西の魔女
良い臭いがする。
意識が覚醒した僕が最初に気が付いたのは、優しく暖かい、安心できるような……そんな香りだった。
うっすらと目を開ける。見知らぬ天井、ふかふかした毛布の感触、僕はどうやらベッドに寝ているようだ。ふと右隣を見ると……。
「レベッカ?」
可愛らしい寝息を立てて、僕に添い寝しているのは、どうも僕の幼馴染であるらしかった。
「そのまま寝かせておやり。その娘は、ずっとお前の看病をして疲れているんだよ」
聞きなれない、しゃがれた老婆の声。振り向くと、ゆったりとしたローブを着た小柄な老婆がこちらに歩いてくるのが見えた。
「あなたは?」
「アタシは……そうさね、皆からは西の魔女と呼ばれている婆だよ」
西の魔女。その名前を聞いたとき、一瞬、思考が停止してしまった。彼女との出会いは、もっと劇的であると思っていたのだから。
「お前は運がいい。たまたまアタシが通りかかったのだからね」
そう言って顔をくしゃくしゃにして笑う西の魔女。噂では、西の魔女は冷酷な老婆だという話であったから、正直、人の良さそうな彼女の容姿は意外であった。
「助けてくれてありがとうございます。西の魔女さん、僕はあなたに会うためにここまで来ました」
「ほう、そうかい」
「ええ、あなたにお願いがあるのです」
僕を見つめる西の魔女は、何故か悲しげな表情をしていた。
「僕の姉を……蘇らせて下さい!」
ベッドから降りて、両手を地面につける。
「やっぱりかい。そんな気はしていたんだ」
西の魔女は溜息をつくと、そっと僕の肩に手を置いた。
「結論から言おう。確かに、アタシには死者を蘇らせる力がある。だがね、それは本来、存在してはいけない力だ。その力を行使するためには、それ相応の代償がいる」
「覚悟はできています。その代償とはなんですか?」
「残念ながら、それはアタシにもわからない。死者が蘇る時に、自動的に支払われるものだからね。だが、よく考えることだよ。この世の法則を捻じ曲げて、ハッピーエンドで終わる物語なんてありはしないんだからね」
この世の法則を捻じ曲げる。死者を蘇らせるとはそういうことだ。もしかしたら代償として、僕の命が無くなるかもしれない。それでも……。
「それでも僕は、姉さんに生きていてもらいたい」
僕の言葉を聞いた魔女は、重々しく頷くと、自分に付いてくるように指示をして、奥の部屋へと移動をした。
そこは真っ白な部屋だった。家具らしき物も、窓すらない。ただひたすらに白い、何も無い部屋。壁に手を当ててみる。木材でも石材でもない、ぬるりとした生物的な感触。
次の瞬間ドクンと壁が脈打った。
「この部屋は生きている。まあ、そんなことはどうでもいいんだろ? こっちに来なさい」
西の魔女は近寄った僕の額に手をあてるとなにやらブツブツと呟いた。早口で聞き取り辛かったが、どうやらこの世界の言葉ではなさそうだ。
光が、目も開けられない程の強烈な光が部屋を満たした。
ドクンッ
部屋が光に呼応するように脈を打つ。僕は思わず目を閉じて……、そして再び目を開けた時、目の前に一人の女性がうずくまっていた。
「姉……さん?」
口の中がカラカラに乾く。女性はゆっくりと顔を上げ、懐かしいその顔が見えた時、僕は目の前の奇跡に打ち震えた。
「おはよう、カイン。しばらく見ないうちに大きくなったわね」
そう言って優しく笑った姉さんの顔は、残念ながらよく見えなかった。何故なら尽きることなく両の目から溢れる涙が、僕の視界を邪魔するからだ。
(そして物語のバトンは私に引き渡される)




