15話:進行、水面下で
試合は勝ちました。とりあえず教室に戻ります
昼を少し過ぎた時間帯。
ライスコーフでは、一番暑い時間帯だ。灼熱の太陽に照り返された地面からは、蜃気楼が上っている。
試合を終え、ただでさえ疲れているセシルは、足早に教室に戻っていった。
「やれやれ……でも心配なのはこっからだよなぁ」
セシルは、教室の前まで来て、少しだけ入るのをためらった。
だが、意を決して恐る恐る教室へと足を踏み入れた。
だが、クラスメートの一人がセシルを発見すると、その瞬間、割れんばかりの拍手に包まれた。
「お、留学生が帰ってきたぞ!」
「やるじゃん!」
「まさか勝つとは思わなかったぜ!」
「くそ、俺の賭け金返せ!」
色んな所から歓声やら罵詈雑言が飛んできて、それに拍手が教室中に響いた。
突然のことにセシルが驚いていると、誰かが近付いてくるのが見えた。
どうやら、みんなでセシルが帰ってくるのを待っていたらしい。
「まさかリリアに勝っちゃうなんて。すごいじゃない!」
「あぁ、僕も驚いたよ。大したもんだ」
観客席で見ていた、メティ、ダリオ、ジノーヴィの三人だった。
「お前強かったんだなあ、あんなすごい魔法持ってたなんて。おい、今度は俺と戦えよ」
そう言って、ジノーヴィが肩を組んできた。彼も性格は違うがリリアと同じタイプらしい。
「いやいや、まぐれだって。もう二度とやらないぞ」
セシルは少し照れながら言った。このクラスの誰もが、いや、アカデミー中の人間の予想ではリリアの圧勝ということだったが、それを見事にひっくり返した。
悪い気はしないが、こういうのには慣れていないので、むず痒い感じがした。
正直、実力で言って、セシルがリリアに勝つのはありえないことだ。
だから、もしかしたら自分が固定魔法を使ったということがばれるんじゃないかという不安があった。
反則のような固定魔法を持ち出せば、誰が相手だろうと容易く組み伏せられるだろう。
誰かが、そう疑ってくるのではないかと心配だった。
だが、この様子ではどうやら固定魔法のことはばれてないらしい、とセシルは安堵した。
ただセシルがすごい魔法を使ったということだけが広まっているみたいだ。
だが、それはそれでもう一つ問題があった。
「セシル」
その声に、血の気が引いた気がした。今一番会いたくなかった相手の声だ。
ゆっくりと振り向けば、ギルとマールがいた。
「いやぁすごい試合だったね。僕らも見てたんだけど、まさかあそこから逆転するなんて。あんな隠し球持ってたんだねえ」
「い、いやあ。ははは」
火に油を注ぐギル。
隣には氷のような笑みを浮かべたマールがいる。
「"うん、まさかセシルがあんなことできるなんて思ってもなかったわ"」
(予想はしてたけど……やっぱりアレを黙ってたこと怒ってるんだよな)
付き合いの長いセシルにはすぐ分かった。
だが、それを今ここで説明するわけにもいかない。
「あ、あとでな。ほら、授業始まるし」
ちょうどいいタイミングで入ってきた教官を指差して、セシルは逃げるように席に戻った。
「そうね、あとでじっくり聞かせてもらうわ」
そう言って、マールも席に戻っていった。
セシルは授業が始まると、ため息をついた。これからが、大変だ。
ちなみにリリアは一緒に教室まで戻ろうとしている途中で、「授業を聞く気分じゃない」といってどこかへ行ってしまった。前の席は空席だ。
(俺も授業なんか抜け出せばよかった……)
そんなことを考えながら授業は上の空で、窓に映る景色を眺めた。
砂漠らしく、からっとした暑さの快晴だった。白い建物に反射する太陽の光が目に染みた。
そして、その日の夜。
セシルとマールは急にテアナの部屋に呼び出された。
そこで待っていたのは、仏頂面のマールと、タンクトップに短パンという超ラフな格好のテアナだった。
「……もう寝る直前かよ」
呆れて言うセシルにテアナは軽く答える。
「何ですか、いやらしい目で見ないでくださいよー」
「見てねえよ」
そうは言いつつ、直視はできないセシルだった。
「んなことより、セシル?」
「あぁ、分かった分かった。今説明するから」
セシルは、とりあえずマールにも説明することにした。
昔から大事に持っていた父親の形見の指輪が、実は固定魔法だと最近分かったということ。
その力を使って、今日の試合も勝ちを拾ったということ。
元から別に隠しておくつもりもなかった。ただ、言うタイミングがなかっただけだ。
「……というわけなんだ」
「なるほど。その指輪がねぇ……」
納得がいったマールは、セシルの指にはめられてある指輪をまじまじと見つめた。
「まさかあんたのお父さんが固定魔法所持者だったなんてね」
「俺も親父のことは全然覚えてないけどな。めんどくさい物を渡してくれたよな」
とはいえ、これで二度もこの指輪に救われたことになる。
(不思議なもんだな……)
セシルは左手にはめられた銀の指輪を見つめていた。
「まぁとりあえず、固定魔法については今回はばれずに済んだみたいで良かったですね……それより、今日の試合についてです」
テアナは神妙な顔つきで二人に向き合った。
「二人を呼んだ理由、ここからが本題です。マール、何か気付いたんでしょう?」
「はい」
「……え? 何が?」
真剣な表情の二人をよそに、セシルはなんのことだか分からない様子で、テアナとマールを交互に見ていた。
「セシル、気付かなかった? 今日の試合、リリアが使った魔法よ」
言われて思い出してみる。
アルバートにはない、ライスコーフ特有の魔法が次々と放たれてきた。
「えーっと……幻影のやつと、光の矢と、炎と、プラズマと……それぐらいか?」
どれもこれも、まともに食らえばとても無事ではいられなかっただろう、とセシルは今更ながら身震いした。
「もう一個あったでしょ。あの風のやつよ」
「風? あぁ〜」
光の矢が、セシルの銃を狙って来たときのことだ。
あの時、爆発によって砂煙が起こった。それを払うために、一度だけリリアが唱えた魔法があった。
「確か……なるほど、そういうことか」
セシルも、ようやく納得がいった。
そして、テアナが二人をここへ呼んだ理由も。
「さて、本当なんですか? あなたたちがアルバートで遭遇したスパイが使っていた魔法と、今日リリアが試合で使った魔法が同じというのは」
忘れもしない。二週間ほど前の話。
セシル達がアルバートで演習を行っていたときに襲ってきた神父服のスパイ……ルイスが、最初に使った台風のような魔法。
「"ワール・ウィンド"、確かにそう言ってました」
ルイスのものとは大分規模は違うが、リリアのも同じ魔法だった。
「なるほど。今回はしらみつぶしに行う情報収集任務の一つでしたが……これは、いきなり大当たりかもしれませんねぇ」
だいたい、国ごとで魔法の使い方も名前も違う。
同じ魔法だとすれば、ルイスもこの国の出身者の可能性が高い。
「そうと分かれば……本格的に調査する必要がありそうですね。私ももう少し念入りに探ってみます。二人にも、明日からやってもらうことがあります」
「……ここで、ケリつけるのか?」
「当然でしょ」
マールははっきりと断言した。
そして、それは必ず自分が付ける、と固く決意していた。
「借りは必ず返すわ」
あの時の屈辱を忘れた日はなかった。油断して捕まった挙げ句、エア・アンカーを奪われそうになったという屈辱を。
「まぁまだ情報が足りません。今は焦って行動しないように。何か分かったら私から連絡します」
暴走しそうなマールを、テアナが諫めて、その日は解散になった。
(めんどくさいことは続くもんだなぁ……早く帰りてえよ)
セシルは部屋まで戻りながらそんなことを考え、大きな欠伸を一つした。
その日の深夜―――
奇妙な光景だった。
光が届かないはずのその地下遺跡の中が明るく照らされている。
魔法によって遺跡全体に白熱球のような淡い光が行き渡り、遺跡というよりは何かの地下施設のような様相だった。
ローブを頭まで被った奇妙な男は、そんな遺跡の中を進んでいた。
遺跡……王家の墓には、盗賊避けの罠が至る所に仕掛けられており、下手に動いて作動させてしまえば、それこそ命を落とす危険性もある。
大昔の人間が知恵をしぼって作り出した罠の数々は、数百年という月日が経ってもその機能を失うことなく、下手な要塞よりもよほど攻略困難だと言えた。
だがローブの男は、そんな罠などまるで関係ないようにスイスイ進んでいく。
地図を片手に、狭く入り組んだ迷路を一瞬の迷いもなく進む様子は、まさに一流の盗賊の業といえた。
次々に罠を解除し、くぐり抜け、必要とあれば破壊しながら。
途中に見かけた部屋を一つずつ入念にチェックしながら一歩一歩足を進めていく。
そして、最後の部屋に入る。多くの壁画や装飾品が埋め込まれた狭い石室。
部屋の中央には、これみよがしに大きな石の棺があった。
これが男が探し求めていたものだった。興奮するのを抑えながら、最後に張り巡らされた罠を慎重に解除する。
そして、全ての罠の解除が終わると棺に駆け寄り、石蓋を乱暴にこじ開ける。
中には、一本の剣があった。
派手な装飾が施された金色の剣。
淡い白熱色の光を反射して鈍い光を放つ、妖しげな宝剣。
「ははは」
彼は、力無く笑うと剣を手に取り、確かにその重みを噛みしめた。
「これか。宝剣……『生殺与奪』。ここまで来るのに苦労したが、最後は割とあっさり手に入ったもんだ」
一人、満足げな笑みを浮かべながら、その剣をしばらく見つめていた。
だが、ふと誰かの気配を感じて後ろを振り向く。
そこには彼の見知った顔がいた。
色白の痩せた男だった。
中心に赤い十字架が描かれた、真っ黒な神父服を纏っている。
片手には聖書のような本を持ち、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらその場に立っていた。
「ルイス・シュレディンガー。なんでお前がここにいるんだ、何をしに来た」
驚きと警戒を含んだ声で問いかける。
アルバートに固定魔法を奪いに行く任務に失敗して大怪我を負い、今は休養中のはずだった。
ルイスはそれは答えず、彼の持つ剣に目を向けると口を開いた。
「……しばらく見ないと思ったらそんなものを探していたのですか。なるほど、ちゃんと仕事はしてたみたいですね、ウェザー」
質問には答えず、ルイスはニヤニヤした表情を変えずに言う。
ウェザーと呼ばれた男は心外だと言うように眉を寄せて
「当たり前だ。それより、お前こそアルバートの一件は失敗したらしいじゃないか。固定魔法エア・アンカーの回収がお前の仕事だっただろ。俺は……この通り手に入れたぞ」
そう言って、彼は手に持った剣を軽く振る。そのたびに、刀身に光が反射して鈍い輝きを放つ。
「えぇ、そのはずだったんですけどね……とんだ邪魔が入りまして。全く、面目ないですね」
そう、困ったような調子で苦笑いを浮かべる。
そう言うんだったら少しは申し訳なさそうにしろ、とウェザーはイライラしながら
「なんで今回は失敗したんだ? 今まで嫌みなくらい完璧だったお前が。固定魔法保持者がそんなに手強かったのか?」
「いえ、相手は貴方もご存じでしょう。アルバートの陰の歴史、アイボリー家の娘ですよ」
「あぁ……例の伝説の一族の末裔か」
闇の戦闘屋一族のアイボリーの名は他国にも知れ渡っていた。ウェザーも噂ぐらいは聞いたことがあった。
だが、疑問が浮かんだ。
「アイボリー家とはいえ、お前なら小娘一人くらい、そう難しいことでもないだろう。お前も、それをもってるしな」
と、大事そうに抱えられた聖書のような本を差して言う。魔獣を生みだし、異空間を作る固定魔法だ。
だがルイスは残念そうな顔で
「小娘だけなら問題はなかったんですが……一級軍士に出てこられたのでね。逃げるので精一杯でしたよ……命は助かりましたが、その代償に、ほら」
そう言って、包帯だらけの右腕を見せる。
本来なら、腕を丸ごと切り落とさなければいけないほど重度の火傷だったが、ありったけの薬と魔法を施し、どうにか少し動かせる程度まで回復していた。
ルイスの言葉を聞いたウェザーは眉根を寄せて
「一級軍師だと……。そんなレベルの連中が動いてたのか」
「えぇ。追いついてくる前にさっさと逃げようと思ってたんですが、思ったよりも動きが早かったのでね。これからは、連中も私を追って来るでしょう。自分の国に入ったスパイを見逃すわけはありませんし」
「厄介だな……」
苦々しく顔をゆがめる。ちょろちょろと嗅ぎ回られると、今後行動がしにくくなるだろう。先手を打つ必要があった。
「えぇ。ですが目的は必ず達成されます。まずは五大国のパワーバランスを崩し、戦争を起こす。そしてその後は……」
言いながら、ルイスは手に持っていた本を開いて、そのページの一部をそっと指でなぞる。
すると、瞬く間に彼の足下に黒い魔法陣が現れ、上に乗っていたルイスは、まるで沼の中に沈むようにゆっくりと身体の半分までを魔法陣に埋めた。
「では、色々と準備がありますので私はこれで……。貴方も事が済み次第、その宝剣を持って本部まで戻って来て下さい」
その身体が完全に地面に溶けてなくなると同時に、魔法陣も消えて無くなった。
ウェザーはそんな異常な光景を、苦い顔で、しかし慣れた様子で見送る。
「まったく、あいつはどうも苦手だ……」
「あぁそうそう言い忘れてました」
「うわぁ!?」
ずぶっと消えたはずの魔法陣が突然現れて、ルイスがそこから上半身だけをのぞかせる。
それに、ウェザーは眉をつり上げて
「消えた瞬間に、いきなり現れるな……心臓に悪い」
独り言を聞かれたばつの悪さもあって、無愛想に答える。だがルイスはそれを気にした様子もなく話を続ける。
「この遺跡、爆破しといてください」
とんでもないことを言うルイス。
ウェザーは全く訳が分からないといった様子で
「爆破? 馬鹿を言え、そんなことして何の意味がある。ただでさえ国の重要文化財なんだ、足が付かないように侵入するだけでもどれだけ苦労したか……」
「いえ、それでいいんです。私に考えがありますから」
ルイスはニヤニヤしながら作戦を簡単に説明した。
何を考えているか分からない笑みは、ウェザーをことごとくいらつかせたが彼もルイスに乗ることにした。
というのも、彼にとってもルイスの作戦は理想的だったから。
「目立つ行動は避けたかったんだがな……」
「しかし、ノーリスクでのリターンはありえません」
偉そうに……と彼が言いかけたところでルイスは魔法陣の中に沈んでいった。今度は本当に帰っていったのだろう。
それを見送った後、ウェザーは魔法を唱え始めた。大きな遺跡を消滅させるほど強力な破壊魔法を。
「黒陽球……“セクメトの火”」
魔法の詠唱が終わると、ただちに狭い石室内に黒い球体が現れた。
その威力は、遺跡一つを跡形もなく完全に破壊するほどのものだ。
とてもゆっくりした早さで、風船が膨らむようににして黒い超高熱の球が膨張していく。
触れた壁の一部が消滅するように溶け始める様を満足げに見つめると、ウェザーは盗んだ剣を大事そうに抱えると足早に出口へと向かったのだった。