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第九話 喫茶店と二人の中年親父

「私は休職中です」


 光男は笑いながら話し始めた。


「メニエール病ってご存知ですか?」


「いや、聞いた事無いです」


 光男の言葉に渡辺はそう言うと、テーブルの上の自分のモカコーヒーを脇に寄せ、少し身を乗り出した。

 別に小さな声で言う話でも何でもなかったのだが、渡辺の行動に乗せられて、光男までも体を前に乗り出すと近づいた渡辺の顔に向かって小さな声で言った。


「突然ぐるぐると、目が回るんです」


「目が?」


「そう、突然。酔っ払って吐き気は起こるし、耳鳴りはするし。頭がおかしくなりそうな気分になるんです」


「目が」


 渡辺は呆気にとられて二度、同じ言葉を言った。


「そう、目です。いや恐ろしい。これ程恐ろしい病気はないです。目が回るんです」


 だから光男も念を押す様に再度そう答えた。

 渡辺はブルブルブルッと一瞬震えると、突然椅子の背もたれに寄り掛かる様に後ろに座り直した。


「それは恐ろしい」


 渡辺は今度は普通の声で言った。


「でしょ」


 光男の声も普通に戻っていた。


「それで休職です。症状は治まっているんですが、いつ再発するか分からないので、様子見です。半年程になります」


 言いながら、光男は自分のブレンドコーヒーを啜った。


「そうでしたか。それでやつれて痩せたんですね。なるほど、みんな何かしらあるもんなんですねえ」


 渡辺は言いながら一人で数度、ウンウンと頷いて見せた。


「そう。何にもない人なんかいない。みんな何かあるんですよ、渡辺さん。貴方の借金だって、返したんだ。たいした事じゃない。別れる程の事じゃなかった」


「いや、それは違う。瀬川さん、みんなのと私のは違うんだ。お金だけの事じゃない。私が妻に隠してたのが悪いんだ。これは選択の問題だ。言う事も言わない事も、私には出来たんだ。みんなに起こる悲劇とは違う。私が自分で悪いんだ」


 話しながら渡辺は自分を怒る様に、少し顔を下げるとテーブルの上のモカコーヒーを睨んだ。


「それにしても別れる事はなかった。別れたらおしまいだ」


「そう…おしまいです」


 二人の間にはそのまま、暫く沈黙が続いた。



 そしてそれから暫くして、最初に口を開いたのは渡辺だった。


「それで、今朝方電話した話なんですが」


「ん?」


 先程までの話の事をまだ考えていたのか、光男は少し遅れて反応した。


「あ、ああ。今朝携帯にくれた電話」


 光男はまだ携帯だった。


「そうです。娘さん。美冬さんの事です」


「一週間くらい前に会ったとか」


「そうです。夕方六時半頃、御宅を伺った時です。柵の間、庭の木の茂みの間から見えました」


 渡辺はそこで一呼吸置いた。


 光男はその雰囲気に思わず生唾をゴクリと一回飲んで、それから尋ねた。


「何を」


「勝手口の所の壁に、ポリタンクから透明な液を掛けていました。灯油だと思います」


 ここで渡辺は勿体つけた様に、モカコーヒーを一口啜った。

 そしてコーヒーカップをトレーの小皿に戻すと、少し困った様な顔をして光男に向かって口を開いた。


「美冬さんでした」





 つづく







    

読んで頂いて、有難うございます。

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