四話: 建国神話と婚約者
建国神話にありがちなもの。
彼は俺の方を向いて言った。いや、知らんがな……。
「おお……本当に見える……」
その後彼は白い壁に体(精神上の、白い部屋の中にある)をぶつけることによって身体の操作権を得るという方法を発見した。
今、ガイウスの肉体はガイウス本人の操縦によって稼働している。
そして、そのガイウスの肉体の眼に映る景色がさっきまで白かった壁に投影されている。俺は床に坐りながらそれをぼおっと眺めている感じだ。
――大丈夫ですか、殿下
お、見たことない……従者かな……? さっきの少年よりは大分年かさのおじさんが俺を、ガイウスを覗き込んでいる。五メートルかける五メートルの巨大な、微細な画面に映るようなものだから、おじさんの顔が巨人のそれのように見える。
――ああ、大丈夫だ、問題ない
お、助けられてるな、ここはさっきの部屋かぁ……。
――さっきから一体どうしたんですか? 妙な事を口走ったりしたとメイドたちから聞きましたが
あ、俺の言動の事だな……すまんすまん……。
――いや、ごめん、大丈夫だ。すこし具合が悪くて、ぼおっとしてて……。
――そうですか……では医者を呼びましょう。まだ恢復なさってないご様子ですな。
ガイウスぼっちゃん、それは幾らなんでも苦しすぎる言い訳ではないか。医者を呼ばれるのも無理もない。それも頭の医者だろう。
――いえ、大丈夫……ですから……。
――そうですか? は……もしや、悪魔に憑りつかれたのでは……?
――悪魔だなんて、そんなハハハ……
[ったく、本当に悪魔みたいなもんだよアイツは]
お、マジだ、このどす黒い感情は、ガイウスの心の声だ。ステレオで聞こえるぞ。
「俺は悪魔じゃねーっつーの」
と呟くと、何やらサウンドがまた聞こえてきた。
[ここで声を出すと僕の思考に割り込みを入れることになるんだから黙ってて!]
「ここは元々お前の脳内なんだから……脳内に話しかけるとか、話しかけないとか無いだろ」
[とにかく静かにしてもえらませんか……]
はいはい……、というか、この白い部屋に居る時に俺が脳内で考えたことは彼に伝わるのだろうか、後で聞いてみよう。
――王子が悪魔に乗っ取られたというのなら話はこれ一大事でございます。急いで術師を呼びましょう。
――いや、本当に大丈夫ですから!
おうおう、完璧に怪しまれてるじゃねえか。というか、ここは西洋風の世界なのに術師とか居るのだろうか……? エクソシスト的な者ではないのか? 十字架を背負ってるとかそういう系の。
「なあ、あとで図書館とかそういう施設は無いのか? あったら連れてけ」
[わかった、わかりましたから、今は静かにしてください!]
漸く介抱から解放されたガイウスの身体はガイウスの精神によって自由に歩き回っている。
俺のリクエストにお応えしてくれて、本が沢山ある地に向かった。
「なあなあ、お前の家広すぎない?」
三分ほど歩き回っても目的地まで辿り着かないので文句を言う。廊下には表面が若干波打ったガラスが嵌っており、そこを透過した太陽の光が一々拡散して眩く廊下を照らす。
[広い……ですか? まあ、小さな国とはいえ、王族の家ですからね……まあまあの広さはありますよ]
「貴族様は優雅な生活を送ってらっしゃるのね」
[貴族では無い……王族だ。違うものですよ]
王族に事えるのが貴族なんですよと講義を受けるも
「言葉の綾みたいなもんだから気にしないで」
とぶった切ると、彼は呆れたように吐き捨てた。
[あなたの自由奔放さは羨ましいよ]
「えへへ、よく言われる」
[まあ、いいや……ここが図書室で有りますが]
「図書室」とご丁寧に札が付いていた。小学生の頃の教室表示を思い出すものだ。
「む、すんばらしい、扉まで豪勢だ!」
例の板チョコみたいな木の扉である。両開きの中々イケテるものだった。
[扉ってもう……]
彼が、その扉を開けると、ずらーーーーっと本棚がっ……。
という光景を期待していたのですが。
「なんなん、少数すぎるやんけ」
[ご不満ですか?]
「もう少し沢山あると思ってた」
彼に招かれた部屋は精々広さ十メートル四方、壁に作り付けの天井までの本棚が有って、まあまあの密度で本が埋まっている。
部屋の中央には閲覧用の長い机が一つ。そして椅子が数脚。いずれも優美な猫脚の木製だった。見ただけで高級品だと分かる。こんな謎の家具に金を掛けるぐらいならもっと本に金を掛けて蔵書を増やすべきだ。
「成程……悪くない、この国の歴史が知りたい、その次に宗教」
[国史か、解りました]
これならどうかと彼が自らの目に映す。こう書くと野暮ったいが、一口に言うと只単純に見ただけなのだ。『ミルカ王国の興り』と金文字で入っている。
「これで取り敢えず十分だ、これを読んでくれ」
[読んでくれって、普通に読めばいいんですかね?]
彼はその分厚い革表紙の本を開いた。
「読める……読めるぞ……」
その中は異国の文字が踊らず、俺の見慣れた日本語で以て綴られている。いや、驚く事もあるまい。今まで日本語で会話を行っているのだから文字もかくあらねば整合性が取れまい。
[というか、うちの国語できるんですね、ニホンってアンヌ語使ってるんですか?]
と今まさに俺が思っていた事を訊いてくる。アンヌ語とはなんだかは知らないが、今俺がスクリーンで読んでいる文字は日本語である。
恐らく、彼の眼から入って、一旦意味が解釈され、どうにか謎のシステムを通じて日本語に翻訳されて壁に映っているのだろう。
音声もまた同じことで、一旦彼の耳から入って、翻訳されてこの部屋に響いているのだろう。
「正直うちの国語は違う、日本には日本語という謎な言語体系がある。今アンヌ語を知らないけど謎のシステムによって理解が可能になっているんだな……」
[それは便利ね……]
「そういえば、俺が今脳内で思っていることって、読み取れるか?」
[精神体のあなたの今の思考ですか? うーん、いいえ、まったく。多分、あなたがあの白い部屋で口に出したことだけが聞こえるんだと思います]
「成程ね……」
彼は本を開き、俺の「次捲って」という掛け声に合わせてページを手繰る作業をする。
この国についての委細が書かれている。ミルカ王国というのは、横長の国で、その中に六つの有力な王族が居て、対外的な王は只一人であるけどもそれぞれの領地を持つ王は六人いる。婚姻や同盟で対外的な王と結びつきを強くしていけば、その王が退位したり死んだりしたときに次の王に成れるという仕組みらしい。なんともややこしい。これは、六つの別箇独立した国が五百年位前に連合王国となった為らしいが、その経緯は今は碌に残ってないらしい。「らしい、らしい」とウザいことこの上ないな。まあ正確な歴史が残ってないのだから仕方あるまい。
その六個の王族の許に貴族が複数いて領地を直接監督している……という形だ。
そういう事だから日本のような建国神話は無く、数十年前、ガイウスの曽祖父が田舎貴族だった頃に叛乱を起こして国を乗っ取ったという。これだけ聞くと大分アグレッシブな家系だと思うが、はてさて、ガイウス坊ちゃまは俺よりも消極的なのだからこれは如何。
「なに、えっとお前の曽祖父が当時の国王に刃向ったわけ? 中々やるね」
[重税と圧政がもの凄くて、農民は皆悉く飢えていたらしいですね。そこで、曽祖父は仲間と数人からなる革命団を組織して周辺の王族を味方に付け、暴虐なる王族を皆殺しにして政権を奪ったとかなんとか]
「おうふ、中々にエグイ話だ」
はたして本当に重税を布いていたかは分からない。今の政権が、過去の政権を悪く言うのは当たり前なのだからそこは話半分にしておいて、よくもまあ、強固な守りの中に居る王族を皆殺しに出来たもんだ。
この本によると、道に爆薬を埋めておいて、王族のパレード中に爆発させて殺したとある。王とお妃さんとか、王子さまとか一瞬のうちに爆死して、タイミングを見計らって混乱中の城内に闖入。大臣らを拘束、なんやかんやあって、その叛乱の指揮者たりし彼の曽祖父が王となったという話だ。
大臣を皆殺しにしなかったのは成程えらいな。ここの教育制度がどうあるか知らんが、そうそう実務に長けた者はいないだろうから殺さないで徴用するは……実に将棋的な考え方だ。
「もう、いいですわ……」
[こんなんでいいのですか?]
「他に宗教関連について知りたいんだ……悪魔がどうとか言ってたじゃないか」
[ああ……魔法関連の本はここには余りないんですよね、まあ、いいですけど]
「ていうか、この世界には本当に魔法とかそういうのがあるのか? 魔物を呼んだり、地面を割ったりとかいう」
[まさか……地面を割るだなんてそんな直接的な事はないですよ。ただ、星占いや祈りをここの人間は魔法と呼ぶのです]
「マジか、成程ね……教会みたいなのはないのか? アーメンとか言ってるタイプの」
[アーメンがどの宗教の呪文だか知りませんが、教会……? 神職ならいますよ、まあ都の端っこに居ますけどね]
「政治に関わってくるんじゃないの?」
[えっ、神職は……もう政治はやらないものですよ?]
「もうってなんやねん」
[あれ、さっき読んだ本には……書いてないか、宗教の本にはあるかも]
彼が本を捲ると、成程……きちんと書かれている。
『当今の大陸に於いて宗教の重要性は以て年々薄れゆきたり。神職は政を離れ、都の端々の社に籠りて独り祈祷するのみ』
成程……。良く聞く教会を頂点にして身分のピラミッドが出来てて……とかいう世界ではないみたいだ。『独り祈祷するのみ』と書いてあるが、べつに孤独にやってる訳ではなく、それしかしないという意味だろう。
[さっきから何を言っているんですか……?]
「いや、こっちの話……」
どうやら日本と同じような宗教観だと思われる。しかも、寺ではなく神社みたいな感じだ。
また詳しく読むと……お、神様図鑑じゃないか、この国は一神教ではないのか。
バルディ、豊穣の神。ニルス、光の神。ヨルチ、闇の神……等々。これをお祀りしている神社も併記してあるという素晴らしい本だった。
「この国の成り立ちには神話は無いが……この世界を作った神話はあるんだな……」
『昔混沌ありき。ニルス、ヨルチ、光と闇とを分けこれを昼と夜と名づく。バルディ混沌より土くれを分かちて下に敷きき……』
成程なんとなくわかった。多神教の創世記はどこも似たりよったりなのかもしれない。
[まあ、ぶっちゃけ誰も信じてないんですけどね。たまーにお腹が痛くなったときに神に祈るぐらいですかねハハハ]
「成程ねー、平和なこって」
ここで分かるのはこの国が意外と平和で気候に恵まれ、作物もきちんと育つということだ。
過酷な砂漠の民の教えたる一神教とはまさに違うものだ。
それに面白い事に六つの王族たちは神様の子孫を自称している。光の神の子孫が治める国を通称で光の国、豊穣の神の子孫の国を豊穣の国とかいうんだってさ。ガイウスらが治める地域は地の国と呼ばれているらしいが前述の通り彼の曽祖父の叛乱によって出来た国だからガイウスらは神の子孫は名乗れないらしいな。まあ、尤も光の国とか豊穣の国とか呼ぶのは改まった文書ぐらいなもので普段は領主の名前で呼ばれるらしい。例えば地の国は「リウス領、リウスの国」とかな。
――殿下、勉励中申し訳ございません。
――のわぁぁ!
「おわああああ!」
びっくりさせんなよ。誰だか知らんが後ろから声かけんな。
「誰だよあれ」
[僕の家庭教師のマルセイです……]
――突然の事で申し訳ありません。リエナ姫殿下がご到着との連絡が入りまして……
――えっ……
「誰だよそれ」
[あはは……僕の婚約者なんですが]