十話: 黒の法務官とまだ微妙な俺への嫌疑
人命に対する思い入れの違い
無言の兵に紛れて俺ら(ガイウスと俺)は城に向かう。とは言っても無言であったのは俺が逃げないように見張っている列の真ん中の方の奴らだけで、前半分は歌い、恐竜の死体を引きずっている後方もまた調子外れに歌う。
全体的に見れば、なんと麗しい兵列だろうか。城下を襲った災いを早急に取り除き、隊伍乱さず凱歌と獲物とを伴って主君の待つ城に帰るのだ。
[殺された中にはお前の従者もいるだろう……]
ご冥福をお祈りする……と言っていいのだろうか。
――はい。二人。ご覧になったでしょう。
[何といえばいいか……分からないのだが……その……]
――いいんです。彼らは僕の従者。守れて死ねて本望でしょう。彼らの家族には年金が出ます。それで許してくれないでしょうか……。
[俺が許す……とか言っていいもんじゃないだろ?]
――そうですね……。悲しいですけど、いつかまた神の国で会うのです。それまで……の短い別れですから……。
[そ、そうか……]
こいつらの宗教感覚は分からない。生まれ変わってまた出会うから、とか天国でまた会えるからとか色々理由を付けて現世での悲しみから逃れようとするのは何もこいつらに限らない。俺の生きてきた世界でも同じだった。けれども一つだけ、たった一つだけ確かな事は、ガイウスは落ち込んでいたという事だけだった。
――これから僕たちどうなっちゃうんでしょう……。
[しらん……、あらぬ容疑がかかっている、こういう場合ここの法律はどう裁く? 疑わしきは罰せずか?]
――基本的にはそうです。しかし、どうでしょうか、自国の兵が同盟を結んでいる他国の者を殺した上、味方も殺し、最終的に自殺した。それも集団で……。なんて基本的に信じられないですよ。
[だよなぁ……俺が裁判官でもちょっと信ずるに躊躇する]
生きた心地がしないまま、俺らは城へ連れて行かれた。
「陛下、兵共戻りました」
城門を潜って直ぐに陛下が待ち構えているとは思わなかった。身長が高いとこういう時に便利だ。さっき別れたアルト陛下が兵を歓待した。
この時ばかりは映画や漫画でみる王様の様に沢山の部下をずらっと奥の玉座から手前の門まで列を為して並ばせていた。実に壮観である。
「早馬にて聞いた。屠ったそうであるな」
ビリビリ震える様な良く響く声。
「は! 死骸はこちらに運びました。して、一つ妙なることがありまして」
この言葉を合図にするように多くの兵が散っていった。残されるは俺とその両隣の兵、そして暴れまわっていた死骸。
「なんぞ、言ってみぃ」
「この者が吾らが弓兵と陛下の従者を殺めたという疑惑があります」
隊長が俺、ガイウスを指さして言う。
「なに? それは……えっ」
玉座の奥の陛下も思わず偉そうな王様モードを解いてしまったようだ。
「こちらが弓兵の亡骸であります」
城門を示すと担架が十程運ばれてきた。死者に布を被せる風習がないか、あるが敢えて王に見せつけているのか、その痛ましさ、血腥さを。
「お、おお……」
玉座からフラフラと降り、それらに近づいた。
「ああ……一度鎧を着ければそれは死に装束となるとも可なりとはいうものの、やはり心が痛む」
彼らにはもう体温がなく、鉄の胸当てのように冷たく、硬くなり始めているころだろうか。
「これらをあの者がしたという疑惑で御座います」
隊長が付け加える。クソ、余計なことをしやがって。
「殿下、これは真でしょうか」
陛下が訊く。
「絶対してません、話を聴いてくれませんか!」
「ああ……」
多少残念な顔をしたが、彼は表情を持ち直した。そうだ、兵の一人二人死んでもそれを一々悲しんでいたのなら王様なんて勤まりますまい。その調子で俺の事も無罪放免構いなしとしてくれないか。
「その状況を詳しく見ていた者はおらんか」
「いえ、吾々は隊列を組み、共に獣に向かっておりましたが故、直接見ていた者は皆無だと思われます、のう?」
隊長が俺の左右にいる兵に振る。両方とも「唯」と言った。つまりは肯定。
「であるか……。では何故殿下がこれらを殺めたと判断した」
「吾々が獣をやっと倒したところ、気づいたら彼が地面に坐り、それ以外は血に染まっていた為、生きている者が一番怪しいかと」
「ふむ、その状況を見た後殿下から目を離してはいないな?」
「勿論でございます」
「そうか……」
陛下は俺の方へ静かに歩いてきた。俺の目の前で止まると、やにわに俺の腰に提げてある剣を抜いた。殺される! ……? いや無かった。咄嗟に目を瞑ったが何も起きない。恐る恐る目を開けると刀身を自分の鼻に当てている陛下がいた。
「へ、陛下何を!」
隊長が叫ぶ。そりゃ俺も言いたいよ。
「殿下の剣からは血の臭いはしない。隊長の証言だと殿下が剣の血を洗う暇など無かったはず。殿下は自らの剣にて殺した訳では無さそうだ。縦しんば隊と獣との交戦中に洗える暇があったとしてもそれは叶わない。あの周辺には水場は無い」
それに、刀身に血と脂の曇りはないだろう。と付け加える。
「た、確かに」
「そうです、そうです! だから、兵の一人が吾が従者を殺して、どうなのかよく解らないうちに陛下のにも手に掛け、その後に残ってる奴は皆すべて自殺したのです!」
物語の中の王様は皆全て愚鈍でしょうもない裸族だと描かれているが、この王様はそうではない様だ! ああなんと素晴らしい。
「ふむ……分からない……。兵狂したか」
「陛下、この者の言う事を信ずるのですか」
「信ずるも何も……亡骸が携えている剣は、兵が回収し、後に鞘に納めたのであろう?」
「はい」
「それらは……見てみたが、全て血みどろである。全てだ。これを説明するには殿下が全ての弓兵から剣を奪いそれぞれ殺したとなるが、この国の弓兵はそこまで弱いか?」
「弱くはありません。しかし、彼は僭主のひ孫、何やら人智を超えた奇怪な業を以て殺めたとしても不思議ではありません」
「成程……」
何が成程だ、そんな謎なことなんかできるか!
「殿下への嫌疑一理ある」
な、なんやねん! さっきの賞賛を返せ!
「ここは王族同士の裁判となりそうだ。この件は持ち帰る。隊長は大儀であった。もう下がってもよい」
「は!」
隊長と俺を逃さないように左右に控えていた兵も撤収した。担架担当も死体を運んでスタコラサッサ、玉座からずらっと並んでいる部下も大部分が同じように下がった。
残ったのは一人のすらっとした美人である。ヒラヒラフワフワの衣装を纏っていないのでお姫様とかでは無さそうだ。黒っぽいシャツに黒っぽいズボンに黒の短い髪というこの中では一番、俺の知ってる現代人に近い身なりである。特に目立つ装飾品もない。
「陛下、こういった件は私の管轄でしょうか」
その美人が聞いた。っていうかいつの間に接近してた。
「ふむ……異な事ではないか? どちらにしろ告発が起きた。なぁなあで済ませたいと願っているが、形式的に裁判を起こさざるを得ないだろう」
いかにも面倒くさそうに陛下が返す。
「はい。大勢の兵の前で告発が起きました。側近一同もこれを聞きました」
告発……? なんだろう、あの隊長が俺を公衆の面前でこき下ろした件か? もう喧嘩だよなあれ。俺が無実だったら謝ってもらうぞ、っていうか無実なんだから謝る他ないんだが。
「申し遅れました。私はサラ=ハンダ。ここの法務官であります」
「あ、ご丁寧に……。私はあれです、ガイウス……」
[ガイウスなんだっけ?]
――こういう改まった場では僕と人格交代しましょう。
[おう……]
――リウス家、第三王子ガイウス=リウスです。以後御見知りおきを。前に聞き及びました、三年ほど前からこのアンギリアリ領にて新しく主席法務官として勤められているとか。大変優秀であるとお聞きしています。
――おお、良くご存じで、恐悦至極に存じます。優秀とは……あらぬ尾ひれが付いておりますな、ハハハ。
うわ、この王子様と法務官様やべーな、俺にはないぞこんな背中に怖気が立つようなお世辞を言い合って笑える会話能力は。
――此度の事件ですが、今一度詳しく知りとう御座います。今この場で殿下を帰しますと、多少不都合が御座います。この国での都合に振りまわすのは大変心苦しいのですが、殿下には御足労頂きとう御座います。
――それは勿論。構いませぬ。こちらとて何も疾しいことがあるわけでは御座いません。神の法廷にでも立ちましょうぞ。
――これは頼もしい。ではこちらへ。陛下も共に。
うむ、と陛下は唸って法務官のおねーちゃんの後に続く。なんだろう、王子様のコミュ力は無くない筈なのにどうして俺と姫とかと話すとああもしどろもどろなんだろうか。
「面倒な事になったな」
[ええ、しかしアンギリアリ領は公正な裁判をすることで有名です。ですから早々に理不尽な判決は出ますまい]
「本当に公正なのかよ、心配だな」
[そうですね……ここは商人の国ですから裁判が公正に行われるのですよ。約束が守られなければ商売は出来ないでしょう]
「いや、まあそうだけど……っていうか、どこの国でも公正公平じゃ無かったらダメだろ、職人の国だってなんだってそうだろ」
[そうですが……未だ祭祀を重視する国では『調べ』ですよ]
「なにそれ」
[例えば、犯人だと疑われている人がいるとしますね]
「うん」
[もしやってないとするならば、神の加護があるので煮えたぎる鉛の中に手を入れても火傷しないとか、やってるなら火傷するとか]
「ええ……」
神明裁判やんけ。恐ろしいわ……。
「まあ、それに比べたらまあ……いいわ拷問とかないの、あれ怖いんだけど」
[ありますけど、王侯貴族にはないです]
「え、あるのかよ」
[そりゃああるでしょ、もしかしてニホンにはないんですか]
「公式にはないよ……ていうか、拷問を許可している国は俺の住んでいる世界には少ないからな」
[え、それでどうやって証言させるんですか、嫌疑の人がだんまり決め込んだら何もできないでしょう]
「それはまあ、色々科学的な捜査が必要なんだよ。っていうか、やったという自白だけでそいつを有罪にすることは出来ないことになってる」
[えっ、本人がやったと言ってもですか?]
「そうらしい。良く知らんけど」
全部昼間に再放送されてる刑事ドラマからの聞きかじりだからところどころ怪しいが多分こうだったろう。「疑わしきは罰せず」とか「自白のみは駄目」とかそういう感じだった筈。
[そちらの世界はちょっとばかり軟弱ですね]
「軟弱結構。痛いのは嫌だからね」
ガイウスの身体に危害が加わることは無いようで安心した。こいつがもし死んだら俺の精神がどうなるか分かったもんじゃない。どうせ一度死んだ身だから命を惜しむ必要はないと言えるかもしれないが、また望外にも取り戻してしまった時、それに執着しない者はいるだろうか。
――ここが私の執務室です。どうぞ中へ。
法務官の部屋に入る。王宮に役人の部屋があるとは思わなかった。普通あるのかな? 知らんけど。なんか役所が別にあるものだと思ってた。
中は広く、三人掛けの長椅子が二脚、テーブルを挟んで向い合せになっており、それらの奥に重厚な机があった。広い机の上は紙一枚も置かれていない。彼女はとても几帳面なのであろう。
陛下は適当にその長椅子に座り、俺もその横に座った。彼女は一番最後に俺らの前に腰を下ろした。なんだこの三者面談感ある構図は。
――さて、事実確認だけしたいのですが。
――なんなりと。
ガイウス偉そう。実際に偉いのだが。
――殿下は、先程こう仰った訳ですな、『弓兵が自分の従者を殺し、また陛下の従者を殺し、しかる後に皆自害した』と
――その通り。あれは摩訶不思議な光景だった。
――それを目撃した人はいない。
彼女が言う。
――いないそうですね。
ガイウスが答える。
ふむ、と法務官殿は黙り込んでしまった。さっきから紙にガイウスの供述を書き留めているのだが、書くことも少ないだろう。インク壺と鉄のペンという組み合わせであるから不用意にペン回しなど出来まい。
――『疑わしきは被告人の利益に』これが原則でありますし、殿下に拷問を課することもないです。しからば構いなしですね。
え、こんな軽いノリでいいのか。
――しかし……。殿下が『僭主の子孫』であることを原因に何か不思議な魔術、魔法にて他人を死に至らしめたと証言されたら厄介ですね。
――それはこちらとしても厄介だと思っているところだ。
よくないのですね。法務官殿。そりゃ、こんな軽いノリで終わるとは俺は思ってませんでしたとも。
陛下まで同調するとはガイウスのヒィじいちゃん何したんだ……って、国を乗っ取ったんだった。
「厄介も糞もあるかい、聞いてる分にはどうもこの世界では魔法や魔術とか神様は殆ど形式的なものばかりだと言ってたじゃないか!」
ガイウスに苦情を言うと、彼もどうも面倒くさそうに応対してくださる。
[ですがね、争いの口実にはなるんですよ、難癖というか。こんなバカげた話でも民衆の間には信ずる者もいるのです。何人って範囲じゃないですよ、何千人もいるわけで、それで徒党を組まれて攻撃されたら怖いのです]
成程……情弱と情強とがはっきり分かれてるんだなここは。情弱を扇動して自らの意のままに動かそうっていう勢力はどこにでもいるのか……。
ドアがノックされた。法務官は今大事な話をしているのだとドアまで瞬時に飛んでこれを制止せしめんとしたが、彼女はそれが出来なかった。
――あなたは……神社の……?
そう、ドアを叩いたのはさっきの巫女頭殿だ。
いや、いいのかこんなところに来て。どうやらこの地方は祭政一致じゃなさそうだぞ?