九話: 神話の怪物と冤罪
オーバーソウル状態
理解が追い付いていない。
「巫女頭殿、それはなりませぬ。彼はこの領地を統べるものに非ずして、かかる者はこの地を守る義務はありませぬ」
陛下は力強く巫女の言葉を否定する。さっきまでの訛りの強いおっちゃんという雰囲気は消え、威厳に溢れる領主の顔となった。
「然り。慣例通りならば。されど、これは宣託。この者がここを守るのです」
「私は信仰を捨てている訳ではありませぬ、しかし、これはなりませぬ」
二人とも毫も譲る気は無いようだ。
[よくわかんねーけどどうすれば良いんだ、神のお告げならいかにゃならんのだろ?]
――今時そんなこと言う訳ないでしょう! 占いみたいなもので戦いの進退を決められるのは古代迄です! それにここは吾らが領土ではないのです。関わり方を誤れば面倒な事になります。
[成程、この領地でガイウスが怪我するような事があれば、どんなイチャモンつけられるか分かったもんじゃねーってのもあるのか]
――そう、ですね……これはまずいです。こんなところで言い争ってる場合ではないのに……。ああ、民の悲鳴が聞こえます。
[なんだ、根っから民衆を心配してない訳じゃないんだな]
――そ、そりゃ、うちの領土なら直ぐにでも戦いますけど……。
直感的にそれは嘘だと思った。いや、気持ちを嘘と言いたいのではない、彼には戦いに行くだけの勇気が無いんじゃないかと思った。
ここは石の門まで三十歩というところだろうか、向こうから聞こえる悲鳴と、良く解らない破壊の音、ここまで聞こえるのはさっきの温かそうな商店街に似合わないおぞましい音。
「俺が、戦うべきだと、神が言っているんですね?」
「さよう。行ってはくれまいか」
巫女頭が俺の、ガイウスの目を真っ直ぐ見つめる。
――待ってよ、確かに義憤にはかられるよ? でも、この場で動いたら面倒なことになるんだよ? 止めた方がいいって! それに僕は訓練は受けたけど弱くて使い物にならなかったんだよ? そんな身体を操縦したって無駄……。
予想は当たった。すこしニヤリとしてしまった。
[うるせぇな、俺がしたいって思ってんだから、お前が嫌ならそこで震えてればいいだろ]
――そんな、無理だよ、どうせこれは僕の身体なんだよ? 戦いに行ったってしょうがないよ……。
[んぁぁ……かもな、だが、操縦者が変われば動きが変わるかもしれない]
――えっ? そんな……。
[同じ馬でも、熟練の騎士と素人が乗るのでは性能が違うだろ]
――う……もう、じゃあ頼みましたよ!
[任せろ!]
とは言ったものの……、この政治状況下で向かう事が果たして得策か否か。取り敢えず、この陛下を説得しないと……。
「アルト陛下、ここは私に考えが御座います」
至極冷静に話を付けよう。ただ剣を携えて得体の知れない獣だかなんだかを討伐するのは無理かもしれないからな。
「な、なんですか」
「宣託が正しいとしたら、私が行かねば事は収まらないのでしょう。すると、無辜なる民が殺されます。これを避けたい訳ですよね」
「そうだ! しかし……」
「お気持ちは解ります。私がここで死せば、政治的に厄介な問題が起こると。この領地に出没した獣の為に私が怪我でもしたら、私の国がこちらを侵攻する口実となると」
「……む、むう……」
「それは確かに心配されるべき問題です。しかし、ここで陛下が宣託を無視して、私が戦わず、この地が獣によって蹂躙されてしまったならば、ここの民衆が陛下を恨むことは必至です、内政が不安定とならば、それこそ外国から攻められる隙を見せることとなります」
「た、確かにそうだが」
この民衆がどれだけ神の威光を信じているかは分からない。現代の日本の様に、ただ初詣や受験の時にノリで行くレベルの信仰心しか持っていないのだったらいい。しかし、ガチで、マジで人生の指針としてしまっているような文化圏なら、神の意志を守らない人間に対しての風向きは悪いものとなる。
それに、この場では言わなかったが、俺が、ガイウスが宣託を無視して戦わなかったと民衆に思われたとしたら、ここの民衆からガイウスは恨まれることとなる。それは避けたい。
「わ、解った。取り敢えず、兵は用意する。それとともに従軍したという形をとってくれ、それなら、殿下が戦うべしという言いつけは守ったこととなる」
「それで行きましょう」
話が纏まったところで、丁度先程走り去った従者が戻ってきた。
「百人兵はもう用意できました。獣と相対しております」
「うむ、ガイウス殿下も討伐に加わる。百人隊長と通ぜしめよ」
「は!」
よし、行こう。と踏み出そうとすると、
「いかないと駄目なの?」
と声がする。振り返らない。声の主は知っている。
「駄目です、民衆の為ですから」
「みんなはこの宣託があった事なんて知らないのよ? これは内密の書状だったし、それでも……?」
「そういう事を言うもんじゃない……です。それが税金で飯食ってる人間の義務って奴だろ」
リエナ姫の言い分はわかる。そもそもこのお告げだかなんだかを知ってるのはここにいるごく少数の人間しかいない。誰かが無視しても民衆は知る由もない。だからさっさと俺が逃げても構わない筈なんだ。それでも、なんでだろうな、現世ではやる気なんて欠片もなかったのに。
「まあ、無事に帰ってきたら結婚しましょうか」
俺は振り返らず、自分の二人の従者と現場へ向かった。
石門から出ると左右に広がる木組みの屋台は所々破壊され、人が転がっている。血だまりに横たわる人は少なく、ただ吹き飛ばされた様に見える。気絶したのか、それとも脳内出血にて死したか。
「兵は! 向こうです!」
案内役の駆け足についていく、暫くすると、鎧を纏った大集団が見えた。鈍く光る鉄の鎧の塊。気勢を上げて槍を突き上げ身体をすっぽり覆うような盾で味方を守る壁を作る。
そう、見えるのは普通これだけの筈だ。どれだけ敵が強大でも味方が沢山眼前にあらば、敵など見えまい。
その敵は成程、獣ということはある。高さ五メートル、幅二メートルはある巨大なトカゲ。グルグル唸ってその牙の鋭さを吾らに誇示する。
神代の更に昔の地球を支配していた、俺の記憶ではそれは、恐竜と呼ばれていた。
「なんなんすか! あれは! ここにはあんな謎の生き物がいるんすか!」
「あわわわわ! あんなん見たことないわ!」
俺の従者も慌てふためいている。それは無理はない。俺だってビビってる。というか意味不明で困っている。
「この国にはああいったものはよく見受けられるのでしょうか?」
と案内役に訊くと彼はブンブンと首を横に振る。だから、どっちなんだろう。いないのか、いるのか。
「あんなものは神話で少し出てきたぐらいです。『大いなる蜥蜴』とかで」
「成程な……」
まあ、今はそんな事気にしている暇はない。あのギャオギャオ言ってる獣? 恐竜を討伐しないといけない訳だ。
恐竜は槍を携えた兵隊、その規模五十人程と間合いを取ってこちらを見て静かにしている。当然、うちらに怯えているとか、もう降参という態度ではない。今まで屋台をひっくり返したり、人をはねたり好き勝手出来ていたのに、それを妨害してくる謎の輩が出てきたことに若干イラついていることだろう。槍の鋭い光が幾重にもあるから少し警戒して動かないだけだ。それに兵は「おー!」だの「やー!」だの叫んで威嚇しているから、これも効いているのかもしれない。
しかし、このまま膠着状態が長く続くと言う訳でもないだろう。恐竜が動いたらこの五十人隊はあっという間に蹴散らされてしまう。
街道の幅は大凡、六メートル。それ一面に兵がいるのだから、横に六人が並んでいることとなる。そして、縦に八人いるのだろう。俺らは未だ隊伍に混ざらず、少し後ろからそれらを眺めているのみ。
「とにかく、こういう場合ってどうするんですか」
とアルト陛下の従者と自分のに訊くが、彼らもうぅぅんと唸るだけで何も言ってくれない。そうだよな、こんな得体の知れない物を倒した経験なんて無いんだろう。斯くいう俺も無い。
「隊長!!! 弓兵が今参りました!」
俺らがモタモタしていると、後ろの方から十人ぐらいの弓を携えた兵士が小走りで来た。カチャカチャと佩用した短い剣と矢筒の音がする。
恐らくその中で一番偉い奴が、弓兵が来たぞと言ったのだろう。すると、前の方から軍配が上がった。成程、一番前にいるのが一番偉い奴か。
「弓兵用意!」
軍配が上がったことを確認し、弓兵の長が叫ぶ。言い終わらない内に全弓兵が背中の矢筒から矢を取り出してつがえた。
軍配が下がると「斉射!」の司令と共に風を切る音のみがここに残る。矢は俺らの頭上を越えて飛んだ。放たれた全ての矢が恐竜に深々に刺さる。狂ったような恐竜の呻き声、効き目あり。この場にいた全ての者がこう思った。
「突撃ィィィィ!!!!」
軍配を扱う隊長が大気を震わせ、大群を、その槍の矛先を矢を受けてその場でのけ反っている獣に集中させた。
甲冑の金属の触れ合う音がして、一番先頭の列の矛先が獣の皮膚を抉る、刺す、貫く。
その獣は咆哮を撒き散らし、真赤な血を辺りに吹き付ける。
この場にぼさっと突っ立ってるだけでいいのか、と自問したがどうにも手が出せる状態では無い。槍兵と弓兵とが共闘している最中、剣しか持っていない俺らが何かしようにも連携を逆に乱すだけだろう。
「殿下!」
俺の従者が俺の身体の側面を強く勢いよく押した。
俺は棒立ちしていた為に耐え切れず、もんどりうって倒れ強かに腰を地面に打ち付けた。
驚きの余り目を瞑ると何か温かいものが顔に掛かった。なんだよと顔を触って瞼を開けると果たして指には血が付いていた。
咄嗟に見上げると従者が剣で刺されていた。弓兵によってだった。
「はァ?!」
[なんなんだっ! これは!]
――わかりませんよ!
残る俺の従者も事態を理解できていなく狼狽していたが、流石武人自らも剣を抜いてこれに応戦する。が、少し距離のある弓兵からの矢に胸を射られ斃れてしまった。
案内役であった陛下の従者も同じであった。百歩譲って外国人たる俺と俺の従者達を殺すのは理解できる。しかし、仲間だろう? 何故……。
暢気に地面に倒れてはいられない、に、逃げないとと逡巡しているうちに弓兵は何故か、何故か知らんが自らの首を剣で斬り、腹に刺し、息絶えた。
[なんなんだよ……]
向こう側で勝鬨が聞こえる。どうやら獣は倒せたらしい。そちらに振り返る気力もない。
「な! なんなんだ! これは!」
勝利の歓呼を帯びたる兵が叫ぶ。俺が聞きてぇよ……。
「む、こいつが……」
その中の一人にこの状況を見咎められた。言わんとすることは分かる。だから弁明するに限る。
「ち、ちがっ、こいつらが最初に俺らを殺そうとして」
「何を言っている、お前は僭主のひ孫だろう、仮にも同盟を結んでいる筈だ、うちの兵がお前らを襲うはずがない」
僭主……っ! 確かにそうだ、ガイウスの曽祖父は権力を力で以て簒奪した僭主だった。
「とにかく、今ここでお前を斬るのは聊か不都合だ、城へ連れて帰ろう」
かくして、このガイウスは婚約者の部下に逮捕される身となった。