第五十一話 舞
脱衣場でパジャマに着替えると、舞は出て来た。
「一緒に入りたかったな」
「ヤダ」
リビングのテーブルをどかして、部屋の真ん中に二組の布団を敷きながら、美冬は舞の言葉を一蹴した。
濡れた髪をハンドタオルで拭きながら、舞は廊下を歩いてリビングへと入って来る。
「夢だったのにな。美冬とお風呂入るの」
ニヤリと悪戯っ子の様な顔をして、布団を敷く美冬の方を見ながら舞は言った。
「やめてよ。大体二人で入れる程広くないでしょ。ユニットバスなんだから」
下を向き、布団を敷きながら美冬が言う。
やがて舞もしゃがみ、布団の端を引っ張り美冬の手伝いを始めた。
そんな舞の顔を美冬は布団を敷きながら、顔を上げ一瞬見る。
「なにがそんなに楽しいの?」
「美冬とお泊りできるから」
嬉しそうな顔で舞は即答した。
美冬は呆れた顔をして立ち上がると、クローゼットの方に行き、折れ戸を開け、中から下着とパジャマを取り出した。
「じゃあ、今度は私が入るから。テレビでも見ていて」
そう言うと美冬は、布団を避けながらリビングを出て、廊下を歩き出す。
「じゃあ私は、髪乾かさなきゃ」
それを聞いた舞はそう言って立ち上がり、美冬の後を付いて行く。
「ちょっと」
気付いた美冬が振り向いて言った。
舞はニヤニヤした顔で美冬を見ていた。
「お風呂入るんだから付いて来ないでよ」
「だって、洗面台、ドライヤー、脱衣場でしょ?」
舞は嬉しそうに答える。
「え~、駄目! 絶対駄目! せめてお風呂入ってからにして~」
「なんでそんなに裸見られるの嫌がるかな~」
嫌がる美冬を見て、尚も嬉しそうに舞が言った。
結局舞は、美冬がお風呂に入り、「いいよー」っと言われてから脱衣場に入った。
「絶対下着とか見ないでよ!」
お風呂場の方から美冬の声が飛ぶ。
「分かってる~」
嬉しそうな声で舞は答えながら、早速ランドリーバスケットの上のバスタオルをどかして、確認した。
「おお~」
美冬に聞こえない様に小声で呟く。
それから舞はやっと洗面台の前に立ち、ドライヤーを手にして髪を乾かし始めた。
十分程乾かすと、舞はドライヤーを止めた。
それまでの煩かった音が止み、脱衣場は静寂に包まれる。だからたまにお風呂場の天井に付いた水滴が、ポチャン、ピチャンと、落ちる音が響いて聞こえる。
ユニットバスの折れ戸の曇りガラスみたいな所からは、美冬の肌の色と体のスタイルをぼやけて見る事が出来た。
舞は、そちらの方を眺めながら中へ声をかけた。
「美冬、起きてる?」
「起きてるよ。浴槽に腰掛けて、足湯してた」
ぼやけて見えていたのだから、起きているのは舞は本当は知っていた。
「そう。あのね、渡辺さんどう思う?」
「どうって?」
「ちょっと怪しくない? 昨日あの後、何もなかった?」
「何もないよ。十一時には部屋を出て、本当に車で寝てたみたいだし。朝も学校に途中まで車で送ってくれたし」
「そういう事じゃなくて」
美冬の言葉を遮る様に舞が言う。
「なんか渡辺さん。段取りいいっていうか。トントン拍子で美冬を自分のものにしたっていうか」
「それは、私を少しでも早く助けたかったんじゃないの」
「そうかも知れないけど。それにしても」
「私ね、今落ち着いてる」
今度は美冬が舞の言葉を遮った。
「えっ」
思わず舞の口から声が出る。
「前は家に帰ると、不安で押し潰されそうだった。だからなるべく外に居たかった。でも今は、昨日も今日も、何も考えなくていい」
「そう…」
舞は力なくそう答えた。
「舞、なんか変わったね」
お風呂場からは逆に元気な美冬の声が返って来る。
「美冬の方だよ! 変わったのは。私にはそう見える」
「じゃあ、二人とも変わったのかな」
そう言いながら、クスクス笑う美冬が、舞にはうっすらと見えた。
「逆転したんだね」
舞いも笑顔で言った。
「舞」
「なーに?」
「のぼせそう。出てってくれる?」
「あっ、ごめん!」
美冬の言葉に舞は急いで脱衣場を後にした。
それから二人は、布団の上でゴロゴロしながら、お喋りを楽しんだ。
学校の事、家の事。意外と今まで話してない話題が一杯あって、あっと言う間に一時間以上そうやって過ごしていた。
「ねー、抱き付いてもいい?」
そんな時、舞の突然の言葉に美冬は目を丸くした。
「えっ?」
「ほら、学校で女子の保志さんとか石田さんとか、良くみんなふざけて抱き合ったり、胸触りっこしたりしてるじゃない」
「胸は駄目!」
「え、じゃあ、胸じゃなきゃいいの?」
舞が喜んで聞き返す。
「んー、じゃあ軽く抱き合うくらいなら」
美冬がそう言った瞬間。
舞は自分の布団から飛び起きて美冬の布団を剥ぎ取ると、美冬の上に倒れ込んだ。
「きゃっ!」
思わず美冬が声を出す。
舞の腕は美冬の体と敷布団の間にスルスルと入り込み、美冬の体を抱きしめた。
舞の豊満な胸はパジャマ越しに美冬の胸の上に乗っかり、圧迫している。
舞の髪は美冬の顔にかかっており、思わず美冬は目を閉じた。
「ちょっとー、おも…い」
少し苦しそうに美冬が言う。
舞は首を振り、美冬の上に掛かった髪を後ろへやった。
美冬はようやく目を開ける。
そしてそこには、舞の潤んだ瞳があった。
「私、美冬が好き。百合とかそう言うんじゃなくて、心で繋がってるって言うか。親友かな? あれ、憧れなのかな?」
言いたい言葉が上手く見つからない舞。
美冬は目を大きくして、そんな舞を驚いて見ていた。
そして、美冬の顔に舞の顔が覆い被さって来る。
美冬の唇に軽く触れて来る舞の上気した様な唇。
美冬の唇の柔らかさと温度が、舞の唇へと伝わった。
それは舞にとってほんの一瞬であって、永遠の一瞬であった。
直ぐに唇は離れ、舞は抱きしめていた手を緩めると、美冬の上から起き上がってどけた。
「へへへ」
呆然としている美冬に愛想笑いをする。
「じゃあ、寝ます!」
明るくそう言うと舞は、自分の布団に戻り、中に入ると美冬に背を向ける様に、横を向いて寝だした。
美冬はまだ呆然と、天を仰いでいた。
三分程した頃だろうか。
美冬は突然起き上がると、壁の照明のスイッチの所へ行き、照明を消した。
そして自分の布団へと戻り、仰向けに寝ながら、何かを考える様に目は開け、天井を眺めていた。
それから暫くして、美冬はポツリと呟いた。
「舞、中学の時、助けてあげられなくてごめんね」
美冬に背を向け、横になっている舞の瞳から零れた涙は、その瞬間舞の顔を横切り、枕へと落ちた。
つづく
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