十二話: 冒険の友は酒乱の巫女
死亡フラグは回避できるか、また新たに立った女とのフラグはどうなるのか。
――は、はい……。
かすれるような彼女の声。
なんだろ、すんごいフラグ立てた気がするけど(あの子が苦手とか言ってたくせに)、姫さんが喜んだんだったらそれでいいわ。くそ、恥ずかしそうにしてる姫さんかわいいーっ。とニヤニヤしていると、彼女が二、三歩近づいた。
――では、証を身に着けていって……ください。
そう言って彼女は銀色の趣味のいい指輪をガイウスの右手の人差し指に嵌めた。
それがぴったりだったのは天の采配だったのか、それとも事前に寸法が採られていたのか俺には分からない。
――これは?
――指の中で一番頻繁に使う所は、右手の人差し指なんだって。だから、そこに指輪を着けるってことは、ずっと一緒で、ずっと忘れないってことだから……っていうアンギリアリの古い言い伝え。
――こ、これは……有り難い……。
流石のガイウス殿下も言葉が上手くひねり出せない様だな、ふふふ、くそっ青春だなあ。
――だから、絶対それを失くしちゃダメ、なくしたらもう愛は失われたってことだからね。
――ああ、失くさない。絶対に。
――本当に? 信じるわ。
なんだろ、重ね重ねフラグ立ててるよな? わざとなの? わざとでしょ? くそ、恥ずかしそうにしてる姫さんかわいいーっ(二度目)。
アンギリアリの城門を出る。何か派手な出発式やパレードなどは一切ない。あの姫さんと別れて、数分も経たないうちに中のメイドさんらしき者に門の外へつまみ出されたような感じである。悪気は無いのかもしれんが少し寂しいじゃないか。
「感動的なお別れが済んだところで!」
――ろで!
やけくそ気味の俺に釣られるように彼も何故か叫んだ。(脳内なのでセーフ)
「その森っていうのはどれくらい離れているんだい? 俺はここの地理は全く知らんぞ」
――一回領地を出ますね、飛び地なんです今は
「ほー、なるほろなー。で、旅行の支度とかしなきゃいけないんだろ? 一旦家に戻るのか?」
――それが理想ですけど、なんかもう仲間出来ちゃいましたし……。
そう、あの無茶振り巫女頭殿が「自分の次に有能」と評した巫女が一人傍らにいるのだ。
さっきの栗毛の巫女なんだよね……。
――どうも! 派遣されてきました巫女ですっ! シシル=アニリンです! アニリンと呼んでくださいっ!
紫色みたいな名前だな。今は例の生成りの服の上に緑色の羽織? っぽいゆったりとした上着を着ている。鞄は茶色の革の肩掛け。歩きやすい靴を履いてね! という遠足のしおりを守った様な黒い革製の靴。
程よく日に焼けた肌は巫女というより元気な町娘っぽい。栗色の髪は短く切りそろえられていて、ボブ……とかいう髪型と酷似している。どうも俺の苦手とする元気な奴だ。俺の世界にいたらきっとバスケット部とかそういうのに入ってただろう。オレンジ色のキラキラ光る瞳をこちらに向けて来ても困るんだが、何もやらんぞ。
時刻は夕方頃になりそうだ。このままだと真っ暗闇になってしまうのだろうか。所々にガス灯などは見えない。多分ここは闇に包まれるのだろう。現代の人間(俺ら)はすっかり忘れている。夜は暗い事を。それをまた思い出すこととなるのだ。
――まあ、この門の前でじっとしててもしょうがありませんっ! ちゃっちゃといっちゃいましょう!
アニリンはクルリと俺に背を向けるとテクテク歩いていく。そっちでいいのか? 地図を見るとどうも真反対ではないか。
結論から言うと大丈夫だった。
「今日はもう遅いので宿に泊まっちゃいましょう、経費で落ちますよ!」
「ならいいけど……」
ガイウスもああいう感じの人が苦手らしく、俺と人格を交代した。俺だって嫌だよと言ったが聞かなかった。どうもこの王子はこらえ性がないらしい。
RPGで出てくる感じの宿に着いた。とは言っても一軒だけポツリ寂しく佇んでいる訳ではない。どうやら街道沿いの宿場町に入ったらしい。街道の左右にきちんとした宿がならんでいる。温泉とかないだろうかと思ったが、どうにも温泉特有のあの硫化水素の臭いはしない。残念だが諦めよう。
アニリンが一番安い宿に泊まろうと言って俺も賛成しかけたが、ガイウスがこう言うのだ。
「僕は仮にも王族ですからね、安かろう悪かろうで死にたくはないんですよね」
まあ理解できない話ではない。うっかり殺されてしまったらこのアニリンなる巫女にも責任が及ぶかもしれない。それはあんまりよくない。という訳で中程度の宿に泊まる事となった。
問題だったのは部屋割りである。彼女は節約の為一部屋でよかろうと言うのだが、ガイウスは(脳内で)頑として反対した。まあせやろな、嫁さんいる身ですからね。ここが側室を認める文化かどうか知らんのだが、彼曰く余計な嫌疑をこれ以上増やす訳にはいかないと。ふむ、これも理解できる。
数年後この巫女が小さい子を連れて来て「王子様の子供なの……あの時の……」とか言わない保証はあるまい。DNA鑑定が出来るかどうかは知らんが、(恐らくこの世界では出来ないけど)余計な紛争の種は出来るだけ除去したい気持ちは重々分かるので、分けて貰った。そうするとあの巫女は「もう、やっぱしお金持ちの言う事は違いますねェーッ」と笑った。
フロントで別れて、あてがわれた部屋に入る。電気は通ってないから暗い。さっき、係の人が蝋燭を点けてくれたから薄ぼんやりと明るい。ベッドがポツンとあり、壁際に机と椅子が置かれているだけの小さな部屋だ。これでも彼女の謂う所の中程度の宿なのだ。
「厄介な事になったとは思わないか」
ベッドに腰掛けながら言う。なんだよ、マットレスとか敷布団とかないのかよ……。硬いわ。
――そりゃあ勿論……。
殆ど着の身着のままみたいな感じで出てきてしまったからな。即断即決の気が強すぎる……。これはここの国の人のあれかな、習性なのかな?
「取り敢えず旅費は彼女もちなんでしょ? 知らんけど」
――そうですね、建て替えて貰っているのか、そもそも陛下から金を預かってるのか知りませんけど、あとで聞いておかないとですね……。
「であるなー。あとはなんだろ、今の装備確認しない? 何持ってるか解んないと困るんじゃね」
――ですね、まあ、あんまりまともなものは持ってないんですけど……。
もう日没も待てないぐらいに森に探検したい責任感があるんですよアピールの為にそのまま出て来てしまった訳で……。
剣……一メートルぐらいの刀身の剣。よく切れそう。鞘とセット。柄や鞘は黄金とかそういう豪奢なものではないけれどいい木を使ってるんだろうなと思う。
布の服……訪問着である。多分木綿製。
先程の幸せの象徴たる指輪。
以上です、はい。なんでしょうかこれ、指輪の他には剣しか持ってないのかよ。なんだこいつ武人か? ござるござる言ってる武人か? 本の一つも持ってないのかよ……。
「これしかない……と」
――はい。
「これでよく『直ぐ行きます』って言いましたね殿下」
――それは成り行き上仕方なかったでしょうに……ご覧になったでしょう。
「そうだけどね、いや王族だったらこう……金目のものを沢山持っててもいいかなと」
――支払いは従者がしますから僕は金を持ちませんよ。それに、買い物に行くことなんて殆どありません。というか、城から出ることがないというか……ここのリエナ姫は違うみたいですけど。
「なるほどな……なるほど……家が金持ちだと引きこもり捗るわけね」
――引きこもってる訳では……。
「本とかないの?」
旅館だったら聖書とかあるだろうなぁと思ったがここにはキリスト教はない。
――なさそうですなー。
「紙はどうやって作るんだ?」
羊皮紙とかそういうのあるけど、図書館にあった本や手紙はそういう感じじゃ無かったなぁと思いながらも聞いた。
――聞くところによると植物からだと、多くは輸入品です。
それは一緒なんだな。
「取り敢えず寝るか?」
――いや、食事があります。下人が呼びに来るでしょう。
「下人って……」
いや、まあ、王族ですからね、そうですよね。
「おーーい、殿下ァァーーご飯っ!」
扉の向こうから例の声が聞こえてきた。新婚さんかな?
――まったく……王族への口の利き方を教えないかんな。
「お、おう……」
軽く彼の差別意識にドン引きしつつ、(前に慣れたって言ったかもしれないけどそれはやっぱ嘘)扉を開けた。
彼女はにっこにこで扉の前に立っていた。なにかな、集金かな? ここにはテレビもないし新聞もないはずだぞ?
「食堂に行きましょう!」
「お、おう……」
少し後ずさってしまったわ……。
「あれ? どうしたので?」
ずいっとまた距離を詰めてくる。背の高い彼女、このガイウスの身体の鼻ぐらいまである。その鼻に向かってずいと進んでくるので彼女の髪の香りが強くなる。
「いや、元気だなァと……」
「す、すみませんっ、慎みが足りないっていっつも言われてるのに……」
急に萎れるなよビビるよ……。
「い、いや、まあいいんじゃないかな、うん」
適当にとりなしておく。面倒だからな。
正直、女と話すのは苦手だ。生前、話すのは姉ちゃんぐらいなものだったが、あれも話題があっちこっちそっちどっちで纏まりも方向性も落ちもない。それの相手をしていた経験が……今、役に立つとはね。
「だからですね、いっつもミシオ様に怒られちゃうんですよねー」
「へー」
「そいでミシオ様がですねー」
「ふーん」
「いっつもですねー」
「それは大変ですねー」
ミシオ様というのはあの巫女頭の名前らしい。どうも日本にも居そうな名前である。このアニリンさん手と口の働きが忙しい。
異界の食べ物は忌避したいと思ったがもう致し方あるまい。異界の物を口にしたのだ、この世界で生きて行くこととなるのだろう。そう俺は覚悟して粛々と飯を食いたかった。しかし彼女がそれを許してくれなかった。
この旅館には食堂が付いて無かったため外で食べることとなった訳だ。脳内でガイウス王子が「下々の衆が居るような悪辣なる環境で食事をしろだなんてどうかしている」とガタガタ抜かしていたが、身体は正直である。腹は減るのだ。抑々あんな怪獣が出てくること自体どうかしていないか、と彼に問うとぐうの音を出して降参した。
それで、彼女を伴って近くの食堂に行ったのだ。この時間だからもう暗く、みんな窓側……というか鎧戸側の席に陣取っていたし、店内に入らなかった人はテラス席に陣取っている。卓に一つづつ蝋燭が載っていて結構幻想的。蝋燭は余り貴重ではないんだろうな。
何か良く解らないスープをスプーンで啜り、何か良く解らないパンを食べながら彼女の愚痴を聴く。その内容はミシオ様に細々とした小言を言われるんだぁーということだった。
「もう少し慎みをですねー、持つべしということなんですよーってー」
「はいはい……」
既に持ってないですねとは言えない。この酒に酔っている巫女ェ……。
ワインの様な酒で、はちみつとか果汁が混ぜられていて中々美味しい。しかし飲み過ぎて人に絡むのは良くないだろ……。と彼女に言えたら楽なのだが多分聞く耳を持たない。
王族がここにいても他の人が気づく様子は無い。ガイウスの城とここの城は馬車で少し走る程度だから知ってる人もいるかもと思ったがそうでもなさそう。それとも意図的に無視しているのか。
「で、ですね、忘れっぽいからどうのって……」
「それは大変ですねェ……」
――彼女はどうにかならないもんですかね……。
[それは俺が言いたいよ……]
「でも、アニリンはミシオ様の事きっと好きなんでしょう」
「え? あたしがですかっ? うーん、どうだろう……うううむ……」
盃を置いて腕を組む。ちなみに俺が女の子に丁寧語になるのは距離を置きたいからなんだぜ。
[ここの世界って女が女と結婚するとかアリなの?]
――え、うーん、王族だと無し、庶民なら可。まああんまりしないけど……。
[マジかよ、成程な、じゃあセーフだな]
この宗教は同性愛について触れてないんだろうか。王族なら不可っていうのは単に血統が続かないから実利上不可ってことね。
「ミシオ様はーなんていうかー口煩いきょうだいっていうか、まあそういうのですねー」
自分より酔ってる奴がいると逆に自分は冷静になってしまうアレである。もうすっかり聞き役である。
[こういう奴って酔ってた時の記憶すっかり失くしてて翌日ケロッとした顔で言うんだ『あれっ、そんな事言いましたっけ?』って]
――ああ……。
[書き留めておこうぜ、紙とペンあるかな……]
ファミレスでアンケート記入用の鉛筆やナプキンを探す感じで辺りをキョロキョロしてみるが無い。
――ペンは無いですよこの辺には。ああいうのは書斎で使うもんです。インク持ち運べないでしょう。
[まあな、鉛筆でもいいかなって]は
――えんぴつ?
[鉛筆だよ、鉛筆、しらんの?]
――それは何でしょうか……?
[ペンみたいなものだ、インクがいらないっていうか、鉛で出来た固形のインクみたいなものが挟まった筆記用具なんだが]
――いや、聞いたことが無いですね……。
[な、成程……書いた文字を消したい要望は無いのかい?]
――それはありますが、大抵は上から二重線引いて訂正しちゃいますね。公文書だと紙を替えちゃいますしね……。
[ほーん、ペンは書斎専用、鉛筆は無いのか……じゃあ外で筆記したい時は?]
――そうですねぇ……抑々そんな要望は無いですね。大体記憶しちゃいます。どうしてもって時はまあ小さいインク瓶とペン持ってきますけど。
[えっ! それは凄い、どうやって覚えてるの?]
――語呂合わせとか、物語を作って覚えたりとか……まあ色々です。ってそんなことに興味があるんですか?
[うーん、ちょっとな。シャーペンもボールペンも万年筆もないのか……つらいな……]
――そんなに外で物を書く用事あるんですかね……。
そりゃああるよと言おうとしたが、今までそれを欲したことが無い人に「これええんやで」と勧めるのは難しい。ちょっと考えておこうかな。上手くすれば商売になるかもしれん。
「ねーえ、聞いてますぅ?」
絡むな。飲むのは良いけど絡むな。
「聞いてますよ、でもミシオ様はそんなに口煩そうには見えなかったですけどね」
凛とした美人みたいな感じだった。
「それはあれですよ、あれでミシオ様は人見知りですからねー、なんていうか、引きこもりだしー? 本殿にいるのとか好きじゃないみたいでー小さいとこにいますもん」
「確かに。あれ一瞬物置かと思いましたもん」
「でっしょー? 巫女頭はふつーはねー本殿にいるもんなんすよー。つーかあの小屋元々あたしんですよー」
この巫女の恐ろしいところは顔色がまったく変化しないところである。なんというか、シラフっぽい顔色のまま酔っているから、本当に酔っているかどうかわからない。普通に、単に愚痴を吐いているだけではないのかな。
「じゃあ、アニリンは本殿に住んでるんですか?」
「いーやー、あそこはねー巫女頭せんよーなんすよー、だからー、なんとねー一緒に住んでるんですよーミシオ様とー、もー狭いよーぉー」
「あ、はい……」
あの蝋燭だらけの部屋に二人で住んでいるのか……成程……狭いな。
このあともグダグダ管を巻かれてどうしようかと思っていたら、アルコールの神が困っている俺を見かねて彼女を眠らせた。ほっと一息つく。
――恐ろしい絡み方でしたね……。
[ああ……アレはヤバい、今後こいつには酒を飲ませない方向でいいかな……]
――それが妥当だと思います。
ガイウスと胸を撫で下ろしていると、卓上の蝋燭が少し明るくなった。そして数秒後に消えた。暗くなった目の前の空間に最後のひと頑張りで燃え尽きた蝋燭の芯の焦げた香りが漂う。そして、ランタンを釣り下げた人が来た。店員さんかな、エプロン着けてるし。
「火を追加するかね、それとももう帰るか?」
「あ、追加すると別に料金が掛かる感じですか?」
「ああ。蝋燭一本分は飯代だけでいいが、二本目からは別料金だ」
成程、客の回転が良くなるな、合理的だ。
「解りました、もう出ます。お勘定」
「はい、では……」
とレジに連れて行かれる訳ではなく、テーブルで会計をすることとなる。しかし、問題があった。
金は巫女が持っている。そして彼女は絶賛睡眠中。