退院
私は目を覚ました。屋上で寝ていたはずなのに目を覚ました場所は病院のベッドであった。たぶん林田医師が、寝ている私をわざわざ運んでくれたのだろうが、それについては別に頼んだわけでもないので感謝はしない。
私はまだ覚醒しきっていない脳みそで、先ほどまで見ていた夢の内容をなぞっていた。
あの世界でのカインの母親は、私の母親と姿かたち性格が全て一致している。違うのは名前だけ。あの世界の住人は私の身近にいる人と同じ人が多数存在している。
みんな姿かたちは一緒なのに名前だけが違う。その例外は今のところ二人だけ。一人は私、私は向こうではカインくんである。性別容姿性格全てが違う。
そしてもう一人、それはお姉ちゃん。お姉ちゃんだけは向こうでもこちらでも玲奈だ。(向こうではカタカナでレイナだが)何か意味があるのだろうか?
「・・・そうだ、西の魔女」
西の魔女は代償と引き換えに死者を蘇らせてくれる・・・・・・ズルイ。なんで? なんでカインくんの世界ではお姉ちゃんを生きがえらせる方法があるの?私はただ絶望するしかないのに!ただ狂うしかできないのに! なんでなんでなんでなんで! なんで私の世界に魔法がないの西の魔女はいないの科学では死人が蘇らないの?ずるいずるいズルイズルイ!
(彼女は荒い息を吐き出しながら掛け布団をギュッと握り締めて自分の狂気が通り過ぎるのをじっと待つ。彼女は自分が狂っている事を自覚していた。しかしその狂気を止めるすべを知らない、止められない。ただ歯を食いしばって耐える事しか出来ないのだ)
ゆっくり、狂いそうになるほどゆっくりと、私の中から狂気が抜けていった。
ギュッと掛け布団を握り閉めたまま硬直している右手の拳をじっくり開いていく。親指から順番に指一本一本丁寧に・・・。ホッと息を吐き出す。まだ目覚めて間もないというのに全身を脱力感が襲う。私の意志とは無関係に頬を一筋の涙が流れる。
控えめなノックの音が病室に響いた。私の返事を待たずに「失礼するよ」と扉が開かれる。
「やあ、おはよう彩ちゃん」
私に挨拶をする林田医師は、心なしか元気が無いようにみえる
「ノックをしたら返事を聞いてから入って下さい」
私がぶっきらぼうに言うと林田医師はパッと顔を輝かせた。
「おお!やっと会話をする気になってくれたんだね!」
「・・・今は狂気が通り過ぎたばかりだから」
「狂気?」
林田医師はいつもタイミングが悪いのだ。私の精神が不安定な時にしか訪ねてこない。
「いえ、なんでもないです」
「そうかい、精神科医としてはたいへん興味深いのだがね。まあいい。会話をしてくれるまで回復したなら一つ提案があるのだが」
「提案?何ですか?」
「うん、彩ちゃんにとってこの病院にいることが苦痛になっているなら、自宅療養に切り替えてみる?君の病を治療するのに、必ずしも入院しなくてはならない訳では無いんだ。」
もちろんしばらく通院はするらしい。しかし私は本当に病院が大嫌いだったので二つ返事で了解した。
「ただいま」
久しぶりの自宅。迎えに来た両親と一緒に入ったので、もちろん家の中には誰もいないのだが、まあ、これは気分の問題だ。
「さあ彩ちゃん!お母さん彩ちゃんの退院祝いにごちそう作っちゃうからね!」
笑顔でパタパタと台所へ向かうお母さん。でもその笑顔がわずかに翳っていることに気がついた。お姉ちゃんが死んだから。もう私の家族が心から笑える日は来ないのだろう。少なくとも私は笑える気がしない。私の笑顔はお姉ちゃんと一緒に死んでしまった。
お母さんが夕飯を作っている間、二階にある私の部屋で待っていることにした。一段一段踏みしめるようにしてゆっくり階段を登る。部屋の前にたどり着いた私、ドアノブに手をかけてからふと横を見る。そこにはお姉ちゃんの部屋がある。頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。
(そして彼女はフラフラと何かに引き寄せられたかのように姉の部屋に向かう。部屋の前で立ち止まった彼女は焦点の合ってない目でじっと扉を見つめ、控えめにノックをした)
「お姉ちゃん、彩だよ。入っていい?」
(当然返事がくるはずも無いのだが、彼女は満足げに頷くとドアノブをひねり部屋に入った。しばらくキョロキョロと部屋を見回していたが、やがて姉のベッドに飛び込んだ)
「えへへ!お姉ちゃんの匂いがする」
(グリグリとベッドに頭をこすり付ける。そして彼女は語りかける、慈しむように聞き取ることが困難なほど小さな声で)
「お姉ちゃん久しぶり、彩だよ。ねえ聴いてよお姉ちゃん、林田の奴さぁ、あ、林田っていうのは私が入院してた病院の先生なんだけど、そいつがさ、お姉ちゃんの事忘れろって言うんだよ。ひどいよね?私とお姉ちゃんはこんなに強く結びついているのにね。死なんて私たち姉妹の絆の前には何の障害にもならないよ。だってそうでしょ?なにせ私はこんなにもお姉ちゃんのことが大好きなんだもの。でも・・・、やっぱりお姉ちゃんとお話できないのは寂しいよ。なんでお姉ちゃんは死んでしまったの?私を置いて逝ったの?どうして?なんで?私が嫌いなの?ううん、違う。そんなことありえない。だって私はお姉ちゃんが大好きでお姉ちゃんも私が大好きで私達の絆は!愛は・・・」
(チャイムの鳴る音で彼女の思考は中断された。しばらくして母親が彼女を呼ぶ声が聞こえた。どうやら彼女に客が来たらしい)
私は不快になりながらも下へ降りた。
「彩ちゃん!会いたかった!」
女の子が凄い勢いで抱きついてきた。柔らかな栗色の髪、私より小柄な女の子
「もしかして・・・唯ちゃん?」
「そうだよ!久しぶり!」
唯ちゃんは私の幼馴染。今日、唯ちゃんと会った事で私はあることを思いだした。向こうの世界。そう、カインくんも確か幼馴染のレベッカと会ったんだっけ。やはり二つの世界は繋がっているのかもしれない。それなら・・・もしかしたら・・・。
「また学校行くよね?彩ちゃん」
「そうね・・・もう少し色々落ち着いてきたら行くかも・・・」
「本当?絶対だよ!また一緒に遊ぼうね!」
その後しばらく雑談をした私達。唯ちゃんはまた明日も来ると約束をして帰った。
その後の事はよく覚えていない。唯ちゃんと会ったことで思いついた事を、ずっと考えていたからだ。気がつくと私は自分のベッドで横になっていた。
掛け布団をかぶり、まどろむ意識の中、私は何度も同じ思考を繰り返す。
二つの世界が繋がっているのなら、もしこの考えが正しかったのならば。向こうの世界でカインくんがお姉ちゃんを蘇らせたらこの世界のお姉ちゃんも生きがえるかもしれない。
ただの可能性の話。そんなのばかげた考えだとわかっている。でも・・・
(彼女は満面の笑みを浮かべて意識を沈めた)
(物語のバトンは僕に引き継がれる)