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○1

 今ではなく、ここでもないどこか。

 人が産まれて、生きて、笑って泣いて、抱きしめ合って、そんなこの世界の少し前にある場所。まだ色々な物があやふやで、でも、この世界よりもっともっと純粋で暖かな世界。

 『タマゴの庭』はそんな不思議な場所。

 赤ちゃんになって産まれてくる前、人になる前の、私たちが魂だとか精神だとか名前を付けて呼んでいる、ツヤツヤで、丸くて、ピカピカ光るタマゴ達は、一度、この『タマゴの庭』に立ち寄ってから、お母さんのお腹の中へ向かうのです。

「ああ、はやくヒトになりたいなぁ」

 いま、『タマゴの庭』に、大きくて『ツヨイ』光を放つタマゴがやってきました。

「そうね。ヒトになってはやくお母さんに会いたいわ」

 『ツヨイ』の横には、『ツヨイ』に負けないくらいにピカピカ光る、『キレイ』なタマゴがいます。

 ふたつのタマゴは楽しそうに話だしました。

「ヒトになったら、なにをしよう? なにをしたい?」

 『ツヨイ』が『キレイ』に尋ねます。

「そうね。……アイスクリームが食べたいわ。だってわたし、食べたことないもの!」

「いいなぁ。ぼくは遊園地にいってみたい。遊園地にいったことがないからね。あと、車にも乗ってみたいな。乗ったことないし」

 本当は、タマゴたちはアイスクリームも遊園地も車も、よくは知りません。なぜならまだ赤ちゃんにもなっていないからです。でも、人になって色々なものに出会って、それを知って、触って、遊べることを考えると、タマゴたちは楽しくなってしまうのでした。

 タマゴたちは楽しいことしか知らないので、人の世界の話をすると、とっても楽しくなってしまうのです。

「ああ、やりたいことが多すぎて、どうすればいいかわからなくなったらどうしよう!」

 そんな風に『ツヨイ』が言うと、『キレイ』がいいことを思いついたというように言い返します。

「じゃあ、やったことのない楽しいことを全部やりましょう! それならきっと、なんだって出来るわ! だって私たちは、まだなにもやったことがないんだから!」

「そうだね! ぼくらはなんでもできるタマゴなんだ!」

 ふたつのタマゴはそんなことを言い合いながら、『タマゴの庭』を奥へおくへと進んでゆきます。光の川を越えて、星々の林を抜けると、やがて分かれ道が見えてきました。

 分かれ道は上へ登っていく道と、下へ降りていく道に分かれていました。上の道の続く先は光に満ちていて暖かく、反対に下の道は、冷たく暗い霧がその先を隠していました。

 そして、分かれ道の中央には、一人のおじいさんが座り込んでいます。すべてが丸くてスベスベしたこの『タマゴの庭』には珍しい、人の形をしたおじいさんでした。

「どっちに行けばいいのかな?」

「わからないわ。わからないから、あのおじいさんにきいてみましょう」

 ふたつのタマゴはおじいさんに尋ねました。

「おじいさん、おじいさん。僕らはどっちの道に行けばいいの?」

「私たち、ヒトになりたいの。アイスクリームを食べたいの。お母さんのお腹の中へは、どっちに行けばいいのかしら?」

 おじいさんは、人の形をした顔をあげ、二つのタマゴを交互に見比べると、ゆっくりと話しだしました。

「上へ続く道は人への道だ。そこへ進むと君たちタマゴはより澄み渡り、真の魂となって人の中へと導かれるであろう」

「上ね! 上に行けばいいんだわ!」

 『キレイ』が嬉しそうに飛び跳ねました。おじいさんは言葉を続けます。

「下の道は悪魔への道だ。そこへ進むと君たちタマゴは黒く硬く鋭くなって、人と人との間を飛び回り、そこにあるはずの絆や、愛や、友情を切り裂く悪魔になるだろう」

「下は怖いね。行きたくないよ」

 『ツヨイ』は震えました。そんな恐ろしく、怖いことをするのは嫌でした。

「さあ、タマゴよ。選ぶがいい。今の君たちの選択を、生まれ落ちた後の君たちは決して悔いることはない」

 最後のおじいさんの言葉は難しくて、ふたつのタマゴたちにはよくわかりませんでしたが、早く赤ちゃんになりたくて仕方がない『キレイ』は、もう上の道へと進もうとしていました。

 ですが『ツヨイ』が下へ続く道をちらりと覗くと、叫び声をあげます。

「大変だ! 下の道にタマゴがいる!」

「道を間違えているんだわ! 止めないと!」

 『ツヨイ』と『キレイ』は慌てて、下の道に進むそのタマゴに呼びかけました。

「おーい! そっちじゃないぞ!」

「お母さんの中にいくのは、上の道よ!」

 ふたつのタマゴが呼びかけると、下の道を進むタマゴはゆっくりと振り返りました。そのタマゴは光も弱々しく、ずいぶんと暗く濁って見えました。

「いいんだ。僕はアクマになるんだ。ヒトになんてならないんだ」

 その暗く濁ったタマゴの言葉は冷え切っていて、『ツヨイ』はなにか硬くてトゲトゲしたも物を投げつけられたような気がしました。

「なんで! ヒトにならないとダメだよ!」

「そうよ! わたしたちはお母さんと出会うためにここに来たのに!」

 『ツヨイ』と『キレイ』は言い返しますが、そのタマゴは道を下ることをやめません。ずっとずっと下って、光の届かない暗い霧の向こうへ進んで行きます。

 そのタマゴの光がすっかり見えなくなってしまいそうになったとき、霧の向こうからもう一度声が聞こえてきました。

「あのおじいさんは、ヒトになった後のことを少しだけ教えてくれるんだ。それを聞いてみなよ。そうしたら、ボクの言ったことがわかるからさ」

 濁ったタマゴの最後の言葉に、ふたつのタマゴはおじいさんを振り向きました。


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