二話: 体の主は
遂に正体判明
結論から言ってまた着替えさせられた。どうしてそんな真似をするのかと問うと、散歩をするなら散歩用の服に着替えなくてはなりませんと譲らない。
散歩用だの、家でくつろぐようだの、昼用だの、夜用だのと聴けばキリがない。どうもこの身体は四時間とて同じ服を纏い続けることはないようだ。どれだけの綺麗好きなのか。けったいなものだ。百歩譲って、自分で着替えるならまだしも、ずっと着替えを人にやらせるというのも嫌なものだ。俺は無気力だが、そこまでされる程ではない。
俺の生前の服は合わせて四着ぐらいしかなかったから、こんな手間など耐えられる筈も無かったのだが、彼女たちの職務熱心さによって俺はまた身を剥かれた。
散歩用だから実用重視の素晴らしい服かと思ったが、そうでは無かった。いや、生地の滑らかさは先程より失われた毛織物だったが、刺繍や装飾は相変わらずついて廻った。極めつけは帽子を被れと強制されたことである。帽子など嫌いだと言ったが、そういうとどうも、俺を気味の悪い動物のようなものを見る目つきに変わって……「殿下……今日はおかしいですよ」と声を潜める。
元来、そういった蔑みのような消極的な目に慣れていた俺ではあったが、彼女達の視線に耐え切れず、海賊とか、ナポレオンが被るような帽子を無理やり被った。
外に出ると、知らない少年……? が俺を待っていた。彼は趣味のいい服を着ていて、また俺と同じような帽子を被っていた。
「殿下御機嫌宜しゅう」と言うので「あ、ああ……」と呻いておいた。
時代劇の真似をして、「うむ、苦しゅうない」とでも言っておけばよかったのだろうか。
少頃して気づく。どうやらこの家は、家と言うより屋敷や宮殿のようなものに近く、外の散歩と言っても市街地をウロウロするようなものではなく、自分ちの庭を歩いているという形なのだ。
玄関から見渡して、門や塀が見えないとはどういうことだろうか。
辺り一面綺麗な芝が敷かれ、植木は綺麗に手入れされ、なんとまあ厩舎まである。どんな豪邸だろうか、俺はこんなところに連れてこられたのか。どんな善行を積んだのか、積んだのはゲームぐらいしかない俺の轢かれる前の人生を思い憂いて考えるが、一向に考え付くものなし。
「殿下は、今日は何か考え事となさっているのですか」
「うーん、ここはいいなと思って」
奇麗な景色だしなぁ、何だか天気も良く暖かいからなぁ。
「あら……いつもは、ケリエス殿下とニール殿下が嫌いだといつもここを出たがっているのに」
「……? 誰それ」
俺の発言に彼の眉が動く。
「どうしたんですか? まさかご自分の御兄弟の事をお忘れになった訳ではないのでしょうね」
「俺? 一人っ子だぞ? だから両親は俺にそこそこ金をつぎ込んでだな……」
結局俺はニートになったんだ……と俺が続きを言おうとしたが、彼はそのつぶらな目に一瞬で涙を大量に湛えて
「ああ、殿下! いくらご自分の境遇が辛いからと言って、御兄弟を、国の王子を忘れ去るとは、ああ……このエルバ、無学な身でございますが、お話し相手には……なれないでしょうか」
「なるほ……ど?」
誰も居ないような木陰に彼を連れて行って事の顛末を話した。こういうのを話すべきか、べからざりしものか判断はつかなかった、ただ、これ以上泣かれても困ったし、俺の身の上に起きたことを少し整理したかったというのもある。
「整理すると……殿下は、いえ、タツヒコ殿は、ニホンという国の、庶民階級の若者であって、事故により死し、そのあと、何故か目が覚めたら、ここに居たというわけで……す……ね?」
「はいそうです」
いや、うん、訳が分からないよと彼が目を押さえるのも無理ない。というか、日本を知らないのか、死者の世界は。ジャパンといっても通じないからもういっそ日本で通したが。
「でも姿かたちは殿下そのものですが」
「あ……うーん、俺の意識とか魂がこいつの中に這入ったのではないかと俺は思うんだが……」
「謎の魔法感ありますね」
ふむふむとしきりに頷く。分かっているのか居ないのか分からないが、こいつに今の状況を話して良かったのか、と問われたら良かったと言うべきだろう。自分も整理できたからだ。
「でも、この話は、私に以外してはなりませんよ」
ずい、と人の好さそうな彼にしては真剣な顔をして近づく。
「な、なんでさ……」
「詳しくお教えします。殿下は先程述べた、ケリエス、ニール両殿下に疎まれ、殺される可能性が高まります」
「高まります……って元々殺される運命みたいな話し方するの止めて頂きたい」
「もともとそうですから……」
なんでも俺、ガイウスには二人、兄がいるという。それが、長男ケリエス、二男ニールだそうだ。
この二人はどうやら俺を疎んじ、機会あらば殺そうとしているのだそうだ。ガイウスに悪魔が憑依したという話になれば、大手を振って殺せるのだとも少年は言った。
いや、おかしいだろ、例えば、俺が兄で、弟が俺を殺そうとするならば、話は通るだろう。相続とかそういう意味で。しかし、弟を殺そうとするなんて謎だろうとエルバ……(俺の従僕らしい)に言ったが、その辺は良く解らない様で、はあ、確かにそうですねぇなんて軽い話し方をして終わった。
末っ子が全てを受け継ぐという文化もどこかで聞いたことがあるからそれが原因かと思ったが、そうではないという。この国の風俗は謎だ。
考えて唸っていたら、急に視界が歪んだ。なんだ、樹に凭れていたが、背中を擦って横になりたい。
一気にサウナに放り込まれたように汗が噴き出す。
エルバの俺を呼ぶ声が、どこかでハウリングした。
目の前の樹木の輪郭は消えて、只光と、緑色で塗りつぶされ、瞼によって真っ黒に塗りつぶされた。
目が覚めたのは、簡素な白い部屋の床。今度はベッドも無く、豪奢な調度品も無く、というか、何もない部屋だった。
五メートル四方だったか、それぐらい。天井も五メートルぐらいまである素晴らしい、理想的な立方体の空間だった。
何もないと言ったらウソだった。壁際に一人、誰かいた。
良く見たら、それは俺だった。俺というか、ガイウスがいた。反射的に俺は自らの腕を見た。うむ、俺の腕だ、毛だらけの、西川竜彦たる腕だった。
「あの……あなたは? 悪魔か?」
と彼が、ガイウスが俺に向けて言った。恐る恐るという表現がぴったり合う。
悪魔にも丁寧語を使う人種なのかこいつは。
「俺か? お前は……ガイウスだな?」
「はい……目が覚めたらここに居ました」
「俺と一緒か……で、ああ、俺か、西川竜彦だ、因みに悪魔では無い」
日本から来た若者だぞ。と名乗ると、彼はご丁寧に手を胸に当てて頭を下げた。俺も反射的に頭を下げた。
「ニシカワ殿、ここは一体どこなのでしようか」
俺の自分は悪魔ではない宣言をあっさり、いとも簡単に信じた彼は、その場に座る。警戒心を置くすのには聊か早すぎるのではないか、と思ったが、俺は最初から敵愾心や、彼を害そうとする心算なんて毛頭なかったから、彼の取った行動は確かに正解であった。
「そんな事俺に訊かれても困る、っていうかな、今恐ろしい夢を見ていたんだ。あのさ、」
「解ります。だって僕、あなたに体を乗っ取られていたんですから……」