第二章 7話:砂漠へ…
あれから一週間が経ちました。セシルは入院してます。
セシルは、病室の窓から空を眺めていた。
雲一つ無い快晴。現実感の欠落した、手を伸ばせば届きそうな、青一色の空。
部屋にどこからともなくそよ風が吹き込んできては、ゆるやかに薄手のカーテンを揺らし、差し込んでくる木漏れ日が部屋を明るく照らす。
爽やかな朝だった。
なにせ、小鳥のさえずりで目を覚ますという、珍しい状況に遭ったからだ。
風が流れ、鳥が歌う。そんな絵に描いたような爽やかな朝にセシルは
「あー……うるさいな……寝るか」
小鳥のさえずりを「うるさい」の一言で蹴散らし、二度寝に励んでいた。
あの、森での訓練中に起きた事件から一週間。
セシルはテアナとの戦闘で意識を失い、その後このアカデミー付属の病院に入院していた。
とりあえず自分が生きているということに驚いたが、それよりテアナが見舞いに来た時は心臓が止まる思いだった。
だが、ことの顛末を聞かされてセシルは全身の力が抜ける思いだった。
数日前
「騙して悪かったとは思いますが、私が森でやったことは全部芝居です。侵入者を捕まえる前に、貴方達を安全な場所で眠らせてから行こうと思ったんですが、その“指輪”のせいか、あなただけ目が覚めるのが早くて……」
「……」
「で、仕方がないからあなたの“指輪”の力を見る意味で実戦形式で戦って、さっさと気絶させて行こうかと思ったんですが……意外と手こずりましてねー。最後はちょっとやりすぎちゃいました」
「俺から指輪を奪うのが目的じゃなかったのか?」
「いやー。最初はそうしようかと思ったんですけどね。固定魔法を振り回されたらさすがに洒落になりませんし……」
「……つまりスパイの仲間ってわけじゃなかったのか」
「スパイ? 何言ってるんですか?」
結局、セシルの早とちりが生んだ戦いで、つまりは殴られ損だったという。しかし、余りにもタイミングが悪すぎると言わざるを得ないが。
それに気付いてからのセシルは、しばらく起きあがる気力もないほど脱力して、今では気ままな入院生活を送っていた。
表向きはここ数日は平穏そのものだった。だが裏ではかなり忙しく動き回っていた。
そのことをセシルが知るのはもう少し後になるだろうが。
ガチャッ
ドアが開き、誰かが入ってくる気配がした。
クラスの誰か、かと思ったがそうじゃないだろうと思い直した。
今は授業時間のはずだ。と、すると……
「こんにちは、お見舞いに来ましたよぉ」
寝ぼけ眼のまま、うっすらと目を開ける。
未だぼーっとした頭と視界のまま、ふと横を見ると、見覚えのある顔があった。
……めんどくさいので、セシルはあえて寝たふりをすることにした。
「うーん、むにゃむにゃもう食べられない……」
「あれぇ、寝てるんですか? せっかくお見舞いに来たというのに連れませんねぇ」
この間死闘を繰り広げた悪魔、いや女教官がそこにいた。
ニコニコと微笑んだまま、じっと見つめてくる。なんとなく落ち着かなくて、寝返りを打ってみる。
「うーん。この間の怪我のお返しに、顔中に落書きしておくかそれとも……魔法で記憶いじって私のペットにしてやりましょうかねぇ」
何て言うのを聞けば、とても見舞いに来たとは思えないが……。
「……起きりゃいいんでしょ、起きりゃ……」
少し怖くなったのか、そう言いつつ怠そうに体を起こすセシル。
その目はこれ以上ないと言うほど、眠気と無気力さを訴えているが。
ベッドの横に立っているのは、セシルを病院に送った張本人である教官のテアナ。
セシルとは一週間前に殺し合いをした相手……と言っても、実際は全てテアナの策略だったのだが。
セシルの力を測るため、という名目で絶望的な状況を作り、戦闘を挑んだのだが、“指輪”の力は思いのほか強力だった。そのため、テアナは攻撃の目測を誤り、セシルは入院する羽目となった。
多少の責任を感じているのかは分からないが、たまに見舞いに来る。
あとはクラスの連中がちらほらと。同じチームだったマール、ディム、ルーンなんかはよく来たりする。
「あ、タイミング悪く起きましたか」
残念そうに言うテアナ。セシルは寒気を覚えつつそれを無視して
「……全く、先生も人が悪いよな。こっちはかなり真剣にやってたのに芝居だったなんて……」
「見抜けないほうが悪いんです。だいたい、私は教官なんですから、自分の生徒を殺害なんてそんな簡単にするわけじゃないじゃないですかぁ……」
「ちっ……」
だがセシルには反論できなかった。なにせ、自分の早とちりから生んだ結果だ。
確かに今考えてみれば、明らかにおかしいと思う点がいくつも湧き出てくるが。
そんなことを思い出して、セシルは頭を抱えてベッドに倒れ込んでしまった。
だがテアナは、そんなセシルの様子は無視して
「まぁそれはいいんですが……体の調子はどうですか?」
その言葉に、セシルは体を半分ほど起こして、首をコキコキ鳴らしてみる
そしてしばらく調子を確かめてみて
「ん、怪我はもう完璧に治ったし大丈夫だけど、まだ首筋が痛むかなー……」
と、嫌みっぽく言いながらテアナの方を見る。
それにテアナは少し驚いて
「あら? ちょっとやりすぎましたかねぇ」
「ちょっとじゃないって……」
一週間経ってもまだ骨が痛いんだよ!! と突っ込むが、それは笑って誤魔化される。
セシルは、じっとテアナを半眼で見ていたがやがて
「ってか、本当に見舞いだけに来たのか? 他に話があるんじゃないのか?」
「……そうですね、ではそろそろ話しましょうか」
そう言って、一度息を吸い込んでから、テアナも真剣な表情になる。
「この間の森に侵入したスパイのこと……覚えていますよね?」
「そりゃ……」
もちろん、忘れるはずもない。
森の中で、突然襲ってきたあの神父服の男……。
魔法陣から生み出した、何百という魔獣を自在に操り、その上結界を突き破るほどの強力な魔法を使用する……これまでで一番危険な敵だった。
そのことを思い出して、セシルの表情にも緊張したような色が見えた。
「もちろん覚えてるけど、それがどうかしたのか?」
「……今のこの状況が分かりますか?」
テアナは窓から外を眺める。
病室から見える景色は、綺麗に手入れされた自然公園が真正面に見えた。
そこで遊ぶ子供たちと、和やかに談笑する親たち。
この間、あんな事件があったというのに、全く変化のない怖いくらいの平穏。
「一週間前の事件で、アカデミーは混乱しています。
表向きこそ何事もなかったかのように過ごしていますけど。あの大陸戦争以後、どこの国も均衡を保ってきたのが、ここに来てあの騒動ですから。どこの国が放った刺客か分かりませんが、戦争の予兆かもしれません」
戦争、と言ったテアナの目は真剣だった。
すでにどこかの国がアルバートの侵略に備えて情報収集を始めているのかもしれない。
不意を突かれてからでは、何もかもが遅すぎるのだ。
セシルは空を見上げ、遠くを見るようにぼーっとしながら
「戦争ねぇ。全く、どこの世界にも好戦的なやつはいるんだな。数年前も戦争があったってのに……」
「私達は、国の力。敵にとっては直接的な脅威となります。相手もそれを分かっていながら、あえて攻撃してきた。だとすれば、ここから先は情報戦です。戦争を回避するために……以前のような過ちを繰り返さないためにも」
するとテアナはそこで一端言葉を切り、決然とした顔でセシルに言った。
「それでセシル、貴方には特別演習が言い渡されています」
「……って、え?」
突然のことにセシルは思わず聞き返す。
「ちょ、ちょっと特別演習って何?」
慌てて声を挙げるセシル。自分がどういう状況なのか、さっぱり分からない。
だがテアナはにやりと笑うと
「……ふふふ、ここでの入院生活は退屈でしたよねぇ?」
「え? あぁ、まぁ一週間もいればそれは……」
そこでテアナは立ち上がり、セシルに背を向けてドアの方へと歩いて行く。
そしてドアの手前まで来たところで一度振り返ると
「つまりそういうことです、じゃあ私はこの辺で……」
「いや、意味が分かんねえよ!!」
そんなセシルの突っ込みは、また笑って誤魔化されるが……それにテアナが
「鈍いですねぇ……せっかく貴方が退屈で死にそうだって言うから私が推薦してあげたんですよー」
「死にそうとは一言も言ってないけどな……って、あんたが持ってきたのかよ!」
「えぇ、今回のは厳選された人材が必要なんで」
それにセシルは心の底からめんどくさそうな声で答える。
「厳選された人材? それならマールに任せればいいだろ」
だがテアナは
「何言ってるんですか、もちろんマールも行きます。で、あなたも一緒に行くんです」
「……まじで?」
「はい」
セシルは団体行動が苦手だった。
団体だとサボることができないからだ。
「あ、ちなみに私も行きますから。男と女が他国で二人きり……そんな危ないシチュエーションでは何か間違いがあったら困りますしねぇ」
そして三人以上は確定らしい。というか、さっきもの凄く重大なことを言ったような……
「何が間違いだか、危ないシチュエーションだか知らないけど、そんなことよりも、他国ってなんだ!?」
慌てて問いただすセシル。テアナはそれにあっけらかんと
「国外での演習ってことです、それが何か?」
何を言ってるんだこいつは、という風な目で見てくるテアナ。
それにセシルも文句を言う気力もなくして
「……はぁ、当分休みはなしなわけか。まぁいいや、授業サボれるし」
「それはどうですかねぇ」
「え?」
セシルが聞き返したとき、テアナの表情には……いつもの微笑ではなく、悪戯っぽいニヤニヤとした笑いが浮かんでいた。
そのままの表情で、セシルの方を見て
「そうそう、セシル。あなたの体はもう完全に回復していますからもう退院できます。というか、もう退院手続きも全て終わっていますか今すぐ着替えて教室まで来てください。重大な発表がありますからぁ……出来るだけ急いで下さいねぇ」
バタン……
一気にまくし立て、言うことだけ言ってテアナは帰っていった。
「何なんだよ、全く」
独り言を言いながら、テアナの言うことを思い出す。
特別演習とやらの話。どうやらアルバートの国外に行くというダルいことこの上ないもの。
それから重要な発表があるという。今日は何かあったのだろうか……。
何かあったような気がする。でも思い出せない。
(何だったかな。どうでもいいことだったような気もするけど。まぁ行けば分かるか)
着替えを済ませ、荷物をまとめて部屋を出て行くセシル。
セシルの気分とは裏腹に、相変わらず空は嫌味と思える程晴れ渡っていた。
「はい、じゃあ呼ばれたら取りに来て下さいね〜」
テアナの明るい声が教室に響く。それと同時に、順番に候補生達がテアナからあるものを受け取る。
成績表。
仮にも、彼らはアカデミーの“生徒”であるのだから当然こんなものも付けられる。
まぁ学習内容は普通の学校とはかなり異なってはいるが。
「はい、アイフィーナ。今回はなかなか頑張りましたね、これからもこの調子で頑張って下さい」
「は、はい。ありがとうございます……」
生徒達は皆、個別にテアナの言葉がかけられる。
それに笑顔で応えて席に戻っていく生徒達。そんなやりとりが、40回ほど繰り返される。
成績を見て、落胆したりや嬉しそうに顔を緩ませる生徒が大半を占める中、その様子を限りなくどうでもよさそうな表情で見つめる男が一人。
「忘れてた……今日がそうだったか」
成績発表。
確かに重要っちゃ重要なものだ。
セシルが真面目に授業に取り組んでいるかどうかなど、成績表を見るまでもないのだが。
期待は出来ないな、と思った。
「お、怪我はもう良くなったんだな、セシル」
声をかけられて振り返ると、そこには金髪の男がいた。
小柄だが、引き締まったその体のあちこちには、外からは見えないが大量の暗器が仕掛けられている。
セシルは片手を上げて答えた。
「退院して早速、これだからなあ。すっかり忘れてたけど」
「そろそろお前の番だろ? 早く行ったほうがいいんじゃねえのか?」
確か名前は……一瞬考えてセシルは
「ん、あぁ……分かってるって、テル」
「誰だよそりゃ!」
と、叫ぶディム。するとその後ろから、また見知った顔が出てきた。
「うるさいですよディム。今はホームルーム中なのですから、静かにしないと」
「あ、悪いな」
現れたのは、少しウェーブのかかった柔らかい栗色の髪の少女、ルーン。 ディムは、昔からこの典型的な優等生タイプであるルーンには頭が上がらないのだった。ルーンはその様子を一瞥すると、今度はセシルの方を見て
「で、セシル君も呼ばれてますから早く言った方がいいですよ」
「はいはい。んじゃ、ちょっと行ってきます」
そしてとぼとぼと歩き出すセシル。
成績には全く期待していないこともあって、そのの足取りは限りなく重かった。
テアナは憂鬱だった。自分とある程度とはいえ、対等に戦った生徒の成績を見て……。
「はい、セシル。あなたはもっと頑張りましょうねぇ……」
そう言って手渡された成績表は
銃 技 …A 100/120
魔 法 …E 3/120
体 術 …B 80/120
理 論 …B 80/120
総合評価……C
ちなみに成績は120点満点で、S〜Eまででランク付けされている。
実戦に加え、理論の理解度を総合的に判定したものだ。セシルの成績は相変わらず平凡だった。
だが、誰もが突っ込まずにはいられない箇所が一つある。
「へぇ〜、まぁ良い方かな。魔法がまた下がったけど」
「はぁ、相変わらずやる気がないですねぇ」
「んなことは、……いやあるけどさ」
テアナは呆れた表情でセシルを見ていた。
「おい、セシルどうだった?」
「ほら」
「……3点て、お前……」
「うるせえ」
「あー……銃技は結構すごいじゃないですか」
ディムは絶句し、ルーンは必死で褒めるところを探していた。
そんなこんなで、生徒達はそれぞれの評価をもらい、教室を後にした。
「あぁ、セシルにはまだ用が残ってるんです」
テアナが出て行こうとするセシルを呼び止める。
「え、何それ?」
「ほら、あの話ですよ。ルーン、ディム、セシル借りて行きますねー」
そう言って強引にセシルの腕を取って引っ張っていった。
後に残された二人は呆然とそれを見送っていた。
「どういうこったろうね」
「補習とかじゃないんでしょうか。まぁセシル君も素質はありそうだから秘密特訓したりとか……」
「あの先生がか? 冗談だろ」
「ま、ここで待っててもしょうがないし、食堂でも行きましょうか。マールもしばらく時間かかるみたいですし」
「そうだな。……今日はうどんの日だな」
「いつもと一緒じゃないですか」
なんてやりとりをしながら、二人はそろって食堂へ出かけていった。
一方その頃、とある執務室で。
背中まで流れるように伸びた茶髪。
切れるように鋭い眼の奥には、今はエメラルドグリーンに染まった真っ直ぐな瞳が輝いている。
マール・アイボリーは、学校の中にある軍部にこの間の訓練中の出来事を報告していた。
「……というわけです」
レアル・フォームズはテアナの話を黙って聞いていた。大柄で眼鏡をかけたその男は、一見すると豪胆な人物に見えるが、目や表情からはどこか知性を感じさせた。
年齢は30代半ばでまだ若いが軍の中では出世株であり、実質アルバートアカデミーの長でもあった。
「なるほど」
その報告に静かに頷くと、真っ直ぐにマールの眼を見据えて
「そのルイスとかいう神父風の男は、君の固定魔法を奪おうと襲ってきて……しかも他国のものと思われる魔法も使ってきたというわけだな」
男はメモを取りながら要点を纏めていく。
これをさらに上に報告することになるが、賊の侵入を許し、おまけに取り逃がしたとなると、また上から嫌味を言われるだろう。今から憂鬱だった。
「ご苦労だった」
言ってから彼は眼鏡の端を持ち上げ、頭を整理するために目を瞑った。
この間の訓練の時に起きた事件……既にいくつもの情報が彼の耳には入っており、それが現在、頭を悩ませている問題だった。
アルバートアカデミーは、他国との国境に近いという立地条件もあって、その造りは極めて頑丈で一種の要塞になっている。
他国あるいは犯罪組織などと交戦になった場合には、ここを拠点に防衛および攻撃をすることになる。
そのため、アカデミー内に張り巡らされた罠や魔法による結界や更に最新の探知システムは数知れない。
だが……今回侵入してきたスパイは、それらを全てを避けてアカデミー内に潜入した。
マールの話によると、敵も固定魔法を持っていたということだ。
魔獣を無限に呼び出し、使用者を空間転移させる効果を持つという本……厄介な代物だった。
そしてテアナが来て助かったが、間に合わなければマールは殺されていたということ。それだけの実力を秘めていた。
(テアナのやつですら、取り逃がしたとなると……)
一級軍士ですら追跡不可能で、どこへでも変幻自在に現れる他国の侵入者。
その事実は、今のアルバートに重く圧しかかっていた。
「…………」
沈黙が続く。今は、圧倒的に情報が足りなかった。次は皆殺しだと、ルイスは言った。
次があるとすれば、敵はさらに強力な戦力と、緻密な計画を用意してくるだろう。
下手をすれば、アカデミーが内部から崩されかねない。
そして、アカデミーの崩壊はそのままアルバート共和国の崩壊にも繋がっていく。
なら、それを回避するためにどんな行動を取れば良いのだろう?
だが何をするにしても、今のままでは情報が少なすぎる。
すでに国外各地に偵察を放っていたが、それでもまだ足りない。
焦ってはいけない、だがグズグズと時間を掛けていられる問題でもない。
相手に気付かれることなく、自然な形で情報を収集できるように。早急に偵察を送り込む必要があった。
そう、自然な形で。
「あのぅ……私もう帰っていいですか?」
険しい表情の教官を見て、恐る恐る遠慮がちに尋ねるマール。
レアルはいったん考えるのを止めて彼女を見る。
「いやまだだ……ところで、腕の調子はもういいのか?」
マールは遭遇したスパイ……神父との交戦で、腕を折られていたからだ。
一週間入院して治療を受けたとはいえ、もしその怪我が深刻ならば……今後、支障が出てくる可能性もある。
だがマールは自分の腕を見つめ、肩をぐるんぐるんと大きく回してみせると
「完全……じゃないですけどね。通常の動きに支障がない程度は回復しました。治療の魔法もかけてもらいましたし、元々ただの骨折ですから」
あはは、と笑って答える。
マールにしてみれば、『ただの』骨折くらいでは全く大したことではないのだろう。
レアルはそれを聞いて安心した様子で
「そうか、それなら大丈夫だな」
「……? はい」
不思議そうに答えるマール。それから教官はマールの目を見ながら
「では、さっそくだが特別演習に参加して貰う。これから君には、ライスコーフまで行ってもらいたい」
「ら、ライスコーフ!? って、あの砂漠の国に……何の演習なんですか?」
ライスコーフとは南東にある五大国の一つで、国土の大半が広大な砂漠だ。
急なことに、マールは驚いた。ちょっと前まで入院していたというのに、いきなり特別演習だという……。
レアルは、有無を言わさずといった感じでマールを見つめている。
どうやらノーとは言えない雰囲気のようだ、とマールは思った。
「詳しいことは後で説明する。メンバーは君と目付の軍士一人と、それからもう一人」
ガチャッ
教官が言い終わる前に、執務室のドアが開いた。
「失礼しまぁす。テアナ・コーランド・イリアと、セシル・クラフトです」
入ってきたのは、いつでも笑顔の女教官と、怠そうな表情の男。
マールの視線がドアの方に向いて
「あ、先生……それと、セシル? 何であんたがいるの」
マールは驚いて声を掛ける。まさかセシルが来るとは思っていなかったから……。
セシルは疲れた表情でマールの方を見ると
「さぁ、俺が聞きたいくらいだよ。今日、急に言われたんだし」
と、かなりげんなりした表情で言う。
「目付の軍士はテアナ先生だとして。それじゃあ、もう一人私と一緒に行くメンバーってのは……」
マールはまさかと思いながらも、テアナの隣にいるセシルを指差す。
「セシルですよ。何か問題でもありますか、マール?」
「いや……問題というか、意外だったんで」
マールは驚いて目を丸くしていた。
「今回セシルを推薦したのは私なんですよ。成績表には現れてませんが彼の“特技”は今回使えるはずです。それは一級軍士である私が保証します」
テアナにそう言われてはマールも特に言うことはない。
「それはそうと……はい、マールの成績表です。後で見ておいて下さいねぇ、いつも通り貴方はトップですけど」
「そうなんですか。ありがとうございます」
教室で渡しそびれていた。
受け取りながら、セシルを見やる。特技、銃の他に何かあるのだろうか、と思ったが
「腹減ったなぁ。はやく終わらんかなあ……」
セシルはいつものセシルだった。
「というか、それは置いといて、そろそろ俺らが何するのか教えて欲しいんだけど……特別演習としか聞かされてないし」
「そうだな。全員そろったところでそろそろ説明を始めようか」
その一言で、レアルに3人の視線が集まった。
それを確認したところで、説明を始める。
「今回、君らはライスコーフまで行ってもらう。そこで、この間の襲撃事件に関する情報を集めてきて欲しい。めぼしい場所や人物のリストは、コーランドに渡してあるから後で読むように」
「つまり、偵察任務……?」
マールは不思議そうに尋ねる。レアルの言っていることは、簡単に言えば偵察という任務だ。
それも、本来なら三級以上の軍士が担当するレベルだった。演習という範疇を超えている。
人聞きの悪い言い方をすれば、こそこそとスパイ活動をしてこいということなのだから。それも、友好を保っている同盟国でだ。
「さすがにそりゃ……俺らには荷が重いんじゃないですかね?」
セシルも心配そうに不満を漏らした。
そして、どうなってんだよ、という風にテアナを見つめる。
「最後まで聞け。これには君らの協力が必要不可欠なんだ」
不安そうな二人を制して、説明を続ける。
「まず、先に言った特別演習とは、一言で言えば留学だ。
セシル・クラフトとマール・アイボリーは、これから交換留学生として、ライスコーフアカデミーへ向かってもらう。 その引率にコーランドがついて行く。交換留学制度については知ってるな?」
「はい、まぁ……そこまで詳しくは知りませんけど、要は一定期間、お互いの学校の生徒を交換しあうってことですよね」
レアルは頷く。
「各国の士官養成学院……つまり同盟国間でアカデミーの優秀な生徒を互いに交換しあう、短期的な留学制度のことだ。交流と銘打っているが、実際にはそれによって『こちらはこれだけの戦力を育てている』ということを、他国へアピール……別の言い方をすれば圧力を与えるわけだ。これには、若干の政治的な意味合いも含まれているが、この際それはどうでもいい」
更に補足を加え、説明を続ける。
うんうん、と真剣な表情で聞き入っているマールと、壁にもたれて眠そうな目をしているセシル。
二人の様子を後目に、教官は言葉を続ける
「それで君達はアルバートアカデミーとも繋がりのある、ライスコーフのアカデミーに交換留学生として訪れることになっている。怪我は癒えたみたいだし、君達なら適任だと判断してのことだ」
マールはともかく、セシルは担当の教官に怪我を負わされたのだが……。
セシルはその言葉に苦笑しつつ
「へぇ……そういう建前で、ライスコーフを探ってこいってことですね」
「ま、そういうことだ」
こんな大変な時期に、しかもわざわざこの間の事件の当事者を、外国に行かせるなんていう危ない橋を渡らせる理由は一つしかなかった。
レアルは、マールから聞いた情報をもとに各国の調査を行っていた。その結果、最近不穏な動きを見せているという国をいくつか割り出した。
その一つが、ライスコーフだった。
「交換留学生として向こうに行くわけだから、疑われることはまずありません。まさか同盟国の代表が堂々とスパイ活動をするとは思ってもいないでしょうしねぇ」
「その上これは毎年続いている伝統行事だからな、何の違和感もなくこちら側の人間を送り込める良いチャンスだ」
アルバートとライスコーフは、過去に何度か戦争はあったが、今では同じ五大国として同盟を結んでいた。
だが、かと言って気を許せる情勢でもなかった。
軍事力が釣り合った状態で維持されている、吊り橋のような関係だった。
「とはいえ、実際の情報収集任務はコーランドがやる。君たちは普通に向こうで学生生活をしてくれればいい。何かあれば、コーランドから指示がいくはずだ」
「なるほど……」
マールは神父……ルイスのことを思い出す。今度会った時には、あんな失態は繰り返さない。借りは必ず返す。そう心に決めていた。
「話はそれだけだ。出発は一週間後、今から準備しておけ」
「うぃす」
「分かりましたー」
そして、危ない状況を楽しむように、マールは笑顔で答える。迷いのない、真っ直ぐな目。
そして意気揚々と出て行くマールの後ろを、セシルは怠そうについて行った。
「さてと、どれくらい向こうにいるのかな。着替えは多めに持って行かないと……」
「あんな暑いとこ行きたくねえよー。行くなら海のある、リアとかが良かったなぁ」
「あぁ。でもあそこは確か今、傷ついたサンゴ礁の保護だとかで、海岸の大部分は遊泳禁止になってたわね」
「えぇー!? なんだよそれ」
外から聞こえる声が執務室に響き、それが徐々に遠ざかっていく
テアナは、そんな様子に微笑を浮かべて
「騒がしいですねぇ、レアル先輩」
二人を見送ってから、椅子に座ったまま様子を見ていた教官……レアル・フォームズに声を掛ける。
「まったく、気楽なもんだ」
さっきよりも若干表情を柔らかくして答える……といっても、付き合いの長いテアナくらいにしかその変化は読み取れないだろうが。
そうやって話しながらコーヒーを入れ、二人は応接用のガラステーブルを挟んで向かい合って座った。
「……で、テアナ。何故彼を推薦したんだ?」
さっきまでの事務口調とは違った、砕けた様子で話しかける。
「それはもちろん、彼が優秀だったからですよぉ。予想以上に手こずりましたしね」
テアナもいつも通りの笑みを浮かべて答える。
その言葉の意味は、レアルにもよく分かった。
以前彼女と共に任務を共にしたことがあるが、最前線に出ているにもかかわらず、ほとんど無傷での帰還というのが少なくなかった。
最年少で、それも女性で一級軍士になったテアナのポテンシャルは、それほど飛び抜けていた。
「幻の固定魔法か……まさか使い手が現れるとはなぁ」
「万象の指輪は、思ったより厄介でした。使い勝手が良すぎるんですよねぇ……。私の魔法も無効化されてしまいましたし」
「そりゃそうだ。あんな特殊型は他にないからな」
そう言ってコーヒーをすする。レアルは砂糖はあまり入れない主義だ。
テアナは対照的にドバドバと砂糖を入れて甘ったるくして飲んでいた。
「……しかし、“没収”はしなかったんだな」
「それも考えてたんですが、あえて“観察”にしました。彼は固定魔法を悪用するようなタイプでもないですし、わざわざ父親の形見を取り上げる必要もないと思いまして」
「だが敵に奪われる危険はあるぞ」
レアルはあくまで冷静だった。彼は固定魔法がどれほど恐ろしい兵器なのか、嫌と言うほど分かっていた。
「……レアル先輩、あれほどの兵器がどうして今になって起動したと思います? 持ち主のセシルも、今の今まで固定魔法だと気付いてすらいなかったというのに」
「さあなぁ……」
あまり興味もなさそうに、コーヒーをかき混ぜる。
「きっと、今が使うべき時なんです。この20年ほど、誰も使えなかった幻の固定魔法の使い手が現れた……何か意味があると思いませんか?」
テアナは熱っぽく語る。特に理由はないが、彼女には予感があった。
今回のことは序章に過ぎない。もっと大きな波乱が起きる、と。
「君はそういうのが好きだな……オカルトやら陰謀説やら」
レアルは、やれやれと言った感じでため息をつく。
「まぁ、奪ったところで敵も使えませんし。倉庫で埃をかぶっているより、鍛えたほうがアルバートのためにも彼のためにもなります」
そう言って、またコーヒーをすする。
「ちゃんとあれが使いこなせるようになれば、マールに次ぐ実力者になれそうです。まぁどういうわけか魔法はからっきしみたいですけどねぇ」
教官としては頭が痛いところだった。
しかし、いくら教えても一切使えないのだ。魔法は個人のセンスによる部分が多いので、どうしようもないかもしれない。
レアルは一通り聞くと、柔らかく笑いながら
「ま、君がそういうならそれでいいか」
長年の付き合いであるテアナは、レアルからの信頼も厚かった。
「彼がアカデミーに来る前の情報には、父親がいたとあります。父親が地元の村にセシルを預けて、そのまま蒸発した、と。指輪は蒸発する直前ぐらいに父親からもらったらしいですね」
「あいつか……」
レアルは遠くを見るように呟いた。
「レアル先輩知ってるんですか?」
「何、昔ちょっとな。科学者だとか名乗ってやがったが……全く、子供放り出して今頃なにやってんだか」
遠い過去の記憶。もう十数年も前のことだった。懐かしさからか、自然と口調も当時のものに戻っていた。
「まだうちがいろんな国と戦争してたころだ」
「戦争……」
テアナは自分の手を見つめる。
血塗られた手。
桁違いの魔力を持って生まれたテアナが軍人として生きるのは、時代の流れ的に必然だった。
そのおぞましい力を振るい、ここまで生き延びてきて、一級軍士にまで上り詰めた。
そしてまだ二十歳を迎える前に、既に何千という敵を殺してきた。
ためらいなどなかった。そんなもの必要もなかった。
だが、レアルの勧めでアカデミーの教官をやり始めてから、自分の中で何かが変わった気がした。
自分と大して年も変わらない、若い世代を育てる……。そのことに、それまでとは違ったやりがいを感じていた。
戦争になれば、自分はまたこの力を使って多くの命を奪わなければならないだろう。
そして、生徒達も戦場に狩り出されるだろう。
(出来るなら、無駄な殺しはしたくないですしね……)
今回の任務の成功には、想像以上に重い使命が課せられていた。彼女もそれを十分に承知していた。
決意を固め、自分の暗い気持ちを押し殺し、テアナはレアルの方を見て
「……では先輩、私もそろそろ準備に取りかかりたいと思います」
いつも通りの微笑み。
それに、レアルも力強く頷いて
「あぁ。……そうだ、ちょっと待て。セシルのやつに渡して欲しい物がある」
そう言い、机から何かを取り出した。小包のようなサイズの木箱だった。
「なんですかこれ?」
「昔、あいつの父親に言われてたことを思い出した。いつか、息子がアカデミーに入学するだろうから、その時、時期がきたらこいつを渡してくれ、ってな。……何となく、その時期って言うのが今のような気がしてな」
「へぇ、すごいですね」
テアナは木箱を受け取る。意外と軽かった。何が入っているのだろう……気にはなったが見当も付きそうにない。
荷物を渡し、レアルは神妙な顔つきでテアナを見つめた。
「……じゃあ、子守は頼んだぞ。やつらにとっては、初の国外任務だしな」
「はい、分かりましたぁ」
それにテアナはどこか楽しげに答えてから、執務室を後にしたのだった。
「さてと、着替えは何枚いりますかねぇ」
どこかで聞いたような独り言をつぶやきながら……
それにレアルは
「ふぅ、あいつも変わらんな。よくやってくれてはいるが」
呆れたように、しかし嬉しそうにため息をついたのだった。
(当面の問題は……スパイの居所探しと、“万象の指輪”を持ったロイのガキか……。ロイに言われたとおり手向けも用意してやったし、セシルに関してはテアナに任せるか)
レアルは物思いにふけりながら、残っていた事務処理の仕事に戻り始めた。
ライスコーフは砂漠の国。悠久の歴史を感じさせるミステリアスな国。
砂漠ならではの独特な町並みや文化、それに遺跡が観光の目玉にもなっているらしい。
「うーん……」
ライスコーフとはどんな場所か。というのを、セシルはなんとなく雑誌をめくって調べてみた。
「ライスコーフか。砂漠はアルバートより何倍も暑いんだろうなー。怠いなぁ……」
目に付いた言葉は、砂漠、オアシス、ラクダ、日焼け止めが必要です……等々。
他には、各地の世界遺産や名所が書いてあるがそこまで行く気にはならなかった。
だらだらとベッドの上を転がり、やがて雑誌を放り出して仰向けになった。
(留学かぁ。まさか俺まで付いていくなんてな。まぁ意外と面白いかもしれんけど……)
なんだかんだで、結構楽しみにしていた。
だが、その前に解決しておかなければならない問題があった。
(銃、どうすっかな)
セシルの手元に今銃はなかった。
前の銃は元々安物であり、セシルの使い方が荒かったせいでガタが来ていた。
その上、テアナとの戦闘で限界以上に酷使したため、バラバラに壊れてしまっていたのだ。
(ってか、銃が無くちゃさすがにやばいよな……俺、魔法使えないし)
魔法ランクEのセシルにとって銃は生命線でもあった。
(今から調達してくるか? でも金はこの間マールに借りたまんままだ返してないし、今は銃買う金なんてないし……)
だが、そこで誰かが扉をノックするのが聞こえた。
誰だろう。
「セシルー。お届け物ですよー」
セシルが扉を開ける前にテアナが入ってきた。手には木箱を持っていた。
ベッドから起きあがり、荷物に目を落とす。靴箱程度の大きさの四角い箱だ。
「どうしたんだ先生? これは?」
「プレゼントですよ。ありがたく受け取ってください」
なんだ? この先生がプレゼントとは珍しい……訝しみながら、セシルは木箱を受け取った。
「……ちなみに、何が入ってんのこれ?」
「さあねぇ。自分で確かめてみて下さい。あ、そろそろ訓練の時間だから遅れないように」
荷物を渡して、テアナは忙しく去っていった。
「何なんだ一体」
疑問はあるがとりあえず、箱を空けてみた。
「……ん?」
何かが布を被せられて、膨らんでいる。
布を取ると、そこにあったのは……銃。
だが、ただの銃ではない。
銀をベースとした配色に、銃身には金で描かれた螺旋状の模様が入っている。だが、それよりも……銃にしては細く、何よりも軽い形状。
どこか儚げで、美しい銃。それだけで芸術品としての価値はあるだろう。
珍しいこともあるもんだと思った。でもまぁちょうど良いタイミングだった。
「……この銃は……あれ?」
銃を手に取ってみる。奇妙なことに、ほとんど重さを感じない。まるで羽のように軽かった。
そして、銃身には小さく金色の文字が書かれていた。
『ヴィアゲイター。未来ある旅人の君へ。嘆いてはいけない。足を止めないものだけが未来を勝ち取るのだ』
(ヴィアゲイター……ってのは、この銃の名前か。でも何だこの変な詩は)
「とりあえず、貰える物は貰っとくか」
ヴィアゲイターというらしい、新しい銃をしまい、セシルはまたベッドに寝っ転がって、次の訓練まで時間を潰すことにした。
これから舞台は変わって、二章に入ります。
それにしても長かった……^^;