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夜を越えて巡る朝  作者: トウリン
夜を越えて巡る朝
8/25

交渉

 リオンとエルネストは、王国の地図を前に額を突き合わせていた。

 改革がそれほど容易にできるものであるとは、彼らとて思ってはいない。しかし、今日の戦いはあまりに一方的過ぎた。

 兵力は激減し、組織立った進攻は到底望めそうもない。


「予定変更ですね」

 渋い顔でエルネストが確認する。

 元々今回の砦攻略は王側の戦力を削ぐことがその第一目標ではなかった。

 何よりの目的は、税として集められた食料を近隣の民へ放出することで、食べることだけで精一杯な現在の生活を改善し、リオンたちの声を聴くだけの余裕を作ることであった。重い課税で気力も何も根こそぎ搾取されている現況では、改革を説いたところで耳を貸すどころではない。


「傭兵たちのうち、軽傷だった者は大多数が逃亡、残ったのは傷が重く動けなかった者が殆ど、か」

「ええ、それに我が同志たちも重傷の者ばかりです──幸い、いずれにも死者は出ていないようですが」

「そうか」

 リオンの眉間に刻まれた皺は一層深く、エルネストは指でならしてやりたくなる衝動に駆られる。

「取り敢えず、動ける者の数を把握しなければならないな」

 そう言って立ち上がったリオンの背中を見送ってから、エルネストはもう一度地図を見つめた。ほぼ中央に、一際大きく描かれた首都、セントがある。

 ツ、とそれを指でなぞって、エルネストはひとりごちる。


 ここに、リオンがかつて最も敬愛した人物が居る。


 エルネストは直接拝顔したことはなかったが、乳兄弟として物心付く以前から常に行動を共にしていた彼には、リオンがどれほどあの王のことを崇拝していたかはよく知っている。

 王の側近くに仕える近衛隊の一員となってからは、彼の為に自分は強くなるのだと、目を輝かせて従者であるエルネストに意気込んでいたものだった。

 リオンの行動は、何もかも、王の為だった。

 ふ、とエルネストが苦笑する。

「違う、な」

 エルネストは顔を伏せ、全てを過去形で考えている自分を、否定した。

 リオンは未だに、王に対する忠誠を忘れてはいない。

 未だ、リオンにとっては過ぎ去ったことではないのだ。だからこそ、彼は王に対して無謀な戦いを挑もうとしている。

 武人として、決して愚かではないリオンに、この戦いが無謀すぎることが判らぬ筈がない。それでも挑み続けるということは、つまり、そういうことなのだ。


 勝ち目の全く無い戦いを始めた真の理由。


 リオンが心の内をエルネストに打ち明けてきた訳ではない。

 しかし、兄弟同然に育ってきた彼には、リオンの心の動きが見える。


 民草の窮状を王に訴え、その改善を乞う。


 言葉では、それは届かなかった。

 だが、王の目の前で首を斬り落として見せても、かの人の心は動くまい。

 確かに、重税に喘ぐ民を思いやる気持ちは大きい。それだけではなく、さらに先を見れば、このままの圧政ではいずれ不満が爆発し――最悪の形での反旗を翻らせる事になり兼ねない。

 民の苦しみを思い、同時に王の行く末を憂える。

 リオンの中にある、貴族として庇護すべき者達への哀れみも、騎士としての忠誠も、どちらも本物だ。更には、今は支配されるだけの者達にも何かを決定する、某かの権利はある筈だという信念と。

 それらは、『正しい』事ばかりだ。


 だが、主人ほど真っ直ぐなままではいられなかったエルネストには、王の施政、考えが全て間違っているとは思えない。

 リオンが考えているほど、人は輝かしく素晴らしいものではないのだ。

 大多数の人間は、弱く愚かなもの。自ら考え行動するよりも、支配され、誰かが行く先を指示してくれることの方を好む者は、多い。

 現に、かつては同等であった筈の同志たちでさえ、次第にリオンを『指導者』として一段上のものとしてみるようになっていき、今では完全に優劣が分かれてしまっているのだから。

 本当は、リオンの掲げる『身分の優劣などなく、皆が等しく自分の考えで生きていける世界』など、夢のまた夢であることは百も承知だ。

 ――解かっているけれど。


「だからと言って、あなたを切り捨てることはできませんよねぇ、リオン様」

 溜め息を吐き、地図をたたむ。

 テントの中の灯火を消し、エルネストはリオンの後を追った。


   *


 省吾しょうご勁捷けいしょうは、珍しく一人で歩いてくるリオンの姿を認め、立ち上がった。

「よお、大将。これからどうするんだい?」

 片手を上げた勁捷に気付き、リオンが歩み寄る。

「あなた方は、確か……勁捷殿と、省吾殿だったな」

 名前を呼ばれ、二人はやや驚き顔をする。

「これはこれは……名前を覚えてくれていたのか」

 意外そうな顔をされ、リオンはややむっとしたように口を曲げた。

「私は、命を預けてくれたあなた方の名前を覚えぬような礼儀知らずではない」

 そう答えたリオンだったが、以前同様の受け答えがあったことが脳裡をよぎり、眉間に皺を刻む。


『私の名を覚えて下さったのですか!』

『そなたは余の為に生き、余の為に死ぬ者であろう? 名を知るのは当然のことだ』

 ――そんな遣り取りは、彼が近衛隊に選ばれたばかりの、未だ幼かった頃のこと。


 頭を一振りしたリオンに、勁捷が怪訝な顔をする。表情には出ていなかったが、省吾の心境もあまり大差は無かっただろう。

「リオン様、眉間」

 追い付いたエルネストが、見えた筈がないというのに、背後から指摘する。

「おや、あなたたちはあの時、隣に居ましたね」

「ああ、お互い無事で何よりだな」

 何やら妙に意気投合したらしいエルネストと勁捷は、どちらからとも無く握手を交わす。

「それで、あなた達はこれからどうするのですか?」

「俺は、あんた達と行く」

 ボソリとそう答えたのは、省吾である。

「あれほどの力を見せ付けられたというのに、まだ私たちと来て頂けるというのか?」

 望んではいても期待はしていなかったリオンは、願っても無い申し出に身を乗り出す。

「第一、金はもう……」

 貰っている、とリオンのあまりの喜びようにやや怯みつつ続けようとした省吾だったが、逸早く勁捷に遮られた。

「ああ。ただ、ちょっとばかり危険手当を足して貰えると、こっちももっと張り切れるんだがな」

「危険手当……? まあ、構わんが、金銭で釣り合う程度の危険とは思えんぞ」

 呆れ顔のリオンに、勁捷はヘラヘラと笑って親指で省吾を指差した。

「ま、俺はともかく、こいつには別の理由もあるからな」

「別の理由、とは?」

「女だよ」

 リオンとエルネストは、勁捷の言葉に一瞬耳を疑った。

「は?」

 まじまじと二人に視線を注がれて、省吾は勁捷を睨み付ける。

「いい加減なことを言うな」

「いいじゃねぇか。本当のことだろう?」

 片目を閉じてそう返した勁捷に、省吾は言葉に詰まった。どうも、この上なく大きな弱みを握られたような嫌な予感がした。

「とにかく、どんな理由にしろ、同行してもらえるなら心強い」

 殆ど二人の間に割って入るように、リオンが言う。次いでエルネストも執り成すように付け足した。

「そうですね。恐らく、他の人々は当分動けないでしょうから」

 そう言うと、リオンとエルネストは他の人々の様子を見るから、とそそくさと二人の傍から歩み去る。


 取り残された省吾は、勁捷を振り返ることなく自分のテントへと踵を返した。

 勁捷はこの上ない仏頂面のままかなりの早足で歩く省吾を追いかける。

「おいおい、そんなに怒るこたぁねぇだろう?」

 肩を怒らせたその背中に向けて掛けられた呑気なその声に、省吾の足がぴたりと止まる。

「何だって、あんたはそんなに俺に構うんだ!?」

 そう言った彼の声は、激昂したが為にいつもより高くなっていた。

「理由を訊かれてもなぁ」

「俺は、馬鹿にされるのは嫌いだ」

 こんな時でなければ、迷わず殴り飛ばしているだろう。現に、省吾の骨張った拳は固く握られている。

「別にからかっちゃいねぇよ」

 誤魔化そうというのか、と眉を逆立てて振り返った省吾は、そこに真面目な光を宿した眼差しがあることに面食らう。

「お前はあの子に会うんだろ? それは本当のことじゃねぇのか?」

 いつもの茶化してばかりの勁捷とは全く違うその声音に、省吾は飛び出しかけていた罵声を呑み込んだ。

「どうだ?」

 促され、省吾は唇を噛んで俯く。

 あの子のことを想うと、胸が苦しくなる。逢いたくて、仕方が無くなる。今こうしているのももどかしい。あのキレイな紅い目を覗き込んで、その目で自分を見て欲しい。

 そんな気持ちになる理由など、今はどうでも良かった。

「どうしようもないんだ。自分でも、どうにもならない」

 足元に転がる石を親の敵のごとくに睨みつけている省吾を、勁捷は羨むような呆れるような、不思議な色を浮かべた眼差しで見る。

「まあ、しょうがねぇ、こればかりはよ」

 ポンポンポン、と叩かれた背中は、いつもの力任せのものとは違っていた。


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