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海軍二式局地戦闘機 『飛電』

作者: 陽炎

 昭和15年、海軍は三菱に新型の『十四試局地戦闘機』の開発を指示した。


 この頃海軍は日中戦争においてSB爆撃機等の高速爆撃機によって少なくない被害を受けていた。特に大きな被害を受けたのは昭和14年の漢口空襲であった。


 この空襲により当時漢口に配備されていた機体のほとんどが地上で破壊され、司令官である塚原二四三中将は左腕切断という重症を負った。


 この事態を重く受け止めた海軍は、飛行場等の重要拠点を守る局地戦闘機の重要性を感じ、三菱に新型の局地戦闘機の開発を指示したのである。


 しかし、当時三菱は12試艦戦(零戦)の開発などで余裕がなく、また大型な爆撃機用エンジンを転用させ、エンジンからプロペラまでを延長軸でつなげるという手の凝った構造により、前方視界が制限され、離着陸に支障が出たり、エンジンの振動問題が発生するなどの問題が発生する可能性があるなどして、設計は大幅に遅延した。


 最終的に三菱の設計が完了し、モックアップが完成したのは、昭和16年8月という開発から1年以上経った状況であり、そのモックアップも前方視界の不良により海軍側の評価も芳しくなかった。





 このように三菱での開発が難航する中、空技廠がこの新型機開発に名乗りを上げた。


 空技廠は海軍の研究機関であるが、航空機の開発や製造などもおこなっていた。


 空技厰はこれまで築いてきた技術を海軍に見せるチャンスだと判断し、海軍に新型機開発を具申したのである。


 海軍は空技厰の提案に、始めはあまり良い顔はしなかったものの、とりあえず保険代わりに作らせることにした。





 空技厰は開発の許可が降りると、すぐに設計を開始した。


 新型機に載せるエンジンはドイツからライセンス生産権を得たアツタエンジンを搭載させ、機体設計は同じく海軍がドイツから購入したHe100Dー0を元に設計が進められた。


 このHe100はドイツのハインケル社が開発した航空機であり、エンジンの冷却法に表面冷却方式を採用し、非常に洗練された外形設計によってMe109を上回る高速性能を発揮した。


 しかし、ドイツ空軍は操縦性の悪さや表面冷却方式が被弾に考慮されていないとして、この機体を採用せず、プロパガンダ用の宣伝機体として使われた後、一部の機体が日本とソ連によって買い取られた。


 空技厰は戦闘時の被弾に不利な表面冷却方式を廃し、通常のラジエーター方式とした。その際冷却装置の配置は、陸軍の三式戦闘機や後のP-51戦闘機と同じように半胴体埋め込み式とした。その結果機体のシルエットは三式戦に似た形となり、戦後の一部の航空雑誌には海軍版『飛燕』として紹介されることもあった。


 武装面も零戦に搭載された九九式20ミリ機銃を4門装備させ、火力面も重視した。防弾面も操縦席後部に厚さ8ミリの防弾板を装備し、燃料タンクにも炭酸ガス式の消火装置を装備させるなど、防弾性も考慮されることとなった。





 こうして空技厰の機体の説計が完了し、試作機が完成したのは、すでに太平洋戦争の勃発した後の昭和17年の2月であった。


 この試作機のテストパイロットを勤めたのは、空技厰飛行実験部に所属する小福田大尉であった。


 横須賀の追浜飛行場で行われた第一回目のテストは機体を地上滑走させたり、地上で機体をバウンドさせるといった機体の安全チェックを終えた後、ついに試験飛行が開始されることとなった。


 小福田大尉の乗る空技廠の試作機は、空技廠の技術者や海軍の関係者が見守る中、横須賀の空へと飛び立っていった。


 初めて試験飛行のため、飛行に必要なだけの燃料を積み、武装も装備していない軽装状態の飛行ではあるものの、He100譲りの高い速度性能を発揮し、技術者や海軍関係者を驚かせた。


 一通りの試験を終えた試作機は着陸し、機体から降りた小福田大尉は満面の笑みを浮かべながら報告を行った。


 試作機はそれまでの海軍機最速の625キロ(高度6000メートル 無武装)を発揮し、小福田大尉も「前方視界と機体の若干の振動を除いて全くの問題なし」と報告した。


 技術者達はこの結果に大いに喜び、次の完全装備でのテストにも期待した。


 その一週間後、武装や防弾板を装備し、燃料を三分の二搭載した荷重状態でのテストが行われた。第二回目のテストも前回と同じく無事に飛び上がった。そして、試験を終えた機体から降りた小福田大尉は、性能報告を行った。


 最高速度は612キロと若干低下したものの、局地戦闘機としては十分すぎる性能であった。海軍はこの結果に三菱の機体が完成するまでの繋ぎとして採用することが決定し、直ちに量産の指示が出された。


 この空技廠の試作機は二式局地戦『飛電』と名付けられ、愛知航空機で生産されることとなった。その理由は、『飛電』と同じアツタエンジンを装備した『彗星』との互換性を狙ったためである。





 採用された『飛電』は昭和十七年末にはラバウル方面に少数が配備され、ラバウルに襲来する爆撃機に対して戦うことが期待された。


 しかし、当時のラバウルには水冷エンジンの整備を経験した整備員がほとんどおらず、搭乗員からも前方視界の悪さや着陸速度の速さから敬遠され、ラバウルの飛行場の隅に追いやられることとなった。


 しかし、昭和十八年に入ると空技廠から派遣された技術者の指導やラバウルに配備された陸軍の三式戦部隊の協力により、稼働率は徐々に上がり、零戦や陸軍の隼と共にラバウルの空を戦った。


 特に『飛電』が活躍したのは昭和十九年の一月の空戦で、F6F等の戦爆連合に『飛電』十二機は零戦二十機と共に迎え撃ち、一撃離脱戦法を駆使して四十機近くを撃墜した。





 しかし、戦局の悪化により戦闘機隊はラバウルから撤退し、『飛電』もラバウルから去ることとなった。


 そして『飛電』の次なる戦場となったのは、本土上空であった。『飛電』はサイパン島から本土爆撃のため出撃するB-29を迎え撃つため、完成した三菱の『雷電』と共に戦うこととなった。


 しかし、高度一万メートルを飛行するBー29の迎撃は、高高度性能に優れる『飛電』といえども至難の技であった。


 さらにこの頃『飛電』はエンジンを新型のアツタ32型に喚装した『飛電』22型が配備されていたが、ラバウルの時と同じくエンジンの整備が困難であるとして、『飛電』はあまり喜ばれなかった。


 しかし、厚木302航空隊司令の小園大佐は『飛電』の高高度性能の高さに目をつけ、各地に余っていた『飛電』をかき集め、強力な整備体制を築くことによって整備の問題を解決させた。


 かくして302空は海軍屈指の『飛電』、『雷電』装備部隊となり、関東方面で活躍した。


 302空で運用された『飛電』の中には後部胴体に斜め機銃を装備した機体や、試作の30ミリ機関砲や空対空ロケット弾を装備できるように改造した機体も作られ、本土防空において高い戦果を上げた。





 しかし、そんな『飛電』の戦いも、終戦によって幕を閉じた。


 戦後厚木基地に残された『飛電』は一部がアメリカ軍に接収され、アメリカ本土に運ばれテストされた。


 その際、アメリカ製の高オクタン価ガソリンや高品質な点火プラグを装備した『飛電』は、最高速度680キロを叩き出し、アメリカの技術者を驚かせた。


 テストを行ったパイロットも、「P-51に似た飛行性能で非常に高性能な機体」と評し、パイロットからも絶賛された。


 その後、米軍による性能テスト等を終えた後、ほとんどがスクラップとして処分されたが、民間に放出された一機がとあるコレクターによって買い取られ、復元されたのち、そのコレクターによって創設された航空博物館に展示された。その博物館には、かつて翼を並べ戦った零戦や『雷電』、そして原型機となったHe100とともに展示されており、現在でもその姿を見ることが出来る。




 初めまして、陽炎と申します。

 今回初めて架空戦記創作大会に参加させてもらいましたが、お題を見た瞬間にどのようなものにするか悩みました。しかし、プレーンズ・オブ・フェイムに展示されているHe100の姿をネットで見たとき、日本版He100というのがひらめき、気付けばあっという間に書き終えてしまいました。(企画開始の一か月近く前に...)


 話としては上手いものではないかもしれませんが、ご意見ご感想お待ちしています。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。楽しく読ませて頂きました。 やはり海軍戦闘機の開発を考えると十四試局戦は外せませんね。 雷電の樽のような機体も大好きなのですが、あの体型ではどういじっても性能が中途半端にしか…
[一言]  参加ありがとうございます。幻のハインケルの国産化成功ですね。魅力的なIFでした。
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