十一話: 討伐と死亡フラグ
外交は辛いものがある。それは異世界とて同じこと。
――この宣託は正しかったことがお分かりになったとおもいます。神話の『大いなる蜥蜴』が出ましたね。
開口一番それだった。赤い服の巫女は黒い服の法務官をするりと避け、陛下の前に坐した。
しょうがないなという表情をして法務官も巫女の隣に座った。
――正しいも何も宣託って何のことですか。
苦々しい物言い。迷信が心底嫌いなのだろうこの法律家は。人を呪い殺したなんて裁判があったら「あーそんなの気のせい、気のせい」とかで済ませそうな勢いである。
――ああ、知らなかったか、つい先日、この巫女頭殿が、この地に災いが起こる、何人もの死者が出る、それを助けられるのはガイウス殿下である。という啓示を受けたのだ。
陛下が態々説明してくださるも、
――な、なるほどねぇ……。
相槌はそこそこに、隣に座っている少女を胡散臭そうに眺める法務官。
――法務官殿がこれを信ずるを得ないのは当然かと思います。法の理は神の理と異なるもので御座います故……。
それをフォローするように陛下が付け足す。
――すると……もっと多くの人が殺されるという話ですかね。
もう諦めた様だ。頼みの綱の理性の友であった陛下もこの巫女に与しているのだから。法務官は取り敢えず話に乗った。
――さよう。
巫女頭はさも見てきたような返事をする。
――で、どうするんです? まあ、事前に通報があったという扱いには出来るかもしれないですが、相手は謎の大きな獣ですからね、どこかに潜んでいたら分かるとは思いますよ。それこそ民衆は各々矛を持ってそれを討滅せんとするでしょう。若しくは大声を上げて逃げる……。いづれにせよ、このお申し出は……。
――では訊くが、あれはいづくより来たりしものか。
――……それは……。
――地より産まれたか、空より降ってきたか。
――それは未確認です。何処からともなくという話ですから……。
――何処からともなくまた現れるとは考えもつかないかね。
――……。
圧倒的、巫女頭の勝利……っ。そりゃね、あんなもんがどっから湧いて出たかなんて俺だって知らないよ。でも今のこの多重人格とかを経験してこの世には不思議なことがあるんだな……位は解ってるつもりよ。
――宣託じゃなんじゃとわらわも申しておるが、神に従うが旨では無い。この民草の平穏安寧を願うが故なのだ。法務官殿どうか信じてくれ。
――いや、ま、まあ……うーん……。
それは私とて同じですよと言って続けた。
――では巫女頭殿としては、このさきどうあるべきでしょうか。
――王子に獣と怪異を取り去らせたい。
――え……ええ……。
まだ言うかこの占い師め、という目である。
――神が言うておる。この者が災厄を取り除くと。
――まあ、妥協して彼をそうさせたとして、この弓兵を殺した殺してないの裁判をしなくちゃいけないんで少しそれは後になるかなぁ……と。
――それはならぬ。役人が物を決めるまでにどれだけの時間が無駄になるか分かったものではない。
――いや、まあそれは仕方ないんですよね。なんていうか、色々相談することあるし。
――早急に沙汰を下さなければ彼は出発できなかろう。
「お前置いてけぼりで話がドンドン進んでるな」
[ああ……帰りたい……]
法務官も「なんだこいつ……早く何とかしないと」みたいな表情で巫女頭の対応に疲れているようだ。だろうな、なんといっても向こうもあちらも一向に譲歩する気が無いのだから。向こうはガイウスに獣、怪異の討伐を命じ、しかも直ぐに行けと言う。あちらはガイウスに尋問と裁判を、しかも慎重にと言う。何処かで噛み合う所は無いだろうか。
暫く言い争っている所に陛下が済まなさそうな声で意見を言う。陛下はこの国で一番偉い筈だが、今や女同士の諍いを止めんとする只の気の弱い、また運の悪い一人の男に過ぎなかった。
――と、とにかく、巫女頭殿の御意見は丁重に賜る。感謝する。
――感謝するのは神に対してで御座います。
――あ、はい。で……巫女頭殿。殿下を速やかに災厄討滅に向かわせないとこの地域がマズイことになると仰る。
――ああ、最悪の事態となるぞ。
――成程……そうですな。では……うーん、どちらに向かわせる予定ですか。
――アルセイの森だ。
巫女はこともなげに言った。それとは対照的にアンギリアリ領の二人の顔色が変わる。
――それは! なりません。この世の危険の全ての種がそこにあると呼ばれている魔窟ですぞ。
――これは神の意志で御座います。
――いやぁ……本当ですか……。
法務官もそれには流石に驚いているようだ。尤もこの巫女の闖入の時から表情が重いのだけれど。
「え、なに、そんなヤバい土地なの?」
[昔聞いた事がある程度ですけど、アンギリアリの人間はそこには近づかないみたいです。領内ですけどね。あの森があるお陰で昔は隣国からの襲撃を阻止できたと言われています]
「ガチでヤバくね」
[問題ありすぎですね]
――そんなに巫女頭殿が殿下をして向かわしめたいと言うならば……そうですねぇ、何か名目が必要です。
もう無理だと悟って法務官は妥協点づくりに取り掛かった。何か考えがあるのかもしれんな。
――であるな……。
陛下も頷く。
――こんなんはどうでしょう『殿下御自ら都に現れし妖族の残党狩り』
――悪くない。然し裁判はどうなる? というか、狩りにするなら大軍が要るがそれはどうする?
悪くないとか陛下ノリノリで笑える。殿下ガクブルでこれまた笑える。
――ああ……その件でしたらうーん……。どうでしょう、一旦保釈したという名目でしたらよいでしょう。まあ、名目上の狩りですから、実質は調査で良いでしょう。『調査したが、理由は不明』とでも書いて頂ければそれで一応果たしたことになりますし。
もうどうにでもなれ、とでも思っているのだろうか。その法服の黒は何の黒なのだと問いたい。いや、俺の世界の様に「何物にも染められぬ」という意味ではないのかもしれないけど。色んな利害を混ぜ合わせて出来上がる色ということか。
――保釈か……それは、どうも外聞が悪いな、これではリウス王に『てめー俺のガキに犯罪者みてーな扱い受けさせるつもりかァァン?』とか言われそうで嫌なんだが。最悪戦争になる。
――そう……ですねぇ……。
リウス王、こいつの父親の柄の悪さが垣間見られた。しかも、法務官もこれを知ってる様だ。
――ええっと……でも告発された訳ですし、無視するとか握りつぶすとかやってはいけないんですよねぇ……。
――うーむ……。
ここまで妥協させるとは巫女頭やるな。しっかし、祭祀なんて飾りです、偉い人はそんなもの意に介さないのですよ。というシステムだと聞いていたけどここまで決定に影響を与えられるなんて中々どうして侮れないな。
――では、あれです。隊長をお呼びください。
――わかった。
陛下は手を叩くと扉が開く。三人の御用聞きが直ぐに飛んで来て跪いて命を承る。陛下が「ちょいとアシウス呼んできてちょ」と言うと三人とも嫌になるぐらい頭を深く下げて、一旦静止して、それからスタコラサッサと出てってしまった。
少しばかり休憩などどうだろうかと思っていたが、恐ろしいスピードで御用聞きが戻ってきた。きちんと隊長を連れて。
隊長は跪いてペコペコプレイをしたそうだったが、陛下がそれを制し、見たままの事をもう一度話させた。法務官はフムフムと言いながらメモを取る。漸く全て話終わったところで法務官は彼に向き直った。
――さて、百人隊長 アシウスよ。殿下の嫌疑が濃厚なるかどうかは不明である。従って、無罪放免構いなし。
――むっ……。
不満そうだ。まあ、部下がやられてるんだからな。無理もない。
――然し、現状、不可解なる獣や現象が実在することは解った。殿下はそれを心苦しく思い、自らの領土ではないのにも関わらず、これを調べんと欲せらるるのである。よって、殿下はこれから宣託により示されたアルセイの森へ行くことと相成った。
――アルセイの森ですって……。
え、あの荒っぽい百人隊長もたじろぐ程ってそんなに危ないの、ねぇ。教えてよ、お兄さん。
――さよう。アルセイの森を征き、怪異の正体を突き止めることで今回の件を丸く収めてはくれまいか。
――は! 法務官殿の御意向に従うのみ。
今度は跪いた。それはそれは綺麗なフォームだった。それが終り彼は御用聞きに連れられて何処かへ行った。死んでないといいな。
――とまあ、これで一件落着ですね……。でもこれ、考え方によったら殿下を遠回しに死刑に処してるのと同じではないだろうかと……。
えっ、法律屋、今何とおっしゃった。
――ぅぅ……うん……。リウス王に於かれてはこちらから後ほどご説明することが必須ですな。
なんだこの重い感じ。そんなにヤバいのか、ヤバいのか、ヤバいらしい……。
――なに、案ずることはのう御座います。わらわはあの地から動けぬ定め。然しながら、わらわの次に力のある巫女をお供に付けましょう。これで大抵の妖魔悪鬼羅刹には対処できましょう。
ほほほほと笑うのは只一人巫女頭殿のみ。
解散の令が法務官から出される。色々な人と話し合わなかったら結論が出ないよという話を法務官殿自身から聞いたのだがそれは一体どうなったんだろう。いやにあっさり決まってしまったもんだ。
ガイウスと俺らは執務室を出て庭でゴロゴロ寝そべる。
「どうすんだよこれから……」
[どうするも糞もありますまい、はぁ……まあ森に? 討伐に? 行くんでしょうよ……はぁ……迷信深い人はこれだから困る……]
「でも実際に恐竜出たじゃん」
[恐竜……? ああ、あの獣の事ですね……あれはまあ不思議ですけど……あんな森にいるんでしょうかね、鬱蒼とした森にはああいった大きな生物は暮らし辛いんじゃないかと思ってるんですよ]
「なるほろな、わかるわかる」
[絶対分かってないでしょう……]
――ねぇ、ガイウス。
「お、姫殿下じゃんか、どうしたんだろ」
[さあ……取り敢えず人格交代しておきましょう]
ガイウスの身体を借りる。
「どうした?」
むっくりと起き上がる。若草が体に纏わりついていたからポンポンと払いながら訊く。
「いや、大変だったわね……嫌疑は晴れたの?」
「晴れたも糞もないで、元々やってないもんだからな。まあ尤もあの美人の法務官さんがどうにかこうにかしてくれたから助かったわ」
「……そう……よかったわね」
「ああ……ほいで?」
「いや……いいの」
女の「いいから」とか「もういいの」は大抵嘘である。だから追及した。
「あの森に行くことになったことについてかな?」
「そう……だけど……本当に行くの? 兵士が仕事中に死んだって話だけじゃない。あんたが、仮にも王族のあんたが死ににいくような話じゃないでしょ?」
こいつらの差別意識にはもう慣れたつもりなんだけどな、民衆にも朗らかに接していた彼女がこういうこと言うと心に来るものがある。確かに教育も整っていない様な時代地域に於いては、教育を受けたことがある人材は王侯貴族に限る。だから国にとって喪うべからざる部材だってことは理解しているが、それとこれとは上手く割り切れてない。それに、民衆も謎の獣に多数殺されているのを気にしている素振りもない。この世界に留まるなら、いづれ割り切れないといけないんだろうな……。っていうか、あの森に行くことは死にに行くようなことなんだ……地元民の認識だと。
「まあ成り行き上な。俺を放免せば角が立つ。神に逆らえば怒られる。有罪にせば戦争だ。とかく人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、どこかへ逃げ出したくなる。どこへ逃げても住みにくいと悟った時、もう行ってもいいかなとなる」
ほら、俺もあそこ行ってみたかったし? 禁じられた森ってなんかワクワクしない? もしかしてお宝があったりー。とか言ってみる。
「ふふふ……もうわっかないよ……」
少し笑ってくれたな……。それは諦観が色濃く出た笑いだった。自分が何を言っても事態は変わらないことを悟っているのだろう。親しみやすいオッサンに見えるが、彼女の父は王なのだ。王の命令を一々覆すことは出来ないのだと彼女もそれを王女らしく理解していた。
ガイウスは自分だけの婚約者ではないんだと、彼女は解っていた。
[ガイウス]
――え?
俺は例の白い部屋に戻り彼を壁に押し付けた。
[なんで? 僕あの子苦手なのに……]
「別れの言葉ぐらい自分で言え」
[え……う、うん……]
――どうしたの、急にフラフラしちゃって……。
――大丈夫だ。急に立ちくらみがして……。
――もう、爺さんみたいなこと言っちゃって、それで本当に戻ってこられるの? あそこは……。私もついていこうか?
――戻ってくるよ。
ガイウスが遮る。そしてしっかり彼女のその美しい瞳を見て続けた。
――僕、ちゃんと戻ってくるから……戻ってきたら結婚しよう。だから、ついてくるなんて危険なことをしないで迎えてくれればいい。