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想いは純粋なれど  作者: 宿屋
18/28

枝角の王

【後編】あらすじ


終わってしまった戦いを、まだ終わらせたくない者たち。


黄金を得たセロンは、クレアを携えて結末を変えようと戦いに出ました。

ただ一つを選んだレナーシアは、道を求めてキールを案内人に選びました。


でも結局誰が何を得ようが、何を失おうが、物語の結末は変わりません。


これは勝利の物語。

ただ一人、レナーシアの勝利の物語。



『アントラー=カームルート。通称、枝角の王』


『森の民を纏める首領であり、北の旧き王の片腕として「紺碧の王」と肩を並べました』

『森の民は樹木表皮に似た皮膚を持ち、体液は樹液と同質ですが、黒くてタール状です』

『アントラーは特に頭部の角が発達しており――レナーシアっ、ちゃんと座って聞きなさい!』

『セロン!ちょっとこの子の椅子になってて頂戴!もう、そんなの後でいいでしょう!』


『……ほら、本を開いて、105ページ』

『彼の戦果は、主にカラパイス兵に対するものが挙げられます』

『大量のカラパイス兵を打倒した手法は未だに不明で――ええ、そうねセロン』

『一説では特殊な薬品を用いて、カラパイスの内部構造を破壊し――』


『――大戦の終局で、姿を消しました。しかしその危険性から未だに……っレナーシア!黒墨は食べ物じゃありません!ほら、ペッしなさい、ぺっ!』

『っいえ、まぁ確かにあなたなら影響は――じゃなくて、マナーの問題です!』

『っ先生!あなたも笑わないでください!この子にはもっと社会常識がですね――――』



……

………

…………



「あぁーーーーーーーーーー……」


 遠い記憶から舞い戻ったレナーシアは、邪魔っけな木の根を脚で弾き飛ばして、隣を走る男をまじまじと見つめた。道なき斜面を滑り降りるキールの頭に乗るのは、短い黒髪だけだ。


「でもキール、角ないよ」

「お前も眼が白いだろう」

「……?」

「血の繋がりなんて、どうでもいいってことだ」


 南の民の庇護を受ける、北の民。北の民に育てられた、南の民。隣立つ二人の、違いであり共通点だ。


「それにだ。角なら一応ここにある」


 そう言ってキールが指し示したのは、背に負った大弓だった。レナーシアは改めて僅かに漂う独特な香りから、その正体に気が付かされる。


「あ!それ、おじいちゃんの?」

「森の民の文化だ。本来は生え変わった親のものを貰うらしい」


 不可思議にねじ曲がった大弓の素材は木材のように見えたが、全くの別物。削り磨いた巨大な角だった。どんな大木や鉱物よりもしなやかで強い、狩人の相棒だ。


「昔じいさんは旧王に仕えてた。戦後、クレヴァシアで遺骸が利用されていると知って、たった一人で乗り込んだんだ。取り返そうとな」


 レナーシアは一飛びして滞空しながら、キールの語りに耳を傾ける。


「結果は大失敗。なんとか戻っては来られたが、そのときの傷が長引いてな。死に際に、後を俺に託した」

「……ふぅん」


 レナーシアは煮え切らない反応を残して、やがて道の終わりが近づく。

 森を抜ければ、クレヴァシア東側の城壁だ。これまで何度か通った城門だが、現状であの二人無しに抜けられるはずもない。抜け道を探さなければならなかった。

 もちろん「絶壁」の異名を持つ北大城壁ほどではないが、城壁は城壁。超えるのは至難の技だろうと隣のレナーシアと――


「行くよ」

「あ?」


 ――相談する前に、キールの体は浮かび上がっていた。


「オ、イッ!?」


 大の男を軽々と持ち上げたのは、腰に巻き付いた頭尾だ。そのままレナーシアは、走りの速度を緩めることなく跳び上がる!


「――――――――ゲェ!」


 呼吸が止まる。

 漏れ出た呻きは、圧縮された肺から押し出された空気だ。

 全身を襲う圧力に、キールは思わずレナーシアの身にしがみついていた。頭二つは小さい肢体にまるで縋るようにして。

 耳元を轟風が流れてゆく。草木が流線となって視界を覆い、瞬きの間もなく開ける。

 そして眼下に小さく細く、城壁が映ったのだ。


「――っ……っ……っ――――――!!」

(ど、こ、まで――!?)


 かつての跳躍の比ではない、世界を見下ろす、人が目にできるはずない光景。襲い来る過度な浮遊感に内臓が置いていかれたかのよう。叫びたくとも呼吸無しでは悲鳴すら上がらない。

 クレヴァシアを天から一望する壮大な光景も、目にすると同時に抜け落ちて――


「――――――――――――――――――――――――――あっ……」


 結局滞空は数秒もなかった。

 思いのほか穏やかだった着地に、しかし頭尾が解けると同時、キールは無様に尻餅をつく。


「………」

「キール」

「……あー、うん、助かった」

「どういたしまして」


 足が震えを確かめつつ、キールはふらふらと腰を持ち上げる。

 そこは見張り台か何かなのか。二人が立つ場所はクレヴァシアの街並みが一望できた。東の居住区には人影もまばらで、騒ぎのような騒ぎも無い。まだ状況が届いていないのだろう。もっとも、大城壁の向こうに黒煙が上がっている以上、静かなのは今だけだ。


「キールさあ。なんでおじいさんのこと隠してたの?」


 つまらなそうな流し目での、レナーシアの詰問はもっともだ。キールが説明していた遺骸を欲する理由には、アントラーの名やその立場が抜け落ちていたのだから。


「私のこと、信用してなかった?」


 ぶっきらぼうな問いは非難めいている。遺骸が目的とまで暴露したのなら、その背景も教えてくれれば良かったのに、と。先の乱暴な運搬は、きっとその不満の裏返しだ。


「信用、してたんだよ。だから話さなかった」


 だが隙の無い視線に当てられても、キールは悪びれず肩をすくめるだけだ。


「お前は絶対に、俺の正体や目的を他に漏らさない、そう信じていた。なら背負う秘密は軽い方がいい。『クレヴァシアの大敵の身内』よりも、『イカレた老人に付き合う酔狂な男』の方が、負担は少ないだろう」

「別にー」


 返事はにべもない。つんとそっぽを向いたレナーシアは、頭尾で鋭く風を切ってみせる。


「どっちもどっちだよ」

「勘弁してくれ。本当は、お前をここまで関わらせる気もなかったんだ。状況が二転三転して、結果的に情報が小出しになったことは、謝る」

「じゃあもう誤摩化し無しだからね!教えて、ぜんぶ!」


 そう、今のレナーシアは、真に「やりたいこと」のためにここにいるのだから。

 真実を知る狩人に道標を期待して。


「わかった。ただ本題に入る前に、旧王について知っておいて欲しいことがある」

「なあに?」





「――北の旧き王は、まだ死んでいない」





「……え?」

「ただし、生きてもいない」

「うん。うん?」


 矛盾する言葉に、レナーシアは少し迷ってから口を開く。


「あのさ、キール、だいじょぶ?」

「正気だよ」


 憐憫めいた視線を跳ね返し、キールは言葉を選ぶように視線を宙へと巡らせた。目の前の子どもに、いかに噛み砕いて説明しようかと。


「――『魂』というものがある」

「ないよ。クレアが言ってた」

「あるんだよ実は。説明くらいさせてくれ。ほら着席」

「はい!」


 ばっ、とレナーシアは素直に腰を落とす。石組みの上に正座ができるとは流石の身体だ。

 キールはそんな娘に膝を突き合わせるようにして、痛いのは嫌だと胡坐をかく。


「光彩の仕組みは知ってるな」

「うん。『始まりと終わりを繋ぐ矢印』、でしょ」

「……ちなみにもう一つは?」

「『現象を流し、原因から結果まで運ぶ水の流れ』」

「すごいなお前」


 思わず尋ねてしまったが、キール自身ほとんど覚えていない言葉の羅列を、レナーシアはまったく淀みなく諳んじる。クレアの養育の賜物か、それとも記憶力すら人より優れるとなれば、うらやましいことこの上ない。


「よし、『水の流れ』が分かりやすいな。歌だとか舞踏もそうだが、生き物も同じ。始まりから終わりまで。生まれてから死ぬまで、命は光彩に乗って流されている」


 その上で、奏術は水の――光彩の流れを変えて、流れ付く場所を別へと捻じ曲げる技術だと、とクレアは語っていた。


「俺が話したいのは、その先だ」

「先って?」

「流れきった後の水の行方だよ。それは知っているか?」


 その先を、あのときのクレアは説明していなかったが――


「知ってる。溝から外れたら、世界に流れ出ちゃって、消えちゃう」

「そうだ。水が地面に吸われるのと似ているな。そして生き物が死ぬときだって、それまで命を流していた光彩が流れ出てきて、消えるわけだ。さて――」


 とキールは語りを切り替える。この先が本題だ。


「ここからは恐らく、南の連中の常識じゃない。アントラー爺さんの受け売りだから、詳しくは聞くなよ」


 と、にわか知識を前置きして、キールは息を吐くように言葉を流した。


「命を流していた光彩には、他と違って不純物が混ざる。流していた命が、溶け込むんだ」

「……ん~?」


 案の定、首を傾げるレナーシア。

「命」とはなんぞや、とでも考えてそうな娘に、しかしキールは手を掲げて思考を停止させた。


「よし、考えるな。俺も考えなかった。とにかく『命が溶ける』!」

「分かった。『命が溶ける』のね!」


 お互い理解は外に置き、しかし表面上の言葉をなぞるだけで問題は無い。


「で、だ。ここで言う光彩に溶ける命っていうのは、例えば記憶や人格、個性――つまり生前の『意識』なんだ。そんな意識が残った光彩を、北の文化で『魂』と呼ぶ」

「んーはいっ!」

「まとめると、本人が死んだ後、流れ出した光彩は『魂』となって、ほんの短い間だけそこに意識が残る。でも結局は光彩だから、放っておけば世界に溶けて消える。何にも困らない」

「はいっ。こまんない!」

「困らない――……はず、なんだけどな」

「……だけど?」


 学無き男の勢い任せの解説は、唐突に下がった語調に締められる。

 レナーシアも勢い任せの返事はそこまでに、腰を落ち着かせた。キールが吐き出した空気に、無気力なやるせなさを感じ取って。


「問題は、光彩が、保管できることだ」


 命を流し切った先に、世界に流れ出る前に、器を一つ。

 そこまで言われれば、レナーシアにも答えが見えてくる。


「閉じ込められちゃったんだ。北の王さま」

「そう、旧王は魂の姿で、意識を囚われた。これが最悪の牢獄なんだ。体が無いから、寿命が無い。自殺もできない。何一つ感じない。それでも意識だけは残り続ける。そんな場所に、永遠に閉じ込められる」

「……嫌だね。それって」


 他への理解に疎いレナーシアですら、はっきりと唇をへの字に曲げる。

 死ぬことのできない牢獄も、自分を殺し続けなければならない牢獄も、どちらも地獄に変わりはないから。


「俺はな、魂を収めている檻を壊したいんだ。魂を解放して、今度こそ旧王を眠らせてやる。それが側近だった枝角の王の――アントラー爺さんの、最期の願いだった」


 アントラーは、過去にクレヴァシアに乗り込んでいる。

 しかしかつての主を前にして、どんな葛藤があったのか。彼は最後の手を下すことができず、敗走することになったのだ。


「キールのやりたいことはわかったよ。でもさ、それで――」

「それでどうして、セロンとクレアを助けられるのか。だな?」


 そう、ここまではあくまでキールの目的だ。

 この先にこそ、獣が狩人に付き従った理由がある。


「旧王の魂には、他とは違う特徴がある。前に言った通り、旧王はお前と同じ『獣の民』だ。どれほどの数が纏まっているのかも分からない『群体』なんだ。つまり一度の死が、一人前じゃあないんだよ」

「……あ」

「正確な数字なんて俺には知れない。お前なら分かるか?千か万か、それ以上か?とにかく旧王の魂はとんでもない量なんだ。もしもだ。そんな光彩を戦場で解放すれば、どうなる?」

「……流されちゃう」

「どんな大軍だろうが、軽くな」


 伝わったと、キールは頷いた。


「必要なのは、まずは魂を閉じ込めている『器』。そして元々の入れ物である身体――つまり『旧王の遺骸』だ。器を壊せば魂は飛び出して、もう一度元の溝である、遺骸に流れ込む。懐かしの身体を取り巻いて掻き混ぜながら、周囲を丸ごと巻き込んでくれる。そいつを敵のど真ん中で解放してやれ。全滅は無理でも壊滅的だ。起爆させる俺達も巻き込まれるが、まあ、それは別にいいだろう」

「うん、それは別に」


 自死を軽く受け流したレナーシアは、そのまま目線を大城壁へ巡らせる。負けぬために必死に這い駆けずり回っているクレヴァシアの勢力を見て、娘は訝しげに目を細めた。

 こんな強力な、北の軍勢を押し流せる起死回生の一手があるというのに――


「キール、なんであの人たちは、誰もやらないんだろ」

「誰も知らないからだよ」


 そう、誰も旧王の歪んだ延命を知り得ない。

 キールが真実を知る理由も、アントラーが実物を目にできたために他ならない。


「それに知った所で、誰も旧王を解放しないさ。遺骸は何にでも使える。勝利の証として独占するか、利用して名声を得るか、それとも戦意高揚にでも使うのか――」


 世界にたった一つ。誰にとっても、壊すには貴重すぎるその国宝はしかし、


「俺らには知ったことじゃない」

「そうだね」


 男にとっては残酷な檻で、娘が使えばただの爆弾だった。


「俺はじいさんがよけりゃなんでもいい。お前は?」

「セロンとクレア。他はいらない。どうでもいい」

「なら、全部纏めて台無しにしてやろう」

「うん、行こう!」


 擦り合わせはおしまいと、狩人と獣は盛る瞳を獲物へ向けた。


「手に入れるぞ」



 此度の狩り場は、遠くそびえる白磁の王宮――その直下。

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