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想いは純粋なれど  作者: 宿屋
19/28

北 太陽の試練



「―――――――!」


 甲高い断末魔が、青白い光彩の嵐に消える。ドロドロに溶ける兵の一群を目の当たりにして、大城壁の駐屯兵は蜘蛛の子を散らすように逃げ回った。もはや統率は残っていない。


「っ頭を出すな!下がれ下がれ!」

「隠れても壁ごと焼かれますよ!なんで光彩壁が無いんですか!」

「補給パイプが切られたんだ!だから砲も――」


 カッ、と何度目かの閃光が瞬き、詰め所を壁ごと消し飛ばす。下半身だけを残した二人の兵は、そのまま炎に包まれた。

 戦いの舞台は北の大城壁。威厳を誇る白磁の絶壁は、しかし今やあちこち焼け焦げ溶かされ、見る影もなくなっていた。


「撃てぇ!」


 大城壁を穿つのは光彩の奔流、最新式の光彩砲。その出所は他でもない、奪取された北城塞だ。

 本来なら北方の平原に向けられるはずの砲門が、今や全ての矛先を南のクレヴァシア本国へと向けていた。


「装填!」


 反撃しようにも、大城壁側の砲は光彩が断たれて照準すら動かない。通信も繋がらず、カラパイス兵も現れない。さらに西城塞の陥落に、宰相バルバスの死の報せまでが重なる。

 クレヴァシアの最後の守り――士気高く、数質共に北城塞に並ぶ大城壁は、そのように容易く牙を折られていた。


 ヘルゼは攻略を終えた西城塞から、そんな総崩れを満足げに眺めていた。


「マルネア。残りは?」

「十分だ。ほぼ破壊できた」


 副官の石の面はもちろん硬いが、口ぶりは穏やかだ。大城壁の砲を壊し尽くして一段落。後は門扉さえ破れば、カラパイスを欠く南軍など圧倒できるだろう。


 クレヴァシアを奪えば兵站も城壁も手に入る。きな臭いフロイストとの関係もあって、あれには南側にも対抗できる設備も整っているのだ。後続の同胞と合わせれば、急ごしらえの南の援軍など容易く撃退できよう。

 戦いが終われば、世界の門は北の民のものとなる。


「ス――――……」


 ヘルゼが大きく息を吸えば、鼻孔を突くのは焦げた石と血の匂いだ。女帝はじっくりと戦場の香りを味わい、噛み締める。


(ようやく、実を結ぶ)


 長かったと思う。

 群青――いや、『紺碧の王』のアズールからスウィフトの家名を継いだ頃は、まだ成人してもいなかった。マルネアを初めとする歴戦の勇士らに厳しい目を向けられて、それでも敬愛する叔父を思えば苦にはならなかった。


 叔父は最期まで職務に忠実な人だった。

 戦いに背を向けた枝角の臆病者とは違う。

 病には勝てず主神の元へ昇ったが、今も天空を巡り見守ってくれているだろう。


 ギ―――イイイイィィィィイイイィィィィ―――……


 ヘルゼの追憶を断ったのは、石を擦り合わせるような不快音だった。褐色の民トルケルロスの叫びが、遠方から同族のマルネアへと届けられたのだ。


「――ヘルゼ。『百肢の民』から連絡が入ったそうだ。暗殺は成功。残り五つのカラパイス兵も無力化できたと」


 その吉報に、にいいとヘルゼの唇が愉悦に満ちる。


「光彩施設は?」

「破壊も成功したらしい。だがフロイストの勢力、アングィスとその部下らは行方が知れないらしい」

「問題ない。奴らはもう、この戦には関わらん」


 デズモンド=アングィスの一派は、元より戦争に来たわけではない。北城塞での激突が、群青と紫色の、最初で最後の対峙だったのだ。


「今頃、皇帝陛下殿への土産でも探しているのだろう。はっ、せいぜい持ち運べるものだと良いな」

「城塞の捕虜はどうする。とても牢が足りんぞ」

「首を落とせ。と言いたいが、交渉には使えるな」


 将の才覚は勝利の後にこそ、それも叔父からの教えだ。戦わずして頭を垂れてきた西城塞兵はヘルゼの最も嫌悪する部類ではあったが、先を考えれば使える武器は多い方が良い。


「必要な分だけだ。後は処分しろ」


 それでもしっかり線引きはする。残す分は残し、不要な要素は削ぎ落す。

 ヘルゼは戦いに温情を挟む司令塔ではない。そして北の文化に非戦闘員という言葉は無かった。


「さあ侵略の時間だ。砲撃を一点集中。狙いは大城壁、大門。一撃で終わらせろ」


 機は熟した。後続が到着する前に、風穴を開けてみせよう。


「クレヴァシアの面の皮を破るぞ!」



……

………

…………



【――一斉砲撃、用意】


 ひっきりなしだった砲撃が唐突に止み、戦場に不気味な静寂が訪れた。

 砲門が一斉に回転し、狙うは大城壁の大門だ。大城壁はもはやただの的だが、そもそも物理的な障壁として最大級。ちまちま撃っていても抜けはしない。

 だからこそ砲撃を集中させ、修繕の隙も与えず突破するのだ。


【光彩壁から出力を共有。充填完了】


 しかし北城塞もまた、デズモンドのひと暴れで無傷ではなかった。半壊した生成施設では砲撃の光彩を賄いきれず、一時的にでも防御機能から回さなければならない。

 もっとも、守りの帳が薄まるのはほんの数秒のこと。


【砲撃、開始!】




 だがそれは、『致命的な数秒』だった。

 大城壁の頂点がチラリと光って、

 直後――





 ―――ガッ!





「!?」


 戦場に強烈な閃光が迸った。

 風景から色を奪い、白黒に塗り潰す莫大な光だ。

 突如の閃光は一筋の光線と化して、北城塞へと突き刺さる!


「――――――――っ!?」


 眩い黄金は城塞を包みこみ、灼熱をもって抱き締める。無造作に薙がれた光の爪先に、強固な石組みも並んだ砲も一瞬で溶け落ちて、居合わせた北の戦士らは断末魔ごと焼き尽くされた。


 さらに、止まらない。


 北城塞を両断した黄金の刃はそのまま大きく薙ぎ払われ、大地を真っ赤に焼き切りながら、遥か遠方の西城塞にまで達したのだ。


「逃げ――ヘル――」


 遅すぎるマルネアの叫びは掻き消され、ヘルゼの視界が黄金に染まって――




 振動と轟音を沸き起こし、黄金の奔流は、西城塞の光彩壁によって防がれた。

 互いを徹底的に削り散らして、消え去った。


「――――」


 ほんの一瞬の出来事。まるで、白昼夢だ。

 しかしドロドロに溶け落ち、跡形も無い北城塞。山間に吸われゆく残響と、平原を横断する真っ赤な一文字が、確かな破壊の痕跡として残されていた。


 唐突に襲いかかってきた死が、同じく唐突に回避された。

 北の戦士は誰もがあっけにとられ、腰を抜かしたまま動けない。


「―――………」


 そんな中ヘルゼだけは、一歩も変わらぬ立ち姿をしていた。

 部下らは堂々たる背中に息を呑む。



 だがしかし、彼女もまた驚愕していたのだ。

 奇襲への動揺でも、灼熱の威力への狼狽でもない。

 あってはならない姿を、閃光の出所に捉えていたのだ。




 大城壁の頂点に立つ、豪奢な鎧を。




 高温を発する黄金の装甲。

 表層に走る光彩は溶解した鉄のように白く、周囲の大気を歪ませる。

 ゴツゴツと鈍重で、板金というより金属の塊。しかし鋭い意匠の兜や、炎ごとく揺らめく鶏冠は――背に負う赤熱したマントは――握られた巨大な剣は――確かに騎士の装いだった。



 その甲殻は、南の最終兵器、カラパイス。

 その指輪――否、鎧の真名は『太陽の試練』

 かつて大戦で北の戦士を焼き尽くした灼熱、その使い手はかつて、クレヴァシア随一の武人だった。


(バル――バスっ!?)


『通信回復。全兵員に通達します――』


 ヘルゼの背筋が凍った。断ったはずの光彩通信網から漏れ出た言葉に――実に平坦な女の声に聞き覚えがあったのだ。そして敵陣まで通信を飛ばす意図を考えると――碌なことではない。


『こちら、クレヴァシア代理通信。襲撃により負傷されましたが、バルバス様は健在です』


 健在。その言葉に呼応して、ドンと、大地が揺さぶられる。


『繰り返す。宰相バルバス様は、健在です』


 大城壁の頂点に、第二の太陽が現れた。

 クレヴァシアの何処からでも目に入るその場所で、黄金の騎士が剣を突き上げた姿は、あまりに象徴的だ。大戦を生き抜いたクレヴァシアの士官は、その黄金を、灼熱を知っている。


 ならば、騙りは真実となる。

 真っ赤に染まった地図に、奇跡の蒼が差し込んだ瞬間だった。


「っ……」


 北の兵の動揺が伝わってくる。ヘルゼを見上げる視線に浮かぶのは、不審だ。

 反対にクレヴァシアの戦意は強く燃え上がっていることだろう。バルバスの名を叫び、兵が互いを鼓舞する光景がありありと目に浮かぶ。

 当然だ。バルバスの死を材料に、両者の士気を操ったのが数刻前。

 ならば不審を払拭するには声高に主張するしかない。あれは宰相を騙る偽物である、と。


「マルネア、行くぞ!」


 しかしヘルゼは何も語らなかった。命令も忘れて階下に飛び降り、脇目も振らず歩き出す。急ぎ追随するマルネアの表情も険しいものだった。


「あの男、生きていたとは!よもやあの傷で!」

「違う。あれはバルバスではない」

「では誰だとっ!『太陽の試練』が動いた以上、あの男以外ありえまいっ」


 当然の考察だ。カラパイスは強大な兵器である一方、扱いが非常に困難だ。

 まともな会得に二十年、才能ある者でも丸十年。そのため兵器としての能力に対し、使える者はごくごく限られる。


 バルバスの『太陽の試練』

 デズモンドの『剣山の探求者』

 あるいはラウル王の――『北風の旅人』


 使い手は常に一人きり。鎧の中身が別人であるなど、だれが信用するというのか。

 しかしヘルゼは確信する。


「お前は、見ていない」


 知っているのだ。初めて触れた剣を自身の得物とし、手足のように扱った才能を。


「――セロン、フィロスタリア……っ!」


 あの場で殺しておくべきだったと、ヘルゼは北城塞に向かう脚を早めるのだった。



……

………

…………



『バルバス』の活躍により難を逃れた大城壁だったが、未だにその大門が攻防の要であるのは変わらない。押す北の軍勢と、押し返す南の駐屯兵だ。


 しかし北城塞の同胞が殲滅され、北側の足並みは明らかに乱れている。

 一方の南の軍は実に統率が――取れすぎていた。


『防衛、一番から五番は後方へ。工兵へ換装。広場に防衛戦を築いてください』


 出所不明の指令に、しかし誰一人として疑問を挟もうとしない。駆け回る兵の足に迷いは無かった。


『六番から十番、奏者と戦員に分割、部隊を再結成。奏者は指定の光彩壁を復旧。戦員は指定地点から光彩を収集し、瓦礫を撤去してください』


 兵員が兜に受け取るのは、綿密な戦域図と、厳密な指令だ。向かう先もやることも分かれば、あとは走るだけ。疑問など立ち止まるから生まれるのだ。


『十一番から十三番、駆動殻を放棄。厩舎より馬を回収。指定地点に向かい家屋を破壊。通りを塞いでください』


 そして兵員が自由に動けるのは、敵が絶えず襲い来る大門に目を向けなくてよいためだ。

 そこは黄金が踊る舞台。


 鋭い鱗が、分厚い皮が、石の殻が、断ち切られる。

 肉が焼かれ、骨が砕け、鮮血は滴る前に蒸発する。

 腕が、脚が、胴が首が、身体から離れて地に落ちる。


 ブオン、と広く振るわれた大剣が、赤熱した石を飛ばす。熱に悲鳴を上げた戦士を両断し、死角をすり抜けようとした二体を、さらに回転一閃、物別れにした。

 背に迫った棍棒を灼熱のマントで焼き削り、使い手の巨漢を、そのまま腕で刺し貫いて押し返す。骨肉を溶かし、背から突き抜けた掌底が、強烈な純白に膨らんだ。


 ガッ――と、何度目かの閃光が、北の戦士を焼き払う。



『バルバス様の戦闘範囲は危険です。補助に徹してください。彼の後退に備えて』

『一番三班。光彩爆発により二名負傷。十番四班、奏者を指定の場へ。救出を』

『三番五班、指定地点へ武装を運搬。指定の商館から馬車を供出してください』

『二十秒後に十二番五班が到着。爆破されるまで待機を。十二の五、復唱を』

『五番班員。装備を切り替え。提示地点で三の五を待ってください』

『三番四班。完了次第後――『六番二班、北西に――『十二番総員次の箇所――


『――『――『――『―――『――――『――『――――。』


 動く者らは、気が付かない。全ての指令が同時に飛ばされていることを。全てが同一の音声であることを。彼らは、中央の指令部からの、複数の人員の統率を受けていると思い込んでいる。



『――セロン、あなたはおしゃべり禁止。声はさすがにバレるから――』



 軍の通信を乗っ取った、軍役でもない一人の小娘のものだとは、誰も思わない。




 オン――…


 彼女の所在は、名もない東の森の奥、小さな小さな石の塔だった。


 オオン――… 


 賢人の塔。狩人を受け入れてもてなした学び舎が――轟音に包まれる。


 オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ――――………ン




『出力最大』


 反響する唸りの出所は、塔の地下を走るパイプ。土の下で伸ばしに伸ばされた金管の行く先は、誰も正確な在処を知り得ない、メディウス山脈の洞穴だ。


『クレア。光彩は足りているかい?』

『ええ、良い風が吹いてる』


 クレアが喜ぶのは、メディウスの山肌に絶えず吹き付ける豪風のことだ。山肌の洞穴に吹き込んだ風は金管を通り、唸るような振動を生みながら賢人の塔まで届けられる。


『でも動いてくれてよかった』

『整備だけはきちんとしていたじゃないか』

『だけど、こんな大規模なの他にないでしょう』


 そう、他に無い。こんな大規模の『楽器』など。


 ――生成機か。随分と古いようだ――


 狩人がそう尋ねた金属の塊。四方八方に伸びるパイプ群と無数の弁が、呼吸するようにパクパクと開閉を繰り返す。風を音に、音を曲に、曲を光彩に変換する巨大な音楽機械は、今は亡き賢人の遺産だった。




 ――光彩技術の興りは歌にある。稚拙な口ずさみから引き起こされる奇怪な現象は、太古から存在していた。今となっては、調子や音階が光彩に影響を与えると証明されたが、魔法や呪いと同列にされた時代もあったという。


 ――歌でなく『音』そのものが有効だと知られてからは、「楽器」へと潮流が移る。大衆が音楽を扱い、奏者が歌姫にとって代わった。奏術の誕生だ。


 ――時が経ち人が増え国が広がり、光彩の消費も増える。人の手では間に合わず、やがて機械が生み出された。




 その一つが、自動演奏の「管楽器」。

 大小幾多の金管を組み合わせ、大量の空気を流し、爆音を発する構造物。

 賢人は山肌を丸ごと、それに改造したのだ。

 研究の名目で国費を使い、何の記録にも誰の記憶にも残さず。

 故にヘルゼの破壊工作を間逃れていた。



 オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ――――………ン


 轟音に震える書架の下、クレアはたった一人で立っていた。屋内であるにも関わらず、光彩の渦にパタパタと服がはためいている。


「…………」


 足元から絶えず湧き出る光彩は、クレアの周囲に青白い球体を象っていた。その内壁に投影される、無数の線、点、記号。知識を持つ者なら、それがクレヴァシアの模式図だと知れる。


「…………」


 昆虫のように蠢く印の軍勢に、クレアは顔すら向けていなかった。目を閉じ口を噤んで、棒立ちだ。ただ彼女の側頭部に浮かぶ円形の紋様――大小異なる複数の円弧だけは、ガチガチと騒がしく回転して、火の粉に似た粒子を舞い上げている。


「………っ…………っ…………」


 ピクリと震える瞼。垂れた腕先で、中指が奇怪に痙攣する。呼吸は長く薄い。

 クレアはまさに、夢想の中にあった。


                  

                   ――それは随分と、無機で冷たい夢だ。




      『――指定』に指示『三番六番――』


『後退要因――要員』『敵性判断::【削除】

                 『七番五□□残量確――』『補填『補填』

          【座標】653『損傷を報告、順次―――【許可】そのまま直進』

   『――損害□□』 『後退 08 六十秒         【段階上げ 2】

 『□二番から五『求む    『許可しませ』――直進=南北』――

    【削除済み】『総数  確認――指令し 【待機】 『過剰分――

           ――**通信を接』『補填』『――【無視】救援を送りまし』

         01了承』

 了承』以降、拒否――』『□□』

          【処理済み】四番六::『部隊――以降』010  【破棄】

   『□04【関連】『――雑音の記録してく』05

             『:――に狙い『成します』項目確定』『及び』

    『あの子 六番――?』

  大丈夫でしょう『【削除済み】』機能

      『を集中――【破棄】八番に依頼『【許可】』□□07確認しまし――?

  □で□【提案】あ

    の子は『四の四:  移動―【開始】ナーシア』020 13ま【新規】

                ::【代理】□□――『このまま

 【交換】:  □327:【指定】並列に


              【接続】――『:: レナ63ある【枯渇】

                            ――ありません==

  四番から□番『【復唱せよ』


レナ                 

         シ              

            ク』――並びに』聞こえる――』


             『クレ――


                          ――レアかい?』



『クレア、大丈夫かい?』

『っ!!』


 奏術を、思考に直結させる。


 そんな処理は、一歩間違えば脳を焼かれる危険極まりない行為だ。より高い情報処理能力を求めた結果、かつて数えきれない廃人を生んだ手法だ。

 それでも賢人は、技術を弟子に伝えた。



 ――温い技では、いずれ遅れをとるでしょう。

 ――身の長けに合わない偉業には、命を担保とするものなのです。



『慎重に。無理しないで』

『それ、あなたが言うかしら』

『……ごめ――』

『もう黙って戦ってなさい。あなたも私も、自分で選んでここに立っているの。それに悪いことばかりじゃない。光彩を好きなだけ使えるのって、なかなか――爽快』


 音を介さないクレアの言葉は実に弾んでいた。街一つ分賄える光彩量を、小さな脳で消費し続ける。正気の沙汰ではないが、クレアは奏術に関しては端から狂人だ。致命的な綱渡りを快く楽しめるほどに。


 そう、綱渡り。

 一人は最前線で北の戦士を食い止め、一人は自身を担保に防衛線を組み直す。

 離れた二人は、互いに異なる死地にあった。


『先生がいれば、きっと一人でなんとかしたんだろう――ねっ!』

『右前腕部に損傷、支障無し。089【戦闘】【続行】。私たち二人だからできることもあります。さすがにあの人も、二カ所同時に存在はできないでしょう』

『いや、あの人ならわからないなぁ。避難誘導はどう?』

『誘導できる余裕はありませんが、何とか通達は終えました。東地区と西地区の市民は、順次南側へと移動します』


 今ごろ、リマンドを初めとした東地区の顔見知りたちも、南に向かっているだろう。本来ならそのまま南城壁を超えて、国から脱して欲しいくらいだが――


『やっぱり繋がらない――とっ!』

『さらに敵影あり。090【迎撃】。――無理ですね、北側に全力で出力不足です。王宮にもギリギリ届きません』


 命令を偽装でもしない限り、南城壁が避難民のために門扉を開け放つようなことはない。有事のたびに国民が勝手に出入りする国など、秩序が保たれないだろう。

 恐慌に追われた人々が城壁に押し寄せ、暴徒として友軍から武器を向けられる――最悪の事態になる前に、その必要を無くしてやらねば。


『防衛線は?』

『十五分、持ちこたえて』


 軽い調子の作戦会議の裏側で、異なる回線から悲鳴が届けられる。


『司――令部!連中、壁をよじ登ってきます!』

『【了解】七番一班から八班、準備完了。九班、秒読み――【爆破】』




「……姑息な」


 大城壁の頂点部が爆ぜ、瓦礫の山が壁に張り付く北の戦士を飲み込んだ。勇敢な戦士が児戯のように散らされ遅遅として進まない攻城に、ヘルゼだけでなく侍る副官も嘆息する。


「あの手を使われてはな。どうする。城壁が削れて無くなるまで待つか?」


 マルネアの言葉は冗談半分。ならば残りは本気であろう。

 北の大城壁は異名の通り「絶壁」だ。崖崩れを自在に引き起されてはたまらない。爆破を防ぐための牽制砲撃も、黄金の閃光で失われてしまった。


 城壁を越える手は残されている。戦いの歴史は長く、光彩技術が生まれる以前にも攻城戦はあった。防衛陣を築いて頭を守りつつ、愚直に前進。時間はかかるが堅実で確実。マルネアは本隊の到着を待ち、数を揃えて攻略すべきだと具申したのだ。

 しかし、


「それでは間に合わん」


 ヘルゼはにべもない。

 今まさに着々と、北の本隊、そして南諸国の援軍がクレヴァシアに集結しつつある。大城壁を奪う前に衝突が起これば、壁を持たない北側が不利になることは目に見えているのだ。


 いや、不利どころではない。

 壁を登らざる負えなくなったそもそもの要因、大門を堅守するあの騎士が、背に助けを受けこちらに踏み出す余裕が生まれたら。

 一体どれほど、殺されることか。


「……『角』と『骨』を、持ってこい」


 大城壁の突破は絶対条件。今障害となっているのはたった一つ。


「マルネア。死地に出る。続け」

「ええ、どこまでも」


 強者一人に手こずるならば、こちらも強者が出るだけだ。



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