その12
一夜明けて。
カルロは親の仇の様にアルフレットを睨みつけるフェリスを認め、夜会中に姿を消した二人にいったい何があったのかと心配する。フェリスはカルロに昨夜の出来事をかいつまんで話して聞かせた。
「え、上手く行ったの?」
「いいえ、そうではありませんが陥落まであと一押しです。」
ぎりりと奥歯を噛み締めアルフレットに向ける視線は昨日までの熱を孕んだものではない。何だか色々ぶっ飛んで殺気すら感じさせるそれは明らかに恋しい男に向ける視線ではなかった。
「それならどうして怒ってるのさ。女神の美貌で殺気を滲ませられると本気で怖い。」
「既成事実を作るまで安心できないからです。横から他の女性に奪われる可能性もあるので気が抜けません。」
他の女性に奪われる心配だけは絶対にない。それ所かフェリスと上手く行っていると周知されればフェリスを奪われたと女性たちが騒ぎたて、そのうち刺されるんじゃないかという心配はあるが。それよりもとカルロはフェリスに身を寄せそっと耳打ちする。
「既成事実って―――君は言葉通り抱きしめられたいだけじゃなかった?」
「人とは欲が出る物ですね。」
ふっと微笑んだフェリスの神々しさにカルロは慌てて視線を外した。あまりにお綺麗すぎて恐怖すら覚える。
抱きしめられたい願望がそれ以上に進んだのは男にとっては有難い申し出だが、果たして堅物のアルフレットに効果を成すかといえばどうだろうか。万一にも一晩同じ寝台で過ごした後には即結婚とか言い出しそうだなと、カルロは部下に稽古をつける友人に視線を向けた。
「うん。まぁ、応援するから。私にできることがあれば言って。」
「ありがとうございます。では、わたしがいない場所で彼に言い寄る小さくて可愛らしい女性が現れたなら教えていただけませんか。」
「そんなの絶対ないけど、もし奇跡が起きてそんな女性が現れたらどうする?」
女神の様な美貌を持つ神殿聖騎士がまさか血生臭い事でもやるのかと疑うカルロの側で、フェリスは体を震わせたかと思うと銀色の瞳に涙を滲ませた。
「だっ、断腸の思いであの方の応援をっ!」
「ないからっ、絶対ないから泣くなっ!」
自信を持てと励ますカルロをフェリスは涙目で恨めしそうに見やる。
「モテモテで手当たり次第のあなたに思い悩む人生だったわたしの気持ちが解りますか?」
「ごめん私が悪かったよ。謝るからパリス伯爵令嬢譲ってくれないかなぁ。」
「人の心は物ではありませんが、もしお譲りできたとしても彼女はアーカード殿の手を取ることはないでしょう。」
「君にべた惚れだから?」
「おや、あなた程の方がお気づきではない?」
「同性にしか興味がないとか言わないよな?」
彼女がそうでないのは経験上解るというカルロに言いませんよとフェリスは同意した。
「女性に聡いと思っておりましたが。彼女の狙いは王太子妃ですので。」
「え、本当に?!」
カルロが追い回す程だ、当然人気がある。だが多くの男に声をかけられても誰の手も取った事のないご令嬢。伯爵家で王太子妃を狙うのは高望み過ぎる気もするが、パリス伯爵家総出で努力の仕方によってはない訳でもない。
「それで君に執着していたのか。」
本来なら望み薄い妃の位。失敗する確率が高いというのに王太子一本に絞って行動するのは勇気がいる。失敗した時の確保を怠るのは行き遅れになる危険を孕むが、爵位で負けているだけにそれほど本気という事だろう。王太子妃となるのは公爵か侯爵の家に生まれた女性ばかりだ。それにパリス伯爵令嬢は王太子よりも年上。かなりの危険な賭けだ。婚期もぎりぎりになっているし心のゆとりをフェリスに求めてしまったのかも知れないが、フェリスには同性を惹きつけてやまない神がかり的な魅力が備わっているので何とも言えない。
「同性相手なら浮名を流す事にもなりませんからね。ただ昨夜の彼女はとてもアルフレット殿を気にしていた。彼女が相手ならわたしに勝ち目はない。」
何しろ彼女は愛らしいと嘆くフェリスに、それも絶対違うからとカルロは苦笑いを漏らした。
部下に稽古をつけていたアルフレットは親密そうに話をするフェリスとカルロを視界の端に留める。横目ではあるが二人の様子を冷静に観察するアルフレットに嫉妬の色はない。一応フェリスの言葉を信じはしたが、女性から向けられる真実の想いに腰抜けなアルフレットは、フェリスの言葉が事実である確証を求め無意識に目で追っていた。
こうして並ぶフェリスとカルロを見ると美男美女でお似合いなのに変わりはない。だがフェリスが言ったように二人は同じ身長で一般的な男女の並びとは確かに異なった。騎士服に身を包んだ二人が並ぶと全く違和感を感じないが、フェリスが女性の衣装を纏い踵の高い靴を履いて並ぶとどうなるだろうか。線が細いフェリスは見た目以上の高さを感じさせるだけに、美男美女で並んでも形の面でいうなら成人した男女なだけに確かに不格好に感じるだろう。そして手を取り合って踊るにしてもあの強い銀色の眼差しに見下ろされるのだ。
「俺にしたらちょうどいいんだがな―――」
ぽつりと呟いたアルフレットに「何が?」と稽古をつけてもらっている部下は首を傾けた途端にすかさず一本取られてしまうが、アルフレットにすれば一連の行動は体が勝手にやってのける無意識だった。
昨夜は初めて母親以外の異性と踊ったが、女性の平均身長の母親を相手にするのと比べてはるかに踊りやすかった。背や腰を丸める必要もなく歩幅を小さくする必要もない。逆に言えばフェリスより小さな男からすると違和感を感じて当然だろう。男は女を守り女は男に守られる。男女では体の作りが違うのだ、騎士の世界だけではなく一般的にも男の方が力が強く女は守るものだと誰もが解っている。だからこそ力の弱い女性に暴力を振るう男は非難を受けるし、夫婦となっても男からの暴力は許されるものではない。男は女性を守る者として成長し、そのように行動するものなのだ。そんな女性に高い位置から見下ろされて違和感を感じ、やがて己の庇護欲に値しない相手とフェリスを排除してしまっても当然なのかもしれないと、アルフレットは部下に稽古をつけながら冷静に分析していた。
アルフレットは休憩時間にフェリスを呼び出した。約束した通り今後を話し合うためだ。
「私達はその……心を通わせ結婚に向け付き合いを進めて行くというのでよいのだろうか?」
フェリスはアルフレットしかいないとうが、フェリス側の恋人の選考基準としては、自分よりも大きくて逞しいというのが一番の理由だったのだとアルフレットにも解っていた。顔や性格は二の次。一目惚れだというのも形を気に入ってくれたという証拠だ。それにアルフレット自身も恐らくフェリスの様に自分を選んでくれる女性が現れないのは想像できる。この好機を逃せば恐らく一生独身で、実家からも大抗議を受けるに決まっていた。だからといって真面目なアルフレットは本当にフェリスにとって自分で良いのかと悩む所もある。アルフレット並みに体の大きな人間がいない訳ではないのだ。性格的にそちらの方が合うと後から言われてはさすがのアルフレットも立ち直れないやも知れない。だがアルフレットの心配をよそにフェリスは事を急ごうとする。
「構いませんがその場合、昨夜拒絶された婚前交渉を望みます。」
「いやだから―――その後に嫌いになったらどうするんだ。取り返しがつかないんだぞ?」
目の前に人参をぶら下げられているというのに、かぶりつく勇気がないのは何も奥手だからというばかりではない。現実に何かが起きた時にフェリスが傷つくのを恐れているからなのだが、当のフェリスは解せないと眉を寄せるばかりだ。
「あなたは一度関係を持った女性を捨てるような人ではない。わたしは自分に自信がない分、そのような事であなたを縛り付け安心したいのです。」
「―――ならばさっさと婚約だけでも済ませるか?」
「婚約期間など。していただけるなら直ぐに結婚していただいても構いませんが?」
婚前交渉を迷うアルフレットにフェリスなりの提案を試みる。結婚してしまえば普通の事なのだ、とやかく悩む必要もなくなるだろうと真顔で提すフェリスに、アルフレットは額に手を当て息を吐き出した。そこにどの程度の愛情があるのだろう。自分自身を見て欲しいというのは贅沢な話なのだろうが、貴族特有の愛のない条件での結婚をぶら下げられている気分に落ち込む。もてない男なりに夢を抱いていたのだと初めて気付いた。
「私は貴方と条件ではなく心と心で想い合いたい。」
「わたしの心は既にあなたの物です。例えアルフレット殿の心がわたしに向いてくれないとしてもわたしはあなたが欲しい。」
挑む視線が獲物を狙う目だ。心はすでにアルフレットの物と宣言され、慣れないだけに思わずたじろぐ。
「あなたの外見に一目惚れなのは事実です。見かけに惚れました。ですがその後のあなたも知っています。男臭くて謙虚でお優しい。失礼ですがアーカード殿の様に手当たり次第の人ならここまでのめり込んだりはしません。」
顔や形は切欠だ。理想が目の前に現れたからとそれだけで突っ走れる勇気はフェリスに残っていなかった。アルフレットに出会った時の最初の判断は巫女に危害を加える輩だったのだ。それが王国の騎士と知り、巫女を抱き上げる光景にぬくもりを感じたのだ。太い腕は力を加えれば人の首を絞め命を奪う事など容易かろう。けれどその逞しい腕で優しく巫女を抱き上げた姿はフェリスを惹きつけ、それだけではなくフェリスを女性として扱う声かけまでもしてくれた。神殿聖騎士の特徴を知らなかったとしても嬉しかったのだ。
「わたしにはあなたしかいません。神殿聖騎士として、また友としても巫女のお命が最優先ですが、他の全てはアルフレット殿、あなたに捧げたい。」
受け入れてくれないかと訴える銀色の瞳に、アルフレットは心を射抜かれる感覚に襲われた。
巫女に仕える騎士も王に仕える騎士も揺るぎない忠誠心がある。恐らく恋人と主の両者が同時に命の選択を迫られたとして、その時は迷いなく主の手を取るのが当然の行動だ。主を守る役目を担うからこそ無駄死にはできない面もある。フェリスはそれを言っているのだ。命を捧げる相手は巫女だ。けれどその他は全てアルフレットに差し出してくれるのだという。大して知りもしない自分に、出会って間もない無骨な輩に。お互いが騎士同士だからこそ理解できる言葉を受け、アルフレットは一度心を落ち着けるようにぎゅっと瞼を閉じてからフェリスに向き直った。愛の告白なのに挑む視線を返される。そこいらにいる女性ではない、だからこそ自分を見てくれたのかと射抜かれた胸が温もりに浸された。
「フェリス殿、貴方は強い。恐らく私が守らずとも容易く苦境を乗り越えるのだろう。だがそれでも手助けを、貴方の身が軽くなるよう手を差し伸べる権利を私に与えてくれ。」
跪き掌を差し出せばフェリスの瞳が驚いたように瞬く。
「アルフレット殿、それは―――」
「結婚の申し込みだ。手を取ってくれるなら直ぐにでも双方の両親に挨拶に伺うが、いいか?」
フェリスが息を飲んだのはこうして突っ走り追い詰めても自信がなかったから。慎重なアルフレットを陥落させるのは容易くないと思っていたのだ。なのに今フェリスの目の前には膝をついて手を差し伸べ未来を乞うアルフレットがいてくれる。フェリスは息を飲み、小さく震える手を大きなそれにそっと重ねた。
おしまい。
これにて本編は完結です。
読んで下さりありがとうございました。
番外編は巫女視点のお話になりますが、興味を持ってくださると嬉しいです。




