その5
「彼女、お前に気があるんじゃないのか?」
何時もはからかってばかりの友人がわりと真面目な顔で言って来たので、その真意が読めずアルフレットは盛大に太い金色の眉を寄せた。
「パリス伯爵令嬢を取られた腹いせか?」
近衛騎士隊において最も美丈夫なカルロは多くの女性に言い寄られ引く手数多だ。その中で彼が唯一自ら追いかけていたのがパリス伯爵家のご令嬢。小さく可愛らしくて白く細い腕と腰をしているが、胸と尻は肉欲的で男を誘う。そのご令嬢は軟派なカルロに冷たい視線を送るだけで決して靡かなかった。それなのに美貌の神殿聖騎士が現れた途端、瞬く間にパリス伯爵令嬢は神殿聖騎士に囚われ公然と愛を囁くようになってしまったのだ。
カルロは女を取られた腹いせに悪事を働くような人間ではないし、そもそも伯爵令嬢はカルロの女でもない。だがフェリスを引き合いに出された原因が思いつかないアルフレットはらしくないぞと友人を諫める。
「いや、冗談じゃなく割と本気で。俺はそう思うけど?」
昨晩フェリスと酒を共にして彼女の心に巣食う闇を感じ取ってしまったカルロとしては、横取りされた感がぬぐいえないパリス伯爵令嬢の件はあるがそれはそれとして、どうにか役に立ってやりたいと感じたのだ。
だがいくらアルフレットが鈍感だとしても、フェリスの想いをカルロの口から勝手に露見させて良いものではない。アルフレットに熱い視線を送るフェリスの気持ちなど近衛騎士隊のほとんどが気付いてはいるのに、当人たるアルフレットが気付いていないのには呆れるが、アルフレットにはアルフレットなりの事情がある為にそこも突けない。もどかしく思いながらもそれとなく気付かせようとするが、アルフレットは有り得ないと笑って完全否定するのだ。
「あの神殿聖騎士が俺など有り得ないだろう。冗談でも彼女の耳に入れば気を悪くされる。流石にこれ以上嫌われたくはない、やめてくれ。」
「いやでもさぁ、熱い視線を送ってるから見てみろよ。」
言われるがままアルフレットがカルロの視線を追えば、銀色に輝く鋭い視線が真っ直ぐにアルフレットへと向けられている。瞬きも忘れたかに凝視される視線に胸が疼いたアルフレットはさりげなく視線を避けて胸に拳を当てた。
「何が熱い視線だ、射殺さん勢いじゃないか。彼女は俺みたいな男に巫女が懐くのが許せないんだろう。」
フェリスから向けられる視線にはアルフレットも気付いていたし、その原因も正確に理解している。彼女の『愛しき巫女』をアルフレットが助けたのが始まりだ。以来巫女はアルフレットを見かけると子供特有の人懐っこさでアルフレットに接し、抱っこをねだってくるのだ。風貌が原因で女性はもとより子供になつかれた経験のないアルフレットとしては驚くばかりだが、小さな巫女に笑顔で懇願され悪い気はしなかった。
だが巫女を大切に扱い守る神殿聖騎士たるフェリスからすると、神の力を有する尊き存在である巫女を神殿騎士以外が抱き上げるなど許せない行動なのだろう。しかも相手は顔に傷があり三白眼で見た目もむさ苦しい親父だ。実際には二十五歳だがどこからどう見ても親父なのだ。気弱なご令嬢が高飛車なご令嬢から嫌がらせを受け、罰ゲームよろしく告白させられるような相手である。アルフレットは己の容貌を正確に理解し分析できていた。そんな自分に高潔な神殿聖騎士であるフェリスがアルフレットに気があるわけがない。あるとしたら殺意の間違いだろうと小さく疼く胸をぐっと押した。
「訓練と称して何かとお前に触れたがると思わないか?」
「冗談はよせ。訓練なら痛めつけても文句は言われないからに決まっているだろう。」
巫女の輿入れに際しついてきた神殿聖騎士たちはフェリスを残して神殿に戻った。代わりのきかない大事な巫女に対し護衛として残された聖騎士が一人とはあまりに少ないと感じるが、騎士に守られずとも巫女には不思議な力が備わっているのでそれなりに大丈夫なのだ。巫女が意識して気配を消さない限り聖騎士と巫女は互いに居場所を分かり合えるし、ある程度の意思疎通も可能。それ故にフェリスは稽古と称し巫女から離れ近衛騎士隊の鍛錬場を使用しているのであるが、剣にしても体術にしても相手として選ばれるのはいつもアルフレットである。
最初の手合わせで投げ飛ばされて以来アルフレットも気を抜かないので負けることはなかったが、そのせいで余計に恨まれているように感じるのは気のせいではないだろう。
模擬剣片手に必死で打ち込んでくる技術は相当なものでアルフレットも一目置くものの、本気になればアルフレットの技術の方が格段に上なので以来アルフレットは負け知らずだ。当然投げ飛ばされることもないが、相手が神殿聖騎士で投げ飛ばしても大丈夫と解っていても、細すぎるフェリスを前にすると傷つけてしまう錯覚に襲われアルフレットは攻撃を仕掛けるのに躊躇を覚える。フェリスもそれを感じて腹が立つのだろうが、何処をどう見ても相手は女性だ。体術では体が接触し不快な思いをさせてこれ以上嫌われたくないアルフレットとしては、組み合った早々に足をかけ優しくひっくり返して勝ちを宣言させてもらっていた。それでも必死で再戦を望んでくるフェリスを部下との手合わせを理由に避けている。まさかフェリスがアルフレットの体に抱き付きたくて、しつこく手合わせを申し込んでくるとは夢にも思っていないのだ。恐らくそれを知るのはフェリスの本心を聞いたカルロだけだろう。一歩間違えば痴女である。
「アルフレット殿、今日こそはあなたを陥落させてみせます。」
「これでも私は近衛部隊第二隊隊長だ。簡単に陥落させられると思うなよ。」
「もとより承知。幾度なりと挑ませていただきますのでご覚悟を。」
望む所だと互いに不敵な笑みを漏らす様にカルロは溜息を落とした。二人して陥落の意味を違う物として受け取っているのは明らかだ。解り合う為にも二人にはじっくり話をする時間が必要と、見てくれのせいで女性が自分に靡かないものと決めつけているアルフレットの大きな背中を見ていると、突然何処からともなく小さな塊が出現しその背中に飛びついた。
「巫女?!」
「アルフレット、お願いがあるの!」
背に衝撃を受けると同時に相手が誰かを察したアルフレットは、器用に体を捻り、何処からともなく突然現れた小さく愛らしい巫女を太い腕に抱き込む。巫女も慣れたもので自然にアルフレットの首に手を回してにっこりと笑ってみせた。
「危険ですからこのような現れ方はお慎まれ下さい。」
「心配性ねアルフレットは。フェリスをごらんなさいな、こんな事でわたしが傷つくことがないと解っているから余裕でしょ?」
「確かにそうでしょうが……」
巫女の奇跡に慣れている神殿聖騎士と異なり、アルフレットだけでなくここにいる者全てが巫女の力を目の当たりにするのは初めてなのだ。この様に何もなかった空間から突然姿を現すのには慣れて来たものの、巫女自信がどのようにして身を守れるのかなど知りもしない。
「そんな事よりアルフレット、お願いがあるんだってば。」
「巫女の願いを受けるのは我が誉です。何なりと言いつけ下さい。」
巫女を抱いたまま膝をつき頭を下げるアルフレットに、巫女は満足そうに頷いた後で白い歯を見せてにっと笑った。何か変なことを言い出すつもりだとフェリスは気付いたが巫女の口を塞ぐことはできない。
「来週の夜会にフェリスをエスコートして出席して欲しいの。」
巫女が口にした願いにアルフレットは一瞬言葉の意味が理解できずに翡翠色の三白眼を瞬かせる。
「夜会で―――ございますか?」
「そうよ。陛下が主催される盛大な夜会があるんですってね。それにフェリスをエスコートして欲しいの。」
来週の夜会の件はアルフレットとて承知していた。顔のせいで夜会会場の警備は担当していないが、闇に紛れ不埒な輩が侵入してこないよう裏方の警備を担当している。しかも責任者だ。
「恐れながら私めには警護の任務があります。それにフェリス殿にも巫女の警護がおありです。」
「大丈夫よ、陛下の許可は取ってるから。」
「えっ、いやしかし。私などにフェリス殿のエスコートは務まりません。私には任務もありますのでエスコートならそこにいるアーカードに―――」
母親以外の女性をエスコートした経験など皆無だ。それに女神の様に煌びやかなフェリスの横に並ぶのは確かにまたとない幸運だがフェリスの方が嫌がるだろう。それなら見た目の良いカルロはどうかと勧めようとすれば、巫女の愛らしい翡翠色の瞳がキッと強く細められた。
「駄目よ、アルフレットじゃなきゃ。それともフェリスじゃ不服?」
「まさかそんな滅相もないっ!」
「やったー、決まりねっ!」
嬉しそうに万歳しながらアルフレットの腕をぴょんと飛び出した巫女はフェリスに飛びついた。巫女を難無く受け止めたフェリスはそのまま抱き上げ、巫女はフェリスの耳へ口を寄せる。
「やったねフェリス、夢のエスコートよ!」
「わたしの愛しき巫女よ、あなたという御方は本当にっ!」
何かやらかすと思ったがまさか自分の為にこんな粋なことをしてくれるなんて。感動したフェリスがあまりの嬉しさに駆け回りたくなる衝動をぐっと抑えると、眉間に大きな皺が寄り目つきが鋭くなってしまった。笑顔を浮かべろと巫女に注意されるが、あまりの興奮で力を緩めた瞬間に鼻血を吹いてしまいそうなので力を緩められない。巫女は仕方がないなぁと苦笑いしながら、フェリスに抱かれた状態で膝をついたまま唖然とするアルフレットを振り返る。
「ちなみにアルフレット、フェリスはドレスも靴も持っていないから全部アルフレットに任せるわ。よろしくね!」
巫女の企みに振り回されるのはフェリスの想いに気付けないアルフレットただ一人だけであった。