一話: 恒例の異世界転生
メイドは可愛くあれかし
俺らがモタモタしていると、後ろの方から十人ぐらいの弓を携えた兵士が小走りで来た。カチャカチャと佩用した短い剣と矢筒の音がする。
恐らくその中で一番偉い奴が、弓兵が来たぞと言ったのだろう。すると、前の方から軍配が上がった。成程、一番前にいるのが一番偉い奴か。
「弓兵用意!」
軍配が上がったことを確認し、弓兵の長が叫ぶ。言い終わらない内に全弓兵が背中の矢筒から矢を取り出してつがえた。
軍配が下がると「斉射!」の司令と共に風を切る音のみがここに残る。矢は俺らの頭上を越えて飛んだ。放たれた全ての矢が深々に刺さる。狂ったような呻き声、効き目あり。この場にいた全ての者がこう思った。
「突撃ィィィィ!!!!」
軍配を扱う隊長が大気を震わせ、大群を、その槍の矛先を矢を受けてその場でのけ反っている獣に集中させた。
甲冑の金属の触れ合う音がして、一番先頭の列の矛先が獣の皮膚を抉る、刺す、貫く。
その獣は咆哮を撒き散らし、真赤な血を辺りに吹き付ける。
人と恐竜とが戦う、そんなことってあるか? あるんだ、今、目の前に。
俺は、例によって暴走したトラックに轢かれて、死んだ。そしたら、良く解らないけど、目が覚めると、いや、死んだのに目が覚めるだなんて冗談だと思うだろ?
マジ、マジ、大マジ。
目が覚めたんだ。目が覚めたなら死んだんじゃないだろって皆思っただろ?
眼前に迫るあの躯体、覚えている、はっきりと。実に遅く感じるものだな、なんて余裕こいて眺めていて、体が、その冷たいトラックに当たって、宙を舞ったんだ。
すべてがゆっくりと、多分、俺が無為に過ごしてきた人生よりもゆっくりと流れたんだと思った。
いやはや、これで高等遊民生涯も終わってしまうんだと、体の自由な体制制御を失くしながらもそう何処かで暢気に考えていた。
そこで意識が途切れたんだ。
で、冒頭に戻る。
俺は目を覚ました。病院の照明ではない。白く、寒々しい照明は一つもなく、只上の方に設けられた小さな窓から差し込む温かい光が、俺の身体を照らしていた。
上半身を起こす。起こせるということにも驚いていたが、起きられたのだから仕方がない。周囲を見回すと点滴の為の竿も、バイタルサインを読み取る謎の機械も無いただの部屋だった。
広さ約学校の教室を半分にした程度で、病床は俺のもの以外なかった。そして、この部屋には俺以外居なかった。
「個室に入院させられちゃ料金なんか払えないんだが」と独り言を言おうとした。喉の調子が頗る悪い。普段の発音が侭ならない。
「コシッ ニイ ニュイン……」のような奇怪な音。
まあいいや……とベッドに体を預ける。マットレスは硬く直ぐに背中に痛みが走る。死ななかったんだな……残念だ。と、右腕で目を覆おうとした。
不可解だ。
俺の腕はこんなに滑らかではない。
腕に剃っても剃っても処理が追いつかない程の剛毛が群生しているのが俺の腕の筈だ。しかし、これはなんだ……? 滑らかな色白の肌で、毛は産毛程度しかない。ついでに指も見てみるが、繊細そうな白く、長い指で爪は綺麗。掌にはマメが幾つかあるが、それでも自分の皮が厚くなってゴワゴワしているそれより格段にしなやかだった。左腕も同様。
思わず顔を押さえる。焦った時の癖なのだ。すると、どうもおかしい、鼻が高すぎる。
全体的に彫が深くなっている……? 髭も奇麗に剃られている……というか生えた痕跡が無い。
意味が分からない。
事故が酷くて、整形する羽目になったとか……? そんなことされたら金が飛んで死ぬ。
折角のとこ悪いが、死んだ方がマシだったと思う。自分を助ける料金が払えず死ぬなんて皮肉な結果だと思うけどな。
鏡を探したが、無い。窓ガラスに映らないかと、窓を見た。
ガラスが嵌ってない。ただの鎧戸が開け放たれているだけ。
おかしいぞ……ここ。
ベッドから降りて、辺りを見回す。床は絨毯張りで中々気持ちがいい。謎の高価そうな調度品が沢山並んでいるところからして、実に……病院らしくない。腰の高さぐらいある箪笥とか、花瓶とかそういった謎なものが沢山あった。華美ではあるが、下品では無い、結構ないい趣味
だと思った。
というか……目線が高い事に気づいた。自分はこんなに身長は高くない……。
平均的な男子よりも背が低い筈なんだ、なのになんだ今は……。
壁に背中を付けて右手で頭が壁に当たるところを押さえ、くるり、と腕を通るように、壁の方を向く。人によっては壁ドンと呼ぶ体勢となる。
いやいや……これどう考えても百八十センチぐらいはあるでしょ……。
今の自分の置かれている状況を整理しよう、謎の病院らしくないところにいる、自分の身体が謎の改造を施されている事。
この二点である。後者はこれから鏡でも何でも見て謎だと感嘆すればいいから簡単な話だが……今俺は何処にいるんだ?
事故った時に見るという謎の夢の一種でここにいるのか?
分からない、俺は……なんで……? ここにいる。
俺の思考にノイズが走る。ラジオを聴いてて、途中でちょっと変な風につまみを廻した時のような鋭い雑音が混じる。
「……君は……僕は……」
僕は……という謎のノイズが声となり、俺の脳に言った。脳に言ったという表現は変だろうか、いや、そうとしか言えないのだ。鼓膜で捉えたという感じがしない。ついでに言うと、雑音と書いたが、雑音でもない、なんだろう、鋭い邪魔というか、途切れだったんだ。
少頃してドアが叩かれた。運命か、そうでないかは分からなかったが、気の抜けた声で、はいと言うと何やら……メイドのコスプレをした謎の中年女性がこちらへやってくる。いや……えっ……そういう趣味はない。
俺が後ずさると、そいつはスッスツスと音も立てずに距離を詰める。
「殿下、もう平気なのですか? 起きられたのなら、お報せくださいませ」
「あ……はい……すんません……」
何やら反論は許さないぞ、という雰囲気が漂っていたから、思わず身じろいて頷いてしまった……が殿下ってなんだ。電荷か? 見えない粒なのか? 俺に見えないのは今の状況だが。
「着替えの準備をさせますから、そこでお待ちください」
え、何言ってんの? ちょ、えっ女? 複数? ちょ、何?
これ以降の事は書きたくなかった。いや、すこし書こうか、複数の女が|(例によってメイドコスの奴が)俺の服を寄ってたかって脱がして、謎の服を着せる……という羞恥プレイを俺にしたんだ。
いや、意味が分からない。着替え位は自分で出来るんだって言ったが、女どもは頑として譲らず、「いえ、これが私たちの仕事なのですから」と宣う。最後の方はもう抵抗する気力も失い、身を任せていた。……尤も、着せられていた謎の服の着方が分からなかったというのもあるのだけど。
成程……もう終わったのだな……。あの女どもが失礼しますとか言って部屋を出て行って漸く安堵した。ふう……。そういや、鏡を見たいと思っていたんだったな……。
俺は無駄に装飾された服を身に纏っているのだろう……。何故こんな事が起きるのだろうか。
どうにも分からず、その辺に居た女に、これもまあ、例によって例の服を着ていたんだが……鏡のありかを聞き、そこに行った。
ふむ……、これは悪夢に違いない。鏡の前に立っていたのは、西洋人の若者だった。俺は生粋の日本人であって、こんな金色に近い髪をしていた事はないし、こんなに細い顔をしていた過去も無い。そして、俺はこんなにも若くは無い。
豪奢な服に身を包まれ、鏡の前に立っている。これは恐らく夢だ。
若しくは、死後の世界だな。死後の世界では、何らかの事情で美男子に生まれる事ができるのかもしれない。現世で、顔の造形に手を抜かれていた人は、死して顔を美麗にされるのだろうか。
鏡に向かって顔を映し、鶏が如く前後させても、特に変わることは無い。不健康そうな、目の下にある隈や、少し細くて頼りなさそうな顔や、無駄に高い身長や、その割には華奢で力漲りそうもない身体というものがその鏡の向こうで俺の取る動きを真似るだけだった。
良く考えたら発狂するも可なり。だってそうだろう? 朝目が覚めたら謎の身体になっていて、見覚えのないところに居たのだから。いやはや……まあ、もう死んだと思えば不思議なこともないだろう。きっとこの世には、科学で解明すること能はざる不可思議な事が時々起るのだ。そして、ここはきっと「あの世」なのだ。俺が小さい頃に読んだ絵本には恐ろしい獄卒が居て、燃え盛る炎と、細切れになった亡者がそこら中に転がっている世界が、あの世だと描かれていた。
若しくは、蓮の花が咲き乱れた、暖かい場所か、それとも雲の上のフワフワしたところで、天使が複数いるとかいないとか。
誰もこんな謎の西洋風の建物に連れて行かれるだなんて描きもしなかったものだ。
まあ、誰も行って、戻ってきたことが無いのだから、そこは宜べなるかな。
俺が鏡の前で熱心にポーズを組み替えている姿をメイドどもは何か胡散臭い様子で眺めていた。頭でもおかしな人を眺めている様で、どうしたんだと訊くと、いえ……と言葉を濁すので、いえ、ではなく、言えと促したら、今日はお元気なのですね……と言葉少な目に漏らした。
頗る調子がいい、どこかへ散歩したい気分だと俺が言うと、
かしこまりましたと言って彼女たちは……。