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その8



 四十手前のイルファーン国王と十歳を過ぎたばかりの巫女の夫婦。形式上とはいえ神殿と王家の結びつきを確固たるものにする婚姻は偽りの物ではない。純潔を失えば神より与えられた巫女の力は失われるため肉体的な結びつきは許されないが、それ以外の全てにおいて巫女は王と同等、時にそれ以上の権力を許される存在である。

 それ故に婚姻後も巫女は王妃ではなく巫女と呼ばれ続け、国王の妃たちは正妃という位を頂戴することが叶わず、巫女が王と共に公の場に出席する時には同席を許されない。それでも巫女が妃たちより直接的な恨みを買わずに済んでいるのは希少性と幼さにあった。


 神の力を有する巫女は妃たちと同年代ではなく齢十の子供なのだ。

 子供ではあるが人懐っこく懐に入り込んで心を掴むのも上手いし、何より王とは親子以上の年齢差があるのも妃らに安心感を持たせている。神殿も巫女が受ける嫉妬を考え花嫁として差し出すのには高齢な巫女を選ぶのが習慣になっていたのだが、今回の婚礼に至るに辺り最も年若い巫女が手を上げ、何が何でもと押し通した。これから花咲く巫女を外に出して純潔を失わせる不安がなかったわけではないが、そうなってしまった場合の重い責任は当事者と彼らに名を連ねる者たちに伸し掛かる。まだ子供だといえ神に力を与えられし巫女がそれを理解できない訳がないのだ。過去に起きた悲劇は神殿内部の者らにとって今も恐れの対象となっている。だからこそ許され、巫女は嫁いだ。


 自らの意志で王の伴侶となった巫女は持ち前の明るさで上手く立ち回っていた。夜会の席で王と共に入場し同じ高さの椅子に腰かけた巫女のそれはそれは愛らしいこと。大きすぎる椅子のせいで足が届かず宙ぶらりんになっているのも、真ん中に座ると肘掛けに手が届かないのも愛らしさを増長させる。年相応のフリフリとリボンが沢山ついた薄桃色の衣装も、巻いた金色の髪を彩る同色のリボンも何もかもが似合っていて、今にも感涙しそうな勢いのフェリスはエスコート役のアルフレットを引きずる勢いで御前に膝をつくと、目元を赤く染め巫女を見上げ熱い息を吐いた。


 「ああ、私の愛しき巫女よ。知ってはおりましたが今宵の巫女もなんと可愛らしいことか。」


 夜会にて本来の挨拶は立ったまま行うのが常であったが、フェリスに腕を引かれたアルフレットも同様に膝をつく形を取らされ頭を垂れた。フェリスの行動に巫女の隣に座る王も苦笑いを浮かべている。


 「今夜のフェリスはいつもの何倍も素敵だわ。アルフレット、礼を言います。」

 「勿体ないお言葉、有難く頂戴いたします。」


 不肖ゆえに母親の力を借りたのはこの場では噤んでおいた。仲の良い二人の事だ、母親とのやり取りも筒抜けだろう。

 アルフレットの返事に頷いた巫女は小さく可愛らしい指でフェリスを招く。王に黙礼して巫女に寄ったフェリスは耳を寄せ、巫女はフェリスの耳にそっと口を近付けた。


 「一番奥の間をフェリスの意思以外では開閉できないよう仕掛けを施しておいたわ。好きに使いなさい。」

 「巫女っ?!」


 夜会に招かれた客人たちが疲れた時に使えるようにいくつかの部屋が用意されている。名目通り休憩に使われたりもするが、半分以上の部屋が男女の逢引きに使用されるのが常だ。その一番奥の部屋をフェリス専用にしたという巫女に思わず声を上げてしまった。


 「何を驚くの。今夜のフェリスは本当に綺麗。素敵な夜にして頂戴ね。」

 「巫女―――その、何といえばよいのか。」


 戸惑うフェリスに巫女は満面の笑みを浮かべる。


 「愛しいフェリス、わたしの騎士。其方の喜びは我が喜び。大好きよ。」

 「わたしの愛しい巫女、我が命。心からの愛も捧げ続けます。」


 初めの囁き以外は周囲に丸聞こえだ。自分では決して口にはできない文句だとアルフレットは照れ、王は名ばかりとはいえ夫を隣して他の人間に愛を囁くとはと苦笑いを漏らす。二人の間に漂う雰囲気はなんとも艶めかしかった。


 「一国の王がやきもちなんて焼かないで下さいな。何でもお願いを聞いて下さる陛下の事も勿論大好きですから。」

 「いかなる願いも聞かねば嫌われてしまうとは―――手加減いただけると嬉しいのだがね。」

 「子供の願いなんて可愛らしい物でしょ。陛下の甲斐性なら容易いことです。」


 巫女はにこにこ笑いながらフェリスの頬にキスをし解放する。フェリスとアルフレットは立ち上がると今度は慣例に法った礼を取り御前を退いた。


 護衛の任を解かれている二人は与えられた役目に戻る。夜会の席でエスコートした女性をダンスに誘うのは当然の流れだが、男性パートを完璧に踊っていたフェリスにアルフレットは尻込みしていた。もともと運動神経は良いので、長く踊っていなかったがちょっと復習するだけで恥ずかしくない程度にはできるようになっている。だが相手はフェリスだ。彼女の踊る姿を見せつけられた後で自分のような人間が誘ってよいものかとアルフレットは躊躇したのだ。そんなアルフレットをフェリスは緊張した面持ちで見上げた。巫女の好意に沿って行動してよいものかと考えていたのだ。


 パリス伯爵令嬢だけではない、多くの女性とダンスをした。その様をアルフレットはじっと眺めていたが、その視線は可愛らしいご令嬢方に注がれていたのだ。時折フェリスの事も見てくれていたようだが視線を送ればすぐに反らされた。やはりアルフレットもこんな大女より小さく愛らしいご令嬢とダンスがしたいに違いない。アルフレットの事を思いやれば彼女たちと引き合わせる役目を担ってやらなくてはならないと思うが、この機を逃せば二度はないという思いも渦巻く。兄であるジルクに伴われ夜会に出たことはあったが、踵のある靴を履いていたのでとても不格好になっていた。しかし今は見上げる存在とこれ以上ない程身を寄せ腕を組んでいるのである。この機を利用しない手はないが―――常識を思い出すと申し訳ない気持ちが押し寄せてしまうのだ。


 そんなフェリスに気を使ってか、アルフレットが遠慮がちに声をかけてくれた。


 「一曲、踊るか?」

 「―――アルフレット殿が嫌でなければ。」

 「そうか。俺は嫌ではないが女性パートは踊れないぞ?」


 冗談めかして白い歯を見せてくれたアルフレットを前にフェリスの気持ちは一気に浮上する。やばい、鼻血を吹きそうだと必死に平静を保ちにかかる。鼻から出血させこの機会を不意にしてしまえば二度と幸運は訪れないだろう。


 「細心の注意を払い挑みます故、是非ともっ!」


 正直女性を相手にばかりしていたので女役は苦手だが好機は逃すべきではない。鋭い踵でアルフレットの足を踏んでしまわぬよう注意すると意気込むフェリスに、アルフレットは僅かながら警戒する。まさかこのような場所でこのような姿で攻撃を仕掛けてくるんじゃないだろうなと感じたのだ。そう思わせる程フェリスの目は強く攻撃的であった。


 手を取り踊るがフェリスの動きは硬い。緊張しているのか隙を狙っているのかよく分からなかったが、取りあえず無事に踊り終えたアルフレットはほっと胸を撫で下ろした。踊りとフェリスに集中していたのでフェリスの取り巻きらからおくられる視線を気にする余裕はなかったが、後でパリス伯爵令嬢がこちらを物凄い形相で睨んでいるのを認める。


 「あちらのご令嬢が……」

 「ふっ、二人きりでっ、話があるのですがっ!」


 周囲を気にして取り繕いもせず、犬歯を剥き出しにしたパリス伯爵令嬢の様子に流石のアルフレットも無視できず話を振ろうとしたのだが、フェリスから気合の入った声を上げられ口を噤む。


 「宜しいでしょうか、アルフレット殿?」

 「あっ……ああ、何だ?」

 

 促せば二人きりでと再度言われて戸惑う。至近距離で睨みつけられ二人きりでと主張されて、何を失敗したのだろうと思い悩むが、フェリスはアルフレットの戸惑いに気づけず前に立ち先導した。


 夜会に疲れた者の為に用意されている控室。迷いなく一番奥まで突き進むフェリスの後をアルフレットが追う。床を這うドレスと踵の高い靴を履いているのに早足で進むフェリスを眺めながら、よく転びもせずに歩けるものだとアルフレットは感心していた。大抵の淑女たちは一歩踏み出すのにもよろけるのが常だ。それが男の胸に飛び込む策略などと経験のないアルフレットには解らないままだが、フェリス自身も運動能力が高すぎるせいで考えつきもしない計画だった。フェリスの場合よろけた女性を支えるのが常で彼女たちの思惑も知っているのだが、自分にあれほどの名演技が出来る自信はまるでない。


 巫女の指定する部屋の前に着くとノックもせずにドアノブを回す。扉は開かず「使用中か」とアルフレットが後で呟き、フェリスが「いいえ」と答え再びドアノブを回せば今度は簡単に開いた。ここで間違いないと部屋に踏み入ったフェリスは、室内の様子を窺い危険がないと判断してアルフレットを招き入れてからはっと気が付く。つい癖でやってしまったが本来なら男性がやるべき事柄をすべてフェリスがやってしまった。扉を開けるのも室内を確認するのも女性を誘うのも全て男性が女性にすることで、フェリスが憧れる事柄でもあったのだ。

 

 「慣れとは恐ろしい……」

 「何か言ったか?」

 「いいえ……」


 女性をエスコートするのに慣れていないアルフレットも互いの間違いに気付いていない。それでも未婚女性と二人きりで室内に籠るのは作法に反すると理解しており、閉められてしまった扉に手をかけるが扉が開かないではないか。


 「壊れてるのか?」

 「壊れてはいませんよ。」


 開く時にも不都合が生じたしと、壊しかねない力でドアノブを捻るアルフレットの手にフェリスの手がかけられた。


 「何だと?」


 見下ろせば至近距離にあるフェリスが上を向いて銀色の瞳を細める。獲物を狙うような鋭い視線を受けたアルフレットが反射的に身を滑らせようとすれば、フェリスの反対の腕が伸び壁に置かれ退路を塞がれた。


 「フェリス殿?」


 両腕を伸ばされ壁に囚われたアルフレットがいったい何だと三白眼で見下ろせば、「話しがある」と紅が薄く塗られた唇が動いた。


 「話しなら聞くが近過ぎるだろう、ちょっと離れてくれ!」

 「抱きしめて下さるなら解放します。」

 「はぁっ?!」


 突然の事態に訳が分からず驚いたアルフレットは、声を上げた拍子にフェリスの肩を強く押して自ら己を開放する。だがフェリスはそこいらにいるような女ではなく、神に選ばれし巫女の力を分け与えられた神殿聖騎士だ。伸ばした腕を掴むと同時に足を払えば、狼狽しきったアルフレットはまんまと罠にかかり床へと倒れ込む。すかさず乗り上げたフェリスを前にアルフレットは悲鳴を上げた。


 「ちょっと待ってくれ、いったいどうしたんだ?!」

 「出会ったその日からあなたが好きで好きでたまらないのです。あなたの腕に抱かれたくて、それだけを目標にここまで来てしまいました。」


 そして出来るなら衣服に包まれた立派な筋肉を見せてくれと視線で語るフェリスに、アルフレットは大いに動揺し逃げようともがくが、迫りくるフェリスをどうにか掴んで制するのがやっとだ。女に迫られるなど生まれて初めての経験。思考がついて行かずこれは罰ゲームという考えしか浮かばない。


 「誰だっ、巫女の悪戯か?!」

 「部屋を準備して下さったのは巫女ですが、悪戯などではありません。わたしはあなたを陥落させたい。どうかこの想いをご理解いただけませんか?」

 「理解っておまっ……はあっ?!」


 相手は神殿聖騎士。細身であっても男にも勝る力を有した相手だが、アルフレットなら蹴り飛ばせばすぐに解放されるだろう。アルフレットにはそれだけの力があるのだ。けれどドレス姿で乗り上げるフェリスの胸元から柔らかそうな谷間が覗いて制止をかける。女神の如き女性が乗り上げ誘っているのだ、据え膳食わぬは男の恥。恥だ恥。しかもこんな夢の様な好機は二度とない。しかしながら食えるだけの度胸は当然持ち合わせてなどいなかった。何しろ罰ゲームや悪戯で告白され本気にして馬鹿にされた来た過去があるのだ。好いた女性もカルロが簡単に持って行ってしまった。自分がもてないのは百も承知。それが二十五にもなると相手の本気にも疑いの目しか向けられなくなてしまう。


 「そんな筈はない!」

 

 騙されないぞと悪鬼のごとく睨みつければ、どうしてと逆に睨み返すフェリスの度量にアルフレットは「くっ!」と喉を鳴らした。


 「貴方は巫女を守る誇り高い神殿聖騎士だっ。若くて美人で持て囃されるうえに強くて勇ましい。そんな貴方に俺など相応しいわけがないだろう。それこそ選り取り見取りだ。そんな女性が俺を相手にするわけがないっ!」


 唾を飛ばさん勢いで捲し立てる。己の保身に走るだけではなく、それが正直な思いであり世間の常識だ。何処の誰が不細工な男に惚れるというのだ。滑稽だと笑い飛ばされるのがおちだ。フェリスの隣に立つに相応しい男として自分など決して名が挙がらないと解り切っていた。似合うのは―――


 「似合うのはそう、ジルク=レティと名乗った貴方の兄君のような美しい男だ!」

 「兄では結婚できませんよ?」


 拘束を緩めたフェリスが呟くように声を落とし、はっとしたアルフレットはすかさずフェリスの下から逃れ出た。勢いは何処へやら、フェリスは徐に立ち上がると戦意を失った視線でアルフレットを見下ろす。


 「その……フェリス殿―――」


 その視線があまりにも悲しそうで戸惑い立ち上がろうとすれば、フェリスは逃れるように数歩後ずさった。


 「すみません、ちょっとやり過ぎました。ほんの悪戯です。お許しください。」


 すっと視線を外して逃げるように部屋を出て行く。アルフレットはその様に違和感を感じるがどうしてよいか分からず唖然と見送るしか出来なかった。

 





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