五話: 典麗な姫と厄介な依頼
綺麗な女に釣られてみれば、厄介な罠に引っかかる。これはもはやお約束のようで……。
どうやら、そのリエナ姫というのは、この王家と代々つながりがある別の王家の第二王女らしく?
ここで、この王家の三男とくっ付けはまあ、色々と安泰とか安泰じゃないとかそういう感じらしい。
成程、連合王国らしい考え方であろう。
代表たる王権はここの建国に寄与すること甚だしきこの金髪王子の曽祖父から連なるリウス家が持っているが、それと結びつきが強いか弱いかでミルカ王国内の立ち位置が決まると言う誠に不安定な形だから結婚相手も慎重になるのだろう。
[正直あんまりどんな子だか覚えてないんですよね]
「それでいいのか……」
――何でも、アルト陛下より書状を預かってきたそうで。
――え、あ、それは難儀な。
――しかしながら、これは私信だそうで、通信の間には出ずとも宜しいとのことです。
――分かった。応接間での対応で良かろう。
――御意。
[弱ったなあ……]
「なんやなんや、面白そうな事になってんやんけ」
[勝手に面白がらないでくださいね、面倒事しかなさそうだもん……]
「つか、何なん通信の間とかって」
[んぁぁ……通信の間ってのはアレだ……王からの使者を王と見做して敬意を払わなくてはいけないのですが……そういう王様との接見の間があるんですよ]
「勅使の間みたいな?」
日本の城には天皇陛下からの使いを天皇陛下自身と見做して丁重におもてなしする専用の部屋があるので大体そんな感じなのだろうか。
[それはどんなものかは知りませんが、しかし今回はどうやら私信らしいので、単なる応接室で良いとのことです。相手もそこまで有力な王家の王女じゃないですし]
「成程なあ……お前らのナチュラルに人に上下を付ける感じにはもう慣れたよ」
[でも憂鬱なんですよね……]
「なんでだよ、婚約者だぞ? 未来の嫁さんだぞ? 悪くないじゃん」
[僕女の子苦手なんですよね、というか嫌いですわ]
「クソっ、俺と一緒の癖に何でお前には女がおんねん」
――あの……殿下、そろそろ……。
――あ、わかった。行こう。
良く考えてみれば俺とガイウスが脳内会話してる時は、他人から見てガイウスが只ぼけらっと突っ立ってるだけに見えるのだ。この従者だか執事だか使用人だかには自分との会話の最中に意識飛んでしまうヤバい人に見えてるのだろうな。
名残惜しいが、図書室を離れ幾つかの階段を降り、どうやら一階に着いたのだろうか、また例の荘厳な扉が開かれる。今度は人力自動ドア……つまりは両開きの扉が二人のドアマンによって開けられた。
ドアが開かれた瞬間、非常に眩しかった。
部屋の奥にある窓ガラスから入る陽の光の為でもあるし、なによりその部屋に在す少女の金色の髪がその陽の光を一面に拡げていたからだった。
「おおお……なんだこいつ」
レフ板というものを知っているだろうか、写真撮影の時に照明を反射させ、被写体の顔色を明るくさせたり、周囲の光度を上げる役目を担う白い板のことだ。
彼女はまさにそれだった。金色の腰まである波打った髪は日光をキラキラと纏い、その白磁の肌で作られた顔は白すぎてその輪郭を失う。成程、金髪の貞淑な美人とはよくいったものだ。
疵一つない白磁の顔で最も人を引き付けるのはほっそり高い鼻でも、桃色の薄い唇でもなく、その目だった。何と深い緑色か。そして何と力強いのか。髪の色は金なれども、その瞳を守る睫は深い闇色。それが彼女の目の存在感を際立たせているようだった。
着衣も白と黄色とを基準としたドレスで、手と顔以外の肌は隠されているが、全身もまたそのよう肌理細やかな肌であろうと強く予想させる。
そんな人工物の様な美少女が静かに奥の長椅子に座っている。
――光の神ニルスの末裔アンギリアリ家、第二王女リエナ=アンギリアリ殿下に御座います。
彼女の脇に居た一人がそう宣言した。
――リエナ=アンギリアリです、ええっと……ガイウス=リウス殿下でいらしっしゃいますね?
美声を表現する文句にこんなのがある。鈴を転がすような声と。成程これがそれなのか。良く解らないけど……ずっと聴いて居たい声だと思った。理由はわからない。でもなんか惹かれるってあるよなぁみたいな。懐かしい声、心地いい声。大きくも小さくも無くて、意識しなくても、すっと耳を素通りして、脳に届くようなそんな感じ。
王子様はそう感じたかどうかはわからないが……。
――あ、あ、あん……はい。そうです、リウス家、第三王子ガイウス=リウスであります。
「声ちいせぇよ」
俺の小言も彼には今聞こえてない様だ。いや、聞こえたのだろうが認識出来てないみたいだ、おいおいマジか。マジか……。
このへタレ王子様は彼女と向い合せになるようにして、別の長椅子に座る。掌を膝で拭ったりするなよ……。
――今日は突然申し訳ありません。通信文とあの……婚礼前のか、顔見せというか……。
紹介された時の超然としたような表情が一気に崩れ、幾分頬が赤くなる。
なんだよ、もじもじすんなよ、可愛いだろうがチクショウ! ああっくっそ、こいつ、ガイウスこいつと結婚かよ、チクショウ羨ましすぎんだろっ!
――ああ……ええ……そうですか……。
見合いか、そうだな見合いだな。見合いみたいなもんだな。
彼女の従者共が何か察したように扉の外に消えた。
パタッと扉が閉まった途端。
――あー、疲れたー、ホントこういうの嫌い
[えっ]
「えっ」
今まで借りてきた猫みたいに大人しくしていた彼女が豹の様に変わった。
猫も豹もまあ、本質的には変わらないか。
背もたれを使わずに座っていた姿勢からどっかり背もたれに寄りかかり、且つ体を斜めにしてこちらを細い眼で見た。高く清らかな声も直ぐに低くなった。
――なに? こっち見ないでよ。
――あ、はい……
[ねぇどうすりゃいいの]
「知るかよ」
――とっととその手紙読んで何かそれっぽい感想を述べてちゃっちゃとその辺散歩してご帰宅と相成りたいんだけど。
「うわ、きっつ、きっつ」
[キツイ……これはキツイ]
「こんな子だったの?」
[いや……知らない……こいつの為人を良く知らないままに婚約してるし……]
「あ、そうでしたね……ええ……」
いや、なんだろう、最初の印象が良すぎたからだろうなこれは。
最初に儚げな美少女だなぁという印象を持ってしまったからこう……逆ギャップ萌えだよね多分。
これで貞淑なら寧ろご褒美? どうなんだろう。
――何なん? 何か言ったらどう? ボーっとしちゃってさ。
目をぎゅーっと細めてこちらを不審そうに窺う。心なしか唇まで尖っているようだ。
――いや……別に何でもないです。
――そう? なら早く手紙読みなさい。
――あの……貰ってないんです……が……。
――あ、これだったわ、はい。
読みなさいと命令しておいて未だ渡していなかったとは……。
奇麗なオフホワイトの厚めの紙に黄色い封蝋がされている。紋章は……読めないけど恐らく彼女の家のものだ。
この脳の補正システムは素晴らしいものだな、手紙の文字がタイムラグ無しで丁寧な日本語に変換されるのだから。
『光の国の王、書を以て地の国の第三王子に白す。恙なしや。当今吾地に悪辣なる神降りて数多の民殺さる。無辜なる民、神の殺す所と為る。民は逃げざる能はず。この地無人と為るべし。いづくにか救いあらん。吾、汝に白さく、汝の力を以てこの地をして亡国とすることをなからしめんことを。謹んで第三王子ガイウス=リウスに白す。吾が国民をして困窮無からしめ賜らんことを、吾が念頭に懸るものこれあるのみ』
成程ね……成程……成程……えっ。
なんなのか分からない。続きを読もう。
『神職、術師俱に死したり。兵また屠らる。打つ手これ無し』
追伸の所にちっこい字で書いてあるのねこういうこと。
――お父様がね、君ならきっとやってくれると信じてるって言っているわ、まあ精々期待に応えてあげるんだね、で、どんな内容なの? 良く知らないで来たんだけど。
おいおい、自国民が大分殺されているっていう内容なのに王女はこれを知らないのか?
――え、この内容本当なの?
ガイウスが手紙を彼女に見せる。おいおい見せて良いのかよとも思ったが、こんな重大事件知らない方がおかしいから知ってる前提で見せたってことにしよう。
――えっ、なにこれ……。
顔面蒼白となるのも早い。釣瓶落としか。眉が一気に下がる。
――知らないわ、だって……こんなの知らないわ、そんな神様が大暴れしていたら皆分かる筈だもん……それに隣の国もこれを知るでしょうし……悪い冗談にしか聞こえないわ。っていうか、神様って神話の時代のものでしょ? そんなものが暴れるだなんて信じられないわね。
ええ……ええ……。神様の子孫を自称する者の発言とは思えないですね……。
――そんなこといったって、殿下……これはそういう風にしか読み取れないですけど……。
――そうね……でも、百歩譲って私の国でこんな事が起きてるとしてもよ、それの収拾をどうしてあなたに任せるの? あなたは祈祷師だったりするの?
――え、そんなことは一切ないです。
――だよねぇ……見るからにヒョロそうだしね……。背は高いけど……。
彼女はガイウスの身体を上から下からじろじろ眺める。眺めるほうと眺められる方の性別が反対だったら気持ち悪い者との誹りは免れないだろう。
――それにどうしてうちのお兄ちゃんとかに頼まないのかしら、私には上に兄弟がいるって知ってるわよね?
――え、あはは……。
ご、誤魔化したぞこいつ。彼女はムッとした顔をして直ぐに継いだ。
――知らないのね……まあいいわ。でも自国民を助けるなら身内を使う筈でしょう? なんなのかしらね。肚の内が見えないわ。それに、あなたにもお兄様がいるんでしょ? だとしたら彼らに頼むか、若しくはあなたを指名したとしても彼らも含んで頼む筈よ。これは妙ね。
と言って顎に手を当てた。
――た、確かに……。
このお姉ちゃん頭は悪くないみたいだな。さっきはギャップに驚いちまったけど良い奴じゃねーか、というより、ここの殿下の情けなさが際立つんだけど。さっきから愛想笑いと相槌しか打ってねーじゃねかーか。
[ねえどうしよう……]
「どうってどうすんだよ、おめーに来た話じゃねーか」
[いや、まあ、まったくもってそう。僕案件]
「なら、お前が請けるかどうか決めろよ……」
[僕としてはちょっと嫌だというか]
――嫌そうな顔してるわね。まあ、仕方ない事だけど。今の時代に神様がどうとかってのも変ね。
――で……すね。何かの比喩とかそういう感じなのですかね……。
――かもしれないわ。謎の病気の蔓延とかね。
態度は良くないが実に理知的というこのお姫様はふーむと腕を組んで宙を見上げた。
――これは直接訊くしかないでしょ。
そして彼女はニカっと笑った。そのキチンと揃えられた歯もまた眩い物だった。