十六話: 刺客到来
こっから、闘う巫女が見られる。
「なんてことを言うんですか、このお方は……!」
ずい、と俺の前に踊り出る巫女。おお、きちんと俺の護衛という役目を全うしようとしてくれるのか、有り難い。しかし、怪しげな魔法使いは、巫女の少し攻撃的な視線を意に介する様子は微塵も見えない。むしろ、巫女に対して憐みの情を浮かべさえした。そして続けた。
「貴女も神に仕える身なら分かるでしょう、このお方には死の影が纏わりついてることぐらい」
「なっ! 生憎私には見えませんが! あなたは、巫女……ではありませんね、術師ですか」
「どの呼び名でも同じものでしょう。人ならざる物の力を以て人の世に何か為すのですから」
「……っ、たといそうだとしてもいきなり人を呼びつけて死の宣告をするのは倫理に悖ります!」
巫女と老婆の態度は非常に対照的であった。いわば、焦っている巫女とそれを宥める老婆。
「貴女は高位の巫女ですね? アンギリアリのアルハルトの巫女。貴女だって本当は、見えてるんでしょう?」
「ちが、私には見えません! それに、何故私の事を?」
「見えるのですよ、貴女の後ろに、貴女が神殿にいる風景が。ふふ、信じないなら、それでいいでしょう。神様にも色んな人がいます。意見が割れる事もあるでしょう。でもご用心なされよ、明日。明日にあなたは、死ぬ」
それだけ言い切ると老婆はくるりと向きを変え、人混みに紛れた。
少頃俺はぼうっとしていたが、はっと気づいた。
「ま、待ってくれ! 俺は何で死ぬんだ! 死ぬことだけ伝えられてもどうしようも無いじゃないか!」
俺は駆け出し、人混みをかき分けたが、この巨体、老婆の小躯を探すことは叶わず。
あれは煙の如く消え去りぬ。辺りを見回すのも諦めて立ち止まる。畜生、何が『ご用心なされよ』だ。明日どうせ死ぬみたいなこと言いやがって、用心したって無駄じゃねえか!
「で、殿下、気にしないでください、あれは素性も知れぬ野良の術師です」
追われているかのように言葉が早い。追いかけてきたのは巫女の方なのに。
「アレは本当なんですか……?」
問うと彼女は首を凄く、いつもののんびりしたような動作はこのために温存していたのかと思わせるような速度で、横に振った。ああ、やっとわかったよ、首を横に振るのは否定なんだな。
「それは嘘ですって……だから嘘です。謎の事を言って驚かせているんだけなんですよ」
近い。とか言って避けるのも忍びなくなるぐらいに必死に、懸命に詰め寄ってくる。
「何でそんなに慌てているんですか? 本当だったりするんですか?」
「んなわけあるわけないでしょう? もし仮に、そうだったとしても、私は人の未来までは見えません……。ミシオ様なら見えるかもしれませんが、そういう事を何も仰ってなかったです」
「そうか……まあじゃあ心配しないようにしますね、アルハルトの巫女たちを信じますよ」
そう言っておかないと、この巫女が今にも泣きだしそうだったから。それに、そう信じないと、俺が明日には屍となっていることを認めることとなる。
――僕死ぬのかぁ……。あと一日の命かぁ……。
凄くショック受けてますよ……この殿下。
[大丈夫、大丈夫、多分。一回死んでも別の世界に転生できるし! 経験上!]
――あああああ! 謎の慰めなんていらないんですよぉ!
折角、慰めたのに……。というか俺は彼の慰め係ではないのだがね……と思いながら立ち尽くしていてすっかり巫女の事を忘れていた。
「あ、アニリン?」
「殿下……こっちの方を信じてくれてありがとうございます」
こちらを見上げて、涙目を見せつけてくださいます。どうしよう、女の子泣かせちゃったんだけど。
俺としては女に泣かれるなんて『ええー! 死に川(俺のあだ名)と隣の席いやだー!』とか『うわぁぁぁぁ、死に川とすれ違った……』とかそういう事でしか経験無いんだけど……。
「いや、えっと……ええっと……どうしよう。ほら、あれじゃないですか? アルハルトの巫女の言う事を信じた方がいいじゃないですか、だってあの婆さんが言ってたことを信じると俺、明日に死んじゃうんですよ? まだ死にたくないし、ははっ……」
さっき思った事と同様の台詞を吐く。ご都合主義丸出しじゃないかと叱られるかなと身構えていたら、なんと巫女は涙を止めて微笑んだじゃないか。
「そ、そうですよね。殿下には婚約者もいますし、ここで死ぬわけにもいかないでしょう」
「お、あ、そ、そうです。『この戦いが終わったら、俺、結婚するんだ』みたいなのは嫌ですからね!」
なんですかそれ、とまた笑ってくれた。今度は声を出してだ。笑む口を手で押さえながら、それはそれは上品な姿であった。
――泣いたと思ったら今度は直ぐに笑うのですか……。
[それは俺も困惑する]
二人の男は、この一人の少女の性質について幾分訝しみながら両替店から離れた。
「とりあえず、服を買いませんか、殿下は……昨日から着替えてませんし」
彼女の発言に殿下は「ふむふむ、よいな」と同意したから俺も行きましょうと言った。しかしながら、こう人が多くっちゃどこに服の商店があるか分からないもんだ。都会に住んでいると、繁華街なんつうもんがあって、そこに行けば何でも揃っていると威張っているが、その実、そこにあるのは二つの店しかない。服屋と飯屋だ。だが、ここの世界はそうではない。吊るした鳥に、畳まれた大きな布、大声で客引きをしている新聞売りという風に活気だか猥雑さだかを渾然一体にしてしまった姿があった。
誰も彼もが下を見ず、キョロキョロしているのだ。おのぼりの俺らならなおさらだ。
「殿下、振り返らないでください」
お祭りの屋台を覗いている気分で楽しんでいるところに、隣の巫女が水を注す。ぼおっとした脳味噌を刺す、小さいがはっきり聞こえる鋭い声。
「どうしたんです?」
背を屈めず出来るだけ小さい声で訊ねる。
「両替店からずっと誰かから追われている感じがしてましたけど……どうやら本当の様です」
「それって……両替店の前で婆さんに声を掛けられていた時も?」
「そうです。気のせいかなと思ったんですが、これは違いますね、何が目的かは知りませんが、このままではまずいです、上手くまきましょう」
「こう、人が多くっちゃ普通に歩くだけでも大変なのに……」
考えてもみてくれ、年末のアメ横を縦横無尽に動けるか? いいや、無理だ。
「そう言われてもしょうがないです。だからまあ、早くこの国を出ちゃいます。人混みが少なくなったころを見計らって返り討ちにしましょう」
「そんな無茶だ」
「身を守るためなら神も赦してくれます、寧ろ許してくれなくてもそんなの気にしません」
「え、ええ……」
彼女は時折手鏡を取り出して後ろを窺う。成程、女ならばこうしても違和感はない。
「私たちが気付いたことに気付いたようです、早く!」
やにわ手を取られて歩く速度が上がる。早く、と言ってもガイウスの身の丈は百八十センチメートル以上、対してここにいる人々は高くても百七十。とってもわかりやすい標的です、有難う御座います。
――気付いたことに気付かれるって何で?
[わからん……あ、もしや鏡がキラキラしてて、それで?]
――うわ、この浅慮の巫女めっ!
うわあ……。まあ、ここで殿下になんやかんや言ってもしょうがない。細身で人混みをすいすい抜けられる巫女となんかやたら背が高くて、人にガンガンぶち当たる王子の組み合わせはこの場合最悪だ。
やっとのことで細い路地を見つけ、そちらに潜り込む。ここで待ち伏せる算段だ。
「はあ……まけましたかね……」
二階建ての家屋の壁に背中を着け、息を整える。さっきまでずっと青空が広い場所にいたから、少しでも囲まれると安心感がある。守られている様な気がするよ。
「恐らく駄目でしょう……。背が高すぎるから目立つ」
「そっか……それは案外気づかなかった……まあ、ここに入ってきたら、斬り殺します、殿下も抜刀してください」
いつの間にかとり出した刃渡り三十センチぐらいの直刀。こんなの持ってたっけ?
「どれが追手だか分からないんですが」
「黒い髪の、目の鋭い二人組です」
それってよぅ……。ちらっと路地から人ごみに目を移すが、結構いないか、それに該当しそうな人は。
「どれだかわっかねーよ!」
「私が斬りかかったらそれです!」
はいはい……。いつまで緊張してればいいんだよと愚痴りたくなるが、身を守るためだ。剣の柄に手を当てて、息を殺す。路地の入口に近い方にアニリンを置き、魁に斬らせ、敵を怯ませた後、奥に居る俺が長い剣で止めを刺すという連携。
三メートル先の喧騒とここの殺気に満ちた静けさとが、緩やかに混じる。
その影が現れたと同時に、アニリンは刀を腰だめにして突っ込む。一人は完全に自身で殺す心算なのだ。が、それは一瞬たじろぐ姿を見せたが、すんでのところでその刀を蹴り上げ、遠くに飛ばした。
普通なら勢い余って転ぶだろう巫女は、うまく自らの慣性を殺して立ち直った。
路地の入口を二人が塞ぐ。畜生、本当だったんだな、黒髪で鋭い眼、確かにその通りだ。二人とも同じ格好――体型を隠す大きな黒いマントに黒い靴と黒ずくめの装束。
すらっ、と二人とも剣を抜いた。その姿は逆光によく映え、美しかった。