久村部長の悩み (3)
「…………」
「…………」
2人揃って、無言で鉛筆を走らせ、下絵を描いていく。今回は自由テーマなので、お互い好きなものを描く。僕は今回、ファンタジックで幻想的な作品にしようと思っている。下絵よりも色塗りで時間が掛かりそうなので、このステージは、なるべく早めに終わらせたいが、なかなか上手くいかない。
星野さんの絵は知らない。訊けば教えてくれるだろうが、今は自分の作品で手一杯だ。
一段落したところで、鉛筆を置く。明日改めて見て、少し手直しをしたら、色合いを詳しく決めていこう。
星野さんは、まだ真剣な面持ちで下絵を描いている。さて、もう少し待とう。
僕は小銭を片手に、美術室をこっそり抜け出した。
――ガコン。
自販機から紙パックを取り出す。もうひとつ、星野さんの分はどうしようか。前はホットココアを飲んでいた。
自販機を前にうんうん唸っていたら、「お悩みのようね」と笑いを含んだ声が聞こえた。
「……久村部長」
「やあ」
挨拶を返している間に、時間切れが起こったようで、小銭が戻ってきた。
「星野の分?」
「はい。ホットココアにしようか、別のものにしようか、悩んでいます」
「前に、マスカットティーが気になるって言ってたわよ」
マスカットティーは、最近新しく増えた種類の飲み物だ。じゃあそれにします、と早々に選んだ。
「久村部長も、何か要りますか。この前のお礼です」
「あれは前金だから、気にしないでよ」
彼女は笑いながら、100円玉を投入した。選んだのは、ホットココアだ。
「好きなんですか、ホットココア」
前も飲んでましたよね、と指摘すると、「ついつい甘い物を飲みたくなるのよ。甘党じゃないんだけどね」と笑う。
前よりも表情が明るい。じい、と見つめていると、「どうしたよ、少年」と戸惑い顔を向けられた。
「憑き物が落ちたような顔をしていたので……何かいいことがありましたか?」
「特に何も。でも前に話を聞いてもらって、気分的に楽になったのかしらね」
「それは良かったです」
役に立ったと言われて、悪い気分にはならない。ふ、と笑う。
ブスリと紙パックにストローを差し、ホットココアを飲む。
「松田…くん、今日はホットココアか」
「松田でいいですよ。僕は少し疲れたので、甘い物を、と」
「順調なの?」
「お陰様で。星野さんはまだ頑張ってますけど」
大体半分程飲んだところで、「そろそろ戻ります」と宣言する。「私も戻ろうかな」と久村部長は、飲み終えた紙パックをゴミ箱に投げ入れる。そうして、僕の隣に並んだ。
「体育館は向こうですよ?」
「今日は教室で練習してるの。体育館を使う部活は多いからね。交代制よ」
教えて貰って、初めて知った。確かに体育館を使う部活は多そうだ。その点、美術室は美術部くらいしか使わないから、静かなものだ。
「それで、……どう? 調査の結果は」
「まあ、少しは。でもまだお教えする段階では無いです。少なくとも、悪いことでは無さそうですよ」
「ああ、そうなのね」
明らかに安堵した声だ。悪いことはしていない、と言っていたが、自分で言うのと、他人に言われるのとでは、また違うのだろう。
「それじゃあ、僕はこっちなので」
「あー、そういえば、美術室ってそっちだったわね。星野によろしく」
「はい」
教室棟に入り、2階に上がったところで、別れる。
数歩歩いたところで、僕は立ち止まる。強烈な視線を感じたからだ。
振り向くと、久村部長と、それから競馬先輩が話し合っている。……うーん。
じ、と見ていると、久村部長と目が合った。手を軽く振られる。僕は一礼で返した。隣の競馬先輩の目が怖い。僕は恋愛経験は無いけれど、その目に込められた意味くらいは分かる。勘違いですよ! と言いに行きたい。無意味な敵意ほど、面倒なものは無い。
前もじろじろ見られた。あの時は星野さんと一緒だったから、すぐに疑いは晴れたけど、今回は2人きりだ。久村部長が代わりに弁明をしてくれるとも思えない。
やれやれ、と思いながら、美術室に向かう。どうしたもんかな、とぼんやり考えながら美術室まで辿り着くと、教室のドアの前に、星野さんが立っていた。
「えーと。飲み物買ってきたよ。はい」
星野さんの目が輝いた。
「マスカットティー! 気になってたんです!」
……あれ。カンニングをした時のような、罪悪感を覚える。いや、カンニングとかしたことないけどさ。
「下絵は描けた?」
「はい。松田くんは、久村さんと仲睦まじくお喋りですか?」
どことなく、悪意を感じる表現だ。そして何故、久村部長と会ったことを知っているのだろう。「たまたま自販機のところで会ったんだよ」と弁解をする。何故だか、追い詰められている気分になる。
「そうだ、久村部長というと……星野さんも、訊いた?」
「はい。同じ話でしょうか」
「多分ね。理由は分かった訳だけど、これをバラしてしまうのは、無粋だよね」
「ええ」
星野さんは、にこりと笑った。彼女は訊く前から分かっていたんじゃないかな。心当たりはあると言っていたし、これは、“友人たる彼女だったら知り得る情報”だ。
「金曜日までですもの。部外者は部外者らしく、大人しくしていましょう」
「……その割に、すごく楽しそうだね」
今は水曜日。あと2日だ。『調査中』で乗り切れるレベルかな。
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金曜日。
登校すると、教室のドアで木谷と鉢合わせした。
「準備、どう?」
「バッチリ!」
木谷は、ぐっと親指を立てた。うわー、不安要素満載。
「垣内が飾り付け担当なんだけど、あいつ、大丈夫かなー」
垣内……ああ、垣内さんか。舞台で姫役をやっていた女子だ。ちなみに、木谷は冷静沈着な宰相役だったらしい。普段からは、到底想像がつかない。
「木谷は何担当?」
「俺はお菓子!」
うわあ、そっちの方が不安。飾り付けは無くても大丈夫(最悪黒板とチョークがあればオーケィ)だけど、お菓子は……ああ、お菓子の方が無くてもどうにでもなるか。買いに行くという選択肢がある分。
「ちなみに、プレゼントはー」
更に担当公開しようとしている木谷を置いて教室に入ると、「聞けよ!」と怒鳴られた。いやあ、聞く義理は無いと思うんだよね。
席に着いて、鞄から筆記用具と教科書を取り出す。そうしながら、久村部長のことを考えた。あれから、来週にはお答えできます、とは言って、待ってもらっている。あながち嘘では無い。
いつも通り授業を受け、いつも通り休み時間を過ごし、いつも通り昼食を食べ、放課後もいつも――「あ、やべ。菓子忘れた!」いつもと違う声を聞いた。
「予想通り過ぎて、どうしよう、って気持ちになる」
どうして今になって、気付くんだ。
「うわー、やべ。やっちまったー」
「……どうしたの、って訊く必要も無いよね」
「松田あああ! へるぷみー!」
こうして僕は、面倒ごとを押し付けられた。いや、自ら突っ込んでいった、が正しいか。
美術室に寄って、星野さんに声を掛ける。
「星野さん、お菓子買いに行かない?」
当初のプロットでは名だけ登場だった木谷くんが、非常に出っ張ってくるのです。不思議。
ちなみに星野さんが久村さんとの邂逅を知っていた理由は、密告があったからです。
某メッセンジャーアプリにて。
「さっき、星野の相棒と会ったよー」
「そうなんですか。道理で部屋にいらっしゃらないと思いました」
筒抜け。