つまり乱暴にざっくりと、なろうテンプレが評価される理由を教えてやる
分かり易い表現にする為に乱暴な言葉遣いをしています。割と煽ってます。
苦手な方は次話へ
① 「主人公がピンチにならないで無双ばっかりしてるのはおかしい!」
主人公がひたすらヘイト役をぶっ倒して? 味方がひたすら主人公を持ち上げて? それがおかしいって?
違うねッ! なにもおかしくねえ!
何故だって?
……お前さんは毎日更新してるか?
してる? してない? まあいいや、どっちでも同じだ。
ネット小説は「小説」とは違うんだ。一話読んで、気に入ったら2話、3話、こりゃ楽しい話だと踏んだらブクマ入れて更新待ちさ。完結してない限りな。
で、待ちに待った最新話、まあ主人公が負けてボロクズになったとしてだ、仲間や恋人も去ってどん底からの再スタート? で、次を読めるのはいつだ? 明日まで待つのか?
御冗談! そんなモヤモヤした気分で次の日まで待つほど読者は暇じゃねえんだ!
要するにだ、犯人が分かるところまで読み進められずに中途半端な所で切られる推理小説を読みたいのか?って話だ。まあ、自分の作品が漫画で、サンデーで連載されてるなら別かもな。
なろうの読書体験は、空いた時間に片手間で、他の沢山の作品と一緒に、ファーストフード感覚で乱雑に消費されるんだ、明日になったら読者は前日の展開なんておおざっぱにしか覚えてないねッ!
覚えてなきゃいけない展開にしたらそのままブクマ外されるわッ!
大体、作者本人と違って、読者はその話がいつ止まるか分からねえんだよ!
主人公が負けたまま更新が止まったら誰が責任取ってくれるんだよ!
② 「話を分けて一話五千字だの短すぎる、もっと長く、内容を詰め込みたいんだ」
……まさかネット小説を、どこぞで買って、開いて、めくって、最後まで読む、なんて、古代の読書体験みたいに思ってないだろうな!?
読者はスマホなりパソコンなりで読んでるんだよ!
まさかスマホには小説を読む機能以外は何もない、なんて思わないな?
スマホゲー、SNS、動画! 他にいくらでも使いたい時間があるんだよ! ネット小説に長時間使えるか!?
五千字なんて一分もかからずに読める? 小説大好き速読くんを基準にするんじゃねえ!
その昔、ラノベがどういう立ち位置だったか覚えてるよな? 「小説を触った事のない人が気軽に小説に触れられる入門書」だ!
なろうもこのタイプだ、それを忘れるな!
③ 「なんでこんな同じ展開ばっかりなんだ、オリジナリティが全然ないじゃないか」
オリジナリティ! 後が気になる展開! どれも読者は求めてねえ!
求めてねえ理由は簡単だ、シロウトのオリジナリティなんて面白い保証はどこにもないからだ!
待て、お前のオリジナリティがつまらねえとは言わねえ。
単に、素人の面白いかどうかも分からねえ物を好んで読む奴は少数派だって話だ。
タマゴを割らなきゃオムレツは作れないが、事前にタマゴの品質は分かっておいた方が、オムレツを作るかどうかは決めやすいだろう。
紙の本は最低限、最後まで読めるのと、編集がGOサインを出した最低限度の品質保証があるよな。なろうの作品から書籍化しても、編集のチェックは入ってる。
信頼感、安心感って奴だ。
何を買う時でも、同じ値段で同じ棚に並ぶ物を、事前情報無しで一つだけ買う時は、知りもしねえ企業の良さそうな新商品より、大抵の消費者は知ってる企業の無難な製品に手を伸ばすだろ。
伸ばさないのは、「こういうのが欲しかったんだよな」って奴、じゃないなら、マニアに片足突っ込んでるか、冒険がしたい奴だ。
そうじゃないなら、思わず手に取ってしまうくらい、商品の説明に魅力かインパクトがあるって事だ。
小説も同じさ。
しかし、ネット小説はチェックをする人間はいねえ。その作品を読んだからって、面白いかどうかなんて読むまではわからねえ。
信頼感は皆無。ゼロから読者との間に信頼を築かなきゃいけない。そして読者も、そんな面倒をしてまでなろうで物を読もうとは思わないね。
同じ棚に山ほど並んでいる物の中から一つ、品質も分からない物を手に取って開く。それが読者にとって、どれほど面倒か、想像できるよな?
対してなろうテンプレはどうだ? どの作品を読んでも流れは同じっていうのは、逆に言えばな、求めている物を確実に読める、って保証なんだよ!品質保証済みのマークが付いてるのさ!
これを選べば間違いなし!って事だな!
だったら、なろうテンプレを面白いと思えない読者にアピールすりゃあいいだって?
ほとんどいねえな! ちょっとは居るがライトユーザーの数と評価には負けるわ!
それに、そういう読者は大抵、ヘビーユーザーで小説を読み慣れてる! ハードルはライト層より高くなるぞ! それでランキングに登れるか!?
④「つまりお前は何が言いたいんだ?」
簡単さ!
ニコニコなんかを見ても分かる。多くのライトユーザーにとってはランキングが全てだ。
ランキングに乗らない作品なんか見向きもされねえ!
だったら、ランキングに乗る作品を作るしかライトユーザーに受けるチャンスはねえ!
だったら、ランキングに乗れる要素を組み込まなきゃ読まれねえ!
だったら、その要素を全部入れれば、目に留まる可能性は一気に上がる!
目に留まった作品の中に入ったオリジナリティが、また人気な要素になる!
その人気な要素を取り込んで、形ができていくんだ!
その形の名前が、「なろうテンプレ」なのさ!
それを乗り越えていくなら、相応に作品以外の努力が必要だって事だ!
⑤もっとわかりやすく?
無料で、一話ずつ読まれてるって事を意識しろ!
一瞬でも読みにくければ読者は去ってくぞ!
どんな理由でも読者にこの作品めんどくせーとでも思われたらそれで終わりだ!
実の所な、私はこう思うんだ。
ネットでの創作は自由で、商業に縛られない物を書けるって昔は言われてたな。似た様な話を昔はよく聞いた。
ありゃ嘘だ。むしろ逆だ。
ネットだからこそ、作者は読者の希望を叶える行動に出やすくなる。
発信者と受信者の距離が近付けば近づくほど、受信者、この場合は読者の言葉が作者によく影響する。
読者は自分の都合に合わせて、自分のライフスタイル、自分の、まあ思想に合った物を読みたがる。当然の話だ。
そして作者は、ネットで発表する程度には自分の作品を他人に見せたいと思ってるんだ。当然だが反応には影響を受ける。
出版社、そして編集者は、売れる作品を書ける作家を守る。作家が筆を折っては困るから、モチベーションを下げかねない言葉や、その作家の作風から全くかけ離れた要求や、度の過ぎた罵声から守らなければならない。2ちゃんねるの閲覧を禁止したり、Amazonのレビューを読ませなかったりだ。
そして、目に余る犯罪行為には出版社が対処する。
広告を出すのは出版社の広報担当だし、本屋に置いてもらう交渉は営業がやる。
一冊の本を出すだけで、沢山の人間が動き、作者と読者の間に立つ。
そこには壁があり、作者は、読者と意識を一致させなくても良い。間に立つ人々が調整するからだ。
出版社という船に乗り、編集と言う航海士、その他沢山の専門知識を持った船員達を連れて、作品と作家は海を渡るんだ。
もちろん、上手く行くとは言わない。船は沈む事だってある。
対して、アマチュアは違う。
ネットが無かった時代なら、アマチュア作家は商業みたく、山の様な読者の海に飛び込む必要はなかった。同好の士との交流、ネットが生まれてもまだ規模が小さい頃までは、このマニア達の集まりだけで完結できた。
今や、巨大なネット上においてのアマチュアの作者は、商業作家と同じ様に多様な読者のいる海を渡る事を求められる。しかし、海図を書くのも自分、船を修理するのも自分だ。
出版社が幾つもの工程を経て売り出している物と、同じ事を一人でする。
もちろん、商業は「売れる物」が優先。読者が求めている物を作るんだ。必ずしも、作者が書きたい物を書かせる訳じゃない。
作者が書きたい物が、売れる物、売りたい物とは限らないよ。
だが、出版社はしばしば「売り出したいと思う魅力のある物」「これを人気にすれば既存ユーザーを満足させつつ新規ユーザーを獲得できる」と踏んだ作品を金をかけて宣伝できる。
その気になれば、そして確かな戦略と金があれば、メディアなどを使って読者の求める物を変える事だってできるし、知名度を上げて、新しい読者を作ることもできる。
ちょっと顧客の要求から外れていても、大企業ともなれば、その要求を越えて顧客に商品を売り込むだけの力を持っている。
「これは売れる」と信じれば、その商品を求めるであろう相手を見つけ出し、その相手に向けて営業する事ができる。
マーケティングの専門家ではなく、本を売る為のノウハウを持つ訳でもなく、まして金もない。そんな多くのアマチュア作家には真似ができないね。
だから、ネット上にある物はしばしば、受信者が望む通りの形を取るのだと私は思う。
受信者と発信者の間に壁がない。それが、良くも悪くもインターネット上での創作活動じゃないか?