩壁出力二十。重装駆動殻【前進】。光彩砲、光線照射【換装】【継続】』

『O,Rou!Embulee,Rimu–ru!To,Rouress,Rimu–Ruta!Rumu-Dora-Cole!』


『【開始】!』

『Ru,MaLuKa!』


 砲撃を受け止めるトルケルロスと、大盾で赤光の刃に抗う鉄の巨人。双方とも防御の要が前に出たことで、戦いの方向が定まる。

 両軍の狭間を無数の砲撃と赤光が交差する、超近距離での凌ぎ合いだ。


(光彩壁は赤光に弱い。駆動殻の物理障壁でとにかく接近を防ぐ。白兵戦は圧倒的に不利だ)


 驚異的な身体能力はどの北の民にも共通する。近づかれ組み合っては必死だろう。

 この距離を維持し、均衡を保つのが最低限だ。


『光彩供給を再割り当て。新規人員の練度を確認。駆動殻の損傷を調査。【開始】』


 被害はこれで最後にしなければならない。クレアは乱雑な思考の海で、細く細く集中を寄り合わせる。再び「切り替えた」思考には、もう軽薄男も、獣の娘もいなかった。


(綻びを、許すな)


 大門は早々に明け渡された。この広場が、最後の堰となるだろう。



……

………

…………



 何度目だろうか。ブチブチと不快な音を聞く。


「っづあ!」


 払うように振るったレナーシアの爪は、腰を落としたデズモンドの頭上に空振った。さくり、と蛇腹が娘の華奢な腹部に分け入って、しかし薙ぐこと無く引き抜かれる。傷は小さく、しかし――


 ブツブツ……ブチ――

 抜かれた紫銀の刀身に連れられ引き出されたのは、白い繊維質だ。

 剣士が血のりを剥がすように腕を振るえば、引き剥がされた娘の一部は白い靄となって宙へと消える。


「こ、んっの!」


 レナーシアは片足で地を掴み支点として、苛立ちをそのまま蹴りとして横に薙ぐ。しかし脚を伸ばしたときにはもう男の姿はない。

 デズモンドは蹴りとタイミングを合わせ、くるりとレナーシアの背後に回り込み、流れるように支えの脚を薙ぎ切っていた。


「っあ」


 足首を失いバランスを崩した娘の喉に、さらに鋭く刺突が迫る。レナーシアは頭を振って躱すものの、刃は首の側面にわずかにめり込む。そして――

 

 ブツ。


 ――――ブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ。


 切断ではなく、千切り取られる。

 なぜなら紫銀の刀身は鱗状の刃の集合体だ。細かな刃の隙間は、肌に擦るだけで繊維質を絡み取ってゆく。


「――――!」


 レナーシアはもはや声も無く床面を叩いて飛び退いた。しかし剣の間合いから出たと思えば、脇腹右腿と、蛇腹の追撃が突き刺さる。逃れようと体を捻れば、不快な感触と音が、また。


(からだが――)


 距離があれば蛇腹の鞭はなんとか躱せる。空気を裂き迫る追撃にステップを合わせながら、レナーシアは身体に残る不快感を噛み締めていた。


(からだが、軽い)


 どれほど奪われたか。

 二度目の衝突から長らく経つが、レナーシアの攻撃はまともに当たってくれやしない。デズモンドの身のこなしはレナーシアの一手一手を先読みし、剣先は娘のあらゆる動きに隙を見つけ突き出される。一度の傷で失われる身体は僅かだが、何百回と重なれば話は別だ。


 痛みはない。傷も塞がる。切り落とされた足首も既に形を取り戻していた。

 しかし、


「っ、うっ――!?」


 逃げるレナーシアに蛇腹を振るう片手間に、執拗な剣士は、残された娘の足首を刃で巻き取り粉砕した。


「あ、うぅ……」


 瞬間、レナーシアの身体に駆け上る喪失感。霧散した身体にはもう繋がりが感じられない。

 未だ感覚が残っているのは最初に失った両腕くらいか。何処かに落ちているだろうが、もう回収する余裕もなかった。


(ぐ……)


 対峙すればするほど知れる、はっきりとした実力の差。

 それでもレナーシアは切られ削られながら、突破口を探るため挑戦を繰り返してきた。

 しかしもとより使える時間は無限ではない。遠く地上で繰り広げられている戦争に、果たして決着がつくまでどれほどか。


「――――――――――――――――――――――――――――っ」


 レナーシアは、決断を下す。




「むっ?」


 デズモンドは伸びきった蛇腹を引き、刀剣へと戻した。

 敵の行動は唐突だった。身を翻した獣はデズモンドに見向きもせず、壁を蹴って上へ上へと昇り始めたのだ。


(逃げる?今更?)


 確かに展開は一方的だったが、それでもあの獣は先まで萎えも見せず、絶え間なく攻め立てていた。ここで場を変えることにどのような意図があるのか。


(時間か?)


 確かに最初の衝突から随分と経っている。このような地底では知り得ないが、恐らくそろそろ日も暮れて――


(そうだ、時間が経ちすぎだ。なぜ誰も来ない?)


 想定ではもうとっくに、この墓所まで北の軍がなだれ込んでいるはずだ。

 北城塞に続けて西城塞、東城塞を落とし、北城塞の砲で大城壁を破って、そのまま本国に侵入。まともな指揮系統もないクレヴァシアを一方的に蹂躙し、南側の城壁を奪取。後続の本隊と合流し、南諸国の援軍を迎え撃つ――それが敵軍の思惑のはず。


 だが天を見上げても、獣すら消えた空間は静寂そのものだ。

 戦い以外に目を向ける余裕が生まれれば、改めて疑問も沸いてくる。

 そもそも、あの獣は何者だ。


(戦士、ではないのか?)


 外観や格好だけならば北の文化と説明がつく。子どもの姿に偽る種など幾多ある。しかしいざ剣を交えてみると、肉体の性能に頼りきりで動きがあまりに素人臭い。


(追うか、追わざるか――)


 デズモンドが迷う理由は、彼が墓所に立つ理由が『旧王の遺骸』だけではないためだ。この周囲を壁に囲まれ密閉された限定的な空間は、デズモンドの『剣山の探求者』その「とある機能」が最も威力を発揮する。

 北の軍勢を、丸ごと相手にできるほどに。


(いや、行こう)


 しかし彼は早々に初案を放棄する。

 地上で何か特異な事態が起きているはず、北の軍勢の足を止める何かが。

 確認しなければならない。


「ふんっ」


 デズモンドは蛇腹を高所の柱に突き刺し、収縮させて身体を引き上げる。縄を投げるように掛けては持ち上げるを繰り返し、遥か地上を目指した。


(――大丈夫だ。私は落ち着いている)


 ガツンガツンとリズミカルな浮き沈みを感じながら、デズモンドは結局、目的だったはずの黒鉄の扉には一瞥もしていなかった。


(履き違えてはいない。一人で行路を確保するには、まず状況の把握とあの獣の排除が必須だ。遺骸の確保は、本当の最後に回すべきだ)


 そんな言葉、遺骸の「確認」すら失念していてはただの誤魔化しだ。今のデズモンドの頭にあるのはただ一つ。墓所から出た先、きっと目にするだろう光景だけだった。


「………」


 第三師団――学院での笑い声を思い返す。若い世代に技を伝える日々は実に多忙だったが、それでも楽しかった。クレヴァシアに連れて来た四人も、優秀な――そう、優秀な子らだった。


(彼らの敵を討ち、北の兵を出来うる限り、始末する)

「それくらいは許されましょう。陛下」


 昇り進む道に障害はなく、天に達するのも早かった。


 ガチン!

 鞭が剣に戻る音が、デズモンドの思考を切り替える。温かな追憶は霧散し、目に入るのは上へと伸びる階段だけとなる。この先が、教え子らの初陣の場だ。

 待ち伏せされるならばここだろうと睨みをきかせて進む。




 そして――




「―――――――――――」


 ひゅ、と冷たい怖気が、身体を通り抜けた。




「……な―――――――?」

「―――――――れ―――――」

「―――――――――――――――――。」




 空いた口は何を語ったか。いや、声は出せなかったか。ただ息を吐き出しただけか。

 どれにしろ漏れ出たのは、確かに悲鳴だった。


 分かっていた。敵が墓所まで降りて来た、それは上に置いてきた教え子達の敗北を意味すると。

 理解していた。

 理解していた。


 理解していた、つもりだった。


「あ――」


 王宮の白磁は無地のキャンパス。

 子どもが塗りたくった、赤い絵の具。

 グチャグチャねちゃねちゃ。


「き――――――」


 あちこちに赤い小石。てらてらと光る。

 白い陶器の破片。細かに砕ける。

 五つに割れる。柔らかい枝。

 転がったボールがこちらを見ている。 


「が――――――」


 何度も何度も、叩き付けた。

 分割して、まき散らした。

 ひっくり返して、折り畳んだ。

 押し付けて、擦り、削った。


 ――そんな赤い広場で、乙女はその腕を広げていたのだ。


「――どう?」




 全てが吹き飛んだ。




「貴、様ァァァアアアアアアァァアアアァァアァァァァ!!!!!!!!!!」


 喉を怒号が切り裂いて、真っ赤な視界に飛び出した。

 強烈な殺意を映し、両の剣は音より速く振るわれる。


(教え子を!傲慢!冒涜を!恥ずかしめ!―――許さぬ!)


 どれだけ頭が煮え滾ろうと、体が覚えた剣筋は誤らず、鋭い軌跡はガツンと獣の両肩にめり込んだ。

 それでもやはり冷静さは欠いていたか。引く切るより先に繊維質が圧縮されて、肩口にめり込んだ紫銀が捕らえられてしまう。さらに獣の尾が、外殻に巻きついた。逃がさないようにと、しゅるり、ぎりりと――まるで蛇のように。


(なら、ば)


 デズモンドは両手を軽く捻り、パキンと蛇腹を中途で断った。引き抜けないなら捨てればいい。折れた短い刃でも、間合いは十分。獣の両腕は、ほとんど千切れて抵抗できない。


(首を)


 落とすため、必要な分だけ振りかぶる。

 ぐいと漆黒の尾が引かれて、獣はその顎の奥に鋭利な牙を見せ付けた。

 バリ、と兜の頬当てが牙に剥がされ、視界に久方の光が舞い込む。肌に直接感じる熱気、咽せ返る血の香りもまた久しい。


 ――足掻くなよ化物。

 ――貴様の爪より、私の剣の方が速い。


 外殻の有無など関係ない。

 最短距離で刃を振るう。

 躊躇いは無かった。

 躊躇う理由も無かった。

 ただ、


(――こ)


 ただふと、これほど近くで、獣の瞳を見た。


 奪った紫の板金を噛み、こちらを見上げてくる瞳に色はなかった。

 悪意の黒も、敵意の赤も。

 ただただ白く、無垢なまま。 


(――子、ども)


 目の前の、無色透明の幼子。

 場に立ち籠める、どす黒い悪意。




 ――――――――――――――――――ズレている。




「――づっ!」


 勘だった。

 違えればそのまま娘にくびり殺されていただろう賭けでもあった。

 それでも咄嗟に持ち上げたデズモンドの指先は――飛来した「矢」を捉えたのだ。


「き――……」


 横目で認めた小さな矢尻は、闇夜のように光を返さず、瞬く星空を閉じ込めていた。

 そんな横槍は隠れた「もう一人」の証明であり、


「貴様かあああああああああ!」


 それこそ「黒」の正体。

 驚き固まった娘を蹴り飛ばすと、緩んだ尾は容易に離れた。デズモンドは先とはまた違う、冷たい怒りをもってして大地を蹴る。



 敵であれど剣を交えれば、その内の愚直さも分かる。

 娘は異人で化物だが、それでも子どもだった。

 敵の動揺を誘うため亡骸を弄ぶ。

 そんな悪意は、まさしく汚い「大人」のもの――!



「っ!」


 遥か高みの梁、紫銀を突き刺した漆黒の外套から、卑怯者が躍り出る。

 手放さぬようにと左手に縛り固定された大弓。硬い黒髪に特徴的な顔立ち、そして能面の如き鉄面皮は、デズモンドも知るものだった。

 無理な依頼を唯一こなし、連絡を寄越した男。ヘルゼの正体を掴む鍵をもたらした男。


「ぐ、ぶっ」


 かといって剣が止まることはない。友でも仲間でもないのだから。

 男の口から苦しげな空気が漏れ出る。心臓に伸ばした剣先は分厚い鉈に逸らされて、しかし肩口にズブリと潜り込んでいた。さらに腹部に向けたもう一本は難なく肉へと滑り込み、そのまま横に引き裂こうとして――


「キール!」


 寸前にレナーシアの蹴りがデズモンドを跳ね退けた。剣先もまた引き抜かれ、キールは反動に大きく前のめる。


「が、は…っ」


 耐えきれず漏れた男の声は苦悶に満ち、がっくりとその場に膝が落ちる。きっちり捻って抜かれた刃は肝臓に致命傷を残したはずだ。支柱を背中で砕きつつ受け身を取ったデズモンドは、剣先を揃えて高らかに嗤う。


「痛いかね!キール君!」

(かばうか――)


 そして間を置かず、追撃に飛び出す!


(――それともっ!?)

「ふっ!」


 デズモンドが突き出した二本の剣先は、跳ね上がった娘の脚に弾かれた。その反動をさらに受け流しつつ切り上げれば、幼なげな顔面がぱっくりと割れて……しかし娘は気にもせず、男の襟首を足の指で引っ掴み、後方に放り投げる。


「っ見事!」


 その武勇を称えるも、弱者を庇って生まれた隙にデズモンドは容赦なく斬撃を加える。

 滅多切りを身に受けながらレナーシアは一息に飛び退いた。斬られながらも脚を絞っていたのだろう。追撃の間に合わない強烈な跳躍だ。


「キール!来て!」


 レナーシアが伸ばした救いの手をキールは必死に掴み取る。娘はかつての城壁を越えたときのように男を尾で固定して、狭い梁から飛び出した。

 壁面を全力で駆ける娘を狙い、唸る蛇腹が次々と逃亡の軌跡に穿たれる。


「ぐ、ぶ」


 縦横無尽に飛び回る衝撃を受け止めきれず、キールの喉奥から血が漏れ出る。腹の傷からもまた絶え間なく血潮が吹き出し、絶命まであと僅かの猶予しかない。

 しかしキールは傷口を抑えることもなく、震える手で一本の矢を抜きとって――


「が、ぎ……づああああああああ!」


 思い切り、腹の傷に突き刺したのだ。


「っ!?」


 突然の自傷行為に、デズモンドは蛇腹を振りかぶりながら目を見張る。


(気でも触れたかっ)


 しかしカラパイスが強化した視力が、男の行動の真意を知らしめる。すぐに抜きとられた矢からは矢尻が――小さな黒い結晶が消えて、そして傷もまた跡形も無く消えていたのだ。


(あれは)


 瞬間、デズモンドの冷たい怒りに、また別の冷気が差し込まれる。


(あの矢、まさか――)


 キールは二つ目の矢で肩口も癒し、血の気の失せた顔でデズモンドを睨みつけていた。その目は確かにデズモンドの紫の外殻を探るもの。

 正確には、装甲の「隙間」を。


(間違い、ない!)



『アントラーの矢』



 大戦で討たれたカラパイス兵はゆうに三百を越えるが、その大半は『枝角の王』アントラー=カームルートの手によるものだ。

 確かに、強靭な甲殻を破る剛弓だったという。しかしカラパイスの恩恵である生命力を前にして、矢自体の威力は問題ではなかった。


 真の脅威は、カラパイスの回復機能を「無効化する」――漆黒の矢尻だ。


「貴様、その矢、一体どこで手に入れた!」


 カラパイスを殺しうる武器を前にして、デズモンドの叫びに恐れの色は無かった。むしろ驚愕、そして歓喜に満ちている。

 大戦中、最後まで正体不明だった北の最終兵器。その起源はフロイストの求める最高の情報なのだ。


「っこの期に及んで!また仕事が増えるとはっ!」


 主の昂りに合わせて蛇腹もまた踊り、駆ける娘の踵を削る。が、まだ止めきれない。

 脚をひどく抉られながら、レナーシアはキールを申し訳なさそうに見上げるのだった。


「キール、ごめん!もうちょっとだったのにっ」

「心配ない!とにかく走れ!」


 起死回生の一手を、寸前で止められてしまった責はキールにある。まさかレナーシアという強大な戦力が、丸ごと囮であると気づかれるとは。

 先に仕留めた四人は、全く見抜けなかったというのに。



 熱に燃えるキールの脳裏に、祖父の言葉が蘇る。




『これはなぁ、本来あるべき姿へ帰す力だ。傷に用いれば、それを瞬く間に消し去る、強き癒しの力となろう』

『しかし、小さき器に強大な力を詰め込むような邪法に用いれば。なぁキールよ。幼き星よ。どうなると思う?』

『巨獣に化けたネズミが、心の臓だけ「直れば」如何様に。あるいはネズミの身体に、巨獣の心臓を詰め込めば』

『結果は、知れたことだなぁ』




 たった数センチの隙間ですら、キールの前では致命的だ。

 黒結晶を射ち込まれ、強制的に「生身」に戻された肉体は、カラパイスの性能に耐え切れない。


 ある者は爆散し血煙に、ある者は業火に包まれ、ある者はパチンと裏返った。そうして全員が、狩人の死角からの一撃で絶命していったのだ。それすら、目の前で暴れる娘の仕業と思い込んだまま。

 デズモンドの教え子らの戦死は、一つとしてレナーシアによるものではない。


 悪意に満ちた赤い舞台、遺体を損傷しばらまいたのも、異常な死因を隠そうとしたキールの思惑だ。もちろんデズモンドへの心的なダメージも狙ったが、兵団の長ともなれば思い通りになってはくれない。

 迫り来る紫色の鎧に、もはや矢を射かけるような隙は無かった。

 だからこそキールは手探りに矢筒を数えながら、レナーシアに背中越しに声をかけた。


「お前も、もっていけ!隙を見つけたらぶちこんでやれ」

「だいじょぶっ」


 しかしレナーシアは快活に断ると、裂けた薄布しか残らない胸元を示す。もっとも、キールにはそれが「胸奥」であると伝わった。


「……よし。レナーシア、いけるか」

「がんばる!」

「っ俺もだ」


 隙が無ければ、作るしかない。達人のカラパイス兵相手に素人二人が取れる策など、娘が剥がし、狩人が射止める、それくらいしかないのだ。


 レナーシアが大きく振るった脚を基点に、キールは直上へ跳び上がる。上階に逃れるように身を隠した瞬間、床面を蛇腹が次々と貫いた。転がるように串刺しを避けると追撃は止み、今度はデズモンドとレナーシアが、比喩でなしに火花を散らして、床を丸ごと吹き飛ばす。


 策は弄され、あとは役目をこなすだけ。

 キールは残る矢を数えながら、二人の化物が巻き起こす瓦礫の嵐を全力で駆け抜けるのだった。


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