コリンズ女史が令嬢に!?
ドストエフスキー、「罪と罰」から人物名をとりました。古典文学好きなんです俺。
ハルジオン地区のソナチネ合衆国に構えるクローバーズ本社。季節は夏を迎え、クローバーズの社員もクールビズでネクタイを外し、カッターシャツ一枚で作業していた。冷房は28℃。ソナチネ合衆国には環境規定というものがあり、どこの企業も冷房は28℃に設定しなければならない。違反した場合、10万リリスの罰金をとられる。
コリンズ女史はスレンダーな体つきをしていた。金髪のひっつめ、眼鏡の奥に覗かせる青い瞳。そして、石膏のような白くて美しい顔立ち。
「コリンズさんは、スタイルが良くて綺麗ですね」
エリザベスがコリンズの席にお茶を置いて、ほほ笑む。
「ありがとう、お世辞でも嬉しいわ。ほんとエリザベスちゃんはこのダメ社員の中でも一番有能だわ」
「ダメ社員って、俺も入ってるのか?」
ダーシーが自分に指をさす。
「エリザベス。物事は正直に言うもんだ。そいつは痩せているだけで、ただのひんにゅ……」
「わああああああ!!」
ダーシーとウィッカムが二人して大声を出す。女史は青筋を浮かべながら、
「その続き、どうぞ?」
「いや……なんでもない」
ベネットは口ごもり、喫煙室に逃げるように去って行った。
特に仕事の与えられていないエリザベスは、読書をしていた。といっても彼女は十分な教育をなされていないので、読んでいるのは子供向けのジュブナイル小説なのだが。ダーシーがプレゼントしたもので、エリザベスは好んで読んでいた。
「ダーシーさん」
ページをめくりながらエリザベスが声をかける。
「なんだい?」
「ヨウコさんがいるシェルターって、どんなところなんですか?」
するとダーシーは膝を抱えて、
「ほう。興味があるんだね。いいだろう、読書ばかりするのも退屈だろう。昼休憩のときに連れて行ってあげよう」
「ありがとうございます」
エリザベスは本を閉じ、無垢な笑みをダーシーに向けた。
エリザベスとダーシーは、ダーシーの所有する高級車に乗って、30分ほど走らせた。
トンネルを抜けると、その向こうは西洋風の街並みが広がっていた。
「こんなとこ知らなかった。ソナチネ国なんですか?」
「ふふ。その通りだよ。ここは町全体が重要文化財に指定され、近代の建築様式が保存されているんだ」
石造りの家、レンガで敷き詰められた床。静かな湖畔に薔薇のガーデン。エリザベスは心を奪われていた。まるで油絵の世界みたいだと。
「着いたぞ」
「ええ!?」
エリザベスは驚嘆した。シェルターと呼んでいたそこは、なんと宮殿だった。
「この宮殿は俺が多額の金を財団に払って、レンタルしているものだ。外壁に永続結界を張ってあるから、どんな攻撃を喰らっても安全だ。さあ、降りて中に入ろう。特別に宮殿内の腕利きのコックに昼飯を手配してあるが、他の社員には内緒な」
わくわくしながら、エリザベスは中に入った。
「わあ……」
エントランスは巨大な空間で、龍を描いたモザイク画が際立っている。階段が二つそびえており、そこから踊り場と多くの小部屋に続く廊下がせり出していた。
すると、その部屋からヨウコが出て来た。
「あら、いらしてくださったんですね、ダーシーさん」
ヨウコはシャツを着て、手摺に掴まってり身を乗り出していた。ペンダントが宙づりになっている。
「ああ。ヨウコさん。あれから会ってなかったけど、シェルターの生活はどうかな?」
「最高です。ご飯は美味しいし、お風呂も……私にはもったいないです、とても。それに静かだから勉強にも集中できます」
「それはなによりだ」
シェルターとは想像もつかない暮らしぶりを送っているようだ。
「お昼はまだだったかな」
「ええ。もしかして、ご一緒していいんですか?」
「ああ。当然さ。そんなにかしこまらなくても」
それから食堂に行き、規格外に長いテーブルに三人はついた。すると男の召使いたちが料理を運んできた。
バジルのたっぷりかかった、オリーブオイルをふんだんに和えた海鮮パスタ。グラスにキャビアの乗った冷製スープ。そしてサラダとサーモンのマリネ。
「こんなご馳走が……」
「どうだ、エリザベス。君もここで生活するかい?」
「いえ、こんな生活もったいないですし、私はベネットさんと一緒に暮らすって決めてますから!」
強い口調で言うエリザベスを、ダーシーは笑い飛ばした。
それからダーシーはエリザベスに中庭の噴水、巨大なプール、星空が一望できるテラスを案内した。二人はテラスで遠くの山々を一望していた。
「ダーシーさん。イヴたちをここに集めて、ゆくゆくはジョーカーズと闘わせるって、ホントですか?」
ダーシーは答えに窮し、指で頬を掻いた。
「ん……まあ、そうだな。でも、それしかないんだ」
「こんなシェルターを使う資金があれば、アダムの強力なギフテッドを集めればいいのに」
「おいおいエリザベス。この世界は男を戦場に行かせても、大した戦力にはならないんだよ。何故かというと、アダムのなかでギフテッドはごく一部しかいない。一方、イヴは大勢ギフテッドがいる。アダムを2000人兵器を持たせて戦場に行くより、20人強力なギフテッドのイヴを戦場に向かわせた方が効率がいいっていうのが戦争の常識なんだ。なにより、俺は世界中で傷付いているイヴをほっておけない。このシェルターに匿えば、欲望に満ちた卑しいアダムやジョーカーズたちから守れるしな」
「むー……」
エリザベスは言い返すことができず、ふくれっ面をした。
「どうやら君も、ギフテッドらしいな。俺が見る限りじゃ、君は能力を使えば使うほど大きな力を引き出すことができるみたいだ。ベネットから聞かされたが、プライムと闘ったとき、ベネットの耳を自在に治したそうじゃないか。あれはどうやったんだ?」
「わかりません。ただ、頭の中で神様に祈ったんです。そうしたら、本当に不可能なことが可能になった……」
ダーシーはシガレットを取り出し、火を点けた。
「不可能を可能に、ねえ……そんなギフテッドがいるものだろうか……」
白煙を吐き出し、リラックスしていた。
「暑いな。コックに頼んでドルチェを作ってもらおう」
「いいんでしょうか……こんな贅沢ばかりして」
「なに、住むわけじゃないんだからいいんだよ」
そう言って、ダーシーはスマホを取り出し、コックに料理を依頼した。
翌日。
ダーシーとコリンズ女史とウィッカムはデスクワークをし、エリザベスは読書をし、ベネットはスマホでゲームをしていた。
「おいベネット、さっさと書類のコピーをしろよ」
「うるせえな、俺は戦闘員なんだからそんな事務仕事したくねぇ」
「やれやれ。ベネットにも困ったわね」
そんななか、ダーシーのデスクの電話が鳴った。
「もしもし……ああ、訪問の方ですか。要件は? ……依頼? そうですか。すぐそちらにスタッフを向かわせます。お待ちください」
そして受話器を置いて、立ち上がり、ベネットの襟首をつかんで、
「おい窓際族。仕事だ。依頼人を迎えに行くぞ」
「窓際じゃねーし……」
「わ、わたしも行きます」
するとベネットは渋々腰を浮かし、
「しゃーねーな。わーったよ」
一階までエレベーターで降り、自動ドアを開けると、そこには西洋風の執事服を着た初老の男が立っていた。
「初めましてダーシーCEO。私は、アネモネ地区のマゼンダ公国に位置します、タランティーノ家の使いの者です。ポルフィーリィと申します」
「よくいらしてくださいました。こちらは私の部下です。どうぞお上がりください。オフィスまで案内いたします」
ダーシーは深々とお辞儀した。
「俺やっぱいらないんじゃねぇか?」
「うるせえ、仕事を与えてやっただけ感謝しろ」
「どこの貴族の人なのかしら……」
三人は小声でやりとりし、ポルフィーリィをエレベーターに招いた。
「すごいですな。なんですかこの小部屋は」
その言葉を聞いて、ベネットは彼が遅れた国の住人であると知り、笑ったのを、ダーシーが咎めて彼の尻をつねった。
「エレベーターと申します。失礼ですが……あなたの国にはこういった電気製品はないのですか?」
「ええ……エレベーターという名前は聞いたことがあります。私の国は鎖国しており、外部の国との接触はほとんど禁じられているのです」
「その割に、本日はご気軽にいらしたのですね」
「ええ。私は一応、侯爵の身分の貴族の家系の執事で、領事館の出入国リストに登録してありますので」
ポルフィーリィは軽く咳き込んだ。
「タランティーノ家というのは、名家なんでしょうね」
「ええ。かつては。ですが数年前のルーブル国との戦争で、不動産を奪われ、多額の負債を背負い、館にはお嬢様と私と数人のメイドしかおりません」
「重ね重ね失礼ですが、マゼンダ公国は敗戦国なのですか?」
「まあ、そうですね。条約を締結し、賠償金5億マクスを支払い、治外法権を放棄することで決着がつきました。幸い植民地にはなりませんでしたが。ただ、セミョーノグナ侯爵は、戦死し、ご子女であるソーネチカお嬢様だけが残されたのです」
ベネットは欠伸をしたので、ダーシーはまたベネットの尻をつねった。
「着きました。オフィスへどうぞ」
廊下を歩き、ドアを開けると、女史とウィッカムがお辞儀した。
と、突然。
「お、お嬢様……?」
ポルフィーリィが目を引ん剥いて、何故かコリンズ女史の方に駆け寄る。
「あ、あなた……なんなんです?」
「お嬢様にそっくりだ……! ただ、胸がない」
それからポルフィーリィに攻撃をくらわそうとする女史を、四人がかりで止め、ひと悶着終えてから、応接間に彼を通した。ダーシーとコリンズ女史がソファに相対して座り、エリザベスがお茶を淹れた。相変わらず茶柱が立っている。
「実は、ソーネチカお嬢様が、ある日を境に死んだように動かなくなってしまったのです。息はしているので、死んではいないかと思われますが……。ただ、このままですと、ギルドパクト家の男爵で仰せられる、ロージャ・ギルドパクト様とのお見合いができず、我が家はもう夜逃げせねばなりません……おいたわしや、ソーネチカお嬢様……」
ポルフィーリィは泣き出し、ダーシーはハンカチを差し出す。
「僭越ながら、そのロージャさんというのは、どういう方なのですか?」
「こちらにあらせられます」
似顔絵を見せると、コリンズ女史は目を見開いた。
「ちょっとナニコレ、すごいイケメンじゃない!」
「ロージャ男爵様は、軍事産業にも手を出しており、特需景気で多額の資産を得ました。そうですね、総資産は5000万マクスになるかと」
「5000万マクスって、うちの国の貨幣に換算するとどれぐらいの価値なの?」
「そうだな、ちょっと待っててくれ」
ダーシーはスマホをタップして、貨幣換算アプリを起動し、入力すると、目を丸くし、その額をコリンズ女史に見せた。コリンズ女史は、目を$のマークにして、
「私、ロージャ男爵様と、見合いします!」
その場にいた全員が、は? と口をあんぐり開けた。
「おいおい女史。見合いをするのはソーネチカさんだぞ? どうして君が見合いをするんだ?」
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくださいました。ポルフィーリィさん、私とソーネチカさんは、そんなに似ているんですか?」
「え……ええ、それは瓜二つです」
そう言って、彼はロケットの中のソーネチカの肖像画を見せた。すると、髪をカールに巻いていて、立派な化粧をし、煌びやかなドレスを着ている以外は、ほぼコリンズ女史と一緒だった。
「こんなことってあるのかしら! その、ロージャ様とかいうのは、内面も素敵な方なのですか?」
様呼ばわりし始めた女史。
「ええ……壮健実直で、汚れたものを嫌い、真面目で、まっすぐな方でございます。おごり高ぶることもせず、女性には非常に紳士的だと」
「それなら、ソーネチカお嬢様がお目覚めになるまで、私がロージャ様とお見合いをしましょう! それなら、あなたの家柄も存続しますよね?」
「おお! それはいいお考えだ! あなた様にお会いできて、本当に良かった!」
ダーシーはあきれ果てた。エリザベスはただ肩をすくめて苦笑していた。
どうせこの女、ソーネチカが復活することなんかどうでもよく、ロージャと結ばれることを夢見ているだけだ。
「それでは変装をしましょう。まず胸に詰め物を」
「それは禁句ですポルフィーリィさん!」
茶柱までも、意気消沈したのか、倒れてしまった。