その10
「巫女っ、ご無事ですかっ?!」
「ええい、触るでないっ!」
転げ込んだ騎士数名がアルフレットを拘束し、残った数人が巫女を守ろうと周囲を取り囲んで手を差し出した所でバシッと叩き落とされる。巫女を助けに手を差し伸べた騎士は「え?」と叩かれた己の手を見つめ固まった。
「アルフレット=ファーガソン、貴様いったい巫女に何をした?!」
抵抗せずに床に抑え込まれ拘束されるアルフレットに騎士が声を荒げると、一度泣き止んだ巫女がまたもや声を上げて泣き出す。そこで騒ぎを聞きつけた王が近衛を引き連れ現れた。隣に座っていた巫女が突然消えたのだ。王自ら座を立ち探すのは万一があっては神殿に顔向けできなくなるからであり、何時になく真剣な表情をしたかと思うと忽然と姿を消した巫女自身を心配したからでもある。
「これは一体―――何があったのか説明いたせ。」
「ファーガソンっ!」
巫女のお気に入りである王国騎士団近衛部隊第二隊の隊長が取り押さえられ、巫女は声を上げ泣きわめいている。巫女を守るように取り囲む騎士を退けた王は、取り押さえられるアルフレットに問いかけ、取り押さえる騎士が抑え込む力を強くする。大男に抵抗されてはと数人がかりだがアルフレット自身に抵抗する意思はなく力を抜いてはいるが口は噤んだままだ。
王の問いに答えない選択肢はないが人が多すぎた。正直に話すにしても今はフェリスの事を誤魔化したい。迷うアルフレットを押さえ込む騎士が急かす。
「アルフレット。お前が巫女に不貞を働くとは思えぬが?」
アルフレットの人柄を知る王は厳しい目を向けつつも弁解を聞く心構えだ。だがここで正直に話してしまうのは戸惑われ、アルフレットはぐっと奥歯を噛んだ。
「私の不届き故に巫女を泣かせました。」
「不貞を認めるのか?」
声を上げて泣く巫女を片腕で側に寄せ守るようにしながら王が視線で詰問する。この男が年端もいかない巫女を? と疑問の念しかないが、違ったとしても認めるなら相応の裁きが必要だ。突然消えた巫女と現在の巫女の様子の違いに何かあるのは解ったが、アルフレットが弁明しなければ裁かなければならない。一気に緊張が走り、巫女が更に声を張り上げ泣き出した。
「アルフレットがぁぁぁ、アルフレットがぁぁぁっ!」
「大丈夫だ巫女、落ち着きなさい。」
身を屈めよしよしと背を撫であやす王を前に巫女はさらに声を張り上げた。
「よい子は早く寝ろっていうのぉぉぉぉ!」
「は?」
「ごめんなさぁいぃぃ、よいこでなくてごめんなさいぃぃぃっ!」
背に手を回しあやす王の腕を逃れ駆け出した巫女は、拘束されたアルフレットに飛び付くと唯一自由になっている頭部に縋り付く。
「寝るからぁぁ、夜遊びしないでちゃんと寝るから嫌いにならないでぇぇぇっ!」
わんわんと泣き喚く巫女を前に誰もが目を点にする。我に返った騎士がどうしたものかと視線で問えば王は拘束を解くよう指示を出した。
「アルフレットだけではなく予の配慮も足りなかった。確かに子供が寝る時間はとうに過ぎていたな。」
王とて巫女の言葉をまるっと信じた訳ではない。それでも巫女が言うならそうなのだと受け止め、アルフレットは汚名を着せられる事無く拘束を解かれた。ぐじぐじと泣く巫女にアルフレットは狐につままれたような気持になるが、ごめんなさいと縋り付き大きな胸に泣き顔を隠すようにして埋める巫女に戸惑い、くすりと笑われたのを期に改めて女の恐ろしさを感じて身震いが起きた。
女性とはいくつもの顔を持つという。こんな幼い少女でも同じ女性だ、掌の上で転がされていると感じるのはアルフレットの勘違いではないだろう。強かさを覗かせるのは幼さ故かわざとか。
巫女はそもそも何がしたいのだろう。疑念を抱きながら巫女を抱いて歩くアルフレットを、念の為にと王に命じられた近衛が追って歩く。
形式上とはいえ夫である王を前に巫女は部屋まで送り届ける役目をアルフレットに命じたのだ。『抱っこ』と泣き顔で両手を伸ばされては抱き上げない訳にはいかない。アルフレットが原因で大泣きした後でのこの様子。むさ苦しい男が本当に好きなのかと周囲の騎士たちは疑いながらも、王が許せばそれに従わない訳にはいかない。自ら空間を移動できる巫女が接触を望む相手だ、本当にアルフレットは何もしなかったのだろうが、何故むさ苦しい大男のアルフレットがこれほどまでに気に入られるのか。周囲の疑念は深まるばかりだ。
「フェリスの部屋はわたしの部屋の右隣よ。」
すっかり泣き止んで上機嫌の巫女がアルフレットの首に縋り付き耳元で囁く。はぁと溜息を吐いたアルフレットは愛らしい巫女の顔を横目で見やった。
「巫女は一体何がしたいのです?」
「愛しい人の幸せを願ってはいけない?」
「自分で言うのもなんですが、私では彼女に不釣り合いかと。」
否定の言葉を口にするアルフレットに巫女はぷっくりと頬を膨らませた。
「アルフレットにその気がないなら仕方がないけど。自分を低く見積もり過ぎなのよ、二人とも。」
まったくしょうがない奴らだと言わんばかりに吐き出された声は子供らしくない低い物だった。
「フェリスはもう無理よ、勇気を出せない。だから嫌いでないなら、アルフレットにフェリスを受け入れる器があるなら機会を与えてやって欲しいの。今度こそ幸せになって欲しいから。」
泣いたせいで腫れた瞼が痛々しい。その奥で揺れる瞳は子供ではなく妙齢の女性を思わせる艶めかしさで、愁い、切な気に揺れ、ここではない何処か遠くを流離っていた。
王宮の広間では夜会の続きが催されているとはいえ女性を訪ねる時間ではない。だがアルフレットは助言通り巫女を送り届けると右隣の部屋の扉前に立つ。彼女を傷つけたのなら謝罪は早い方がいい。いつものアルフレットなら女性に謝罪する機会すら与えてもらえないのだが、フェリスなら夜間の訪問の非礼にも扉を開いてくれるのではないかと感じたのだ。
女性の部屋を訪問するなど初めての経験だ、しかも深夜に。
正確に言えば犯罪を犯した女性の家を訪問した事はあるが、これは数になど入れられぬ、経験にもならないようなものだ。緊張しぎこちない動きで扉を叩けば思った以上に強く叩いてしまった。もし眠っていたら起こしてしまうと焦ったアルフレットだったが、さほど待たずして僅かに扉が開かれる。
「あっ、あのっ。夜分に失礼するっ!」
応答もなく開かれた扉に焦ったアルフレットからは大量の汗が噴き出した。暗い室内からアルフレットを見上げる存在は間違いなくフェリスなのだが―――
「その顔はどうしたんだ?」
口にすると同時に泣きはらした後だと気付いたアルフレットは、なんて心配りも繊細さもない不躾な質問をするんだと、心の内で己を幾度も殴りつけた。
「―――虫にでも刺されたようですね。」
俯き腫れた目に指先で触れるフェリスの様にアルフレットは情けなく眉を下げる。
「すまない、大事な話があるのだが誘ってもいいだろうか?」
僅かに躊躇しながらもフェリスは頷くと俯いたまま大きく扉を開いた。アルフレットが贈ったドレスが皺だらけになっていたがフェリスは気付かずアルフレットは気にしないが―――
「どうぞ。」
「いや、外で話そう。」
女性の部屋、しかも深夜に上がり込もうなど何処の不届き者だ。常識を踏まえるアルフレットに、わざとなのか無意識なのかフェリスは恨めしそうに腫らした瞼を開いて見上げて来た。
「このような姿なので人に見られたくないのですが?」
遠慮せずに入れと促すフェリスにアルフレットはぶんぶんと首を横に振った。
「いやっ、私が無作法だった。後日改めて!」
「いいえ遠慮なく。人に見咎められるのが心配ならご安心を。誰もわたしとの間に間違いが起きたなどと疑いませんよ。」
自虐的に腫れた目を細めるフェリスにアルフレットは息を詰める。やはり巫女の言葉は本当なのだろう。何処からどう見ても美しくて女神の様な女性だというのに、深夜の部屋に男を引き込んでも無事でいられると本気で思っているのだ。勿論アルフレットにそんなつもりはない。例えあったとしてもそのような事は夫婦となった男女が致す事だ。男には事情があって通ってもよいとされる場所もあるが、本来は結婚してからやるべきこと。恋人同士でやる場合もある程度許されるが、子供が出来る覚悟を持たねばならぬ行為。本当に本当に本当にアルフレットに不埒な思いはないが、誰かに見咎められて名を穢すのはフェリスの方だった。
「このような時刻に訪ねて来られる程の事なのでしょう。どうぞご遠慮なさらず。」
アルフレットが真面目なのはフェリスもよく解っている。さらに扉を押し開けば、観念したアルフレットは衣服の下に忍ばせておいた短剣をフェリスに差し出した。
「気に食わない事があれば遠慮なく刺してくれ。」
「そのような趣味が?」
「そんな訳っ―――まぁいい。入らせてもらうが扉は開けておくぞ。」
何処までも真面目なアルフレットは、風で閉じてしまわぬよう隅に置かれている留め具を足で引き寄せ扉の隙間に差し込んだ。
閉じ込められるのはしばらく遠慮したい。