ウィッカム参上!
赤ワインのしみは白ワインで消せるみたいですよ。
「くそ、ベネットはまだなのか!?」
「わかりませんが、ウィッカムによると事の次第では私が多大なる恩恵をもたらすとかわけのわからないことを……」
四人は洞窟の中を駆け抜けていた。足音が反響して響く。
「いたっ!」
コリンズ女史が屈みこむ。
「どうした!?」
「靴ずれが……」
「馬鹿野郎、ヒールなんて履くからだ! 脱ぎ捨てて走るんだ!」
女史はヒールを脱ごうとすると、背後から全裸のヨウコが炎を身にまとって近づいてくる。
「私のことはいいですから、皆さん逃げて!」
「んなことできるかよ! 《フライング》!」
ウィッカムは翼を広げ、コリンズを抱きかかえて疾走した。
「走れるか!? エリザベス!?」
「頑張ります!」
エリザベスも駆け出す。しかし、ヨウコは火炎放射を放ち、エリザベスを焼こうとしていた──。
「きゃあ!」
今度こそ運命は尽きたか。
固く目を閉じたとき。
「喰らいたまえ!」
大量の水が、ヨウコに向けて放たれた。
「!?」
ダーシーは振り返る。そこには。
ゴーグルをつけ、消防士のような恰好をし、タンクを背負った男がいた。
「誰よあなた」
ふっふっふと含み笑いをする。もうこの時点で大体誰かは予測がつくが。男はゴーグルを外し、炎髪の前髪で自身の身分証明をした。
「遅くなってしまったことを心から詫びーる。説明は後にするが、今日のヒーローはベネットではなく私ウィッカム・コルネリアであーる」
炎髪で猫背の男、ウィッカムが胸を反らして高らかに声明を上げる。
「ベネットはいるのか?」
「これこれ。だから私が主役だと言っているではないーか。ベネットもちゃんといるーぞ」
ウィッカムは洞窟の出口を指差した。そこには黒コートを纏ったベネットが、サングラスを外してウインクをしていた。
「ベネットさん!」
エリザベスはベネットに飛びつき、抱き付いた。
「悪かったな。お詫びに薔薇の花束でも用意してくるんだったかな」
そう嘯き、ヨウコの方を見た。
「ダーシー、あいつを殺すのはそう容易くなくはなさそうだが、当然それは駄目だよな」
「当然だ。しかし……最悪の場合は、村人の安全も考えて仕留めることも視野に入れよう。それにしてもウィッカム、お前は一体どうやってこんな手品めいたことを?」
ふっふっふ、と、また不敵な笑みを浮かべて、
「私の母校である名門ハルジオン大学の同期生であり友人の、ビングリー・トパーズという応用工学のプロフェッショナルが、この「CUBE」というものを、たった先ほど、三日で仕上げたのであーる」
ウィッカムはサイコロ状の青い小さな箱を取り出した。それを投げると、ぼん、と音を立てて、薔薇の花束が出て来た。
「ほれ、この通り。なんでも持ち運び便利で、さらに中身もビングリーの開発した応用工学の便利な道具が入っていーる。これはエリザベス嬢に進呈しよーう」
「あ、ありがとうございます……」
エリザベスがそれを受け取ると、パン、と音を立てて、テープと紙吹雪が散らばった。
「これはビングリーが作った花束型クラッカーなのであーる。はっはっは、ご満足いただけたかないててててて」
呆れ果てて立腹したコリンズ女史がウィッカムをヘッドロックする。
「キシャアアアアアア!」
ヨウコは火を纏ってこちらにミサイルのように飛んできた。
「離せ女史よ、ビングリーのテクノロジーを甘く見ないことーだ!」
アームロックから解放されたウィッカムはホースの先から巨大な水の球を出した。そしてヨウコはその中に入り、炎が消え、苦しみもがいた。
「今だ! 《プリズン》!」
ヨシキチが能力を発動させた。ヨウコは結界の中に閉じ込められた。ウィッカムは指をならした。すると、水は地面に流れた。ヨウコは意識を失い、結界のなかで倒れた。
「ナイス連携プレイだ、ヨシキチ君、ウィッカム。後は彼女が元に戻る方法を考えよう」
みんなは洞窟を出て、草原に出た。するとそこには、怪しい青年が立っていた。
ポロシャツに蝶ネクタイをして、サスペンダー式のズボンを穿いている。そしてベレー帽をかぶり、ペロペロキャンディーを嘗めている。
男はこちらに気づくと、
「きみたち、ママが言ってた、悪い人たち?」
「ママ?」
ダーシーが問い返す。だが、彼の鋭い勘が冴えわたり、
「ママの名を言ってみろ」
と、問い返した。
青年は腕組みをして、
「ママはママだよ。なまえは、うーんと……」
「そうそう、イライザ・サクラダファミリアだ!」
一同は硬直した。この男……やはり、そうか。
「お前、ジョーカーズの幹部だな?」
やせ細った男はぎょろりとこちらを見やり、
「きみ頭いいんだね。そうだよ。ぼくはプライム。ジョーカーズ13部隊の一人さ。ママは13部隊のリーダーだよ、つまりマフィアのボスさ」
ベネットの目に、殺意の炎が見える。
それを読み取ったプライムは、
「ぼくを殺さない方がいいよ。永遠にその女の子は、狂ったままになるからね」
あははははは! とプライムは高笑いした。ベネットの殺意は蓄積されていき、矢印を出す構えをしたが、
「ベネット、先に私が行く! こいつ、多分なにかあるわよ!」
コリンズ女史が、《オーラ》! と叫ぶ。そして全身が黄色いオーラに包まれる。すると、彼女は目に見えない速さでプライムの眼前まで行き、彼にアッパーを喰らわせた。
「やったか!?」
ダーシーが笑みを浮かべてガッツポーズをする。プライムは、ひっくひっくとしゃくりあげたかと思えば、大声で泣き出した。大の大人が子どもっぽい恰好をして泣き出す様は、不気味でしかなかった。
「ひどい! ひどすぎる! いいもんね、そっちがそのきならぼくだってがんばっちゃうもん、《サリバ》!」
プライムは唾液をコリンズ女史に向けて吐いた。すると唾液は肥大化し、女史の体に粘着質のようにねばついて、彼女の体を絡めとった。
「くそ、《オーラ》を使ってるのに動けない!」
「ぼくの唾液は30秒で消えるから安心してね。ま、安心なんてさらさらさせるつもり、ないんだけどね、あはははは!」
そう言ってプライムはパチンと指を鳴らした。するとシンバルが出て来た。ウィッカムはそれを見て危機を察し、
「みんな、耳を塞げ!」
ただ一人動けない女史は耳をふさぐことができず、プライムはシンバルを彼女の目前で鳴らした。すると唾液は消え、女史は、
「ウギャアアアアア!」
と叫び、ダーシーの目前に向かって、彼を殴った。ダーシーは10メートルほど飛ばされ、ろっ骨を2本折った。
「ああああ!! ……女史、何をするんだ……痛い……痛い……」
プライムは腹を抱えて笑った。
「もう終わりだね君たち。ぼくのシンバルは、音を聞いた距離が近ければ近いほど、精神を錯乱し、その人にとって大事な人を傷つけるのさ! おっと、忠告しておくと、間違っても洞窟に逃げない方がいいよ。音が反響して、威力が増大するから、耳を塞いでも意味なくなるからね! あー、ぼくってなんて優しいんだろ! さっさとベネットを殺して、ママにいっぱいほめてもらおー!」
これがジョーカーズの幹部の、恐らく最弱クラスの実力か……。
ダーシーは痛みに耐えながら、そう絶望した。
「ちぃ、脳筋女が! 要は動きを止めりゃいいんだ、くらえ! 《ポインター》!」
すさまじいスピードで矢印がコリンズ女史を拘束する。だが女史は、あろうことか、それを力ずくで引きはがそうとし、そして拘束がゆるまると、矢印から抜け出し、一瞬でベネットの前に来た。
「おおっとぉ! ベネットまで怪我はさせないーぞ!」
ウィッカムは反射的にCUBEを投げ、巨大なトランプのカードをベネットの前に突き立てた。女史はパンチをくらわすも、ペロンとトランプに弾かれてしまった。
「サンキューウィッカム!」
「ベネット、もうCUBEはないのーだ! あとはお前がなんとかしてくーれ!」
ベネットは思考を巡らせた。そして導き出した結果。
「しゃーねぇ、悪いな女史、少し眠っててもらうぜ!」
ベネットは細い矢印を出し、トランプを突き破り、女史の肩を貫いた。
「ギャアアアアアアア!」
コリンズ女史は倒れ、のたうちまわった。そして、
「つんぼの気持ちにでもなってみるか!」
あろうことか矢印を細く二本出し、それで耳の中の鼓膜を貫いた。
「ぐっ……三半規管までやっちまった……平衡感覚が……」
よたよたゆらめくベネットは、自分がそう口にした言葉さえ耳に入らなかった。しかし。
エリザベスがゆっくりベネットに歩み寄り、彼の耳にそっと手を当てた。すると彼はまっすぐに歩けるようになった。
「エリザベス……お前……」
エリザベスは、
「だ」「い」「じょ」「う」「ぶ」
と口を動かした。
ベネットはにっと笑い、エリザベスと腕をぶつけ合った。
「なにしてんのきみら」
どうやらプライムは、ベネットの作戦を読めていないらしい。ベネットは矢印を地面に突き刺してその反動で、プライムの目前まで飛んできた。
「むだだよ、ぼくのシンバルで君はおかしくなるんだ」
そしてシンバルを鳴らす。しかしベネットは動じない。
「えっ……どうして? どうしてなの? まさかきみ、さっきの矢印で耳を聞こえなくしたの!?」
ベネットは何も聞こえないので、彼を思いっきり殴り飛ばした。そしてさらにマウントを取り、なんども殴打した。
「やめて、やめて、降参、降参!」
なんど請うても、ベネットは殴るのをやめない。ある程度ぼこぼこにし、プライムの顔が腫れ上がってから、手帳を内ポケットから取り出し、
『なんでお前はシンバルの音が聞こえないんだ。会話はできるのに。答えないと死ぬより恐ろしい目に遭わせる』
プライムはそこで、ペンを受け取り、手帳に書いた。
『ドロップを食べたいから、それから答える』
ベネットは、
『いいだろう』
そしてプライムはカバンからドロップを取り出し、そこから白い飴玉を取り出し、呑み込もうとすると、ベネットはそれを弾き飛ばし、
『もっとも、それが毒薬でなければ、あと50発殴るのをやめたんだがな』
と書き加えた。プライムは自害しようとしていたのだ。プライムは涙目になり、
『秘密を全部教えます。だから、殴らないで。殺さないで。ヨウコもあのお姉さんも元に戻すから』
そう書き綴って、耳栓を外し、
「おいで、デルタ」
と声をかけた。すると木の陰から、タブレットに表情を表示させている機械が出て来た。
『ぼくはこのデルタにテレパシーで会話を伝えてもらい、耳栓をしていても会話ができるようになっていたんです。このデルタを使えば、精神を錯乱した人たちも元に戻るでしょう。ぼくの秘密はこれだけです。だから解放してください』
ベネットは、よし、と言って、プライムのシンバルを拾った。
「ちょ、話が違う、やめて、やめて、お願い、それだけはやめてえええ!」
ベネットは、
「お前、もともと馬鹿だから、かえってまともになるんじゃねぇか?」
そうしてベネットたちは村に戻り、正常になったヨウコは、村のみんなに何度も謝罪し、大学に行くのをやめて一生償うと告げた。だが、村のみんなはそれを引き留め、俺たちのことはいいから、お前が進みたい道を行けと言われたので、ヨウコは涙した。
「とはいえ、ヨウコくんには申し訳ないが、どうか、我々の貸しを返すつもりで、うちのシェルターに来てはくれないだろうか。もちろん、シェルターに来たのなら、そこから大学に通えばいい。学資金は出すよ……実を言うと、これは俺たちの計画なんだ。君のような力を持ったギフテッドを集めて、最終的にはジョーカーズと闘ってもらいたいと思っている。どうか、お願いを聞いてはくれないだろうか」
そのことを聞かされていなかったので、エリザベスはショックを受けた。ヨウコは、
「それならお受けします。あなたたちにはご恩がありますし、何より私もジョーカーズは憎い。是非戦いに使ってください」
ダーシーは安堵し、笑みを浮かべ、ヨウコと握手した。
「まあ、村の皆にさよならを言うまで、ここにいなさい。俺たちは今日ここに泊まるよ。宿はあるかな?」
「あります、ダーシー様。三食昼寝付き、無料で提供させていただきます。汚いところではありますが、お気に召していただければ」
村人の一人が言った。
「おいおい、ダーシー様はやめてくれ」
ダーシーは照れくさそうに頭を掻いた。
「まったく、本当にお前は脳筋だな。考えてから行動しろよ」
エリザベスに鼓膜を治してもらって聞こえるようになったベネットが言う。さすがの女史も頭が上がらないようで、
「だからごめんってば。それはそうと、あのクソガキはどうなったの?」
「ああ、なんかしらんけど、蝶々がいるとかなんとか言って、笑いながら樹海に入っていったぞ。あのロボットも壊しといた」
あはは、とエリザベスは苦笑した。
宿で酒盛りをし、コリンズ女史はエリザベスと一緒の部屋に泊まった。
コリンズ女史は煙草を吸い、窓の外の星明かりを眺めていた。
「コリンズさんも煙草吸うんですね」
「煙草は嫌い?」
「いえ、結構です。遠慮なく吸ってください」
「思えば、うちの社員、あなたが来るまで全員喫煙者だったのよね。笑っちゃうわ。喫煙室なんて予算に組み込んで作ったけど、要らなかったかもね」
ふー、と白煙を吐き出すコリンズ女史。
「結構活躍したみたいじゃない。ベネットから聞いたわよ。あなた、何者なの?」
「……わかりません。一時期養母に話しを聞かされたことがあって、わたしの両親は汚れた血の継承者だから、殺されたって。でも養母はわたしを守ってくれた。まあ、結果的には、ジョーカーズのせいで養母もわたしも性奴隷にされて、別々になってしまったんですけど」
「悲しい過去ばかりね。でも、ベネット、あんたのこと好きみたいじゃない。あんな馬面男だけど、まあ顔は悪くないし、不器用だけど優しいわよね。恋愛して、人生観変わったんじゃないの?」
「ちょっと、何を言うんですか……。もうわたしは寝ます!」
くすくす笑うコリンズ女史を尻目に、エリザベスは布団にくるまった。
嬉しかった。
来ないかと思ってたけど、やっぱりベネットさん、あなたは来てくれたんですね。
静かな夜だった。
「あ、ホタル。こんな季節に?」
女史は缶ビールを飲み干し、旅情に浸っていた。
そしてヨシキチと村の皆は、ヨウコとの別れに立ち会った。
ウィッカムがここに来る時に使った、ビングリー製のジェット機が、畑に大きな影を落としていた。
「姉さん、寂しくなったら、いつでも帰ってきて」
「馬鹿ね。寂しいのは、あんたの方でしょう?」
二人とも、涙をにじませ、指で拭った。
「達者でな!」
「博士号取ったら、一度は帰って来いよ!」
「旦那さん連れて戻って来い!」
ヨウコはめいっぱいの笑顔を浮かべ、
「さようなら!」
と叫び、ダーシーたちの後に続いた。
ジョーカーズの基地である飛行船。
それは空飛ぶクルーザーで、テラスではイライザが赤ワインを愉しんでいた。
構成員である秘書が、プライムがやられ、ヨウコがクローバーズの手に渡ったことを告げると、イライザは激昂して、ワイングラスを割った。
「一人助けたからっていい気になって。腹が立つ、これで奴らを完敗させることができなくなった。でもいいわ。どうせ彼女らは集団で私を襲いにかかるんでしょう。もちろん、私の憎い、そして憎しみのあまり愛しいささえ抱くベネット、そしていまいましいエリザベスも。必ず全員潰してみせるわ。ふふふ……」
イライザはビンテージ物の赤ワインのボトルをラッパ飲みした。白無垢に赤ワインが零れ、血のような赤いしみができた。
第一章 完