三十一話: 江戸弁使いの剣舞
この城ではフライパンとフライ返しで起こしてくれない。生前だってそんなシチュは無かったけど。
太陽の光を浴びて起きるというのも悪くないのではないか……と元ヒッキーが考えを改めるぐらいここは好い光が当たる。
実際には、鎧戸から線条状の光が差し込んでくるだけなのだが、それがとても心地よい。固く閉ざそうと決めていた瞼が自然に解けるように開く。
鳥の鳴く音が耳に届く。朝チュンたるは斯くあるべし。
まあ、なんというか、久しぶりに良く寝た気がする。この世界に着いてすぐに突発的な任務に追われ、変な巫女と微妙なレベルの旅館に泊まり、また野宿をしという感じだったのだから……。
起き抜けにガイウスと人格を交代した。今日からはまあ、なんかやべえ時以外は俺はこの身体の操作権を彼に譲り渡すということになっているからだ。
「おはようさんです、ガイウス」
[ええ……おはようございます、今日からまた僕の生活は通常運転ですが、まあ……]
「退屈なのか?」
[そうですね、しかしまあ、しょうがないでしょう、三男とは言え、王位継承権があるのですからそれなりに頑張らないと……]
「責任感強い……こいつぁ……いいエリートだ」
[そんなことないですよ……僕なんて……無能もいいところですから]
「お、なんや、朝は気分が滅入る方か?」
[自分のことを考えるといつだって気分が悪いですよ]
ベッドでモゾモゾしていると扉が開いて、例の如く着替えの時間である。説明は省くが。
――殿下、今日の予定ですが、いつも通りとなっておりますが何か留意点など御座いますか。
一番歳食った……一番話しててもつまらないメイドが紙を読みながらそう言ってた。時間割通りに動くってのはやっぱめんどいわな。パチーーッと太陽の光で目が覚めたなら血の沸き立つ動欲に従って行動したいじゃないか! 生前の俺? うーん、まああんまり訊かないで。
――特に無い、またムルシが来るのだろう?
――左様でございます。そろそろここに住まわれては如何かと何度も申し上げているのですが。
――まあ……奴は放浪癖が酷いからな……それで腕を上げてこちらに教えにくるのならそれで利ではある。
――そうですね。それから、ケリエス、ニール殿下のお二方が今日此方にお帰りになります。陛下の行方はまだ分かりませんが……まあ……いつもの事ですが……お戻りは少し後かと。
――ああ……まったく父上にも困ったもので……。
なるほど、放浪癖がある奴が多すぎないか? いや、陛下ってあれじゃないの? そんなにその辺を歩き回ってていい訳? なんなん、暴れん坊将軍とかそういう感じで市井に出ていいのか? なんか噂だけど、そんなに親しみやすい王様って感じじゃなかったじゃん。余の顔見忘れたか? とかやりそうなタイプじゃないらしいじゃん?
まあ、いろいろあるよね、国を運営してたら。一人旅(まあ護衛もいるけど)ぐらいしたい時もあるよ。
ガイウスの時間割は大体次の通り。
朝飯食う
剣術の練習
昼飯食う
歴史の勉強
弁論術の勉強
解散
中々色々やるな……。時間という概念が俺とは違うから分からんけど大体一コマ二時間位なのかな?
朝から剣術……まあ俺の世界からすれば体育ってところか……朝から体育とかマジあり得ねーよな、頭ぼおおっとしてる時にサッカーなんかやらされてみろ、ヘマやらかしてなんかサッカーガチ勢にどやされるんだからな、碌なもんじゃねー。
って生前のことについて勝手に思い出して勝手に煩悶してる訳だが、剣術の稽古は基本的に二人一組だろうからそこまで嫌がられまい、あ、剣道みたいに先鋒、次鋒みたいに団体戦なら足手まといの誹りを受けるかもしれぬ。それはそれで嫌だよなあ……まあ……ガイウスの身体だからいいか。
朝飯の場所に行く。はあ……どうしてこうも広い卓なのに俺一人でしか飯食えねーんだろうな。使用人は一緒に飯食うなっていうのがあるって、高貴な家らしいっちゃらしいけど、さびしくねーか? いや完全なるボッチ飯ならええよ?
俺、ってかガイウスがもぐもぐしてる時に四、五人がこっち向いてじーーっと観察してる感じ? まあ呼びつけられたら迅速に対応しようっつー配慮だとは思うんだけどさ、そんな見られたらやり辛いじゃん? いや、まあほら、ガイウスは慣れたもんで黙々ともぐもぐしてるけどさ、こちとらファミレスでも店員呼ぶのに恐縮するド庶民だからさ……。なんか辛い。
そういや、この精神の白い部屋にいると飯食わなくてもいいみたいだな、こらー便利だ。なんつーか、ガイウスの脳内ってのはニートするには良い環境かもしれねーが……強制的に外の映像が流れ込んでくるからツッコミたくてたまんねーよな、あ、これテレビにツッコミ入れるジジイみたいじゃん、あれ、俺早くもボケ始めてきてる?
ちんたら飯食うタイプじゃなくてよかったわ、こんな見られてる感じの所にずっとは居られまいて。
この国はコース料理みたいな順序で皿が出てくるというわけではなく、大皿に沢山のおかず? が乗って来てでっかいフォークとヘラとで各自の皿に取り分ける様式だ。あ、これ兄弟多いと取り合いになるやつだ。
この様式はガイウス一人で飯食う時にも適用されていて、態々でかい皿に野菜の炒めたのが乗ってきて、ガイウスが自らそれを自分の取り皿に移してスプーンめいた食器で食べる。
一人分だって分かってんなら一人分で出して来いよ……なんなん。
[ああ、この形式ですか……? そうですねぇ、『余は沢山の食料を与えることが出来るのだぞ』という誇示ですかね……?]
「あ、心の声漏れてた……?」
[いいえ、普通に口動いてた筈ですけど?]
「ぎえぴー」
そう、ここで声に出した言葉はガイウスに聞こえるのだ。俺の脳内で思ってるだけなら聞こえないからセーフ。ちょっと気を付けよう。
ふむ、なるほど、大皿に沢山の料理が出せるというのは確かに食料の少ない地域、時代だとめっちゃ凄いことなんだろうな。山盛りの料理を目の前にどーーんと出すというのは威圧になるかも。(なんのだ)
するってえと、あれかい、俺の知ってるフランス料理みたいなのは「はは、チンケな野菜と謎の汁が零れてる皿だな、hahahaha」と笑われてしまうのだろうか。ふーむ、所変われば品変わるというかなんというか。
ってか、まあ箸はないかもしれないけど、フォークぐらいあってもいいんじゃないの? ガイウスは今、野菜炒め的なものをずっとスプーンで喰ってるよ。やばくね、辛くね? まあでも上手く掬えてるからいいか……。
ここのフォークってあれなんか、取り分け用のでっかいやつ、しかも二股のやつしかないのか……。なるほど不便極まりないな……。
「なあ、このフォークのもう少し小さい奴で飯食ったりしないの?」
[え、何を言っているのですか?]
食事中に会話する勿れ、というのは口がモゴモゴするからであって脳内でできるならその限りでは無い。
「いや、ほら、飯食う時にスプーンだけだと不便じゃないか?」
[いや、別段不便だとは思いませんが……]
「あ……ふーん、そっかー……」
この前も思ったけど、不便なことを不便だと悟らせるのってめっちゃ大変だろうな。いや、もう暇で仕方ないし、ガイウスの身体を借りて楽しい事したいわ。
さて、剣術用の服に着替えるのはまあ普通だよな、ジャージに着替えるようなもん。袖なんかがダブダブしない細身の服に着替えた。ふむ、カッチョイイんじゃないのぉ?
闘技場……とかそういう立派なものは付いていなかった。なんか庭でふつーに剣を振るうらしいよ、ガイウス曰く、先生と一対一の戦いをするみたいだ。いやーよかったわ……「はい二人組つくってーー」みたいな拷問が無くて。
なんだろう、庭に出て日が当たるところで立ち尽くしているのだが、この身体の他には近くに誰も……あ、エルバはいたわ、なんか藤の籠みたいなのを持ってこの身体の右隣にいる。
「このエルバさんは何でこんなところに居るのかしら?]
俺が問うと、ガイウス答えて曰く
[彼は僕のこういった屋外での訓練や散歩に付き合う従者なので……。屋内では別に付き従うことは無いのです]
ああ……確かになんかそんな気がしてたわ、ってか怪物の討伐って屋外の活動にはならないんでしょうか、私気になります。正直例の巫女より男の方が頼もしかったりするので。
――なんでしょう? ムルシ殿来ないですねー
脳内の俺の失礼な発言は彼には聞こえず、すこし気の抜けた声でエルバはガイウスに声を掛ける。そうすると、ガイウスは王族らしい堂々とした発言を以て返す。
――そうだな、なに、また例の放浪癖が出たとのことだろう。まあ、毎回訓練にはちゃんと来るんだけど今回は来られないのかもな……。
太陽はまだまだてっぺんから遠く、小鳥もぴよぴよ暢気そうに鳴いている。十秒、二十秒の遅れで誰かが謝ることがないなんて素敵な世界だ……俺の求めてた理想郷だなあ……と彼の脳内でごろり大の字。まあ、生前は時間に追われてたことなんてないけどね。通販だってのんびりゆっくり待ってたさ。
この身体とエルバは木陰に移動し、大きな木に背中を預けながらじっくりと時間を潰そうとした時。
――おーーーい
お、どっかから声が聞こえるぞ。
「これがそうか?」
訊いてみる。
[ええ、剣術の指南役のムルシです……]
広大な敷地を持つこの城、たとい門をくぐってこちらに向かっているとしても大分遠くに見える。そう、あの人影だ。腕を前に突き出して人差し指を立てよう。その第一関節ぐらいが今の彼の大きさだ。
それからトボトボとこちらに向かってきていて、漸くこちらに着いたのは五分も過ぎた頃だ。
――よう坊ちゃん、元気してたか? なんでも化け物を倒したらしいって、あらぁマジっすか?
かるーく挨拶をしてきたのがこの男。背は百七十ぐらいかな、中肉中背、肌は軽く日焼けしていて健康的。
黒い無造作ヘアとそれと同じ色で爛々と光る瞳。ニヒヒと笑う口元。どことなく少年っぽい、歳の頃は二十ぐらいだろうが。
着る者は茶色っぽい貫頭衣。赤い帯に長い刀を佩用していた。成程、剣術しそうな身構えである。
――はあ……ええまあ、で、今日はどうしたのです?
――なに、ちょっと試合をしてたんでさァ、ま、なんです? 最近変な奴が増えましてねェ、辻斬りやら夜盗、まあ難儀なもんでござんすよ。
――試合……ね、成程。今日はどんなことを?
その試合とやらは、きっと数日前俺とアニリンとを襲った奴らの事なんだろう。そいつらを片付けてくれるとは……有り難い事だが、警察機構みたいなのは何をしているんだろう。
――なーに、フツーに、こっちと切り結びますかいね。坊ちゃんはまだまだ弱っちいから楽勝でしょう。
さっきからこの人は王族に対する礼儀がなってない感じある。それでもあの小五月蠅いガイウスは憤慨する様子はないし、エルバも黙っている。きっとこの人の特性なのだろう。
――言ってくれますね……。まあ否定はできませんが。
――真剣でやるのは危ないんでやめやしょう、ほら、これで、あ、ありがとう。
エルバから木刀を渡されてヘヘヘと笑いながら礼を言う。どこか憎めない奴に見える。
一メートルぐらいの短めの木刀をお互い向け合う。剣を構えると目つきが変わる……とかいうベタな展開では無くて、その指南役の目はあくまでもにこやかなままだった。
二人の間合いは三メートルぐらい? どっちかが向かって行ったら直ぐに相手を叩けそうな位置。
俺は剣道やら剣術には明るくないから良く解らんが、よくある構えなのかな? 正眼の構えってやつ?
――お、坊ちゃんビビってるぅ。
――なっ!
ムルシが煽ると少しムッとする坊ちゃん。その隙にムルシは地面を前蹴りして細かい砂を相対した者の眼に目掛けて放つ。
くっ、と一瞬視界が奪われた瞬間に、また視界が白く煌々とチラチラと光る。
……ああ、殴られたのだと。理解した。
――はいーー、坊ちゃん死んだよ、はい、死んだー。頭パッカーーンってなって死んだ。真剣なら死んでる。
キャッキャとはしゃぎまわりながらクルクルと回りさりげなく距離を取る先生。
――ぐぬぬぬ! おのれェ……。
頭を押さえながらもそれでも木刀を落とさないようにしている所は偉いと思う。ってかこの世界に面や籠手とか無いのね。木刀を素頭(?)で受けるとか下手したら死ぬぞ、真剣じゃなくても。
「ざまあ」
まあ、それでもこの感情は捨てられなかったんだけどね。
[ニシカワ殿は向こうの味方ですか、そうですか]
「いやちょっと面白くて、まあ砂掛けも有効な攻撃だろうからな」
[ぐぬぬ、ムルシの動きは奇想天外だから……]
――こんなんじゃ、婚約者一人も守れねーって訳ですよ、大丈夫っすかァ、殿下ァ。
ケラケラと笑い、木刀を弄びながら挑発をする。……が、きちんとガイウスの動向を漏れなく眺めているようでそこは流石、剣士というところか。
なるほど……俺の無礼さ加減に余り憤慨しないのはこいつで耐性付けてたからか成程……。
――このぉ、腐れめェ!
木刀を腰だめにして突っ込む。柔らかな地面は聊か蹴り難いが、それは最初の数歩のみ、この身体は疾く相手の胴目掛けて、弾のように飛ぶ。
自らの身体を矢と化し、全ての力を込めてこの一射に賭けて駆ける。