その1
右脇に少女、左肩に縄でぐるぐる巻きに拘束した男を抱えた大男が、昼間でも常に薄暗い湿った通りを歩いている。熊の様に大きな巨体は服を纏っていても筋肉隆々だと一目でわかり、顔には失明はしていないものの左目を跨ぐ傷跡があった。イルファーン王国では一般的な翡翠色の瞳は鋭い三白眼で非常に人相が悪い。これまた珍しくもない茶色がかった金髪だが、同じ色の太い眉は男臭く中年色を浮き彫りにしていた。
そんな男が薄暗く湿った裏通りを、いたいけな少女と縛り上げた男二人抱えて歩いているのである。身形は悪くないが山の様な巨体と人相が最悪だ。縛った男は川に沈め、誘拐した少女は売り飛ばしてしまうのだろうと、通りの小悪党たちは男が手にした可愛らしい少女に付くであろう値を予想し羨ましがった。けれどあくまで見ているだけ、誰も横取りしようなどとは考えない。最初に横取りしようとした一人が大男の巨大な足で蹴られ、一発で地面に伸びてしまったのを目撃したらだ。
そんな男の前に青い騎士服に身を包んだ一人の女が立ち塞がる。
一瞬女?! ……だよな? と疑問符が浮かぶほど背の高い女。けして横に大柄ではない、どちらかというと細すぎるんじゃないかと思える女の背はイルファーン王国男性の平均身長を遥かに超えていて、それでも女性とわかるのは、長く真っ直ぐに伸びた銀色の髪と神々しいまでに光り輝くその美貌と…ささやかに膨らんだ胸があるからだ。
青と白の騎士服はイルファーン王家と権力を二分する神殿聖騎士の証。不思議な力を持ち、これまた不思議な能力をもって絶対的な信仰を集める巫女たちを守る騎士が纏う聖なる青だ。
あれ? もしかしてと、男は右腕に抱えた少女に視線を落としかけたが、瞬時に左に抱えた男を硬い地面に放り出すと左腰に挿した剣を左手で抜き去った。刹那、ギィィィンと金属が触れ合う音が上がり、男は逆手に持った剣で相手の剣を受け止める。
目の前に女神の如き美貌を湛えた聖騎士の顔があった。
その銀色に輝く瞳には鋭い怒りが宿っており、男が勘違いされていると悟ると同時に女の目がはっと見開かれ剣が引かれる。さっと身を引いた女は片膝をつくと素早く頭を下げた。
「王家の騎士とは存じ上げずご無礼した!」
男の剣に刻まれた王家の印を目にしたのだろう。人相のせいで賊に間違われるのには慣れている。男は怒ってはいないとの意味を込め剣を鞘に戻した。
「アルフレット=ファーガソン。王国騎士団近衛部隊第二隊の隊長を勤めている。」
こんな形をしているが伯爵家の次男坊、誉れ高き近衛部隊に所属する騎士である。そして少年の頃から見た目は中年おやじだが実年齢は二十五歳、適齢期真っ盛りの若さ溢れる男だった。
アルフレットが自己紹介すると女が下げていた顔を上げアルフレットを仰ぎ見る。こんな時だが本当に見惚れてしまう美貌。これだけでも武器になるんじゃないかとアルフレットは心の内で感嘆した。
「わたしはフェリス=レティ。巫女の輿入れに同行している神殿聖騎士だ。我らが愛しいき巫女をお助け頂き感謝申し上げる。」
「偶然とはいえ巫女をお助けする誉に預かり光栄だ。」
フェリスが差し出した両腕に抱えた少女を乗せてやると、軽々と少女を受け取り愛おしそうに抱きしめた。すると意識がないと思われた少女がぱっと翡翠色の瞳を見開きフェリスの首に腕を回して抱きつく。
「ごめんねフェリス、ちょっとだけお散歩してくるつもりだったんだけど。」
「まったくです、わたしの愛しき巫女よ。気配を消しての勝手だけはなさらないとあれほどお約束して頂いたというのに―――」
特別な力を持つ巫女と聖騎士、両者は不思議な力で互いの居場所を知ることが出来る様だなと会話で得た情報から理解しつつ、アルフレットは巫女を前に失礼があってはならないと膝をついた。小さな子供には人相のせいで脅えられるのが常なので本当なら退散したい所だが、巫女が相手ではそれも不敬だ。なるべく顔を見せないようにしようと首を垂れると、ふいにこちらを向いた巫女がアルフレットに抱きついた。
「売り飛ばされる前に助けてくれてありがとう、感謝しますアルフレット。」
「いえ、恐れ多い事です。」
アルフレットはフェリスが息を呑み、銀色の瞳でキッと睨みつけてくるのを感じる。職業柄敵意には敏感なのだ。
そうだよな、こんな男にお前の大事な巫女が抱きついて礼を言っているんだ、腹が立つよなと心の中で同調していると、巫女が可愛らしい声でくすくすと笑ってアルフレットの膝によじ登った。
「腰が抜けて歩けません。わたしを城まで運んでもらえますか?」
「え……? はぁ。承ります。」
アルフレットは抱きつき感謝の意を露わすだけにとどまらず、抱いて運べと命令して来た少女に細い三白眼を見開いた。自分に脅えない子供は初めてだ。流石は巫女、そこいらの子供とは訳が違うと、アルフレットは初めての経験に気分を高揚させた。フェリスに跳び付いたり笑ったりしている時点で腰が抜けたなんて文句が嘘なのはわかっているが、巨体を恐れずよじのぼってきた巫女の愛らしさに感涙しそうだ。心の中で流す嬉し涙は濁流となっている。
権力を二分する王家と神殿に仲違が起きないよう、神殿から花嫁として差し出された小さな少女。確か齢十であった筈。そんな小さな女の子に懐かれて浮かれるアルフレットを鋭い視線が突き刺した。殺意にも似た視線を見下ろせばさほど下ではない位置で女神がアルフレットを恨めしそうに睨みつけている。
余程可愛がっているのだろう。敬愛とも言うべきか。そんな少女が見てくれのすこぶる悪い騎士に懐いて腹立たしいといった所だろう。しかし睨みつけられながらも初めての経験にアルフレットの心は弾んだ。
「参りましょうか。」
「それはわたしが。」
フェリスの攻撃を受ける為に投げ転がした男は意識がない。巫女誘拐とわかっては男を放置しておくわけにもいかず、足で空いた手に蹴りあげ取ろうとすれば、これまでアルフレットを睨んでいたフェリスがさっと男を担ぎあげた。
フェリスと同じくらいの背丈に倍の体重はあるだろう男を軽々と担ぐ様にアルフレットは感嘆する。
「細身なのに凄いな。」
「神の御加護です。」
聖騎士と呼ばれる由縁。騎士となるには技術は必要だが、聖騎士自身にアルフレットと同じような肉体的な力は必要ない。神から与えられた不思議な力がそれを自然と補ってくれるからだ。
男を担ぎ並んだフェリスにアルフレットは更に驚いた。目線が普段女性に向けるものではなく同僚への物だったからだ。本当に背が高い。頭の天辺がアルフレットの顎の位置より僅かに上だ。ほとんどの同僚よりも高いぞと秘かに驚く。
「では参りましょうか、アルフレット。」
アルフレットの首に腕を回した巫女が嬉しそうに笑いながら抱き付く力を強めると、フェリスの機嫌が更に悪化したのが感じられる。アルフレットに向けられる鋭い視線、それはまさに嫉妬だった。