久村部長の悩み (2)
「一度だけ、その輪の中に、あいつがいたのよ。だから、きっと理由を知ってると思う。けど、訊けなくて。……誤解しないでね、嫌ってる訳じゃないのよ。軽いところもあるけど、演劇には真剣だし実力もある。自慢の仲間なの。これは本当」
「ええ、分かります、見ていれば。久村部長は、演劇も、演劇部も、演劇部の部員もとても大切なんですね」
しっかり頷いて返すと、久村部長はしばし目を瞬かせてから、カアッと顔を赤くした。視線を星野さんに向ける。
「ほら、だから言ったじゃないですか。良い人なんです」
「……ああ、そうなのね」
顔をぱたぱた仰ぎながら、久村部長は急に笑った。
「星野が気に入ってる理由、ちょっと分かったわ」
……あれ、僕、星野さんに気に入られてるの? それは、初耳だ。まあ、唯一の仲間なので、嬉しいけれども。
多少涙目で、顔は赤いけれど、久村部長の表情は、先程と比べて目に見えて明るくなった。他人に話したことで、少し気が紛れたのかもしれない。
「それじゃあ、さっきの件、任せたわ。安心して。何も分からなくても、責めたりしないから」
「お任せくださいませ。松田くんが頑張ります」
「あ、僕なの?」
顔の広さでいったら、星野さんの方が断然上だから、てっきり彼女が動くと思っていた。僕なのか。
「おい、いつまでくっちゃべってんだよ、久村」
みんなに聞かれたくないから、と体育館から離れた、内庭の廊下で話をしていたのだが、いい加減に時間が過ぎていたらしい。確かに、結構長話をしてしまった気もする。
体育館のある方から歩いてきたのは、競馬先輩だった。
「あ、うそ! もうこんな時間? 気付かなかったわ。悪かったわね、競馬。――ごめん、もう戻らないと」
「頑張ってください、久村さん」
星野さんがにこりと笑って、上品に手を振る。僕も倣って、頭を下げた。
「また分かり次第、連絡します」
「そうね。私の連絡先は、」
久村部長は、ジャージのポケットに手を突っ込んだ。しかし、目的の物が無かったのか、眉を顰めながら、両手を挙げる。
「ごめん、携帯、鞄の中だわ。連絡先、星野に訊いてくれれば分かるから」
「はい」
返事を聞くと、颯爽と体育館へと戻っていく。女子にモテそうだなあ、と不意に思った。僕よりよっぽどか格好良い。
「なあ」
彼女を呼びに来たはずなのに、その場に残っていた競馬先輩が、神妙な顔で僕をじろじろ見ている。え、なに。
「1年坊主。お前ら、久村の知り合いなのか?」
「え、と。まあ……」
「中学の後輩です」
星野さん、君はね。でも僕は違う。さっき初めて話した身だ。
とはいえこの場でそんな説明をするつもりはない。藪蛇になりそうな気がしてならないから。僕は星野さんに合わせて、黙っておくことにした。肯定もしなければ、否定もしない。彼は、「ふうん」と呟くと、「ま、見学なら邪魔にならない程度にな」と、やはり僕をじろじろ見ながら言う。えっと、本当になんなんですか。
「いえ、今日はもうお暇します。見学させて頂き、ありがとうございます」
星野さんが丁寧に頭を下げた。年の割りに落ち着いた様子に、競馬先輩はぽかんと口を開けて驚いてみせると、「お、おう」と気の抜けた返事をした。
「気に入ったなら、また見に来いよ。騒がないなら大歓迎だ。部員にも、まだ見られ慣れてない奴が多いかんな」
その言葉に、この人も部活が大事なのだな、と思った。
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美術室に戻った頃には、いつも部活が終わる時間が差し迫っていた。今更始めても、中途半端なところで学校を追い出されてしまう。僕たちは、サボることにした。
スケッチブックを広げると、思い思いに端の方から落書きしていく。
「星野さん、それなに」
「ネズミーランドの住人ですよ」
「……耳ってそんなに小さいっけ」
「ネズミの耳は小さいじゃないですか」
それはそうなのだけれども。
後で詳しく訊くと、ここしばらくネズミーランドのマスコットキャラクターを見た記憶が無く、完全にうろ覚えで描いたら、妙なものができた、とのことであった。それにしたって、特徴が消えてしまうのは、どうなんだ。
こういうのでしょ、と僕も記憶に残っている限りで、同じキャラを描く。我ながら、上手く描けたと思う。
「……最近、行ったんですか?」
「行ってないけど、テレビで特集組んでたよ。ほら、もうすぐハロウィンの時期だから」
コスプレイヤーが大活躍する時期がやってくる。僕にとっては、キャスターとゲストの違いが分からなくなる時期だが、そもそも行かないので困らない。
「じゃあ、次はご当地ゆるキャラを描きましょう!」
何故か燃えてきた星野さんに付き合って、ガリガリと描いていく。お互い記憶が曖昧過ぎて、スケッチブックには、変な生き物が量産された。盛り上がっている時はいいが、終わってみると、恥の塊だ。特に部長には見られたくない。
「燃やしましょう」
「うん、燃やそうか」
部屋の中では流石に危ないので、建物裏に行って、星野さんが用意していたマッチ棒で、ぐしゃぐしゃにした紙に火をつける。無論、水の入ったバケツも準備済みだ。あと、チリトリと箒も。(以前にもやったから、お手の物だ)
端から黒くなっていく紙を眺めながら、僕たちは久村部長からの相談事について話し合った。
「とりあえず、舞台にいた内の1人、僕のクラスメイトだよ」
「私の知り合いにも、演劇部がいます」
それならそれぞれに訊いてみよう、という話になった。「私は、なんとなく想像がついてるんですけどね」と言いながら、星野さんは燃えカスをササっと集めて、チリトリに収めた。僕はその後に水を掛ける。これで良し。
「僕はさっぱり想像が付かないよ。でも、僕には、みんな、久村部長のことを慕っているように見えたけどな」
「きっとそれが真実ですよ」
星野さんは、いつもよりも綺麗に笑った。
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次の日、僕は同じクラスの木谷を捕まえた。無言で肩を掴んだら、「うお!」と驚かれた。
「な、なんだよ松田。驚かせるなよ」
「ごめん。悪気は無い」
「一番厄介な回答!」
悪気が無かったら全てが許されると思うなよ、と睨みを利かせる木谷を、どうどう、と宥める。
「昨日は、どうも」
「ん? あー、そういや体育館に顔出してたな。女子と。……女子と!」
何故、女子を強調するのだろう。そして、何故更に睨みが強くなったのだろう。どことなく、嫉妬のような、怨恨のような、そんな色が混ざっている。
「そんなことより」
「そんなこと、だと……!?」
あ、面倒臭いスイッチ入った。
気付いた時には遅かった。木谷は、クワッ、と目が見開き、「お前は自分の幸運を分かっていないのだよ、このリア充めが!」という類のことをぐだぐだと語られ、休み時間が終わった。うん、心底無駄な時間を過ごした気がする。
次の休み時間は、「あーあー、ボクキコエナイー」攻撃に遭い、断念。次の休み時間は、トイレに逃げ込みやがっ……こほん。あまりにもムカついたので、昼休みに無視していたら、五限目が終わった後の休み時間に、向こうから「ところで何の用事だったんだ?」と話し掛けてきた。
「あー……うん、いいや」
きっと星野さんがもっと上手く訊いてくれているだろうから。
「なんでだよ! もっと興味持って! 執着して!」
「きも……いや、なんでもないよ」
「隠せてないぞ!?」
隠す気、無かったからね。
木谷がどうしても訊いて欲しそうだったので、仕方なく話を聞くことにした。しかし、どうして話を聞くだけで、1日も掛けないといけなかったのだろう。謎だ。
「演劇部の話なんだけどさ」
おう、なんだよ。と目を輝かせながら待っている木谷に、直球で問い掛けた。
その直後、木谷の表情がビシリと固まった。
少し経って復活した木谷から、実はな、と語られた答えに、僕はいろいろなことに納得し、それからどうしたものかな、と困った。
冷静に読み返して見ると、ラクガキと阿呆なやり取りだけで終わっている回……。