ヨウコとヨシキチ
古井由吉の「杳子」という小説から名付けました。
イライザ・サクラダファミリアは微笑を静かに顔面にたゆたせ、ベネットたちと対峙する。
「こんなところでジョーカーズの女首領がホリデイなんて、いいご身分だな」
「あなたこそ、いつの間に可愛い子を連れて。羨ましいわ」
エリザベスは震え、ベネットは前に出て彼女を手で制した。
「今すぐ逃げろ、クローバーズに」
「でも……」
「早くしねぇと死ぬぞ」
エリザベスは彼の言葉を聞き入れ、バス停へ向かって走り出した。
喧騒は緊張に飲まれ、何も聞こえず、彼のてんかんの発作は激しくなっていた。
「大丈夫? がくがく震えてるけど」
ベネットは舌打ちし、ポケットにしまってある頓服薬を飲んだ。
「持病なんだ。俺のことが知れて嬉しいだろう?」
「そうね。仲良くなりましょう」
ベネットは激しく怒り、指先から黒い矢印をイライザに向けて飛ばした。
が、イライザはいとも簡単にそれを片手で捕まえた。
「あらあら、手厚い歓迎ね。でももっと嬉しい歓迎をしてほしいものだわ」
イライザは口角をぐっと上げてほほ笑む。ベネットは、苦虫をかみつぶしたような顔をし、矢印をひっこめようとするも、イライザは楽しげに、矢印を掴んだ手を振り放ち、彼をビルの外壁にぶつけた。聴衆がひとりひとりと集まって来た。ベネットは激痛に耐えつつ、よろよろと立ち上がった。
「てめえ……ふざけんじゃねぇぞ……」
「あらあら可哀そうに。自分の異能に痛めつけられるなんてねぇ」
「……何が目的でこんなところをふらついている……?」
「あなたにお会いしたかったの」
イライザは手をそっと上げた。ベネットはすくみあがった。異能を使う彼女の構えだ。
「やめろ……こんなところで……」
「《エクスプロージョン》」
彼女の指先から青白い球体のエネルギー弾が集まる。そして彼女はそれをぽいと、ベネットの足元に転がす。そして。エネルギー弾は轟音と共に破裂した。聴衆たちは爆風で数メートル飛ばされた。
「あら」
爆発時に生じた煙が消え去ったとき、ベネットの姿はもうなかった。
「ふふ。また会える日を楽しみにしてるわ。今度は興ざめさせないでね」
イライザは乗用ドローンに乗り、空へと飛び立っていった。乗用ドローンは価格が非常に高く、ごく一部の資産家しか所有できないまさに金持ちのステータスだった。
ベネットは爆風と同時に矢印を地面に飛ばし、自分を矢印によって弾き飛ばして難を逃れた。しかし熱風で火傷を負い、お気に入りのレザーコートも溶けてしまっていた。
「あんにゃろう……俺の一張羅を」
さっきぶつけられた衝撃で、足を少しくじいたらしい。てんかんの痙攣も相まって、彼の歩く姿は非常に無様だった。彼の自尊心はことごとく傷つけられ、イライザに常日頃覚えている殺意が倍増した。自分の誇り高き異能である《ポインター》が、いともたやすく破られたのが、ショックでもあった。
「このお礼は、いつか必ずさせてやる……」
一方、ダーシーのビルに着いたエリザベス。インターホンを押すと、ダーシーが応答した。
「ああ、エリザベス。いい茶葉は買えたかい」
エリザベスは泣き震え、言葉を紡ぐことができなかった。エリザベス? とダーシーは問うが、彼女は答えられなかった。
「……待ってろ、今すぐそっちに行く」
ダーシーとコリンズ女史が彼女を迎え、女史は彼女の肩を抱きながら、オフィスまで連れて行った。
「ベネットさんが……ベネットさんが……」
「落ち着いて。コーヒーがあったから淹れるよ。砂糖も入れておくね」
「チェアマン、確か私の引き出しにセラピー用のハーブティーがあったと思いますわ。それを淹れて頂戴」
「ああ、いいだろう」
女史はエリザベスを相談室に連れて行き、ハーブティーを出して、簡単なカウンセリングを行った。といっても、単なる事情聴取に過ぎないのだが。
「何があったか、思い出せる範囲で話してくれる?」
「……イライザに、会ったんです」
女史は目を見開いて、頭を抱え、机に膝をついた。
「なるほどね……それで、ベネットは彼女と闘ったのね……」
「彼、死んじゃったらどうしよう……」
エリザベスはしゃくり上げ、女史は身を乗り出し、ハンカチをエリザベスに渡し、ハーブティーを勧めた。エリザベスは泣きながらそれに口をつけた。
「ベネットは、そう簡単には死なないわよ。もうすぐ来るんじゃないかしら」
すると相談室のドアをがばっとダーシーが開けた。
「チェアマン、カウンセリングの最中ですから、ノックぐらいしてください」
「そんな場合か! ベネットが帰ってきたんだ!」
「ベネットさんが!?」
エリザベスは相談室をかけて出て、ベネットの姿を見た。満身創痍の彼に、彼女は泣きながら抱き付いた。
「心配かけたな……みんな、悪い。頼まれた買い物、コンビニで済ませちまった」
苦笑いして、インスタントの緑茶の入ったビニル袋を掲げてベネットは苦笑した。
「ベネット、無事で何よりだ。コートを脱いで、静養室で横になるといい」
エリザベスはベネットのコートを受け取り、女史はベネットを静養室に連れて行った。
「大丈夫だよ、エリザベス」
「ふーむ、彼の一張羅が台無しだーね、なに、私がこれと同じものを用意してやろーう」
ウィッカムが場の空気を和ませようと居丈高になると、エリザベスはコートを抱きしめた。
「おいエリザベス。彼が愛おしいのは分かるが、そいつは捨てなくちゃならない。渡してくれないか」
エリザベスが上目遣いでダーシーにそれを渡すと、彼は、
「嘘だろ……」
コートはなんと、元通りになっていた。
「なんという非科学的な現象! 勘弁してくれ、私は学者だ。こういう非科学的なことに関してはアレルギーがあるのであーる!」
ギフテッドが当たり前のように蔓延るこの世界で何を言うかと思いつつ、ダーシーは、
「君……ギフテッドなのかな? いや、ギフテッドだろう。しかし、茶柱を立てたり、服を直したり……奇跡を起こすギフテッドなど、聞いたこともない。そうだ。もしかしたらベネットの傷も癒せるのじゃないか?」
とダーシーが述べたところで、エリザベスは膝をついて倒れ込んだ。
「エリザベス、エリザべス!?」
ダーシーが彼女を抱きかかえると、彼女はそのまま気を失った。
「ふーむ、能力を使うとエネルギーを使うタイプのギフテッドのようだねーえ。ギフテッド大全というのがハルジオン大学の図書館にあったはずだーよ。私が今度調べてきてやろーう。尤も、どこまで参考になるか分からないがーね」
ウィッカムは、煙草を吸ってくるのであーる、と言い残し、喫煙室へ向かった。
すると女史が戻って来て、
「上半身のほぼ全体に火傷を負ってますわ。ってあなた、エリザベスに何かしたの? まさか、不埒なことをしたんじゃないでしょうね、眠り薬を含ませた水を飲ませたとか!」
「おいおい、君は日ごろから俺をそんな風に見ているのかい? 勘弁してくれよ。これを見てくれたら分かる。彼女はギフテッドだ。能力を使って体力を消耗したらしい」
コリンズ女史は新品同然になったコートを受け取ると、唖然とした。
そんななか、電話が鳴った。ダーシーがデスクについて、受話器を取った。
「はい社団法人クローバーズです。ええ、何、シェルターに入れて欲しいイヴがいる? ……申し訳ありませんが、面接を受けていただかないと……ほう、そんな遠いところにお住まいで。……なに、交通費はいただきません、こちらからそちらにお伺いしますので。報酬も一切受け取りません。よく電話してくださいました。準備ができ次第、うちのスタッフをそちらに遣わせますので。それではまた」
ダーシーは受話器を置き、頭の前で手を組んで肘をついた。
「カトレア地方の農民の少年から電話があった。クライアント名はヨシキチ。ベネットの傷が回復するのを待ってると遅いから、女史と俺、そしてエリザベスの三人で行こう」
「え、エリザベスも行くんですか?」
「今ベネットは戦える状態にない。そうなれば、女史だけが頼りだ」
「わかりました……。彼女は全力で、私がお守りいたしますわ」
三人は飛行機に乗り、カトレア国際空港へ降り立った。
「世の中には空を飛ぶ手段なんていくらでもあるんだよなぁ……俺の異能の存在価値をたびたび考えさせられるよ」
「いいじゃないですかチェアマン。あなた、実質単身なら交通費どこでも無料じゃないですか」
そんなやりとりをしながら、空港内のカフェに入り、昼食をとった。
BLTを食みながら、ダーシーは問う。
「イライザって、どんな容姿だったか、覚えてるか。思い出したくなければいいんだが、彼女は指名手配されているものの、顔写真は公開されていない。データがないんじゃなく、国際警察が何かしらの意図で隠しているのだろう。ネットには出回っていることは出回ってはいるんだが、彼女の写真はすべて検閲がかかるようにサーチシステムにプログラムが搭載されている。唯一見られるのは、かなり画質が粗い画像ぐらいだ」
エリザベスはミルクティーを啜りながら、彼女がすごく美人で、白くて長い髪をして、八重歯で、黒い大きな電撃のマークがプリントされた白無垢を着ていることなどを話した。日傘を常に差していることも言い添えた。
「でもなんで彼女があんな街中にいたんでしょうね」
「それについては思い当たる節がないでもない。彼女は一度、ベネットと闘っている」
ダーシーは、ホットコーヒーに口をつけた。エリザベスのカップには、口紅がついていた。
「彼女の足取りがつかめればいいんでしょうけれど」
「いや、今はシェルターにイヴを集めるのが先だ。今彼女にかまうと全てが台無しになってしまう。ベネットにも、彼女にはむやみに手を出さないようよく言い聞かせておくよ」
「それにしても、ここのサンドウィッチ、おいしいですね」
にこやかにほほ笑むエリザベスを見て、二人は天使みたいだ……と癒されていた。
そしてバスを乗り継ぎ、カトレア地方の農村に来た。空は雲一つない快晴で、野山からもたらされる薫風が三人の鼻腔をくすぐる。段々畑になっており、稲穂を植えているようだ。三寒四温とはよく言ったもので、この日は日差しが気持よく、薄着のエリザベスには丁度良い気温で、スーツ姿の二人の方が暑いくらいであった。
すると、ワイシャツにズボンをはいた十五歳くらいの少年があぜ道に立っていた。
「ダーシーさんですか?」
大声でそう叫ぶ彼に、ダーシーは手を振り、三人は駆け寄った。
彼の家にまぬかれ、狭苦しい藁ぶき屋根の木造小屋に三人が入ると、ぎゅう詰めであった。
「狭苦しいところでごめんなさい」
「お構いなく」
ダーシーがそう言うと、彼は麦茶とせんべいを出した。
「それで、早速ですが案件はいかほど?」
ヨシキチと電話で名乗った少年は、少し緊張した面持ちで、語りかけた。
「僕には姉がいました。ヨウコと言います。僕と同じ貧しい農民でしたが、彼女は読書が好きで、勉強がよくできて、村の人からも可愛がられていました。僕も可愛がられてましたけど。姉は義務教育を終えた後、村の人たちが学資金を出し合って、高校、そして特待生で大学にまで進学しました。その角でで、今年度から村を出て大学に出る……矢先だったんですが……」
正座しているヨシキチは握り拳を固くして、
「ある日を境に姉は狂ったように暴れまわり、ギフテッドである彼女は、《ブラッド》という異能持ちで、滴り落ちる血を見ると、火炎放射を放つんです。姉は指先から刃を出すことができて、自称して血を流すのは簡単なんです。そうして村の穀物や、多くの家屋が焼き尽くされました。今姉は地下に椅子で縛り付けられており、僕が張った結界で閉じ込めてあります。ですが、姉はものも食べてないしトイレにも行けない状態で、3日も経っています。このままだと姉は餓死してしまいます。どうか助けてください、お願いします!」
ダーシーは腕を組み、しばらく状況を整理してから、
「君もギフテッドなのか。能力名はなんだい?」
「僕は《プリズン》という異能持ちです。調子に左右される能力で、いいときは強固な結界が長時間張れるんですが、悪いときは弱くて短時間で消えてしまう結界しか張れません。そして、一度結界を張ると、数時間の間は異能が使えない。だから、地下に定期的に結界を張りに行っているんです。ほんとはずっと姉の傍にいるつもりだったんですが、村の人が見張りを張っておくから、君は休んでいろって……」
彼らは迷いなく、これはジョーカーズの仕業だと決め込んで、きゃつらをひどく憎んだ。夢も希望もあるいたいけな少女を、絶望に突き落とした彼らを、絶対に許すわけにはいけない。
「とりあえず、地下に案内させてはもらえないだろうか」
「危険です! それはできません」
「それは、俺たちがよそ者だから、そう言っているんだろう。だが安心したまえ、こちらにはこの強力なギフテッドの女性がいる。おっと、自己紹介がまだだったね。私はウィッカム、彼女はコリンズ、そしてこの青い髪の女性はエリザベスだ」
よろしく、と、三人はヨシキチと握手した。
「わかりました……案内しましょう。少し歩きますが、いいですか?」
四人は家を出て、あぜ道から山村部の中に入り、ヒルなどに注意しながら、洞窟をくぐって、倉庫に辿り着いた。
「ここの地下に、姉がいます」
倉庫の扉をノックすると、閂を開ける音がした。中から、ひょろながい髭面の男性が出て来た。
「こちら、姉を助けにきた人たちです」
「ああ、この度はご足労さまで」
「いえいえ」
ダーシーは愛想よく返し、中に通してもらった。男性は蝋燭を持ち、地面をふさいでいる鉄の蓋を開けた。すると階段が続いていた。四人は男性の後に続いた。
「ここはもともと胡椒などの香辛料をしまっておく場所だったんですが、少し改築して、ヨウコさんを閉じ込めてあるようにしてあるんです。いや、本当に可哀そうなことだ。こういうと非情だが、我々農民はヨウコさんのことが大好きだった。しかしほとんどは、このまま餓死してはくれないかと期待している。告白すると、私もその一人なんです」
「いいんですよヘルマンさん。そのことに関しては僕は許しています」
ヘルマンと呼ばれた男は頭に手を置いた。そして、最深部に着いた。
「これは……」
青白く憔悴しきってはいるが、悪霊にとりつかれているように、がくがくと暴れている、顔色の悪い女性が、透明な結界の中、椅子に縄で縛りつけられている。彼女の手首には、無数の傷跡があり、指先から刃物を、ひっきりなしに出し入れしている。
エリザベスはあまりに目も当てられなくて、コリンズ女史の背中に隠れた。
「これが……ヨウコさん」
「そうです」
ダーシーの問いに、ヨシキチが答える。
「安全そうだけど……」
コリンズ女史が呟く。しかしヨシキチは、結界に手を当てて、
「ジョーカーズがやってきて、姉の拘束を解いたらまずいでしょう。だから、結界を張って、誰も近づけないようにしているんです。それもあるけど、僕は農村を災害に遭わせた非常に大きな責任を、果たさなくちゃならない」
ヨシキチの目は、まっすぐだった。まだ少年だというのに、物事の焦点がしっかり定まっているようであった。
そんななか、
「あっ」
結界がフェードアウトしていった。
「ヨシキチくん、結界はまた張れるか?」
ヘルマンが尋ねる。
「いえ、あと1時間ぐらい休まないと、無理そうです、ごめんなさい」
「キエエエエエエエ!」
ヨウコは狂った叫び声をあげた。
「チェアマン、とりあえずウィッカムのスマホに電話を入れて、ベネットの容態を聞いてみます!」
コリンズ女史は急いでスマホをタップした。
そのとき。
「まずい!!」
ヨシキチが叫んだ。
なんと、ヨウコが舌を噛み切ったのである。
ヨウコの口から、血液がぼたぼた落ちた。
「逃げろ!!」
ヘルマンが叫び、みんなを地上に避難させようと、階段を駆け上るよう促す。
「《ブラッド》!」
ヨウコは叫び、全身を炎で包み、ロープを焼き切った。
そして立ち上がり、のそりのそりと階段を上がる。
みんなは外に出ており、ヘルマンを残して村へ逃げて行った。
ヘルマンはちらっと倉庫を開けた。すると、バックドラフト現象が起き、彼は爆風で飛ばされた。
服を焼き切った素裸の怪人、ヨウコが、村を襲いかかろうとしていた──。